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雨上がりの空で、傘をさす。  作者: つな△まよ
一章:目覚めの森
2/7

第二話:森に潜むモノたち


フィンたちと過ごした穏やかな時間が終わり、

「ここがネナのへやだよ!」と案内された部屋で、

今は一人きりの夜を迎えていた。


小さな部屋にはベッドと机。

そして、丸みを帯びた半月型の窓がひとつ。

窓台は腰を下ろせるほどに広く、

私はそこに座って、夜の森を静かに眺めていた。


(ほんとうに、異世界に来ちゃったんだ……)


一人になると、薄れていた不安や悲しみがまた胸の奥から顔を出す。


——あちらの世界では、私の存在はどうなっているんだろうか。


(いきなり姿が消えた、なんてことになってたら……

 透真、きっと混乱してるよね)


この世界に来る数日前、

「駅の方まで迎えにいく」と言って笑った透真の顔を思い出す。


物心ついた時から、養護施設でずっと一緒に過ごしてきた幼馴染。

十九年。

楽しいことも、大変なことも、悲しいことも、すれ違いも。

——一番長く時間を共にした、かけがえのない大事な人。


だからこそ、私がいなくなった後の姿はすぐに想像することができてしまう。


「……」


ツー…

頬を伝う涙が、夜気に触れてより一層ひんやりとした。


「……会いたい。

会いたいよ、透真……」


抱え込んだ膝に顔を埋めて呟いた。

溢れる涙を抑えて、記憶の中の彼を辿るために____


***


この世界に来て、数日が経った。

特別なことは何もなく、穏やかな日常を過ごしている。


(今日も、雲ひとつない晴天…)


