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雨上がりの空で、傘をさす。  作者: つな△まよ
三章:羽ばたきの峡谷
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第十一話:忍び寄る雷雲(前)


空が白み始め、鳥のさえずりが聞こえ出した峡谷の朝。

私は体を起こして、まだ完全に開ききっていない眼で洞窟の入り口に近寄った。


日が昇りきっていない朝の空気はひんやりしていて、肌寒さに自然と目が覚めてくる。

私は大きく息を吸った。



——澄んだ空気がおいしい……。


昨日はあれほど悩んでいたのに。

朝起きてみれば、随分と心が軽くなっていた。


「よし……!」


ぱちん、と両頬を叩いて、自分に喝を入れる。


落ち込む時間はもう終わり。

悩み続けたって仕方がない。

今はとにかく、フィンに謝らないと。



「お。起きてきたんだな」



一人意気込んでいると、洞窟の外から透真が歩いてきて「おはよう」と言った。

どこかに出かけていたのだろうか。

両手には、籠いっぱいの木の実や果物が抱えられている。


「おはよう、透真。それ、どうしたの?」


「ああ、これな……」


透真はそこで言葉を止め、後ろを振り返る。



「あそこ」



指差した先、

少し離れた洞穴の前には、人の良さそうなお婆さんが立っていた。

にこにこと、透真のことを見つめている。


「あのお婆さんがくれたんだ。『みんなで食べろー』ってさ」


「そうだったんだ。ありがたいね」


私はお婆さんに向かってペコリとお辞儀をする。

お婆さんはそれに応えるように、穏やかに手を振ってくれた。


お婆さんが洞穴の中に戻るのを見届けてから、私たちも中へと戻った。


「ほら、音凪。この赤いの、熟れていて美味しそうだぞ」


透真はリンゴのような果実を手にして、私に見せた。


(透真、見ただけで熟してるのか、分かるんだ……)


私は"すごいなぁ……"なんてぼんやり感心した。



「どんな味なんだろう……」



ポツリ呟くと、透真はわずかに口元を緩めた。

そして、籠を片腕で抱えてスマホから布を出すと、


キュッキュッ。


「食べてみ?」


拭った果実を、そっと私に差し出した。


「ありがとう」


私は両手で果実を受け取って、

そのまま、皮ごと齧りついた。



シャクッ。



「!」


——お、おいしい……!


それはリンゴよりも梨に近く、さっぱりした甘さが口いっぱいに広がった。

シャクシャクと瑞々しい音が響く。


「ははっ、美味いみたいだな」


口をもぐもぐ動かしながら、私はあまりの美味しさに“うんうん!”と勢いよく頷く。

透真はその様子に満足げに笑うと、自分も別の果物を一つ口に放り込んだ。



「あぁああー!!」



ビクッ!

二人で果物を堪能していた時、

突如鳴り響いた声に驚いて肩が跳ねた。


(な……に?)


何事かと、声の方を振り返ると——

フアナがわなわなと震えながら、私を指さしていた。


(あれ?……手?)


昨日初めて会った時は、翼だったフアナの両手。

今はホーマンさんと同じ、人の手が生えている。


……そういえば、ここに着いた時にはもうこの姿だったかもしれない。


私は昨日、自分が周りの変化に気づかないほど落ち込んでいたんだと、

少しだけ苦笑いを浮かべた。


「あ、あたしがネナに持っていくはずだったのにぃ!」


悔しそうに叫ぶフアナに、私たちは顔を見合わせて首を傾げた。

“持っていく”って、何のことだろう。


ゴトッ。

がっくりと項垂れたフアナ。

その背中の籠から、ころころと果物が転がり落ちた。


——それは、私が手にしているものと同じ果実だった。


「フアナ……もしかして、これ」


私は視線を果物からフアナにそっと移した。


「ゔー……」


ごとんっ。

不貞腐れたように籠を下ろし、自分の前に少し荒っぽく置くフアナ。


「おいしいから、ネナに食べてほしくてぇ」


フアナが持ってきた籠の中には、山になるほど赤い果実が詰まっていた。

十個どころか、それ以上。


(重いだろうに……)


私のために運んでくれたのだと思うと、

じんわりと胸が温かくなった。


「フアナ、ありがとう。この果物すごくおいしいから、たくさん食べたいって思ってたの」


そう笑いかけると、フアナは目を見開いた後、顔をプイッと背けた。


「ま、まあ? ネナがたくさん食べたいって言うならぁ……それ、ぜ〜んぶあげる!」


腕を組みながら「しょうがないんだからあ」と呟くフアナ。

けれど、その口元は嬉しさを隠しきれず、ピクピクと上がっていた。


可愛らしいフアナに、つい「ふふっ」と声が漏れる。



「そういえば、今日はフアンはいないんだな」



私たちのやり取りを黙って見ていた透真が、ふと周りを見回した。


(言われてみれば……)


