第八話:残された温もり(前)
「ん…」
目に染み込んできた光の眩しさに、そっと目を開く。
光の出所を見ると、空いた窓から日が差し込み、
カーテンが風に靡いてゆらゆらと揺れていた。
「音凪」
ここはどこだろう。
窓を見つめながらそんな事を考えていると、私の名を呼ぶ声がした。
「透真……」
声がした方を向くと、
私が横になっているベッド脇に置かれた椅子に座る、透真の姿があった。
ふっと、胸の奥が緩んだ。
「おはよう」
透真は優しい笑みを浮かべている。
だけど、眉はわずかに下がり、どこか不安気な表情をしていた。
(思い出した。 私……)
どうして自分は寝ていて、それを透真が見守っていたのか。
「っ……」
気づけば俯き、口元をきゅっと固く結んでいた。
先ほど体験した壮絶な出来事を思い出して、
今更、恐怖が押し寄せてくる。
耳を劈くような轟音。
体を吹き飛ばしてしまいそうな爆風。
抉られていた——大地。
何かひとつでも行動を間違えれば、
私たちは死んでいた。
想像だけではない。
実際に目の当たりにした死の淵に、体が小刻みに震えはじめた。そのとき。
——すっ。
「!」
右手に訪れた温もり。
私はそっと顔を上げて、横に座る透真の顔を見つめた。
「——」
透真は何も言わず、ただ私を見つめている。
その瞳は先ほどと変わらず、不安げに揺れていた。
「……」
強張っていた体から、フッと力が抜けていく。
行動しなければ、失っていた。
恐怖に負けてしまえば、信じることができなかった。
私は——
守ることができた。
右手から伝わる、守りたかった温もり。
全身があたたかく満たされるようだった。
自然と、頬がほどけた。
「ごめんね、透真。 心配……かけちゃったね」
悲し気に微笑む透真の頬を、左手で撫でた。
透真は一瞬口を開きかけたけど、それを音にすることはなく、
代わりに小さく笑った。
私は横を向こうと、右側に体重をかけようとした。けれど——
「……?」
ふと、違和感を感じて、動きを止めた。
痛めたはずの右肩が、
まったく痛くない。
(どうして……?)
私が左手を透真の頬から自分の右肩に移すと、見かねた透真が静かに口を開いた。
「エーリオさんが治してくれたんだ」
エーリオさんが……?
私の目にかかる前髪を、指でそっと避けながら話す透真。
その言葉に一瞬首を傾げて、はっとする。
(この香り……)
ほのかに鼻をくすぐる、甘い香り。
これは教会の待合室にそよいできた、金木犀のような花と香りと同じ。
きっとここは、教会の中にある一室なのだろう。
「エーリオさんにお礼、言わないと」
そう言って体を起こそうとした瞬間、透真がすぐに反応した。
指先が私の肩に触れ、
そのままやさしく、ベッドへと戻された。
「音凪さん、今日は一日安静にしてよう」
「えっ?でも……」
そこまで言いかけて、ぴたっと口を閉じた。
私をじっと見つめる、焦茶の瞳。
「……うん」
有無を言わさない透真の様子に、私は大人しく枕に頭を預けた。
***
しばらく透真と他愛もない会話をしていると、
"コン、コン、コン"と、扉をノックする音がした。
「おや?ネナさん、目を覚まされたのですね」
開かれた扉の先から現れたのはエーリオさん。
「エーリオさん」
体を起こそうとすると、再び透真にそっと押し戻された。
「すみません……」
「ふふ。構いませんよ。 安静第一です」
白い司祭服をひらりと揺らして、ベッドにゆっくりと歩み寄りながら微笑む。
昨日、"無理をしてはいけない"と言われたばかりで、さっそく無理をした。
後ろめたい気持ちに胸が騒めき、喉が焼け付くように乾く。
私は堪らず、口を開いた。
「エーリオさん、ごめんなさい…。私……」
忠告を無視して、迷惑かけて申し訳ないと。
そう続けるつもりだった。けれど、
どくん。
胸の奥で、ひとつ音が鳴った。
(でも、私は)
「後悔——してないです」
気づけば、そう伝えていた。
申し訳ない気持ちは、ある。
それでも私は、私のしたことに一切の後悔もしていない。
……ううん、したくない。
きっと、何度あの場面に戻っても、同じように行動する。
私はエーリオさんの目を、揺らぐことなくまっすぐ見つめた。
サァア…と風が空気を撫でる音だけが響く。
エーリオさんは私の目をじっと見つめて、
——ふわっ
目を細め、柔らかな笑みを浮かべた。
「ネナさん。……神は、あなたを試されたようですね」
エーリオさんの口から発せられた予想外の言葉に、きょとんとする。
(……ためされた?)