庭先で洗濯物をパタパタと振る。

爽やかな草木の香りと、気持ちのいい天気に思わず頬が綻ぶ。


あの日の翌日、フィンのおじいちゃん……

『モリス』さんから、

この世界のことや転移者のことを教わった。


この世界には、魔法が存在して、

そこには六つの属性がある。

『火』『水』『風』『土』——そして『光』と『闇』。

これらを『六元素』と呼ぶのだという。


『光』と『闇』はとても希少で、

他の元素に比べて扱える人は少ないらしい。


しかも、この二つは相性が悪く、

両方を扱える人間はいないとされている——

たったひとりを除いて。



『我々の体には、もともと全ての元素が宿っている。

扱えるかどうかは、元素量……つまり素質によるが、

鍛錬を積めばどの属性もある程度は扱えるようになる』


モリスさんはそう言って、

左手に『火』を、右手には『水』の球を浮かべてみせた。


『私も、光以外の属性は扱える。

しかし光だけは、内に抱えた闇が打ち消してしまうのだ』


ぱしゅん。

火球を水球で打ち消したモリスさんの手から、水滴がぽとぽと落ちる。


『必然と、元素量の多い方が残る』


風の魔法で滴る水を乾かすモリスさんに、私はふと浮かんだ疑問を尋ねた。


『他の元素は、違うんですか?』


今の話でいえば、『水』は『火』を消してしまうのでは——

首を傾げる私に、モリスさんは柔らかく微笑んだ。


『四元素は輪のように、互いを抑え合っている。

消そうとする力を、別の元素が受け止めるんだ。

うまく、釣り合いがとれているんだよ』


今度は四属性を同時に発動させたモリスさん。

四色がゆっくりと溶け合い、淡い輝きとなって掌に浮かんだ。

不思議なことに、どの色も消えることなく、破裂することもなかった。


『まあしかし、一つの元素量が極端に多く、

ある属性に特化している者も少なくはないがな』


土の魔法がそっと包み込むように、

四色の光を石のような殻で覆った。


『では、私が魔法を使えるとしても、

四元素と……光か闇のどちらか。

——五元素が上限、ということですね』


そう尋ねると、モリスさんはわずかに間を置いて、

『そうとも限らない』と呟いた。


『十数年前まではそれが当たり前だった。

だが今は——たった一人だけ、

六元素すべてを扱える人間が存在している。

……今代の魔塔主がな』



『君にも素質はあるかもしれない。何せ、転移者だからな』


そう言ってモリスさんが次に教えてくれたのは、

転移者に与えられる力——“ギフト”のこと。


転移者には、こちらに渡る際に一つ、あるいは複数のギフトが授けられるらしい。


ちらっ。

小屋の外壁に立て掛けてある"ソレ"に視線を向ける。


それは、この世界に一緒に来てしまった——私の"傘"。


モリスさんが言うには、私のギフトは転移の時に手に持っていた、この"傘"に集中しているのではないかと……。


『通常ギフトは本人の体に授かる。身体強化や魔力の覚醒が大半だ』


『通常?』


『そうだ。だが君は……君の体だけでなく、あの傘からも並々ならぬ力を感じる』


私は立て掛けてある傘をそっと手に取った。


幼馴染の透真から誕生日にもらったこの傘は、

深い夜空のような紺色の布地に、銀色のアクセントが施されていた。


柄はオークの木でできていて、その質感からは優しい温もりを感じる。

玉留と先端も銀で誂えられていて、全体にさりげない統一感を与えていた。


——バッ!

布を張る乾いた音が、辺りの静かな空間に響いた。


傘を開くと、銀の蔦が布地の縁をなぞるように描かれている。

陽光を受けてきらりと輝く様は、まるで星の光を閉じ込めたみたいに上品で、どこか懐かしい。


(やっぱり、普通に使うだけじゃ何も起こらない……のかな?)


"並々ならぬ力"の詳細はモリスさんにも分からないようで、

どんな力があるのかは、まだはっきりしていない。


「しばらくは常に持ち歩きなさい」

そう言われて以来、いつもこうして近くに置いているのだが——


傘を握ったまま、青く澄んだ空を見上げた。


(今のところ、本来の用途ですら出番がないんだよね)


そんなことを思いながら、傘を閉じようとしたとき。


——スゥッ。


(……え?)


ほんの一瞬だけ。

傘の布地越しに、空の色が透けたように見えた。


思わず目を丸くして、二、三度まばたきをする。

しかしどれだけ見つめても、

今そこにあるのはいつも通り——

紺色の布地がわずかに光を通すだけだった。


(……疲れてるのかも)


急な環境の変化に気持ちが追いついていないんだろう、

と小さく苦笑して、家事に戻った。


教えてもらったのは、それだけではない。

この数日間で、二人から暮らしのことも家族のことも、たくさん聞いた。


まずは、お家の案内と基本的な家事について。

使う道具や場所を、実際に一緒に手を動かしながら、一日の大まかな流れと一緒に教えてくれた。


その中には、水汲みや食料集めも含まれていた。けれど——


目の前の森に視線を移す。

少しひんやりとした風が、草木の葉をそよがせた。


ここに通じる“道”は確かにある。

けれど、ひとたび奥に入ってしまえば、木々と蔓が視界を覆い隠してしまいそうなほど生い茂っている。

やはりどこか、不気味な森だ。


そんな森に、私が一人で入ることは禁止されている。

あの日はたまたま運良く出会わなかっただけで、この森には魔物が生息しているらしい。


『この家のまわりはおじいちゃんの結界があるから、魔物はこないんだよ』


——どやっ。

“ぼくのおじいちゃん、すごいでしょ?”と胸を張るフィンの姿を思い出して、

気づけばくすくすと笑っていた。


フィンとご両親たちは、もともとこの森ではなく、ヒツジ族の集落でモリスさんとは離れて暮らしていたという。


けれど、ご両親はある場所へ向かうためにフィンたちをモリスさんに預け、この森を出発して——

それきり、帰らぬ人になった。


それからはモリスさんとお兄さん、フィンの三人での暮らしが始まった。


歳の離れたお兄さんは、森の管理で家を離れられないモリスさんの代わりに、度々町に出稼ぎに行っている。


だから自然と、モリスさんとフィンの二人きりで過ごす時間が増えていった。

そして今では、すっかりおじいちゃん子になったのだとか。


洗濯籠の中から、そっと一枚のタオルを取り出す。

——あの、私がこの世界に来たとき、フィンがマフラーのように巻いていたタオル。


きっと髪色と同じ、やわらかなアイボリーだったのだろう。

けれど今はくすんでいて、ところどころがほつれている。


それでもフィンが大切に使い続けているのは、これがご両親からもらった最後のプレゼントだから。


(あの笑顔の裏に、こんな悲しい過去があったなんて……)


小さな体に抱える哀しみを思うと、ぎゅうっと胸が締め付けられた。


私は親の愛なんて知らない。

だけど——

知っている人だからこそ感じる、想像もつかないほどの悲しみが、きっとあるはず。


それに——

大切な人と、二度と会えない悲しみなら……私にも、分かる。


健気に笑顔を絶やさないフィンに、

(どうか、幸せになってほしい)

そう願わずにはいられなかった。


そんな想いでタオルを物干し竿に掛けた瞬間——

まるで私の心を嘲笑うように、強い風が吹き抜けた。


「っあ!」


フィンのタオルが宙を舞う。

慌てて掴もうと手を伸ばすけれど、

まるで意思を持っているかのように、紙一重で私の指先をすり抜けた。


「ま、待って!」


タオルはくるくると風に踊りながら、森の奥へと吸い込まれていく。


(どうしよう……!)


