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娘は陛下の眠りを守る(墓守OLは先帝陛下のお側に侍る)  作者: 遊森謡子
第2章 世界と人とをつなぐ香り
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3 伏せられた死因

 しばらくして雨はやみ、私が仕事を終える『緑の刻』の頃には薄日が射してきました。

 サダルメリクの背に乗り、雨に光る草原を学院へと送ってもらいます。ふと見ると、草の海の向こうに虹が見事なアーチを描いていました。

「……すごい……」

 虹の全体を見るのなんて、私は初めてです。日本では、ビルとビルに切り取られた空間から虹の一部を見たことしかありませんでした。私はうっとりするあまり、うっかり身体を起こしてサダルメリクの背から落ちそうになって、サダルメリクに唸られてしまいました。ごめん。

 陛下も、霊廟からご覧になっているでしょうか。石垣があるから見えないかもしれません。

 あそこから出られないなんて、何て不自由なんでしょう。偉い方なのに、幽霊になってあんなことに……なぜ。

 ふと、私は学校の歴史の授業を思い出しました。偉い人が閉じ込められたというような史実、確かありましたよね。あれはなぜだったかしら。


 寮の部屋に戻り、やっと着替えです。もう少し私服っぽい一揃いも頂いていたので着替え、プリーツスカートは井戸の水をタライに汲んできて押し洗いして、軒先に吊るしました。思ったより泥はねがなかったのが救いです。乾いたらアイロン……があるかどうかわからないし、布団の下に敷いて寝れば折り目が復活するかしら。

 天気予報があるわけじゃないし、また雨になる時には対策を考えないといけませんね。

 さて、今日もこれから授業があります。私は食堂で遅い昼食を済ませると、少し早めに学院の教室に行きました。

 校舎は平屋の木造です。窓も引き戸も開けっぱなしの、風通しのいい教室でしばらく待っていると、ハティラ先生がいらっしゃいました。濃紺のウェーブヘアを揺らして、「こんにちはトーコ!」と笑顔であいさつしてくれます。

 私はあいさつを返した後で、気合いを入れて質問してみることにしました。言葉がわからないので、つい引っ込み思案になってしまいがちですが、どうしても聞きたいことがあるのです。

「前の皇帝陛下」

 まずはわかる単語を言って。それから、私は机の上にバタッと倒れ伏して見せました。なかなか恥ずかしいものがありますが、言葉や絵では表せなかったのです。

 次にまた言葉で、「何ですか? 痛い?」という疑問。

 要するに私は、先帝陛下がなぜ亡くなったのか、と聞きたかったのです。さすがに、陛下に直接聞くのははばかられたので……。

 ハティラ先生には伝わったようです、ああ、という表情をしてから、

「わからない。ごめんなさい」

 と、細い眉を八の字にして首を振りました。ハティラ先生は表情も身振りも豊かだし、私のわかる単語を使ってくれるので、他の人と比べると格段に意志の疎通がしやすいです。

「アルドゥン、わかる?」

と尋ねると、うーんとうなった後で曖昧に「わからない」という返事。

 文官のアルドゥンさんも、陛下の死因を知らない。死因が、公開されていない?

 まだお若いのに、亡くなった先帝陛下。何か事情がおありなのだろうと思うだけに、そんな方の霊廟を管理することになった私としては、気になって仕方ないのです。

 もしも陛下が姿を現したりしなければ、気にしなかったかもしれません。ですが、もう私は知ってしまっています……他の人には見えなくとも、陛下があの場所にいらっしゃることを。

 そして、そんな陛下を慕う誰かがいることを……。


 やがて、わあわあとにぎやかな声がして、外に直接通じている引き戸から子どもたちが入ってきました。町の子どもたちです。あいさつの声が教室に響きます。男の子も女の子も、甚平みたいな立襟の上着にズボン姿。布もざらっとした生地のようです。

 こちらの文化が何となくわかって来ると、私がもらった服はかなり高級なものであることもわかってきました。何しろ、プリーツスカートです。普通の何倍かの布地を使う服です。お世話になるばかりの私が、こんないい服を着ていていいんでしょうか……。