どういう意味だろう……。
混乱する私を他所に、エーリオさんは真面目な面持ちで続けた。
「透真さんから状況は伺いました。
……確かに、自分を大切にされない無謀さは褒められたものではありません」
耳の痛い言葉に、しゅんと肩を落とす。
「しかし……」
エーリオさんはそこで止めると、
滑らかな足取りで、透真と反対側のベッド脇に歩み寄ってきた。
そのまま——
__スッ。
床に、
膝をついた。
呼吸を忘れる。
(……えっ?)
一拍。私は目を丸くした。
エーリオさんはそんな私の顔を覗き込んで笑って、そして——
「私は、あなたを尊敬しますよ。ネナさん」
「ラウハの町を守って下さり、ありがとうございます」
私の手を両手でそっと包み、ぎゅっと握りしめた。
「っ」
握られた手が熱い。
胸を焦がすような熱が、込み上げてくる。
諦めないでよかった。
困難な状況でも、抗い続けてよかった。
苦しみも痛みも——たしかに、報われた。
私はふっと、透真の方を振り向いた。
ぴくっ
透真は一瞬驚いて、わずかに目を見開いた。
だけどすぐにスッと目を細めて、微笑んだ。
(やっぱり、私は後悔しない)
私はゆっくりと、エーリオさんに視線を戻した。
この温かい人を、
この町を、守れたこと。
フィンと透真を守れた自分を誇りに思う。
「——」
私は言葉にしきれない想いの代わりに、
笑った——
***
「すいませんっしたあああ!!」
部屋に響く、ある男性の謝罪。
勢いよく腰を深く折って頭を下げた彼は、その身を起こすと私と透真を見て「ひぃいい」と声を上げた。
どうしてだろう。すごく怯えている。
(私、怖い顔してたかな……?)
「すいませんっ!すいませんっ!」
ぺこぺこ謝る彼に、私はどうしたらいいのか戸惑っていた。
彼はラウハの町の南門の監視塔を担当している、コルロという名前の青年。
——ミサイルバードに向かって発砲したのは、彼だった。
「嬢ちゃん、本当に申し訳ない」
必死に頭を上下に振るコルロさんの横。
一緒に頭を深々と下げるのは、
この町の警備員をまとめるハドソンさんという方だ。
二人がここを訪れる少し前、
透真とエーリオさんから事前に事のあらましは聞いていた。
通常、ミサイルバードの対策はネットランチャーで生きたまま捕獲して、
鳥の目指す方角の門の先で放鳥するらしい。
しかし、今日初めて監視塔の任についた彼は、いきなりの大役による緊張のあまり、
ネットランチャーと銃を見間違って発砲してしまったのだとか……。
コルロさんの気持ちも分かるだけに、
私は複雑な心境だった。
「嬢ちゃんたちには何と言って詫びればいいか……」
ハドソンさんは一見、厳しそうな顔つきを、本当に申し訳なさそうに歪めている。
(何て声を、かけたらいいんだろう……)
私が言葉に詰まっていると、
ハドソンさんは考え込むように瞳を閉じた。
そして、わずかな沈黙のあと、
ゆっくりと瞼を開いた。
「今後、二度とこんなことが起きないように、指導の見直しと見間違い対策を徹底する」
「監視塔以外の、他の事についても」
「本当にすまなかった」と再び頭を下げるハドソンさん。
コルロさんもハドソンさんにならって、激しく上下していた頭をビシッと深く下げた。
頭を下げる二人に、この場がしーんと静まり返る。
「音凪、どうしたい?」
透真は満面の笑みで「必要なら……」と、握った拳を胸の辺りまで上げた。
私は、透真が本気で殴るつもりはないと分かっていた。
だけど、コルロさんは透真が本気だと思って怯えている。
(中学生のときなら、本気だったかもしれないけど……)
私は小さく首を振った。
そしてそっと透真の拳に手を重ねて、下ろしてもらう。
「お二人とも、顔を上げてください」
私の言葉にハドソンさんは静かに、コルロさんはおずおずと顔を上げた。
そんな二人をまっすぐ見つめる。
確かに、あの時は怖かった。
死ぬかもしれない、大切なものを失うかもしれない、と。
それでも——
緊張した様子で私の言葉を待つ二人に、
私はふわっと笑った。
「これからも、この町を守り続けて下さい」
——私は、この町を信じてみたい。
責任を果たそうと、
誠実であろうと。
守り続けるために諦めない彼らを、信じたい。
ハドソンさんが、わずかに口を開いた。
コルロさんは大きく目を見開いて——
「っ」
次の瞬間、
その瞳が揺れて、ぶわっと涙が溢れ出した。
「はいっ……はい!」
コルロさんは目をぎゅっと瞑って、
私の言葉を頭のなかで繰り返すように、
大きく二回頷いた。
「っ……ありがとう」
一度言葉を詰まらせて、声を絞り出したハドソンさんは、
顔をくしゃっとさせながら、深々と腰を折った。
——ばたばたばた!