森に一人で入るのは駄目だって言われている。


結界の外には——魔物がいる。


「っ……」


でも今は、モリスさんもフィンもここにはいない。


帰りを待っていたら、

その間にタオルの行方が分からなくなってしまう——。


足元の草が、風の余韻で微かに揺れた。

息を飲む。


(…迷っている時間なんて、ないっ)


私は外壁に立て掛けてあった傘を掴み、

タオルの消えた方角へと駆け出した。


(お願い……!

どうか、無事にタオルを持って帰れますように!)


焦りと不安、そしてほんの少しの恐怖を抱えて、

私は森の奥へと走り出した——。



***



「や、やっと捕まえた…」


宙を舞うタオルをようやく捕らえ、ほっと胸を撫で下ろす。


(それにしても……)


目の前の鬱蒼とした森の様子に、ごくりと喉が鳴った。

日の光は木々にほとんど遮られていてジメジメとしている。

ひんやりとした空気は肌寒いくらいで、体をぶるっと震わせた。


幾度もひらりと私の手をすり抜けるタオルを追いかけ、気づけば随分と奥の方まで入り込んでいた。


「…」


そっと手元のタオルを見つめる。

風はもう吹いていないのに、タオルの端がわずかに揺れた気がした。


(このタオル、絶対に何かがおかしい……。

あとで、モリスさんに相談しよう)


不思議な力が働いているとしか思えない動きに怪しみつつ、

急いでその場を離れようと踵を返した——その瞬間。


全身の血の気が、すっと引いた。


「っ——!」


“ソレ”と目が合った。


繁みの奥、闇の底から覗く真紅の瞳。

焔のように揺らめくその光は、

“逃がさない”とでも言うように、皮膚の下まで刺すような圧を放っている。


「はぁ、はぁっ……!」

呼吸は浅く、体は硬直しているのに、恐怖でガクガクと震えが止まらない。


____ガサッ。

茂みを揺らす音と共に、ついに"ソレ"は姿を現した。


「ひっ…!」


抑え込んでいた恐怖が、声になって漏れる。


ゆらゆらと蠢く漆黒の躯体。

裂けた口から剥き出しの牙がぎらつき、異様なほどの存在を主張している。


一見、狼にも見えるその輪郭はどこか歪で、全身は静電気を帯びたようにざわめき、禍々しいオーラを漂わせていた。


(——っま、魔物だ…!)


「***」


形容し難い鳴き声を発したと同時に、真っ赤な眼がすぅっと細められた。

まるで、嗤っているかのように。


——シュンッ!


刹那、

魔物は地面を抉る勢いで大きく跳躍し、私に向かってきた。


"襲われる"

そう思った途端、ぷつん。と緊張の糸が解けた音がした。


(あ……私、死んじゃうんだ……)


魔物が重力を無視したかのように、ゆっくりとこちらに向かって飛んでくる。


人が危機に陥った時、世界がゆっくり動いて見えると聞いたことがある。

——たぶん、今がそうなんだ。


さっきまでは恐怖で押しつぶされそうだったのに、今は妙に冷静で、どこか他人事のように自分を見ていた。


(モリスさん。言いつけを破って、ごめんなさい)

(フィン、ごめんね。大切なタオル……守れなかった)


異世界という突飛な場所で親切にしてくれた二人の笑顔が浮かぶ。

二人への申し訳なさと、自分への不甲斐なさが入り混じる。


安易に森に入ったことを後悔しても、もう遅い。

ごめんね——さようなら。


静かに目を閉じようとした。

その時、


(___音凪)



「——っ!」


全身の血が駆け巡った。

この世で一番大事な幼馴染の顔が…声が、まだ諦めるなと訴えかけている。


(私は死ねない!

