第十二話:それぞれの役割(前)
フィン……
お願い、無事でいて——!!
ホーマンさんの後に続いて、周りよりも少し大きな洞窟——家に入っていく。
(フィンはどこ……?)
中に入って辺りをキョロキョロと見回して、小さなあの子の姿を探す。
他人の家だということも忘れて、
ひとり奥へと進んでいた。
ぽて、ぽて——
聞き慣れた、軽い足音。
音の先を見ると、フィンが岩壁の角から、こちらの様子を窺っていた。
「フィン……っ!」
駆け寄る勢いのまま、しゃがんでぎゅっと抱きしめた。
「!」
びくり、肩を震わせるフィン。
その体温を感じた瞬間、胸の奥がじんと熱くなる。
「よかった……無事だったんだね……!」
私の必死な様子に、フィンが小さく「ネナ……」と呟いた。
そして、フィンの小さな手が私を抱きしめ返そうとした時——
「言葉足らずですまんかったな」
後ろから、ホーマンさんの声がした。
私はそっとフィンから体を離して、振り返る。
フィンが行き場をなくした腕を、そっと背に隠したことには気づかずに。
「じゃが、今は時間がない。簡潔に話すぞ」
「着いてこい」
そう言ってフィンが出てきた先に進むホーマンさん。
私たちは黙って、その後をついて行った。
「昨日、ビエントでは『近頃魔物が暴れおる』と話したな」
ホーマンさんは短く息を吐き、険しい顔で続けた。
「その魔物どもが今、群れをなしてここ
——岩羽の崖に向かっておる」
(……っ?!)
洞窟内に緊張が走った。
「わしら鳥人族の大人は、奴らを食い止めるため東の空へ飛ぶ。
お前さんたちは……ここで身を隠しておれ」
そう言われ案内された先、
目の前には巨大な岩が聳えていた。
ホーマンさんが低く何かを唱えると、岩は大きな地響きを立てて持ち上がり、
——隠された空間が姿を現した。
「うわぁああん!」
開かれた隙間から、子どもの泣き声が溢れた。
風圧のような勢いに、身が震える。
空間の先では、何十人もの子どもたちと老人、数人の女性たちが身を寄せ合っていた。
子どもたちは皆不安に怯え、小さな子は泣き出してしまっている。
大人たちも気丈に振る舞ってはいるが、その瞳には動揺が隠せない。
今朝までの賑わいからは想像もできなかった脅威が、
目の前に迫っていることを嫌でも実感させられた。
「こっち!」
バタバタと足音を立てて近づく人の気配。
後ろを振り向くと、
若い女性を先頭に、六人ほどが駆け込んできた。
「さあ、この中に入って」
女性は連れてきた人々を空間の中へと誘導し、全員が中に入ったのを確認すると、ホーマンさんへと視線を流した。
「カンデラ」
ホーマンさんが女性の名前を呼んだ。
女性は頷き、すぐさま口を開いた。
「概ね避難は完了しています。五人が最終確認に向かい、あとはパキタとブラスが向かったエリアで終わりです」
「うむ。お前さんは残って二人の報告を待て。完了後、ブラスを残して戦場に合流してくれ」
「分かりました」
女性はそう返事をすると、一つにまとめた長い髪を揺らして、空間の奥へと進んでいった。
殺伐とした空気に緊張が走る。
「お前さんたちも早う入れ」
私たちを促すホーマンさんの声と鋭い瞳。
私はハッと、小さく息を飲んだ。
そして、
気づけば一歩、前に踏み出していた。
「ホーマンさん——私も、行きます」
「音凪!」
ホーマンさんの前に出た私を、透真が慌てて止めようとする。
だけど、私は構わず続けた。
「人、足りてないですよね?」
残っている大人があまりにも少ない。
きっと、最低限の人数を残している。
そしてホーマンさんの年齢を思えば、戦力が足りているとは思えなかった。
ホーマンさんは苦虫を潰したような顔で、深く息を吐く。
「……鋭いのぉ。
だが、それでもいかん」
ホーマンさんの目が細められた。
「どうして……!」
「お前さんには——"翼"がない」
低く放たれた言葉に、空気が張り詰める。
「奴らは鳥型じゃと言うたろう?」
ホーマンさんの鋭い視線が突き刺さった。
言い返そうと息を吸い込んだその時、横から声が飛んだ。
「ネナなら飛べるわよぉ」
「しかも、あの身のこなし……きっと強いよ」
フアナとフアンが、揃って私の横に立った。
ふたりとも、子どもらしくない真剣な眼差しでホーマンさんを見据えている。
「お前たちまで何を言うか!
