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3 妖精の耳飾り

 あの小柄な人影が、中年の女性の腕から抜け出てこちらに出てきたのです。

息を呑んだ私は、いつの間にか鍵を持った手を降ろしていました。

 まるで妖精のような、美しい少女でした。髪をきっちりまとめてあるため、卵型の顔の線がくっきりと浮かんでいます。頭頂部に小さな板状のボンネットのようなものをつけ、そこから幅広の暗色のリボンが背中に下がっています。濃い色の大きな瞳は濡れたように輝き、すっと通った鼻筋、そしてぷっくりした下唇の小さな口。耳飾りが灯りをチカッと反射しました。

 立襟の服とやや膨らんだスカートが、ランタンの灯りにつやつやと山吹色に光っています。その上で重なる、ほっそりした白い手。年の頃はまだ、十五、六に見えました。

 少女が何か言って、さらに前に出ると、優しく微笑んで片手をすっと前に出しました。

すると、サダルメリクが唸るのをやめ、前に出て首を伸ばし、少女の手に額をすりつけたのです。彼は、この少女を知っている……きっと、陛下と縁の深い人なのでしょう。妹さん? まさか、娘、とか。でも年齢的にはありえなくもないです、ね。

「あの……私、鍵、あります」

 そっと申し出て、門を開けましょうか? と鍵を回すジェスチャーをすると、少女は少し目を見開いて――睫毛を伏せると、首を横に振りました。寂しそうに微笑んで、瞳を揺らして。

 そして、サダルメリクを撫でてから、他の二人に何か声をかけました。二人は私の方を気にしながらも、少女に答えるように軽く頭を下げました。

 男性が先に立ち、サダルメリクを大きく回り込むようにして石段を降り始めました。次に、中年の女性が少女の片手を取って、後に続きます。

 少女は、サダルメリクの後ろにいた私の横を通る時、柔らかく微笑んで

「ありがとう」

とささやき、そのまま一度も振り返らずに石段を降りて行きました。

 ランタンの灯りが遠ざかり、やがて馬のいななきが聞こえ、辺りは静かになりました。香木の残り香だけが、宵闇にかすかにたゆたっています。

 私はしばらくの間、かすかな葉ずれの音を聞いていましたが、霊廟の門に向き直りました。門の向こうは、闇に沈んでいます。

 鍵を手にしたまま少し迷って――私は再び、鍵束を首にかけました。

 陛下の世界は、門の中だけです。外には出られないようなので、もしかしたら外で起こった出来事に気づいていらっしゃらないかもしれません。

 私が今、中に入れば、きっと陛下は「なぜこんな夜中にここに来たのだ」とお聞きになるでしょう。でも、少女のことを軽々しく話してしまって良いものでしょうか。そう、先帝陛下は霊体としてこの廟にいらっしゃいますが、本来なら誰もそんな状態の陛下と意思の疎通をするなど、できなかったはずなのです。私の存在は完全にイレギュラーなものであり、少女も、自分のことを私が陛下に詳しく話してしまうなどと思っているわけがありません。

 ――話すかどうかは、少し考えてからにしましょう。もし陛下がお気づきなら、どうせ朝になれば聞かれることでしょうし。今は、このまま……。

 こんな風に、陛下との様々なことを「ありえないこと」として考えなくてはならない、それが、少し切なく思えました。

 汗が夜風に冷えて、私はくしゃみをひとつして身体を震わせました。すると、サダルメリクが私のお腹にぐいぐいと頭を押しつけてきました。背中に乗せようというのです。

「心配してくれたの? ありがと」

 私はありがたく彼の背中によじのぼるとふかふかの毛皮につかまり、首筋に顔を埋めました。


 寮に戻って少し仮眠してから、私はいつものように出勤しました。たどり着いた門はもちろん閉まったままです。私はサダルメリクの背から降り、門を開けようと一歩踏み出しました。

 しゃらん。

 布靴に何かが当たって、音を立てました。踏み固められた斜面の、朝靄に湿った短い草の中に、金色に光る何かが落ちています。私はそれを拾い上げました。

 ぱっと見た感じでは、鞘のついた剣のミニチュアです。長さは私の中指くらいで、やや湾曲しています。鞘は金の透かし彫りになっていて、中には剣の代わりに青く光る石が三粒ほど入っているのが見えていました。とても繊細な作りで、高価そうです。

