1 月命日の朝の出来事
「陛下……今日、参拝の方が多くありませんか?」
私は小屋の戸口のあたりで、こそこそっとささやきました。すると、戸口の向こう、外からは見えない辺りに、半透明に光るお姿がゆらりと現れました。
「そうか?」
「はい。いえ、最近は参拝の方自体が少なかったので、多いと言ってもさっきの方で六人目なんですけれど」
陛下は、ややつり上がった目で遠くを眺めると腕を組みました。
「ああ、今日は月命日だったな」
えっ。陛下の、月命日? こちらでもやっぱり、そういう日は大切なんですね。
日本が存在しない世界に君臨する、ゼフェナーン帝国。この国で暮らし始めてから、三ヶ月の月日が流れました。
陛下が亡くなって、一度はお墓参りに……という気持ちなのか、私がこの霊廟で働き始めた当時は何人もの方が参拝に見えていました。でも、ここ一ヶ月ほどは一日に二人とか三人というところで。今日は多いな、と思っていたら……そうか、月命日なんですね。
ちなみに、こちらの暦はとても覚えやすいです。一日の時間は七つに分かれていますが、一週間も七日、一ヶ月も七週、一年も七ヶ月。全部『七』なのです。年末年始に当たる時期に特別な一週間がありますが、それを入れても一年は三百五十日ですから、一年の長さは地球にいた頃ととんでもなく違うと言う感覚はありません。天体の運行が似ていて助かりました。
昨日は、学院で教わった知識によれば、五の月の六週目の初日でした。日本風に言えば、五月三十六日でしょうか。
そうそう、今日は、帝国の一の将軍ダウード様もお見えになりました。香木の欠片をお渡しする時、片言ではありますが先日のお礼を言うと、将軍はまるで今それを思い出したというように、切れ長の瞳で私をご覧になりました。そして軽くうなずかれただけで参拝へ。
帰る時もあっさりと、こちらを見ることなくまっすぐ門から出て行かれました。今日は人が多いせいか、いつものように祭壇の前で陛下とゆっくり向きあうことはされなかったようです。
「また誰か来たぞ」
陛下の声に我に返って振り向くと、敷地の門を入って来る人影が見えました。
「あ、はい。せっかく皆さん参拝に来られてるんですし、祭壇に戻られてはいかがですか?」
私は早口で声をかけ、事務所の軒下の露台へ出て椅子にかけました。
参拝客の方も、まさか陛下の霊体が霊廟ではなく、この適当な作りの小屋――いえ管理事務所にいらっしゃるなんて、思ってもみないことでしょう。
参拝の方は、私と同い年くらいの若い男性でした。ミディアムな長さの無造作ヘアで、良く陽に焼けています。喉元で紐で結んだケープは年季の入った色で、ブーツにも少し汚れが……旅の途中とか、そんな風に見えます。
参拝料を出そうとして、おっと、という風に手袋(乗馬用?)を外してから改めて硬貨を下さいました。私はそれを押し頂くと、香木の欠片を包んだものを差し出します。
そして視線はその方の膝のあたりにやったまま一礼し、頭を上げました。
ぬっ、と、その男性の顔が私の目の前に現れました。
「ひっ」
思わず息を吸い込んで、上半身を引いてしまいました。男性が、身体を屈めて私の顔を覗き込んでいるのです。
細面に、少し垂れ気味の大きな目が目立ちます。その目でこちらをじーっと観察して、眉間に軽くしわを寄せています……何かを思い出そうとするように。
そんな男性の態度を不審に思ったのか、陛下が私の真後ろに立たれて頭の上から男性をねめつけています。男性には、陛下が見えていないはずです。
真正面からは男性、真後ろからは陛下。動けません。何か変な汗が。
結局、男性は一つため息をつくと、いったん身体を起こしてから私に軽く頭を下げて向きを変え、霊廟の方へと向かって行かれました。
「……な……」
呆然と見送っていると、耳元から陛下の声。
「あいつと知り合いなのか」
えっ、と横を向くと、露台に腰かけた陛下の姿。私は辺りをさっと確認してから、ひそひそと言いました。
「し、知りません。どうしてあんな……あれ?『あいつ』って、陛下はご存知なんですか?」
すると陛下は、ちょっと視線をそらして鼻を鳴らしました。
「見覚えがあるような気がしただけだ」
……陛下はあまり、生前のことを自分からはお話しになりません。なので、私は勝手に想像をめぐらせます。
あの男性に陛下が見覚えがおありなら、男性は皇帝に直接お目見えできる身分ということなのでしょうか。もしそうだとすると、重要な仕事をしていた方なのかも。でも、どうして私の顔なんか……? こちらの人と少し違う顔立ちが珍しかったのかしら。
その男性は、参拝を済ませて戻ってくる時も私の方をちらっと見てから、門を出ていかれました。馬のいななきが、風に乗って聞こえてきました。
仕事が終わる『緑の刻』になりました。大体、午前十一時から十二時の間くらいです。
祭壇の香炉を片付けている横から、陛下が声をかけて来られます。
「トーコ、妙な男に引っかからないように気をつけろ。お前は私の妾なのだからな」
全くもう……私は霊廟という「建物」を「管理」しているんですが?
なんてことを思いながらも口には出さず、私は霊廟の鎧戸を閉めて内側から施錠し、正面の観音開きの扉の下に屈みこんで、扉を固定していた金属製のフックを壁から外しました。
重い石の扉をゆっくり閉めていくと、入口から射し込んでいた陽の光がすーっと細くなり、中が暗くなっていきます。光のあたる祭壇、その奥の大理石の椅子、そして奥にある鍵と鎖で厳重に施錠された扉が、ゴウン……という音とともに見えなくなります。
入口の鍵を閉めながら、そういえばあの奥の扉の中はどんな風になっているのかしら……と想像しました。おそらく玄室だろうと思いますが、あそこの鍵は私は持っていないのです。まあ、棺があって副葬品があって、という感じなのでしょうけれど。
「それでは陛下、失礼します」
陛下が「うむ」とうなずかれるのを見届け、私はサダルメリクと一緒に門の外に出ました。
門の鍵を閉めると、辺りはシンと静まり返りました。聞こえるのは、木々のかすかなざわめきと小鳥の鳴き交わす声だけ。
――これから翌朝まで、陛下はたったお一人、この静かな空間で過ごされるんだ……と思うと、いつも少し後ろ髪を引かれてしまいます。
私は一度、門を振り返ってから、サダルメリクの背に乗せてもらって霊廟を後にしました。