私もゆっくりと周囲を見渡した。

確かに、フアンくんの姿が見えない。



「フアンは朝弱いからぁ」



フアナは素っ気なく、そう答えた。


いつも一緒にいると思っていたから、意外だった。

私が目を丸くすると、フアナはその表情に気づいたのか「ふふん」と笑ってこう言った。


「あたしはお姉ちゃんだからぁ。

これでも、弟のいないところでいろ〜んなこと、してるのよぉ」


誇らしげに胸を張るフアナに、私は思わずくすくすと笑った。



ぽて、ぽて。


ふと後ろから聞こえた軽い足音に、そっと振り向く。


目を覚ましたフィンが、小さな足取りでこちらに近寄ってきていた。


(あ……)


気づけば、胸の辺りで手をぎゅっと握っていた。


「……っ」


私はまだ気まずい気持ちを残しながら、

勇気を振り絞ってフィンに声を掛けた。


「……フィン、おはよう」


「……おあよぅ」


ぷいっ。

フィンもまだ気分が晴れないみたい。

かろうじて返事はしてくれたけど、結局は顔を背けられてしまった。


(謝らなきゃ。どう、切り出そう……)


そんな私たちを見ていたフアナが、ふいに目を丸くする。

そして、何かを閃いたようにニヤリと笑った。


「おチビちゃん! 」


ズンズンと遠慮なく距離を詰めるフアナ。


「ようやくお目覚めぇ?」


ずいっと顔を寄せたフアナにフィンはビクッと体を震わせると、

慌てて透真の背後に隠れた。


「あらぁ? ずいぶんな態度じゃない」


フィンは警戒した目でフアナを見つめ、

フアナは「せっかく朝ごはんに招待しようと思ったのになぁ」と

わざとらしく横を向いた。


「ここでしか食べられない、とぉ〜〜っても美味しいナッツのパンケーキが、

あるんだけどなぁ」


チラッと、フィンを横目で窺う。


「ここでだけの、ケーキ……」


ごくり。


“ケーキ”という言葉に、フィンの瞳が一瞬で輝いた。

警戒心はどこへやら。

そこにあるのは、純粋な期待と好奇心だけだった。


「あ、でもぉ……一人分しかないから〜、早く行かないと寝ぼけたフアンが食べちゃうかもぉ」

「!!」


フアナの言葉に“がーん!”と音がつきそうなほど、目と口を大きく開いてショックで固まるフィン。

何が起きているのか理解できず、私は思わず首を傾げた。


そんな私のもとへ、フアナが静かに歩み寄ってくる。


「あの子の機嫌、あたしが戻してあげる」


コソコソと小声でそう告げると、次の瞬間にはもう大声を出していた。


「ほうら! 早く行くわよ〜!」


「っ……!」


フアナの声にハッとしたフィンが、一瞬だけ逡巡してから勢いよく頷く。

小さな足でぱたぱたと、フアナの後を追って駆けていった。


私はしばらく、何も言えないまま、

二人が出て行った洞窟の入り口をぼんやりと眺めていた。


「悪戯はタチ悪いが、根はいい子そうだな」


隣で透真が呟く。

私は一度だけ透真の方を見て、「うん、そうだね」と微笑んだ。


そしてもう一度、洞窟の外へと視線を戻す。


(……ありがとう、フアナ)


ヒュウッとひと吹き、風が空を撫でた。

遠ざかっていくふたりの声が、しばらく耳に残った。



***



《フアナ視点》



(ふひひ! ついてるわぁ)


朝いちばんに起きて、

ネナにビエントでいっちばんっおいしい果物——ビビオを持って行って、驚かせようと思ったのに、

あの男に先を越されちゃって、ちょ〜っぴり悔しかったのよね。


でもぉ!

そんな時、ネナを喜ばせるのにちょうどいいちびっこが来たんだから、

あたしってば、ほんと〜にラッキ〜!


半ば無理やりちびっこを引っ張って、自分の家へと向かう。


フアンのパンケーキはなくなっちゃうけど、

大事な大事なフアナお姉ちゃんのためなら、フアンも文句は言わないでしょ。


「ひひっ! ひひひっ」


あたしがネナをよろこばせるんだからあ!



《フアナ視点》 end.



