第四話:決意と別れ
「フィン、もうベッドに行こう?」
夜も更け、小屋の中はほのかな灯りに包まれ、柔らかい影を落としている。
こっくりこっくりと頭を揺らすフィンに、私はそっと声を掛けた。
「うぅん…」
大きな目を半開きにして、いやいやと首を横に振るフィン。
……どう見ても、もう限界だ。
小屋に戻ってきてから改めて透真を紹介すると、フィンは新しいお客さんが来たのがうれしかったのか、いつも以上に元気いっぱいだった。
夕ご飯の時も、透真と一緒にお風呂に入った後もあれこれと尋ねていたけど——
こっくり、こっくり……びくっ。
急に体の力が抜けたことに驚いて、フィンは小さな肩を震わせた。
誤魔化すようにきょろきょろと見回すが、数秒後にはそおっとまぶたが下りて、またウトウトし始める。
「もう目が開いてないな」
寝かけているフィンを見て、静かに笑う透真。
そのまま「部屋に連れて行くよ」と、私の隣にいるフィンに手を伸ばす。
だけど、
「透真、見て」
私はそう言って指を差した。
示した先には、
私の服をしっかりと握る、フィンの小さな手があった。
「…しっかりと握ってるな」
「…うん」
この間に、フィンは既に夢の中へ。
それなのに、この手は全然外れそうにない。
せっかく寝たのに、起こすのも可哀想だ。
「私が連れて行くよ」といってフィンを抱き上げた。
「んん…」
突然の浮遊感に少し驚いたのだろう。
フィンは服を握っていた手を離すと、
今度は両腕を私の首に回して、ぎゅっと抱き着いてきた。
「ふふっ」
幼子の愛らしさに、つい笑みがこぼれる。
「あとで戻るね」
横目で透真に声を掛けると、透真は笑いながら何も言わずに、ただ片手をひらひらと揺らした。
私は答えるように静かに頷き、見送られる中フィンの部屋へとゆっくり歩き出した。
***
《???視点》
ぎしっ
近くから床の軋む音が響いた。
モリスたちの暮らす小屋はおんぼろではないが、それなりに使い込んでいて趣のある、そんな小屋だった。
「おや、一人か」
お風呂から上がってきたモリスが、部屋に一人いる透真に声をかける。
「ええ。フィンが眠ってしまったので、音凪が部屋に連れて行ってるところです」
「そうか」
テーブルに置いてあるポットを手に取り、カップに白湯を注ぎながら相槌を打つモリス。
言葉少ないが、その表情は穏やかであり、孫への慈しみが感じ取れる。
「おまえさんもどうだ?」
ポットを持ち上げ、ソファに座る透真に問いかける。
「それじゃあ、せっかくなので」
透真はそう答えて微笑んだ。
二人分のカップを持って透真の元へ行き、右手に持っていたそれをゆっくりと透真の前に差し出す。
礼を言う透真にモリスは、
「ただの白湯だがな」と笑うと、
隣にある1人掛けのソファへと慎重に腰を落としていった。
「君も随分と苦労をしているようだね」
透真への言葉なのだろう。
しかし、モリスの視線は正面を向いていて、まるで独り言のようだ。
モリスの言葉に透真も耳を傾けるだけで、返答する様子はない。
「暫くはここにいるといい。
今くらいは休んでもいいだろう」
ずずっ。
左手に持っていたカップを持ち上げて白湯を啜る。
透真は何も言わず、ふっと笑った。
そして、手に持っていたカップを静かに啜った——。
《???視点》end.
