第十話: 迷える子羊(後)
鳥人族の集落に向かうことになった私たちは、その道中でようやく自己紹介をしようという話になった。
「あたしはフアナ! でぇ、こっちは双子の弟のフアン。
お姉ちゃんは?」
フアナちゃんは銀の翼をぶらぶら揺らしながら、私の顔を覗き込んで尋ねた。
その瞳は、なぜだかキラキラと輝いているように見える。
私は小さく息を吸って、
それから、そっと口を開いた。
「私は、音凪」
「ネナね!」
フアナちゃんは満足気に「ふふん」と笑うと、「特別に"フアナ"って呼ばせてあげる」と得意気に言った。
「ネナはあたしが奪ったものを取り返したスゴぉい人間だからぁ、
と・く・べ・つ♪」
にんまりと笑うフアナに、ホーマンさんがカッと目を見開く。
「ついに白状しおったな! こんのバカ娘がっ!!」
怒るホーマンさんにフアナは「やばあ」と呟くと、素速く翼をはためかせて空へ飛び立った。
「あたし、先行くからぁ!」
「ちょっ! 姉さん、置いてくなよっ!」
その後を追うように、フアンくんも慌てて飛び立っていく。
ホーマンさんはそんな二人の背に向かって「まったく……」とため息をついた。
「すまんの。うちの者が
改めて、わしはホーマン。あやつらのお目付け役をしてる者じゃ」
胸を張って、どこか誇らし気に名乗った。
……かと思えば、
「"ホーマンおじいちゃま"と呼んでいいぞ」
自身の腕の中にいるフィンに向けて、目尻をこれでもかと言うほど下げている。
「お目付け役……」
「あの通り、少しばかり悪戯が過ぎるからのぉ……」
「全く、困ったものじゃい」
既にいなくなった後ろ姿を追うように、二人が飛び立って行った方向を見つめるホーマンさん。
その顔は困ったと言うより、どこか心配をしているように見えた。
「ホーマンさん一人では、なかなか大変そうですが……」
透真の声色に棘はない。
ただ純粋に、そう感じたのだろう。
ホーマンさんは眉を顰め、難しい表情を浮かべた。
「うむ……。
実は最近、若い者達は忙しくての」
少しだけためらう素振りをしたホーマンさんは、空を厳しい目つきで見据えた。
そして静かに、私たちへと視線を戻した。
「……おまえさんたちも気をつけろ。ビエントではここ暫く、鳥型の魔物がよく暴れおる」
低く鋭い忠告に、背筋にひやりと緊張が走った。
冷たい風が首元を突き刺す。
旅には危険がつきものだと、そう分かっていた筈なのに。
私はいつの間にか、安易に考えていたのかもしれない。
大丈夫だと。
何でもできると、自分の力を過信して、
——それが、今回フィンを傷つけたことに、繋がったのかもしれない。
「……」
視線が自然と下がっていく。
息が、うまく吸えない。
「……」
私はその後、集落に着くまでの間一言も話すことなく、ただ足を動かしていた。
隣にいる透真が、心配そうな眼差しで見つめていたことにも気づかずに。
***
《フアン視点》
「ひひひ! ネナたち、そろそろ着くんじゃないかしらぁ?」
「これを見たら、き〜っと! 驚くわよお」
半獣化を解いて、手に筆を持ちながら姉さんは笑った。
先に集落に戻って来た僕たちは、
"ゲンコツのお返しに"と、一目散にじじいの家に向かった。
……まあ、僕たちじゃなくて、"姉さんが"だけど。
悪い顔で笑う姉さんが指す"これ"。
それはじじいが大切にしてる『ミーシャ』のこと。
元はきれいな金色だったのに、姉さんの手によってマヌケな姿に変わってしまった。
……これには、流石の僕もじじいに同情する。
(じじい、ショックのあまり心臓止まらないといいけど)
「ネナを驚かせるだけじゃなくて、じじいに仕返しもできるなんて!
あたしって、ほんっっと〜にかしこいんだからあ!」
"あはははは!!"
胸を30度近く仰け反らせて高笑いする姉さん。
僕は姉さんにバレないように、小さくため息をひとつ吐いた。
《フアン視点》 end.
***
《ホーマン視点》
日盛りと打って変わって、穏やかな風が吹き抜けているビエント。
——風に乗って、仲間たちの声が遠くから聞こえ始めたわい。
「ほうら、鳥のさえずりが聞こえ始めたじゃろう?