——透真に、もう一度会うために)


焦点の合わなかった視界が、一瞬で研ぎ澄まされる。

魔物はすぐそこ。

右手に握る傘の柄に、力を込めた。


考えている暇なんてない。

ただ本能のままに——


「あああああっ!!!」


手に持っていた傘を大きく振りかぶった。


ザシュッ——


「——*?!」


それはまるで、刃物で切り裂いたかのような感触だった。

振りかぶった傘は魔物を二つに引き裂き、断末魔を上げた魔物の体は程なくして霧散し、地面へと吸い込まれていった…。


「はぁ…はぁ…っ」


再び訪れた静寂の中、震える手で傘を握りしめたまま立ち尽くしていた。

いつの間にか息を止めていたのか、大して動いてもいないのに息が上がっている。


(倒した…んだよね?)


先ほどまでそこにいたはずの魔物の影を見つめる。

自分があの魔物を倒した——。

そう理解しても、実感がまるで追いつかない。


……死体も、跡もない。

けれど、確かに“斬った”感触だけは残っていた。


(これが、傘の力……?)


次第に息が整い、ようやく頭が回り始めた。

魔物を切ったというのに、汚れひとつない傘をまじまじと見つめた。


どこからどう見てもただの傘。

紺色の布地も、縁をなぞる銀の蔦も、オークの柄も、さっき見た時と……

元の世界にいた時から、全く変わらない。


けれど——

"普通の傘"が、こんなことできるはずがない。


だからやっぱり、これが傘に宿った力だというのは疑いようがない。


(それと……)


反射的にとはいえ、傘を振りかぶったあの時、"そうした方がいい"という強い確信が胸の奥にあった。

あれは一体、何だったんだろう…。


(普段なら、絶対にしないのに)


傘を振り回したら危ない。

それが常識だ。


胸の奥がざわめく。

"この傘には、まだ何かあるのかもしれない"

けれど、不思議と恐怖はなかった。

今なら分かる。

——この傘は、私を助けてくれると。

あの時、そう思えるだけの確かな感触があったのだから。


「あっ!」


私は足元に落ちているタオルに気づいて、慌ててしゃがみ込んだ。

気づかぬうちに、手から放してしまっていたらしい。


「少し汚れちゃった…」


せっかく洗濯したのに、と少し胸の奥が沈む。


(でも、破れたりしていなくてよかった)


そう安堵して、顔を上げようとした——


ボタッ。

重みのある液体が地面に落ちる音が、異様に大きく響いた。


目の前には、

粘りついた涎を滴らせている魔物が、

私を影ごと呑み込もうとしている姿があった。


あまりにも近すぎて、傘を構える時間がない。

今度こそ——何も考えられなかった。


魔物の牙が私の前髪を掠めた。そのとき——


「音凪っ!!」


それは、聞こえるはずのない、あの人の声。


……もう二度と、

聞くことができないと思っていた声が、聞こえた。

そして、


————シュンッ!!


闇を裂くような一筋の光が、魔物の体を容赦なく貫いた。


魔物は断末魔も上げられず、息絶えた。

霧散した魔物と、魔物を貫いた閃光の残滓が混ざり合い、

漆黒の宝石が砕け散ったかのように、目の前がキラキラと輝いている。


けれど、そんな美しさよりも——


ガサッ、ガサッ。

草を掻き分ける音が、だんだんと近づいてくる。


死にかけていたことなんて、いつの間にか忘れていた。

今はただ、その音に合わせて体の中心がどくん、どくんと跳ね上がる。


もし——

そこにいるのが透真じゃなくて。

さっきの声が、私の願いが生んだ幻だったら……。


光の先を確かめたい気持ちと、

“勘違いだったら” という恐怖が、胸の奥で軋み合う。


もし違っていたら。


今度こそ、

心が壊れてしまう。


足音が、私のすぐ横で止まった。

衣擦れの気配とともに、

影が、ふわりと私を包んだ。


「音凪」


低くて、やわらかな声が耳を撫でた。


胸を締めつけていた不安は、

恋しくてたまらなかったその声に、溶け去っていく。


震える指先を握りしめたまま、

ゆっくりと、声のした方へ顔を上げる。


「——おまたせ」


音が凪ぎ、世界から風が消えた。


そこにいたのは、

アシンメトリーの黒髪をやわく揺らす、

いつもと変わらない……

屈託のない笑みを浮かべた——


幼馴染の

透真だった。



第二話

目覚めの森-森に潜むモノたち- 完

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