***
フィンをベッドに寝かせ、首に回した小さな腕が離れるのを待つこと数分。
寝返りを打ったフィンが、温もりを離していった。
私は起こさないようにそーっと部屋を出て、透真の待つダイニングへと戻った。
ダイニングに入ると、さっきと変わらずソファに座る透真の姿があった。
透真は私の気配に気づいたのかスッと振り向いて、肩越しに「おかえり」と声をかけた。
「ただいま」
そう答えて、ふと視界の端に映る人影に気づく。
「あ……モリスさん」
透真が座るソファの横に置かれた一人掛けソファ。
そこには、先程までいなかったモリスさんが座っていた。
「ネナ、フィンを連れて行ってくれたと聞いたよ。ありがとう」
モリスさんは続けて、
「さて、ネナも白湯はどうだい?」と言った。
肘掛けに手をつきながら慎重に腰を上げようとしたモリスさんに、私は慌てて「自分で注ぎますからっ」と制止する。
焦って止めたことで、いつもより声が大きくなってしまった。
(あまり、脚が良くないから……)
「おや? そうかい」
強くなってしまった語気に気を悪くしていないかと、胸の奥が少しだけざわついていた。
けれど、そんな不安も杞憂なほど、普段と変わらない穏やかな笑みを浮かべるモリスさん。
(よかった……)
ほっと胸を撫で下ろした。
私はカップに白湯を注いで、そろそろと透真の横に腰を下ろした。
そしてひとくち、白湯を口にする。
「ネナ」
カップから口を離し、一息ついたとき。
機を見計らったのか、モリスさんは私の名前を呼んだ。
その声は、穏やかながらも真剣だった。
私はいつもと違うトーンに、気づけば背筋を伸ばしていた。
一拍置いて、
呼びかけに答えるように、モリスさんの顔をまっすぐ見つめる。
「何があったんだい?」
紡がれた言葉は責めている訳ではなく、ただの問いかけだった。
それでもやっぱり、申し訳なさが胸に残って、居た堪れない。
手元にあるカップに、ゆっくりと視線を落とした。
白湯から出ている湯気が、ゆらゆらと揺れている。
「ごめんなさい、実は……」
私はフィンのタオルを追いかけて森に入ったこと、
気づいたら森の奥まで来てしまっていたこと、
魔物に遭遇したこと、そして———
透真に助けられたことを、順を追ってゆっくりと話した。
私がひと通り話し終えると、静かに話を聞いていたモリスさんは「そうだったか…」と呟いた。
そのまま、何かを考えるようにして目を閉じる。
振り子時計の音だけが響く静寂の中。
再び目を開いたモリスさんは灰色の瞳で私を見つめて、
皺の刻まれた唇を、そっと動かした。
「今回は運がよかった。それはおまえさんが一番、身をもって感じているだろう」
「はい…」
モリスさんの言葉に震える声で答え、小さく頷いた。
魔物に同時に襲われていたら。
透真がいなかったら。
そうしたら……私は、死んでいたかもしれない。
私はあったかもしれない最悪の可能性に、背筋がぞっと凍る思いがした。
「それが分かっていれば十分だ。それに……」
顔を青くする私を見てモリスさんはそう言いかけると、壁に立てかけてある私の傘をちらっと見た。
「破ってしまった約束もあったが、守られた約束もあった」
『しばらくは常に持ち歩きなさい』
いつかのモリスさんの言葉を思い出す。
傘を見る横顔は口角が上がっていて、目尻には深い皺が刻まれていた。
「そして、君は私の孫の大事な物を守った」
モリスさんは傘に向けていた顔を私に向き直して——
「___ありがとう」
満面の笑みで感謝を送ってくれた。
喉の奥がきゅっと詰まって、うまく言葉が出てこない。
"ごめんなさい"でもなく、"どういたしまして"も違う。
私が言葉に詰まっていると、横にいる透真が「よかったな」と笑う。
その言葉に、私はただ喜んだらいいのだと、頭の中が澄み渡った。
(…そっか。……そうだね)
そうしたら自然と、返したい言葉が浮かんでくる。
「こちらこそ、ありがとうございます」
私は笑って感謝を伝えた。
大きな優しさで包んでくれて、身を案じてくれる——
その導いてくれる存在に、ただただ感謝した。
***
私たちはそれからも、しばらく話をした。
その中で話題に上がった、フィンのタオルの飛んで行き方の違和感。
モリスさんが言うには、あれはどうやら妖精のいたずらによるものらしい。
「フィンは【妖精の愛し子】だからなあ……」