ふと、遠くから走る音が聞こえてくる。
その音は次第に近づき、この部屋の前でピタッと止んだ。
こん、こん、こん。
扉の向こうにいる人物は、様子を窺うようにゆっくりと扉をノックした。
(誰だろう……?)
少しの間のあと、向こう側の人物はガチャ……と、扉の取っ手を引っ張った。
ぐぐぐっと、扉は重々しく開いていく。
開いた扉からは——誰もいない?
横に座る透真や、扉の前に立つハドソンさんたちの隙間から覗くが、
そこにいるはずの人が見えない。
一体どういうことだろうと首を傾げていると、
私の目線より低い“なにか”が動いた。
パタパタという音とともに、
アイボリーのふわふわとした髪が、視界に飛び込んで——
ぽふんっ。
透真とベッドの隙間に潜り込んだフィンが、
私の体に抱きつくようにして、布団に顔を埋めた。
「フィン?」
「……」
顔を埋めたまま何も話さないフィンに、私は体調でも悪いのかと不安になる。
「どこか痛いの? フィン」
私はふわふわの頭を撫でながら尋ねた。
すると——
ガバッ!
フィンは勢いよく身を起こして、私を見つめた。
——息が、止まった。
私を見つめるフィンの顔は、
涙と鼻水で、ぐちゃぐちゃに濡れていた。
垂れ眉をこれでもかというほど下げて、
口は弓なりに開きヒクヒクとしている。
「——いたいのはっ……ネナぁああ!!」
そう叫んだフィンは堰を切ったように
「うわあああん!!!」と泣き始める。
そんなフィンの悲痛な叫びと姿に、
心臓がギュッと鷲掴みされたような苦しさが襲ってくる。
「フィンっ!」
小さな手で必死にしがみつくフィンを、
私はぎゅっと抱きしめた。
「心配かけて、ごめんね……!」
扉の方からは、人の足音がまた聞こえてくる。
だけど、私はその音には振り向かなかった。
「うわあああん!!」と泣くフィンの声ごと受け止めて、
しばらくの間、その小さな体を抱きしめていた。
***
「あの子はうっちゃダメなんだよっ!!わかった?!」
「うん。フィンごめんな…」
「ごめんなさいでしょ!!」
「……」
「ごめんなさい……」
しばらく私にしがみついて泣いていたフィンは突如顔を上げると、
入り口近くに立っていたコルロさんの前に立ち、「すわって!!」と床を指差した。
コルロさんはフィンの鬼の形相と勢いに圧倒され、一瞬呆けた後、慌てて正座をした。
そして、今に至る。
「モリスさんの孫としての風格が出てるねぇ」
フィンの後を追いかけてこの部屋にやってきたラミアさんが、感心するように呟いた。
その横で、デミドアさんも誇らしげに頷いている。
お昼の時間だけお店を開いて、フィンを連れてきてくれた二人。
そんな二人に感謝を伝えると、
「みんな無事で良かったよ」と、ラミアさんが明るく笑った。
「それにしてもモリスさんはほんとにすごいねぇ。人ひとり分の加護で町全体を守っちまうんだから」
「そうですね……」
ラミアさんの言葉に、苦笑いで頷く。
……そう。公には、
"モリスさんの加護を受けた私が爆心地にいた事で、町が守られた"
ということになっているのだ。
そして、
衝撃を間近で受けた私はその圧に耐えきれず、転倒して気絶した、
ということになっている。
こんなところでもモリスさんのお世話になって、
しかも、そのお世話になっている人を隠れ蓑にしてしまったんだから、本当に頭が上がらない。
私は複雑な気持ちに、ただ苦笑いを浮かび続けるしかなかった。
ふ、と。
「……」
ひっそりと私を見つめる目。
フィンに怒られながら正座をしているコルロさんが、目線だけを上にあげて私を見ていた。
その瞳には戸惑いが滲んでいて、
彼が真実を知っていることを示すのには十分だった。
私は苦笑いを浮かべたまま、人差し指をそっと口元に添えた。
(……ないしょですよ?)