もうすぐ到着じゃ」
ビエントの南に位置する鳥人族の集落。
それは峡谷の険しい山に連なる棚状の崖——”岩羽の崖”と呼ばれておる。
二百ほどの群れが暮らすこの場所は、崖の壁面の至るところに洞穴があり、
鳥人たちは皆、その穴を巣として使っている。
集落へ続く洞窟の中に入ると、外の風の音が遠ざかり、
代わりに、羽ばたきや子どもたちの声が反響して聞こえてきた。
白い光が差し込み、岩壁の凹凸がくっきりと顕になる。
外の光が見えてきたら、もう入り口はすぐそこじゃ。
「着いたぞい。
ようこそ、我ら鳥人族の集落へ」
手に抱えていたフィンをそっと下ろし、腰をさする。
——老体には、ちと堪えたわい。
「うわあっ!」
地に足をつけたフィンは、一歩、二歩と前に出て、
大きな目をきらきらと輝かせながら辺りを見回した。
少しではあるが、元気を取り戻したようじゃ。
わしも、つい頬が緩む。
(にしても……)
わしは背後を静かに歩く二人へ、目線だけを動かした。
トーマとネナという名の男女。
男の方はまだよいが、娘の方はまるでどこかに魂を置き忘れたようじゃ。
表情は硬く、声も出さん。
心ここにあらず——といったところか。
(ここまでの旅路で疲れ切っておるのかのぉ……)
ここで少しでも身体を休ませることができればいいのだが……。
そう娘を案じておると、
「ネ〜ナ〜っ!」
(?!)
あのフアナが声を弾ませて近寄って来るではないか。
「ネナ! ほうらほら〜、これっ!
かわいいでしょお?」
娘に向けて何かを見せているフアナ。
娘は一瞬目を見張ると、「カラフル……だね?」と不思議そうな表情を浮かべた。
後から来たフアンも微妙な顔をして、フアナの持つ物を見ておる。
(……あやつがあんなにも大人に懐くのも珍しい)
わしは"珍しいものを見た"と、目を見開いた。
そういえば、さっきフアナが
「あたしが奪ったものを取り返したスゴぉい人間だから」
とか言っておったのお。
フアナと話すネナという娘をまじまじと見る。
細い眉に垂れた瞳。小さい顔に、細い首と手足。
一見、箱入りのお嬢さんのようにも見える娘は、どちらかと言えばフアナが毛嫌いする"セイソケイ"というやつじゃが……。
(この娘、見た目ほどか弱くないようじゃな)
「おっじいっちゃまっ」
先程までわしの事など見向きもしなかったフアナが、突如かわいこぶった声を出しながら振り返った。
ニヤニヤと、何かを企んでいる顔で笑うフアナに、わしの第六感が警鐘を打ち鳴らす。
——こやつ、一体何を……。
「ほぉら! かわい〜くしてあげたわよぉ!」
ポイっとフアナが投げた“それ”は、見事な弧を描いてわしの手の中に収まった。
一瞬、光を反射して七色にきらめく。
(……ん? んん?!
こ、このフォルム、まさか——)
「ミ、ミーシャぁあああっ!!」
叫んだ瞬間、胸の奥で何かが崩れ落ちた。
それは、わしの大事な“ミーシャ”の変わり果てた姿だった。
「お、おおっ……
ミーシャ……なんて姿に……!」
元は美しく輝く金色のボディが、今や見るも無惨な原色のぶちまけ状態。
まるで子どもが水彩絵の具で遊んだ後のよう。
「あはははは!! か〜わいくなったでしょぉ?! あっはははは!!」
こちらの反応を見て笑い転げるフアナ。
わしはワナワナと体を震わせ、「もう許さんっ!!」と、目の前の悪童を睨みつけた。
「わしの可愛いミーシャに悪戯しおってからに!
今日という今日は許さんぞ!!」
「なあにが“ミーシャ”よお! ただの鉄の塊じゃないっ!」
「ほんっと気持ち悪いじじいね!」
"んべっ"と、半目で舌を出すフアナ。
(きっ、気持ち悪いだとおおお?!!)
「お前! わしのミーシャを愚弄するか?!」
「あんたが気持ち悪いって言ってんのよ! くそじじい!!」
「あー、うるさいうるさい……」
フアンが"いい加減にして"と言わんばかりの顔で文句を垂れる。
フアン!
お前にも責任の一端があるぞ!!
「おんのれぇえええ!!
こんの悪ガキ共がぁあああ——!!」
わしの魂の叫びに、集落の鳥達は"バサバサッ"と一匹残らず逃げ出して行った___。
《ホーマン視点》 end.