急に現れたフィンとなかよくする私に嫉妬し、困らせてやろうとタオルを運んだのだろう、とモリスさんは言う。
【妖精の愛し子】というくらいだから、妖精から無償の愛を注がれる体質なのだろう。
モリスさんの話を聞きながら、いたずらで死にかけたなんてと思いつつ、
"このことはフィンには言えないな"と、苦笑いをした。
それともう一つ。
傘と、私の能力についても話をした。
後から気づいたこと。
それは、森までタオルを追いかけた時や、魔物を斬ったとき、
緊張による疲れは感じていたものの、動作そのものによる疲れは一切感じていなかったということ。
それと——透真を強く抱きしめたとき。
あのときは、透真が冗談を言っているのだと思っていたけど……結構本気で痛かったらしい。
その話を聞いて私は透真に謝ったけど、
透真は「そのくらいの方が安心だ」と、励ますように私の頭を撫でた。
この事で私の能力に【身体強化】があることが確定し、私はやっとこの世界の自分を少しだけ知ることができた。
自分に異能があるなんて不思議な気持ちだったけれど、異世界で生きるのなら心強いこと他なかった。
「傘が剣のようにか……」
傘をまじまじと見つめながらそう呟くモリスさんは、口元に手を当てて暫く考え込むと、
「恐らく、持ち主の強い意志に呼応する武器なのだろう」
そこで一度言葉を切り、ふっと目を細める。
そして私に傘を差し出しながら、
「その傘は——君の心次第で、いくらでも姿を変えるやもしれん」
「色々試してみなさい」
モリスさんは一度こちらを振り返り、
微笑を深めた。
ゆっくりと立ち上がり——
「おやすみ」
そう言って、自室へと向かって行った。
透真とふたり残された部屋に、静寂が訪れる。
「……どうして、この傘なのかな」
気づけばぽつり、そう呟いていた。
実を言うと、この世界に一緒に来てしまったのはこの傘だけじゃない。
あの日、私は自動車教習の合宿の帰りで、傘と一緒に、転がせるタイプのトランクケースも側にあった。
けれど、こっちに来た瞬間にはその姿はなく、
後になってフィンが「おみやげだよ〜!」と言いながら持ち帰って来たことに、
目を丸くして驚いたのは記憶に新しい。
(まさか、こんな大きなものまで来てるなんて……)
確かに、トランクの中には武器になりそうな物はない。
だけど、傘が武器になるなら、
トランクが四次元バッグになったり、
服が防具になったりしても良さそうなのに。
結局、それらは何の変化もなくて、モリスさんも特に言及はしなかった。
こほん。
私が一人考え込んでいると、横からわざとらしい咳払いが聞こえてきた。
「ところで音凪さん」
「?……どうしたの?」
急に改まり、眉間に僅かに皺を寄せながら、気恥ずかしそうに視線を逸らす透真。
おかしな様子に、私は小さく首を傾げた。
(怒っている……わけではなさそうだけど、どうしたんだろう)
透真は私が不思議がっていることは気づいているだろうに、そのことには触れず、
「モリスさんに、『しばらくここにいても良い』と言われたんだが…
音凪は、どうしたい?」
そう尋ねた。
透真が言いたくないなら…と、私も無理に触れることはせず、透真の言葉に向き合った。
「うん……そうだね。
しばらくは、お言葉に甘えちゃおうか」
まだこの世界のこと、何も知らないから。
きっとその方がいい。
透真は目を細めて、こくりと頷いた。
「……でもね」
そう言葉を紡いだ私に、細めた目をわずかに見開いた透真。
そんな透真の手を、両手でぎゅっと包み込む。
そしてまっすぐ、透真の瞳を見つめた。
「ここにいるのは、少しだけ。
必ず……戻ろう——元の世界に」
私とは違って、透真にはたくさんの居場所がある。
大切な友だちや、養護施設の幼馴染たちや——帰りを待っている人たちが。
私の「戻ろう」という言葉に一瞬、透真の表情が翳った……気がした。
(……透真?)
そんな微かな違和感は、私の首に手を回した透真の動きで、
一瞬で意識の外へと追いやられてしまった。
「強いなぁ」と、透真は私の頭をわしゃわしゃと掻き回す。
「?! ……透真、なに?」
「音凪の強さに感動して」
そう感動しているフリをして、いつまでも手の動きを止めない透真。
すこしだけ、"しつこい……"と感じて、引っぺがそうとする。
けれど——動かない。
(……どうして?)