子どもの冗談に付き合っておる暇はないぞ!!!」
カッと目を見開いて怒鳴るホーマンさん。
昨日のような叱責ではない。
そこには、一切の余裕がなかった。
「じいちゃん」
フアンくんは低く、
真剣な声でホーマンさんを呼んだ。
「僕の“瞳”と、姉さんの“勘”……
——信じられないの?」
フアンくんに同調するように、フアナが小さく頷く。
幼いはずのふたりの瞳が、ホーマンさんをまっすぐ射抜いていた。
ホーマンさんはふたりの眼差しを受け止め、
「はああ」と大きく息を吐いた。
「……本気、なんじゃな?」
「「この心(瞳)に誓って」」
ふたりの声が、ぴたりと重なった。
ホーマンさんはしばし目を閉じ、そして静かに頷く。
「……よかろう」
そう言うと、こちらへと視線を移した。
「娘……
いや、ネナ」
「はい」
その眼差しに応えるように、私も真っ直ぐに見つめ返した。
「共に行くぞ」
「!」
ホーマンさんが認めてくれた。
自然と口元は緩み、胸の奥が熱くなる。
「——はいっ!」
私は大きく頷いた。
そして、先に背を向けたホーマンさんに続くように、
身を翻して洞窟の出口へ向かおうとした——そのとき。
パシッ。
左腕が温もりに包まれた。
振り返ると、透真が私の腕を掴んでいた。
その表情は、少し——怒っている。
「……俺は賛成できない」
低く落ち着いた声。
けれど、その瞳には確かに怒りと焦りが宿っていた。
「透真……お願い。——行かせてっ」
いつも私の味方でいてくれる透真。
それなのに今回は、頑として首を横に振った。
「駄目だ。今回ばかりは危険だ」
「透真っ!」
左腕を掴む透真の手の力が、少しだけ強くなった。
透真がどれほど真剣なのか、
……そして、どれほど私を心配してくれているのか。
それが痛いほど分かる。
でも、私は——
ぎゅっと、固く目を瞑った。
(ここで待っているだけなんて、できない)
バッと、
私は透真の瞳を真っ直ぐ見つめ返した。
「透真、
絶対に無事に帰るって約束する。
だから——信じて」
透真を説得する上手い言葉なんて浮かばない。
それでも、私たちには長年培ってきた
——"信頼"がある。
(透真。私を信じて……)
「っ……」
透真の瞳が、わずかに揺れた。
そしてふっと、
私から目を逸らすように俯いた。
だけど——
(透真なら、きっと……)
——私は信じてる。
透真は一拍置いて、短く息を吐いた。
そのまま静かに顔を上げて、私の目を見つめた。
「……分かった」
小さく、けれど確かな声だった。
「透真……!」
私はうれしさに頬を緩めて、
ほっと肩の力が抜けた。
だけど、次の瞬間——
「但し、俺も行く」
低く響いた声が、胸の奥にズシンと沈む。
「ここでただ待っているだけなんて、できない」
さっきの自分の言葉が、今度は透真の口から返ってくる。
射抜くような透真の瞳に、私は一瞬言葉を詰まらせた。
「……でも」
口元を数回、開いては閉じて。
やっとのことで絞り出した声は、自分でも驚くほど小さかった。
「透真は、集団での戦いに向いてないし……
それに、空は——」
“飛べない”
そう言おうとして、口を噤む。
私と同じ気持ちなのに、自分だけ行こうとしていた。
そんな自分が急に情けなくなる。
「移動の問題だけなら、なんとかなるんじゃない?」
ふと、フアンくんが、まるで天気の話でもするかのように口を開いた。
「あとは戦闘力の問題だね。
でもトーマさん、自分の身くらいは守れるでしょ?」
フアンくんの言葉に、透真は黙って深く頷いた。
「じゃあ、決まりだね」
にっこりと微笑むフアンくん。
背後では、ホーマンさんが「わしはもう知らんぞ」と呆れた声を上げている。
「移動はね、こうしたらいいんだよ——」
私たちふたりは、フアンくんの声に意識を集中させた____。
***
鉛色の空。
吹き荒れる風が頬を叩く。
強風に煽られながら、私たちふたりは空を飛んでいた。
——ひとつの傘で。