 何だか恐縮してしまいます。せめて、私に出来る限り働かなくては。

 私は顔を上げ、教室を見回しました。私に挨拶してくれる子もいますが、遠巻きにして近寄らない子もいます。大人と同様、みな濃い青系統の色の髪をしています。

 その時、その近寄らない子の一人――八歳とか九歳くらいの男の子です――が、教室の奥で私の方を見ながら、もう一人の子に何かささやきました。「前の皇帝陛下」という単語が聞こえます……私が霊廟の管理をしていること、知っているのかしら。

 ハティラ先生が威勢良く手を叩いて、授業が始まりました。

 あら? お休みの子がいます。「ルーマ」と呼ばれている十歳くらいの女の子が見あたりません。近くに座っていた子に「ルーマ?」と聞いてみると、その子は何か一言言った後でちょっと考え、ごほんごほんと咳をして見せてくれました。ああ、風邪でお休みなのね。

「わかりました。ありがとう」

 お礼を言うと、その子はニコッと笑ってくれましたが、隣に座っていたさっきの男の子に何か一言言われて、あわてて先生の方に向き直りました。

 その時男の子が私に投げた視線が――ちょっととげのあるもので。

 陛下が気がつかれたように、男の子は敏感に気づいたのでしょう。私がこちらの人と、色々と違うことに。そりゃあ、怪しみもしますよね……。

 ところで風邪と言えば、私が病気になったら廟の管理はどうすればいいんでしょう? その間、誰か他の人に代わるとか? でも誰に?

 あ、もう一つ思いつきました。私が陛下の葬列を見かけてから管理人になるまで、一ヶ月ちょっと経っています。その間、誰があそこの受付にいたのでしょう? 例えばその方に、もしもの時の代わりをお願いすることはできるのでしょうか。いえ、その前に……まさか、その人の仕事を私が奪ったなんてことは?

 何だか色々と、心配になってきました。


 その翌朝も、私はいつものように早起きをして、あの制服代わりの服に着替えました。幸いプリーツも取れず、泥のシミもよくよく見ないとわからない程度で済んだようです。

 またサダルメリクの背に乗って、職場――霊廟へと向かいました。相変わらず必死にしがみついている感じではありますが、最初に比べたらだいぶ慣れてきました。

 無事に到着。そうだ、参拝客が来る前に、昨日思いついたことを陛下に伺ってみましょう。掃除の後、私は祭壇の上に炭を入れた香炉を置くと、辺りを見回しました。

「先帝陛下……いらっしゃいますか? お聞きしてもよろしいでしょうか」

「改まらずとも、さっさと聞け」

 うわ、と振り向くと、半透明の陛下は祭壇の向こう、大理石の椅子に腰かけて、ふんぞり返って足を組んでいらっしゃいました。偉そうな態度がよくお似合いです。

「あ、ありがとうございます。私の前は、どなたがここの管理をしてらっしゃったんですか?」

「誰も。私が埋葬されてから、ここはずっと閉まっていた。お前が来て初めて廟の入り口が開いたから、サダルメリクが気づいてここにきたのだろう」

「埋葬されてしばらくは、閉めておくんですか?」

「そういうこともあるな」

 そういうことも???

 疑問符を浮かべた私の様子を見て、陛下は鼻を鳴らしました。

「いちいち気にするな。私の廟など、どうしても開けておかねばならない理由などあるまい?」

「そんな、来て下さる方がいらっしゃるのに! 閉まってたら悪いじゃないですか」

「閉まっていたらまた今度来る。開いていたら『ああ開いているな、よかった』と思うだけだ」

 ううむ。国民性でしょうか、この辺は。予定どおりに物事が進んでいく場所からやってきた私にとっては、なかなか慣れることができません。

 陛下が横目で私をご覧になり、片肘をついておっしゃいます。

「何をそんなに、必死になって働いておるのだ」

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