 ひとまずそれを手にしたまま、門の鍵を開けました。

「おはようございます」

 声をかけ、事務所に向かいながら、手のひらで裏、表、と返してみます。

「きれい」

 つぶやきながら、これは誰かの落し物かしら……と考えたところで、はっとしました。

 昨夜の少女です。そうに違いありません。妖精のような顔の、耳のあたりで光った何か。

 深みのある男性の声が響きました。

「シェイに会ったのか」

 はっ、と顔を上げると、目の前に先帝陛下の半透明のお姿がありました。私の手の中を見て、少し驚いたような表情……珍しいです。

 私は陛下に歩み寄ると、手のひらのものを見えやすいように差し出しました。鞘の中の石が動き、しゃら、と音を立てます。

「昨夜、何か気配が動いていると思えば……来ていたのか」

「どなたなんですか?」

 迷いつつも、事務所の鍵を開けながらお聞きしてみると、

「シェイと話したのではないのか? ……いや、お前は言葉がまだ」

 陛下はそうおっしゃったまま、顎を撫でながらしばし沈黙。珍しい反応です。……もしかして、私に話すつもりはなかったことなのでしょうか。

「妖精みたいに、美しい方でした」

 それだけ言って、私はかまどの前で振り返って陛下とまっすぐ向き合い、お返事を待ちます。もうお会いしてしまったんですから、教えていただきたいと思います。

 陛下は、口を開かれました。

「……これは、私が妻にやったものだ。シェイリントーン姫という」

 ――私は一瞬、固まってしまいました。

 胸の中でいくつもの感情が撹拌され、そして分離して浮かび上がって来た最初のものを、思わず口に出しました。

「犯罪!」

「どういう意味だ」

 太い眉をしかめる陛下。

「つ、つい……あの、だってあの方、おいくつですか?」

「十四だったな。十五になったら正式に婚礼を挙げることになっていたから、正確には婚約者だったが、宮殿で暮らしていた」

 まだ正式には結婚してなかったんだ。

 私は思わず息をついて、胸をなでおろしました。すると陛下はニヤリ。

「何だトーコ。妾は嫌だなどと言っておいて、悋気か?」

「……………………」

 あの妖精のような美少女が、この陛下の言動にいいように振り回される所を想像して可哀想になった――なんてこと、大人ですからもちろん口にはしません。

「えっと、これはイヤリングかしら?」

「おい」

「お返ししたいけど、どうしたら……」

「無視か」

『悋気か』の言葉を完全スルーした私に、陛下は不満気に鼻を鳴らしていらっしゃいます。

 陛下の月命日だった昨日、霊廟に訪れたシェイリントーン姫。寂しそうな微笑みが思い出されます。先帝陛下亡き後、どのように過ごしておいでなのでしょう。

 そうだ。次の月命日は、日本風に言えば六月三十六日です。その日の夜中にまた姫がおいでになるなら、この耳飾りをお返しできるかもしれません。きっと大事なもののはずです。

 宮殿の文官のアルドゥンさんを通じてお返ししようかとも思いましたが、ここに密かに来られたのならあまり他の人には言わない方がいいような気がします。

「これは、昨夜お姫様が落として行かれたようです。どうして午前中には、おいでにならないのでしょう?」

 陛下にお聞きしてみましたが、

「私がやった耳飾りの片方をシェイが持っていて、片方をトーコが手にするとはな。私が生きていたら、女同士でもめごとの種になりそうだ」

などとへんてこな冗談を口にしてはぐらかすばかり。

「これ、預からせていただいても?」

 陛下にお聞きしても、

「そういう装飾品が欲しいのか? 私の棺の周りに、副葬品として色々な宝飾品が置いてあるぞ。私には必要ない、好きなものを取るがいい」

と祭壇の方を顎で示して、さらにはぐらかしておいでです。

 ん? ちょっと待って。

「それって、盗掘ですよね。どんな罪になるんです?」

「そういえば死罪だな」

「そういえば、って! さりげなく殺す気ですか!」

 油断も隙もあったものではありません。

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