***
《フィン視点》
おっきな崖に、たくさんの洞窟。
いろんな色のキレイな鳥さんたち。
ぼくは"ネナっ!"って言おうとしたけど、
振り向いて見えたのは、悲しそうなネナの顔。
そうだ……。
ぼくがひどいこと、言っちゃったから……。
「……っ」
ネナやトーマと楽しみたい。
でも、ぼくがいやだった気持ちもなしにしてほしくない。
ぼくは……どうしたらいいの——?
《フィン視点》 end.
***
《透真視点》
急遽立ち寄ることになった鳥人たちの集落での夜。
峡谷の空は雲ひとつなく、無数の星と白縹の月が冴え冴えと輝いていた。
ここに着いてから、どれくらい経った頃だっただろうか。
いつの間にかホーマンさんが知らせていたようで、双子の親が東の空から飛んできた。
父親はこの集落の族長らしい。
最近は魔物の出現が増え、日夜を問わず東奔西走しているのだという。
彼らは我が子の非を詫び、
「ぜひ泊まっていってほしい」とだけ言い残して、再びビエントの空へと羽ばたいていった。
そうして、ホーマンさんに案内されたのがこの洞窟だった。
昼間の喧騒はすっかり遠のき、今は焚き火が薪を弾く音と、フィンの寝息だけが響いている。
赤い光が岩壁をやわらかく照らし、ゆらめく影が漂っていた。
炎の側には、膝を抱えた音凪の姿。
焚き火を見つめるその横顔は、どこか遠い世界を見ているように見えた。
フィンを起こさないように足音を殺し、俺はそっと音凪の隣に腰を下ろす。
気配に気づいた彼女がハッと顔を上げ、強張らせた表情を見せた。
「……あ、
透真……」
音凪は相手が俺だと分かると、安心したようにふっと緩めた。
俺はゆっくりと、息をこぼした。
「……フィンは寝たよ」
「そっか……。ありがとう、透真」
音凪はそう笑って見せるが、表情はやはり晴れない。
「……」
二人の間に沈黙が走る。
だが、不思議と気まずさはない。
パチパチと音を弾く焚き火を眺めながら、音凪が話し出すまで静かに待っていた。
十分ほど経っただろうか。
音凪はか細い声で俺の名前を呼んだ。
「……ねぇ、透真」
「ん?」
俺は視線を僅かに音凪へと注いだ。
彼女は変わらず、焚き火を見つめていた。
「私……どうしたら、よかったんだろう……」
呟くような、音凪の問いかけ。
俺はすぐには答えなかった。
慎重に、
言葉を探した。
「……難しいよな」
ポツリ。
ひと呼吸置いて続けた。
「どうしたらよかったかなんて、
きっと人によって違う」
焚き火へと視線を移した。
目の前の炎が、不規則に揺れている。
「だから——
今回は、うまくいかなかった。
たぶん、それだけなんだ」
「——」
そっと、
音凪の瞳が俺を映した。
「まあ、薬を塗るタイミングだけは、ちょっと悪かったけどな」
俺は「でも、それは俺も悪い」と小さく笑った。
その言葉に、音凪は少しだけ頬を緩ませる。
だが、何かを言うわけではなく、彼女は静かに視線を焚き火へと戻した。
再び、洞窟に沈黙が訪れる。
「……」
「……」
少しだけでも笑ってくれたから、これでいい。
そんな事を思っていた時だった。
ふわっ。
いい匂いが鼻をくすぐった。
突然感じた肩の温もり。
音凪が……俺の肩に、頭を乗せた。
——指先が、かすかに触れた。
(ね、音凪?!)
突然身を寄せた彼女に、体が強張る。
心臓が、落ち着かない。
「……音凪?」
俺は必死に冷静を装う。
音凪は俺の呼び掛けに、ゆっくりと目を瞑った。
「少しだけ、
このままで……」
ぽつり、そう呟いた。
(そうだ、
音凪は……強い)
……音凪は、俺がいなくても立ち上がれる。
きっと彼女は今、心を奮い立たせる準備をしているのだ。
俺にできるのは少しでも早く、音凪の心が癒されるように寄り添うだけ。
——今だけは、
この手が届く間だけでも、愛しい彼女を俺が支えたい。
___。
触れた細い指先を、壊れてしまわないように、そっと握った。
……音凪。
大丈夫。音凪なら、前を向ける。
俺は、峡谷の夜空に浮かぶ月を眺め続けた。
この熱が、彼女の力になることを願いながら___。
第十話
羽ばたきの峡谷-迷える子羊- 完




