第七話:守護者が繋ぐもの(後)
まだ鳥も眠っている午前4時前。
外は真っ暗で、窓越しから冷え込んだ空気が伝わってくる。
フワッ。
私はモリスさんが編んでくれたケープを羽織り、
つま先から腕まで、全身をゆっくりと確認した。
ケープの下に身に纏っているのは、
昨日、鑑定のあとに行った服屋さんで買った服。
クリーム色の長袖に、濃紺のストレッチパンツ。
厚手の生地のショートブーツは焦茶で、汚れも目立ちにくそう。
旅をするには、ぴったり。
(……うん。馴染んでる)
私は小さく頷くと、
ホルダーを腰のベルトに引っ掛けて傘を携えた。
そして、
顔を上げて、前を見つめた。
——いよいよ、出発だ。
***
「また寂しくなるねぇ」
その言葉通り、寂しそうに笑うラミアさん。
ラミアさんとデミドアさんは私たちが起きた時には既に起きていて、
お店の方で朝ごはんの用意をしてくれていた。
私たちの出発に合わせていつもより早めに起きてくれたらしい。
デミドアさんからお昼ご飯を渡された時には、
ふたりの温かい人柄に胸がじーんとした。
「ラミアさん、デミドアさん。二日間ありがとうございました」
ふたりは宿泊費だけではなく、
滞在中のご飯代も頑なとして受け取らなかった。
ふと、昨晩のことを思い出す。
*
『言っただろう?良いもん見せてくれたお礼だって。それに、ご飯代はフィンがちゃんと払ってくれたよ』
そう言いながらフィンの頭を撫でたラミアさんと、
『ぼく、お仕事がんばったよー!』と胸を大きく張ったフィン。
私たちにも褒めて褒めてと言わんばかりに、
フィンはそのアイボリーの頭をぐりぐりと擦り付けてきた。
私と透真はそんなフィンに感謝し、
笑みを浮かべながらフィンの頭を撫でまわした。
*
頭を下げる私たちに「気をつけて行ってくるんだよ」と送り出してくれるラミアさんと、
「…またいつでも来い」というデミドアさんに「はい…!」と答えて別れを告げる。
「おばちゃん、おじちゃん、またね!」
お店のドアの前に立ち、大きく手を振るフィンに合わせて、もう一度ふたりに会釈をする。
前にいる透真がドアを開けると、冷たい空気がぶわっと肌を撫でた。
外に出て、周りを見渡す。
人の影はなく、建物の灯りも消えている。
私はもう一度、お店を振り返った。
透真がドアをゆっくりと閉めていく。
見送ってくれているふたりの姿が、
見えなくなっていく。
キィイイ……パタン。
静まり返る町の中、そっと閉まるドアの音だけが響き渡った。
"行こう"
そんな気持ちを込めて、私は透真を見つめた。
透真にはすぐ伝わったようで、静かに微笑むと、こくりと頷いた。
私はフィンの手をそっと握る。
フィンの小さな手が、きゅっと握り返した。
そしてゆっくりと、
私たちは、歩きはじめた——。
コツ、コツ
三人分の足音が、不揃いな石畳の道を小さく踏み鳴らす。
私たちはモリスさんのいる森とは反対側の門を、
声を潜めて時折話しながら、静かに目指した。
しばらく歩き続けて、門の前に辿り着く。
そして、入って来た時とは別の門番さんに身分証を見せようとした。
すると、ここの門番さんもフィンを知っているようで、
フィンの顔を見るなり「気をつけて行ってこいよ」と言うと、
身分証の確認もなしに通してくれた。
お礼を言って門の外に向い、
「出る時は緩いんだね」と、
小声で透真と顔を見合わせた。
「あ」
門番さんに手を振っていたフィンが前を向き、空を見上げて声を出した。
「どうしたの?」
「あのこ」
そう言ってフィンが指を指した方向を見上げると、
一羽の大きな鳥が飛んでいた。
体は白銀に輝き、真紅の大きなくちばしが、
異様に存在を主張していた。
「あのこね、すごいの」
ご夫婦には元気よく別れの挨拶をしていたフィン。
だけど、やっぱり早朝ということもあって、まだ少し眠いのか、
要領を得ない話し方をする姿に、つい笑みがこぼれる。
「そうなんだ〜。どうすごいの?」
まだ道は長いのだからと、焦らずフィンの言葉を待つ。
「あのね、どっかーん!って」
両腕を大きく広げて、「どっかーん」とポーズを取るフィン。
「どっかーん?」
「お口をね、ぎゅんって」
そう言うと、今度は広げた両腕ですぼめて、
地面に向かって刺すようなポーズを取る。
「なんだか、ミサイルみたいだな」
フィンのポーズに透真が呟いた。
「そう〜、ミサイルバードって、おなまえなの」
「お口のきらきら、バーンってしないと……どっかーん!ってなるの」
そう続けたフィンに、何だか胸騒ぎがしてくる。
私は空を飛ぶミサイルバードを見上げた。
くちばしには、
月光を閉じ込めたような白い宝石が埋め込まれている。
「でもね、だいじょうぶ。じぶんではやらないの」
その言葉に、フィンへと視線を戻した。
「?」
「しんじゃったときだけなの」
「おそらで」
——パァン!!
