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雨上がりの空で、傘をさす。  作者: つな△まよ
三章:羽ばたきの峡谷
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第十話:迷える子羊(前)


「ネナが……


ネナが薬塗るって言うからぁっ——!!!」


耳を劈く、フィンの悲鳴のような声。

私は、何が起こったのか分からなかった。


ドクン——

胸の奥で、喉を突くような音が大きく鳴った。


「おくすりっ、いやだって言ったのにっ!」


涙でいっぱいの目を見開き、地面を睨み叫ぶフィン。


胸の奥で鳴った嫌な音が、次第に短い間隔で思考を打ち叩きはじめる。


「ごはんもおいしくたべれなかったあっ!!!」


小さい手で、マフラーと服の裾を強く握りしめて、


「ぼくの、ぼくのマフラーぁ、取られちゃったあ!!

パ、パパとママのっ まふらぁーがぁ!」


私をまっすぐ見つめて、溢れる涙を散らしながら、懸命に小さな肩を震わせている。



——うわぁあああああん!!!


フィンの目尻から流れる大粒の涙。

ぽたり、ぽたりと乾いた地面を濡らしていく。


(私は……なにを、まちがえたの)


天を仰いで、大きな声で泣きじゃくるフィン。


——もう大丈夫。

マフラーは戻ってきたよ。

そんなに大きな声出し続けたら、喉痛くなっちゃうよ。


そう言って、目の前の小さな子を抱きしめようと手を伸ばして、


「……」


スッ……

力無く、空を撫でた。


(今の私に、フィンを安心させてあげることができるの……?)


阻む物はないはずなのに、なぜだかこの手が届く気がしない。


「ひっく、ゔあっ、ううー……!」


——まるで、

フィンとの間に、深い谷底ができたようだった。



「フィン、おいで」


いつの間にか、私たちの側まで来ていた透真が、

泣き続けるフィンにそっと手を伸ばして、ゆっくりと抱き上げた。


「いっぱい、悲しかったんだな。

ごめんな。気づいてあげられなくて」


ポン、ポン。

肩に顔を埋めて泣いているフィンの背中を、優しく叩いて慰める透真。


「泣いていいから。全部吐き出しちゃいな」


「ゔぅうっ……」


フィンは、透真の服をぎゅっと掴んだ。


「ゔっ、うああああんっ」


透真の肩はしわくちゃになり、

黒い服がじわりと濃くなっていく。



「……っ」


——私が行っていたら、また間違えていた。

ズシンと、身体が鉛のように重たくなった気がした。



「……あ〜、

 あたし、しらなあい」


「……僕も」


重苦しい空気を破った、二人の幼い鳥人の声。

けれど、私はそちらを向く気も起きなくて、

ただ茫然と、目の前の光景を眺めていた。

——その時。



「こおれ!!お前たち!」



突如、地面を震わすような怒号が響き渡った。

私はその声にハッ!と体を揺らし、すぐさま空を見上げた。


「あー!じじいっ!! なあにすんのよお!」

「放せよっ……!」


「だーれが放すものかっ!

この悪ガキ共が!! わしの目を欺きよってからに!」


見上げた先には、幼い二人を両腕で鷲掴みにする老齢の鳥人。

両手が翼の二人とは違い、老人には人の手があり、背には大きなライトグレーの翼が生えている。


少女がキッと睨んだ。


「悪ガキって言うな! あたしには『フアナ』っていうすてきな名前が——」

「お前らだってわしを"じじい"と呼んでいるだろう!」


老人は後ろで結んでいるグレーの髪を振り乱し、鬼の形相で叫んだ。



「まずはお前らがわしを

 『ホーマンおじいちゃま』と呼ばんか!!」



クワッ!!と目を見開き、真剣な表情で訴える老人。


「…………」


峡谷に暫しの沈黙が訪れる。

一吹の冷たい風が、谷間を通り抜けていった。




「……ん? お前さんたちは、誰だ?」


ホーマンという老人は、地上にいる私たちに向かって問いかけた。


幼い二人が腕の中で「げろげろ〜」と渋い顔をしているが、ホーマンさんは一切気にしていない。


(何て、答えたらいいんだろう……)


「……」


どう話したら……と黙り込んでいると、ホーマンさんが怪訝そうに眉を顰めた。


「ん?……んん?」


そして、透真とフィンを凝視しながら唸り声をこぼすと、

視線を腕の中に戻した。


「……お前たち」


地を這うような低い声に、フアナちゃんたちがビクッ!と大きく体を震わした。

次の瞬間——



「まぁああた悪さしたんかぁあ——っ!!」


"したんかぁあ——っ!!"