「透真っ! ——あそこ!」
指をさした方向。
黒い影が群れをなし、峡谷の上空でうごめいている。
色とりどりの翼を持つ鳥人たちが、あちこちで必死に応戦していた。
「音凪っ……お願いだから、あんまり動かないでくれっ!」
珍しく焦った透真の声。
フアンくんが教えてくれた、透真が空を飛ぶ方法。
それは——
『一緒に傘を持てばいいんだよ』
たったそれだけの方法だった。
私は片腕を透真の後頭部に回し、しっかりと抱き寄せ、
もう片方の腕で傘を握る。
透真は私を片腕で抱きかかえ、
もう一方の手で傘をしっかりと支えていた。
風に煽られてはぴたりとくっついて、
そのたび透真は小さく息をこぼした。
フッ……。
私たちは近くの岩山に降り立った。
透真が慎重に私を下ろす。
足が地を踏む感覚が戻ってきて、私はほっと息を吐いた。
そっと、透真と体を離す。
「っ……(理性が、飛ぶかと思った……)」
どこか苦しそうに顔を歪めた透真。
"重かったのかも……"と、
私は申し訳ない気持ちで、声をかけた。
「透真? ごめんね、重かったよね」
「え?……いや、全然」
一拍の間。
返す声がわずかに掠れている。
(疲れているように見えたけど……大丈夫かな?)
私は透真の様子を気にしつつ、辺りの様子を見回した。
空に浮かぶ黒い塊は、よく見ると複数の団子のように点在していた。
鳥人ひとりに対して、五〜七匹ほどの魔物が群がっている。
……統率が、取れてる。
今まで見てきた魔物はどれも単体。
集団行動も、高度な知能も持ち合わせていなかった。
——厳しい戦いになる。
そんな確かな予感に、今さら恐怖が込み上げる。
傘を握る右手が小さく震えた——
パシッ。
右手に、温もりが走る。
既視感。
私はその温もりの先を見上げた。
透真が、静かに私の手を掴んでいた。
「無事に
——帰ってこい」
優しく微笑んだ透真。
それだけ言うと、掴んでいた右手をそっと離した。
震えはもう、止まっていた。
「…うん!」
振り向きざまに空を仰ぐ。
近くの群れを見据え、私は駆け出した。
地面を強く蹴り上げ、傘を開いた。
風を切る音が鼓膜を震わす。
高く、高く——空へ。
上空から魔物たちを捉え、
——傘を振り下ろす!
ザシュッ!!
纏わりつく風を断つように、その黒い肢体を切り裂いた。
黒い絵具を引き延ばしたような傷が、その身に浮かぶ。
「***!」
ノイズのような声で呻る魔物が、黒塵を撒き散らしながら空へと堕ちていった。
鉄の匂いが鼻を掠める。
(まずは一体!)
足元で崩れた魔物の背を踏み、次の敵へ跳ぶ。
——ザシュッ!
——ザシュッ!
空を駆ける。
地を踏まず、風を味方に。
そよ風のように滑らかに、
狂いなく魔物を制していく。
「**!!」
黒い影たちがこちらを囲むように集まり出した。
鉄砲弾のように突っ込んでくる一匹を、
身体をひねってひらりと躱す。
「**?!」 「*っ!」
——グシャッ。
鈍い衝突音。
躱した魔物が、後方の仲間とぶつかって地に落ちる。
(よし……!)
無力化。狙い通り。
全部を斬る必要なんてない。
落ち着いて、状況を味方につける。
「くっ……!」
近くから短く呻く声が聞こえた。
視線を送ると、若い鳥人が二体の魔物に挟まれている。
「っ……!」
(助けないと!)
風を裂き、踏み込む——
ザシュッ!! 「**!」
斬った魔物を足場に、次の一匹へ跳び込む。
魔物の鉤爪が青年に届く寸前、
疾風が彼の横を駆け抜けた。
刃が閃き、黒い影が落ちる。
「***ー?!」
驚きの声。
苦戦していた鳥人の青年の目に、安堵の色が灯る。
「大丈夫ですか……?!」
「あ、ああ……! ありがとう!」
彼は頷き、すぐに前線へと戻って行った。
私もすぐさま次の集団を見据える。
斬っても、止めても、群れは尽きない。
空の黒はさらに濃くなっていく。
冷たい風が肌を刺す。
私は拳を強く握った。
絶対に、ここで食い止めてみせる——!