フィンが言った瞬間、上空で乾いた音が鳴り響いた。
「わあああ?!」
大きな音に驚いて叫ぶフィンの声が、まるで遠のくよう。
……違う。遠のくようではなく、
実際に——離れていっているのだ。
「音凪っ!!!」
透真が叫んだ。
——鳥に向かって駆け出した私を、止めるために。
一瞬だった。
音が鳴って、嫌な予感にすぐに鳥のいた場所に視線を移すと、
赤い血飛沫をあげて落下し始めた鳥の姿が目に入った。
くちばしから真っ逆さまに、
まるで世界だけがゆっくりになったかのように——落ちていく姿が。
鳥へ向かって伸びる、細い煙の筋。
衝撃に散った白銀の羽の乱れた毛先。
白み始めた空。
それらが異様に目に焼き付く。
フィンの話と透真の「ミサイルみたいだな」という言葉が、
走馬灯のように頭を駆け巡った。
気づけば私は傘を握り——
落ちていく鳥に向かって、地面を強く蹴っていた。
(止めないと——!)
風の抵抗を少しでも減らすために姿勢を低くする。
(傘は振り抜いたら間に合わない!!)
狙うはくちばしの上部に光る宝石。
それを壊すだけなら、斬らなくてもいい——!
私は駆けながら後方に向けていた傘の先を前方に向くように構える。
もうくちばしと地面の距離はわずかしかない。
左脚を上げると同時に腕を目一杯後ろに引いた。
「届いて——っ!!」
上げた左脚を踏み込む瞬間、
後ろに引いた傘を、くちばしの宝石に向かって思いっ切り突き出し、右脚を前に踏み込んだ。
——ズキッ!
「っ!!」
力任せに伸ばした右腕の勢いに、肩が悲鳴を上げる。
その痛みにブレたのは、たったコンマ数秒。
しかし、その一瞬が、
傘の先とくちばしの間に、わずかな距離を残してしまった。
——音が、消えた。
まるで世界が眠ったように、
何も聞こえない。
目の前の鳥がゆっくりと落ちていくのを、
何もできずに、ただ眺めていた。
(……届かなかった……)
もう届かない。どうすることもできない。
そんな無力感に襲われて、目の前が真っ黒になりそうになる。
私は俯き、目をぎゅっと瞑った。
「——音凪!!!」
透真の私を呼ぶ声に。瞑った目をバッ!と開いた。
諦められない……。
諦められるわけがない……!
(本当に何もできない?)
ハッと息を呑んで、目の前の傘を見つめる。
『この傘は——君の心次第で、いくらでも姿を変えるやもしれん』
モリスさんの言葉が脳裏をよぎった。
微かな希望に、胸の鼓動がどんどん速くなっていく。
全身に血液が巡って身体が軽くなるのを感じる。
息を止めて、震える右手に力を込めた。
傘の柄が仄かに輝きを纏い始める。
——死にたくない。
(お願い)
輝きは滲むように傘全体を包んでいく。
——透真を元の世界に帰してあげたい。
——フィンにもっと色んなものを見てほしい。
(私に…)
傘を覆った光は次第に強く輝き出す。
——優しい人たちが住むこの町を……
(みんなを守る——)
「力をっ!!!!」
顔を上げて前を捉え、左手を右手に重ねて両足を強く踏み込んだ。
バッ!!!
同時に傘がその紺色の布地を大きく広げた。
刹那——
ドォオオオオオオン!!!!!
大地を揺るがすような、けたたましい音が鳴り響いた。
黄金に輝く、巨大な盾。
傘の布地は透け、
その向こう側に広がる光だけが、視界を満たしていた。
傘を中心に、布地を超える大きさのシールドが展開されていた。
爆発の衝撃を、その身一つで受け止める。
激しい勢いで舞い上がる風の煽りを受けて、
荒々しく揺れた髪が顔に強く叩きつけられる。
ズズッ
爆風が地面を削り、靴裏が滑る。
あまりの勢いに体がわずかに後ろへ押された。
巻き上げられた砂が目に入りそうになる。
「……っ」
——。
パラッ…パラ…
舞い落ちる砂の音だけが、崩れた静寂に溶けていく。
——わずか一秒から数秒の出来事だった。
風は勢いを失くしていき、
荒々しく揺れていた髪は落ち着いていく。
傘の向こう。
布地は——透けていた。
変わり果てた風景に、
終わったのだと実感して——
(わ、わたし……)
体の力がフッと抜ける。
「音凪!!」
いつの間にか私の傍まで駆け寄って来ていた透真が、
膝から崩れ落ちる私の体を寸でのところで支えた。
透真に支えられながら見る目の前の光景は、辺り一面地面が抉られていて、
先程の爆発の規模の大きさをいやというほど物語っていた。
「音凪、怪我はないか?」
透真が私の顔を覗き込む。
私に気遣ってなのか、
静かに尋ねる透真の声は、少し——震えていた。
「とぅ…ま……」
眉間に皺を寄せて、心配そうに見つめる透真の頬を、左手でそっと触れる。
そこから伝わる確かな温もりに、
——守れたんだ。
安堵で頬が緩む。
忘れていた右肩の痛みに、じわりと涙が滲み出した。
「ふふっ……少し、肩……痛めちゃったみたい」
次第に増していく痛みに、大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちる。
透真はそんな私を見て、大きく目を見開いた。
「音凪……」
それでも私は、
うれしさの方が、ずっと大きくて——
笑顔のままの私に、透真の表情も自然と和らいでいく。
透真の右手が、私の左手を優しく握った。
「よく、頑張ったな…!」
ぎゅっ…。
目を少し赤くながら微笑んだ透真は、
私を支える左腕に少しだけ力を入れた。
「ネナーーーーぁ!!」
遠くで泣き叫ぶフィンの声が聞こえる。
(フィン……)
"大丈夫だよ"
その声に応えようとしたけど、
目の前が霞みはじめて、体に力が入らない。
コトンッ——。
右手に持っていた傘が、地面に落ちた。
「……音凪?」
虚ろになっていく私に、動揺した声を出す透真。
その声が聞こえたのを最後に、
私は意識を手放した___。
第七話
はじまりの町-守護者が繋ぐもの- 完