***



《フアン視点》



「これでも反省してるのよぉ! あんたみたいな小さい子泣かせちゃってえ!」


姉さんの騒ぐ声に叩き起こされた僕。

声の方へ向かうと、一人ぺちゃくちゃ喋る姉さんと、黙々とパンケーキを食べる昨日のちびっ子がいた。


(……それ、僕のパンケーキじゃ……)


人の朝ごはんを食べているちびっ子。

とはいえ、この子が勝手に食べるはずもない。

姉さんが差し出したのだろう。


僕は抗議する気も起きず、

黙って、籠に入っている黄色の果実——ラモウの実をひとつ手に取った。


姉さんとちびっ子は、僕が起きてきたことにも気づかず、楽しそうに話を続けている。


「そ・れ・に!

どーせやるなら、大人をからかう方がぁ、な〜ん万倍も楽しいってねっ!」


ひひひ!


全く反省の色がない。

少しは一緒に怒られる僕の身にもなってほしい——

と、本人には到底言えない愚痴を心の中でこぼした。


「……ネナとトーマも?」


さっきまでパンケーキに夢中だったはずのちびっ子が、ふと尋ねる。

姉さんはその問いかけに「まさか!」と声を張り上げた。


「ネナはあたしのお気に入りだからだめっ!」


姉さんが珍しく気に入ってる“ネナ”という大人の女の人。

実は僕も気になってる。

……あの人の傘が。


後で見せてもらいに行こう。

午後の計画を立てながら、再び眠るために寝床へと踵を返した時だった。


「あの男も、フアンと似てるからぁ……」


そう呟く姉さんの声が聞こえた。


あんなのでも、ちゃんと僕のことを想ってくれてるんだな。

ほんの少しだけ、姉さんを見直した——その瞬間。


「からかってもおもしろくなさそうだわぁ」


(……)


姉さんは、姉さんだった。


これ以上は聞くだけ無駄。

僕はちびっ子の「そうなんだっ」という安心したような声を背に、

自分のスペースへと戻っていった。



《フアン視点》 end.



***



時刻は午後一時。

太陽も上り切っていて、照りつける日差しがやや熱いくらい。


それなのに、轟々と吹く風だけがひんやりしている。


(天気、崩れるのかも……)


そう感じた。


お昼前、ホーマンさんの遣いの鳥が籠を持ってやって来た。

籠の中にはサンドウィッチと手紙。

手紙を開くと、"フィンはお昼もフアナ達とご飯を食べる"といった旨と、"籠のサンドウィッチはお昼にどうぞ"といった内容が書かれていた。



「ここ旅立つのは、明日になりそうだな」



透真が苦笑いをした。


「そうだね。

でも、フィンが楽しんでるみたいでよかった」


「ああ。いい気分転換になってるみたいだ」


そんな話をしながら、透真と二人のんびりお昼を過ごしていた。



バサァッ。



ふと。

洞窟の外から、先ほどの遣いの鳥より大きな翼の音がした。


誰が来たんだろうと入り口に視線を向けると、翼を手に変化させている最中のフアンくんがそこにいた。



「こんにちは」



彼はそう言いながら、こちらへと近寄ってくる。


「フアンくん、こんにちは。ひとり……?」


「うん。姉さんとちびっ子はじじいの家のお宝を見に行ったよ」


どこかげんなりした顔でそう説明したフアンくんに首を傾げる。


(でも、フィンが楽しんでるなら……)


それは何よりだと、ホッと息をついた。



「フアンはどうしてここに?」



透真が不思議そうな表情をして尋ねた。


「ネナさんの、傘を見せてほしくて」


「私の傘?」


「うん」


(傘を見たいだなんて、どうしたんだろう?)


その理由には見当がつかない。

けれど、何となく、

悪戯目的ではない気がする。


そう感じた私は、フアンくんの前にそっと傘を差し出した。


「はい、どうぞ」


「ありがとうございます」


フアンくんは少し安心したように口元を緩ませた。

どうやら緊張していたみたい。


傘をまじまじと見て、柄・傘・先端と順に観察しているフアンくんの蒼碧の瞳が、わずかに光を帯びている。


しばらくじーっと見た後、フアンくんは

「やっぱり」

と、ぽつり呟いた。



(やっぱり……?)



フアンくんの呟きに、心がざわつく。

体がきゅっと固まって、急に喉が渇きはじめた。



「ネナさん」



フアンくんが私の名を呼んだ。


私は貼りつく喉をゆっくりはがすように、恐る恐る、呼びかけに答えた。



「……どうしたの? フアンくん」



洞窟の奥まで、ゆっくりと影が伸びていく。

いつの間にか雲が広がっていた。

傘を見つめるフアンくんの真剣な眼差しに、緊張が走る。


フアンくんの口元が、ゆっくりと開かれた。



「その傘、たぶんだけど……

姿——変えられるよ」



静かに、蒼碧の瞳が私を映した。


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