プロローグ 朝陽が射して
公募のため取り下げていた『娘は陛下の眠りを守る』ですが、落選したため再投稿します。公募用にブラッシュアップしたバージョンを、どうぞお楽しみください!
ある国で、仕事を紹介されました。
一般常識があればオーケーで、キツくもなくて。その国の言葉がわからなくても良くて。それなのに、『名誉な』仕事。ただ、怖がりさんだと大変かもしれません。
どんな仕事だと思いますか?
朝靄の残る木立の間を、私はゆっくりと登って行きました。丘の上のその場所は、石壁に囲まれ、鳴き交わす小鳥の声に包まれています。
鉄柵の門に鍵を差し込み、開きます。目の前には大理石の石畳の道があり、道の先には純白の建物がたたずんでいます。私はそちらに向かって深々と一礼しました。
先に右手の小屋に入り、かまどに火を熾しておいてから、小屋の倉庫から箒を出して石壁の敷地内をざっと掃き清めて行きます。敷地は、そうですね、小学校の小さめの校庭くらいなので、私一人でもなんとかなります。
掃除の後、純白の建物の裏に回り、聖なる井戸で清らかな湧水を汲みます。桶を建物の前まで運ぶ頃には朝靄が晴れ、細やかで豪華な彫刻の入った石の扉を全身全力で押し開くと、中にさぁっと朝の光が差し込んで祭壇を照らします。
花瓶や灯籠に囲まれた祭壇の向こうには、背もたれの高い豪華な大理石の椅子。実際には誰も座らないんですけど、ここに眠る方の生前を偲んで、祭壇付近は真っ白な執務室のようにあつらえられています。
この建物は、霊廟なのです。
もう一度礼をしてから、祭壇の両脇にある鎧戸を開けて、風を通して。
「おい」
それから、祭壇を綺麗に拭いて。
「おい」
持ってきたお花を供えたら、中の準備は終了。おっと、香炉を用意しなくちゃ。
「おい! トーコ!」
いきなり目の前に、すっ、と男性が姿を現しました。
服装は着物に似ているけど、立襟で裾の長い――そう、モンゴルの人が着るみたいな服の上に、厚地のガウンを羽織っています。色は全て真っ白。
「おはようございます、先帝陛下。何でしょうか、今忙しいんです」
私はさっさと霊廟を出ると、再び大理石の道をたどって小屋まで戻りました。この木造の小屋が、霊廟の管理事務所であり、私の仕事場なのです。
「この私を無視するとは、いい度胸だな」
男性は私の後についてきています。年の頃は三十歳くらい。きりっとした目元、引き結んだ口元。ちょっと怖そうだけど、男前だと思います。
事務所に入ってかまどの炭を香炉に移した私は、いったん手を止め、振り向いて言いました。
「御用があればお伺いしますけど、御用、ないでしょう? もうすぐ最初の参拝者の方がおいでになる時間ですから、それまでに準備を終えないと。陛下、こんなところをふらふらなさっていてよろしいんですか?」
香炉を持って霊廟に向かう私にまたもやついて来ながら、男性は偉そうにおっしゃいました。
「ふん、私には関係なかろうが。死んでいるのだからな」
男性の半分透けた身体に、私はちらりと視線をやります。
……不真面目な幽霊ですねぇ。
このお方は、ここゼフェナーン帝国の先代の皇帝陛下。この霊廟に祀られている、まさにそのご本人なのです。亡くなってるけど。
あっ、「お隠れになってる」の方がいいのかしら? でも全然隠れてないですしねぇ。
祭壇に香炉を置いて事務所に戻った私は、倉庫から露台を出しました。事務所の前はテラス風になっていて、その屋根の下に露台を置き、香木の入った箱を置きます。お供え用の香木はそれなりに高価ですし、きちんと管理しないと。
今日最初の参拝者、かくしゃくとしたおじいさんが門を入って来るのが見えました。私は陛下に話しかけないよう、口をつぐみます。独り言を言ってると思われたらイヤですからね。
そう、どういうわけか、先帝陛下は私以外の人には見えないようなのです。
「お前も幽霊なら、働かずとも良いのにな、トーコ?」
参拝者のおじいさんと礼をし合う私の横で、先帝陛下は低く笑っています。うるさいです。
私は何食わぬ顔で、おじいさんから参拝料の硬貨を受け取り、香木のかけらの入った小さな紙包みを差し出しました。そして再び、お互いに頭を下げます。やりとりはこれだけなので、こちらの言語がまだまだ不自由な私が受付でも大丈夫。
おじいさんは霊廟の方へ歩いていきます。あの香木を香炉で焚いて、参拝するのです。後ろ姿を見送り、私は手元の帳面に目を落としました。記録しておかないと。
ふうっ、とうなじのあたりを風が走り抜け、私の胸までの長さの髪を巻き上げました。
「きゃ……。もう、やめて下さい!」
髪を抑えて肩をすくめ、ささやき声で言いながら斜め上をにらむと、浮かんだまま組んだ足に手を置く先帝陛下。
「ちょっと髪をもてあそんだだけだ。色気のないことだな、女どもは私にこうされると、頬を赤らめたものだぞ」
「過去の栄光を語らないで下さい!」
やれやれ。
でも、不思議なことに、私と陛下はそれぞれの母語を話しているのに言葉が通じます。こうして自由に話せるのは、正直気が楽です。
……故郷で幸せだったかというと、そうでもなかったし。このまま穏やかにここで過ごしていけるなら、それもいいかも。
「遊びで言っているのではないぞ」
先帝陛下は色気のある笑みを浮かべます。
「『こちら側』で私の妾にしてやると言っているのだ。トーコ、さっさと死んでこい」
前言撤回。早く故郷に帰りたいです。何かというと、こういうことおっしゃるんです。
「どうして陛下とは言葉が通じちゃうのかしら」
ぶつぶつとつぶやく私の横に浮かび、先帝陛下はおっしゃいます。
「死者は、意思の伝達方法が生者とは違うのだろうな。お前が来なければ、私も知らぬことだった。面白い。生きていれば学者に研究させたものを」
でもそれ、死ななきゃわからなかったことでしょう……。
「故郷でも、死者と話をしたのか?」
「いいえ。話どころか、死者の声さえ聞いたことなかったです。本当に、何でこんなことに」
私は白石籐子と言いまして、正真正銘、生粋の、ごく一般的な日本人なのです。
本当に、そんな私が何でこんな場所でこんな仕事を。いえ、仕事に不満があるわけではないんですけれど、ただ不思議で。
思い返してみても何の参考にもなりませんが、私がこのゼフェナーン帝国という所に迷い込んだのは、こちらの暦で二ヶ月ほど前のことでした……。