【身体強化】を持つ私の方が強いはずなのに、なぜだか全くびくともしない。
もう一度引き離そうと試してみる。
だけどやっぱり、透真の手ははがせなかった。
どうしてなんだろう……と考えて、ふと。
(もしかして……)
ある可能性が頭を過ぎる。
「透真」
私が透真を呼ぶと、透真はぴたりと動きを止めた。そして、
「透真も【身体強化】、あるんじゃないかな?」
「え?」
私の言葉に、透真は気の抜けた声を漏らした。
そのまま、やっと私の首から腕を離して、今までのことを思い返すように少し目線を上げている。
「……ああ、言われてみればそうかも」
そう答えた透真に「やっぱり…」と呟いた。
「そういえば……さっきのビームのことも、ちゃんとは聞いてなかったね」
今日までの間に透真がどうしていたのかは、フィンとの会話の中で話があったから知っていた。
だけど、肝心の透真の能力についての詳細は話していなかった。
「あー、それは……これ」
そう言って透真が見せてくれたのは——透真のスマホ。
それは元の世界で透真が使っていた物と全く同じだった。
思わず、目が丸くなる。
透真も私の傘と同じような物があったんだなぁと、何となく察した。
それにしても——
「スマホから、ビームを出したの?」
私の傘といい、元の世界ではありえない出来事に、つい再確認をしてしまった。
透真は苦笑いをしながら「まあな」と答える。
「それだけじゃないみたいだけど。
まあ……また今度な」
途中で話すのを止めた透真に"どうして止めるの?"と聞こうとしたけど、
「ふわ……」
こみ上げた欠伸によって、それは声にならなかった。
「今日は疲れたもんな。 もう寝よう」
透真は眠そうにする私の頭を今度はやわらかく撫でながら、やさしく諭した。
落ち着いた声と、そっと触れる手つきに、余計に眠気が増していく。
私は素直に「…うん」と答え、ゆっくりと立ち上がった。
一緒にダイニングを出て、私の部屋の前で別れを告げる。
「…おやすみ、透真」
「おやすみ、音凪」
自分の部屋に向かう透真を見送り、扉を静かに閉める。
ふらふらと揺れる足取りでベッドに近づき、倒れ込むように身を沈めた。
眠気で思考がゆるやかに溶けていく中、
『明日も、透真がいる』
そんな喜びを胸に抱えながら——。
***
翌朝、透真と改めて今後のことを話し合った。
(すぐに終わっちゃった……)
ほとんど私の提案通りに進んだ、その話し合いの結果、
あと一週間はここでお世話になって、その間に旅の準備をすることになった。
そのことをモリスさんとフィンに伝えると、
フィンは「やだやだ」と泣きながら駄々をこねてしまった。
その一方でモリスさんは、「できる限りのことをしよう」と、
私たちの判断を優しく受け入れてくれた。
そうして数日は、拗ねてしまったフィンを宥めつつ、この世界に関する知識を蓄えながら穏やかな日々を過ごしていた。
フィンは私や透真が家事をしている間、ずっと抱き着いて離れなかったり、かと思えば私たちの声掛けにぷいっとそっぽを向いたり……。
本人は真剣なのだろうけど、
その可愛らしいそぶりに、頬が緩まないようにするのが大変だった。
そんなある時——
「フィンを一緒に連れて行ってはくれないか」
部屋の掃除をしていた私と透真に、モリスさんが真剣な声でそう告げてきた。
「……フィンを?」
私と透真はお互いの顔を見合わせる。
モリスさんの考えが全く分からなかった。
幼いフィンを一緒に旅に連れ出してくれと言うのだから、この反応は無理もないと思う。
私たちの疑念を払うように、モリスさんはこう続けた。
「我らヒツジ族は元々群れをなし、季節によって住処を移す種族だ。その過程で様々な経験を積み、大人へと成長していくのだが……」
モリスさんはチェストに立て掛けてある写真を見つめた。
そこにはフィンたち家族の写真——フィンのご両親が写っている。
「一度群れから離れてしまえば、子どもたちだけで群れに戻るのは難しい。
そして、この老ぼれには、そんな孫たちを群れまで戻してやることもできなかった」
自身の膝を摩りながら語るその姿は、とても小さく見えた。
「……あの子の兄には群れで過ごした経験があり、今は森を管理する者としての経験を積む段階に来ている」
モリスさんはそこまで言うと、写真に映るフィンの姿をそっと撫でた。
「だが、フィンは違う。まだ幼く、群れを殆ど知らぬまま育ってしまった。
このままでは……
フィンは何にも成れぬまま、
ここで生きていくことになるかもしれん」
伏し目がちにした瞳は白い睫毛に隠されて見えない。