「っ」
コルロさんは顔を真っ赤にした。
だけど、次の瞬間。
ビクゥッ!
私から視線を横にずらして一変。
顔を真っ青にして、そのまま視線をフィンの足元に向かって逸らした。
(……透真?)
透真を見てコルロさんが顔を青くした気がして、私はちらっと透真を見る。
その横顔は特に変わった様子もなく、
透真は私の視線に気づくと、にこっと笑顔を浮かべた。
(……気のせいみたい)
もしかしたら、上司のハドソンさんにも言えないということに、具合が悪くなったのかもしれない。
少しだけ、申し訳ないなぁ、
なんて思っていると、
パンッ。
ラミアさんが、
ひとつ、大きく手を叩いた。
「さて、フィン。そろそろお店に戻るよ。 ネナを休ませてあげよう」
ラミアさんがそう言うと、フィンは「う〜」と不満気に声を漏らす。
「っ……」
だけど、フィンはそれ以上の不満の言葉は飲み込んで、
しょぼしょぼしながら私の元に再びやってきた。
「ネナ……ちゃんと休んでね」
私の手を握りながらお願いするフィンに、
「うん。約束するね」と微笑んだ。
その言葉にフィンはパッと頬を緩めて、私にぎゅーっと抱きついた。
私の手が小さな背中にそっと触れると、
フィンは満足気に笑ってその身を離し、
パタパタと扉の方に向かった。
「おじちゃんたちも、かえろっ」
フィンはコルロさんとハドソンさんの手を引き部屋を出る。
二人が慌ててこちらに頭を下げると、すぐに三人の姿は部屋の外へと消えていった。
ラミアさんも「じゃあネナ。ゆっくり休むんだよ」と私に声を掛けて、三人の後を追うよう部屋を出ていった。
突如訪れた静けさに、少しの寂しさを感じる。
だけど同時に、
なんてことのない時間の余韻に、自然と口元はほどけていた。
「ネナ」
一人残っていたデミドアさんが呼ぶ。
「デミドアさん、どうかされたんですか?」
何か話したいことがあるのかなと、デミドアさんの言葉を待っていると、「…ん」と目の前にある物を差し出した。
私の——傘。
「あ…」
てっきり、透真が預かってくれているんだと思っていたけど、デミドアさんが預かってくれていたんだ……。
私はその傘を、デミドアさんから受け取った。
「…ありがとう、ございます」
小さく呟いて、手元に戻ってきた傘をぎゅっと抱きしめる。
置いていってごめんね。
力を貸してくれて——ありがとう。
傘を大事に抱きしめる私を見て、デミドアさんがフッと口角を上げた。
「…ありがとう」
デミドアさんは私の頭をくしゃっと撫でると、そのまま、部屋の外へと歩いていった。
「デミドアさんも、気づいているようですね」
デミドアさんが去っていった扉の方を呆然と眺めていると、
反対側……窓の側に立つエーリオさんの呟く声が聞こえた。
私はエーリオさんが立つ窓際を振り向く。
エーリオさんは扉に向けていた瞳をゆっくりと私に移して、穏やかに微笑んだ。
「誰がこの町を——守ったのかを」
窓から吹き込む、柔らかな風。
風はエーリオさんの司祭服と髪を揺らし、私の頬をくすぐっている。
私は差し込む光に目を細め、
——長かった一日が、終わる。
そよぐ髪を耳にかけながら、沈んでいく西日を眺めた____。