峡谷の空に、天を裂くような怒号が響き渡った____。




***



「いやいや、すまんのぉ。見苦しいところを見せてしもうて」


ホッホッホ!


二人の首根っこを掴んで地上に降りて来たホーマンさんは、先ほどの鬼の形相も見る影もなく、朗らかな笑い声をこぼした。


「これっ! お前たちも謝らんかい!!」


ホーマンさんは二人をギロッと睨むと、首元を掴んだまま私たちの前に差し出した。


「「ぐえっ!」」

「カエルの鳴き真似なんかしとる場合か!! はよう謝らんか!」


「あの、首絞まっちゃいますって……」


透真が三人を見て、半分呆れた声で制止する。


「そうよお、おじいちゃま! かわいいかわいいフアナたちが苦しんでもいい訳〜?!」


「おじいちゃま、僕たちが悪いって決めつけて……ひどいよ」


二人は目をうるうるさせてホーマンさんを見上げる。

しかし、


「なあにが"おじいちゃま"じゃ! どう見たってお前らの悪戯のせいじゃろう!!」


「あの三人の顔にそう書いておるわい!こんの馬鹿たれ共!!」


ホーマンさんは再び鬼の形相で怒鳴り散らすと、二人から手を放し、



ゴツンッ!!!



「いったあーいっ!!」

「いってえーっ……!」


両側の銀の頭に、思いきり拳を振り下ろした。


「「〜っ!!」」

二人はあまりの痛みにしゃがみ込んで悶絶している。

ホーマンさんはそんな二人を「ふんっ!」と一瞥すると、私たちに向き直った。


「本当にすまんのお。

大方、あやつらがその幼子に意地悪でもしたってところじゃろう?」


透真の肩から少しだけ目を覗かせて、「ぐすっ。……くすんっ」としゃくり上げるフィンを見て、翼のような眉をハの字にする。


「おお……かわいそうに。可愛らしい瞳が真っ赤っかになっとるわい」

「……」


フィンはうさぎのように赤くなった瞳で、ホーマンさんをじっと見つめている。


「……じじいに名前を教えてくれるか?」


ホーマンさんはふっと目を細めて、優しく尋ねた。



「……フィン」


「ほう、フィンか! ホッホッ!

 ——良い響きじゃのう」



——ドクンッ



『ネナか。いい響きだ』

『君なら大丈夫だと信じているよ』


ドクンッ、ドクンッ


「……っ」


モリスさんの声が鮮明に、頭の中で鳴り響く。



私を信じてくれたのに、

私が——



「音凪?」


——ハッ

透真が、俯く私の顔を心配そうに覗き込む。


「……え?

 ……あ、ごめんね。 ちょっと、考え事してて……」


「ぼうっとしてた」


へらっと笑う私を見つめる透真。

その腕の中からは、いつの間にかフィンの姿はいなくなっていた。


視線を横に逸らすと、フィンはホーマンさんの腕に抱かれている。


「ホッホッ! 可愛らしいのお」


フィンをかわいがるホーマンさんの様子に、少女は眉を顰めて顔を逸らし、少年は冷ややかな目を向けた。


「うげー。気持ち悪いじじいねえ……」

「うっわ……鼻の下伸びてるよ」


「ホッホッ!」


「……」


無言で四人をただ眺めるだけの私に、透真はわずかに口を開く。


「っ、……」


しかし、それは音になることはなく、透真は一度開きかけた口をきゅっと結ぶと、そっと眉を下げて静かに微笑んだ。


「……ホーマンさんが、お詫びに集落へ招待してくれるって。

 どうする?」


優しい声色と表情で、私の意思を確認してくれる透真。

そんな透真の態度になぜだか、少しだけ、目の奥が熱を帯びた。


「せっかくだから、

  ……いってみよう」


私はその熱を隠すように、透真から顔を逸らした。


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