けれど、その姿と声だけで切実な思いが伝わってくる。
「どうか、フィンに外の世界を見させてはくれないだろうか」
「頼む……」
杖で体を支えて、深々と頭を下げた。
あまり腰の良くないモリスさん。
杖を握る手が、わずかに震えている。
私は知っている。モリスさんにとって、フィンがどれだけ大切な存在か。
けれど、ただこの小屋でずっと一緒に暮らすことより、フィンの将来を想って、危険でも外に出すことをモリスさんは選んだ。
私はその眩しさに
(……これが、家族の愛なんだ)
少しだけ目を細めた。
腰を折るモリスさんに私は駆け寄る。
「頭を上げてください」
モリスさんの肩に触れながら、そう声を掛ける。
モリスさんが頭を下げる前から、私の答えは決まっていた。
「透真……いいよね?」
振り返って、透真に問いかける。
声を掛けられた透真は、私を見てすぐに笑った。
そして、まるで最初から私がそう答えると知っていたかのように、「もちろん」と頷いた。
透真の答えに、自然と笑みがこぼれる。
そのままモリスさんに向き直り、彼の瞳をまっすぐ見つめて——
「フィンと、一緒に行きます」
***
それからしばらくして、帰ってきたフィンに話をした。
はじめはきょとんとしていたけれど、
話が終わる頃には、丸い瞳がさらに大きくなっていて、
小さな口は半月を描いていた。
そして次の瞬間、
ぴょんぴょんと飛び跳ねたり、小屋の中を駆け回ったりしながら——
「きゃあーーー!」と大よろこびした。
——それからまた数日が過ぎ、
いよいよ、旅立ちの日がやってきた。
「フィン、忘れ物はないかね?」
「うんっ、ばっちり!」
雲ひとつない晴天の中、爽やかな風が草木の匂いを運んでくる。
それはまるで、私たちの旅立ちを温かく見守ってくれているようだった。
大きなリュックをモリスさんに見せながら、えっへんと胸を張るフィン。
今はこんな様子だけれど、二日前にはモリスさんと離れる実感が沸いてきて、一日中モリスさんに引っ付いて泣いていた。
(私も、少しだけ寂しくなっちゃった)
近づく別れに、ちょっぴり涙ぐんだ夜が私にもあったことは……誰にも内緒。
「モリスさん……
短い間ですが、ありがとうございました」
フィンの頭を撫でるモリスさんをまっすぐ見据えて、透真とニ人頭を下げる。
「こちらこそ、私の我儘を聞いてくれてありがとう」
モリスさんは私に歩み寄ると、私の手をそっと握り「フィンをよろしく頼む」と微笑んだ。
「はいっ」
握られた手をギュッと強く握り返し、モリスさんの想いに応える覚悟を示す。
「ネナ、君なら大丈夫だと信じているよ。
——フィンの事だけじゃなく、な…」
目を細めながら紡がれた意味深な言葉に、思わず笑顔はほどけて、きょとんとする。
(どういう意味だろう……)
首を傾げる私をよそに、モリスさんは今度は透真の元へ向くと、肩をポンッと叩いた。
「……少しの勇気で、掴み取れる幸せもある」
そこで言葉を切り、ふっと目を細める。
「君なら、そのことに気づけるはずさ」
その言葉に目を見張る透真。
私は先ほどモリスさんに言われた意味深な言葉に気を取られて、二人の様子に気づくことはなかった。
「さあ、そろそろ出発の時間だ」
この世界の時間事情は有難いことに元の世界と同じで、時刻はもうすぐ午前十時を回ろうとしていた。
あまり遅くなると、近くの町に着く前に日が暮れてしまう。
旅の初日だから、野宿は避けたい。
改めてモリスさんに向き直る。
(……)
「さようなら」の一言がなかなか言えない。
その言葉は違うと、何となく感じてしまったからだ。
「おじいちゃーん!いってきま〜す!」
いつの間にか森の入り口まで行っていたフィンは、モリスさんに向かって大きく手を振っている。
「ネナ」
フィンを見ていた私に、モリスさんが声をかけた。
まだ何と言って別れを告げたらいいのか分からないまま、モリスさんを見つめる。
「いってらっしゃい」
「…!」
その言葉はすとんと胸の奥に落ちていった。
そう、モリスさんはいつだって私の迷いを打ち消してくれる___
「はい! いってきます!」
笑顔で暫しの別れを告げて、フィンの元へ駆け寄る。
隣にいた透真も「ありがとうございました」と言いながら軽く会釈をすると、ゆっくりと私たちの元へ歩き出した。
そよそよと穏やかな風が吹く中、一際大きな風が頬を撫でる。
あんなに怖かった森も、今はもう怖くない。
横にいる透真とフィンの存在を確かめながら、私は森の中へと一歩踏み出した。
第四話
目覚めの森-決意と別れ- 完




