表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雨上がりの空で、傘をさす。  作者: つな△まよ
一章:目覚めの森
1/7

第一話:さようならとはじめまして


直前の記憶は、

幼馴染が叫びながら駆け寄る姿。

そして、赤く染まる___。


(嘘……)


目の前に広がる緑。

たぶんここは、森の中。


生い茂る木々に、地面を覆い隠す草花。空気は冷たく澄んでいる。

雨予報でどんよりしていたはずの空は雲ひとつなく、

木々の隙間からは、僅かに太陽の光が差し込んでいた。


黄金に輝くその光は私を歓迎しているようにも見える。……けれど。


私はゆっくりと周囲を見回した。


人の気配はなく、鳥のさえずりや虫の声も聞こえない。

不気味なくらいに静かな森。


周りの植物はどれも、見覚えのない不思議な姿をしている。

神秘的なのに、今の私には背筋が凍るほど不気味な森に思えた。


(さっきまで、街の中にいたはずなのに…)

(これは夢?

それとも……死んじゃったの?)


気づけば森に一人きり。

受け入れがたい状況に、思わず頬をつねった。


「……痛い」


その痛みが、否応なく現実を突き付けてくる。

夢でもなければ、死んだわけでもないらしい。

それなら、どうして——?


湿った草木の匂い。

ひんやりとした森の空気。

手に持つ傘の柄の感触。


どれもが、あまりにもはっきりとしている。


「…!」


ひとつずつ状況を整理していくうちに、ふとある可能性が頭を過った。


(まさか——異世界に、来ちゃったの?)


「そんな……本当に?」


心臓の鼓動が速くなっていく。

額から冷や汗がつうっと伝い落ちた。


異世界が舞台の物語について、

何年か前に聞いたことがある。

『ここ数年、流行ってるらしい』——そんなふうに。


事故に巻き込まれて違う世界に来てしまう——そんな導入は定番のようだった。

まるで、今の私みたいに。


(…前向きに、考えよう)


知識が全くないよりは、良かったのかもしれない。

ある程度のことには、きっと対応できるはず。

私は自分を落ち着かせるために、そう言い聞かせた。


(……あれ、待って)


当時聞いていた話を思い返す。

私の姿は、元の世界にいたときの姿のまま。


白い七分袖のカットソーに青のスキニーデニム。

ロングボブの髪は、生まれつきのアッシュブラウンそのまま。


(……ということは……)


これは

"転生"ではなく——"転移"。

けれど。


「……」


まぶたの裏に焼きついた色。

私がここに来る直前に見たのは、血で赤く染まっていくアスファルトだった。


どこか怪我をしているのかもと、体を確かめる。

だけど、怪我どころか服に汚れすらない。


(転移のときに、怪我が回復することもあるの?

それとも、私以外の誰かの……?)


あれは、誰の血——?


直前の光景が蘇る。

必死に私へ駆け寄ってきた幼馴染の姿。


嫌な予感がして、血の気が引いていく。


(まさか……そんな……)


私の血ではないとしたら、他に血を流した人がいるということ。

あの場で近くにいたのは、幼馴染だけだった。


震え出した手を、胸の前でぎゅっと握る。

息も浅くなって、胸が苦しい。


「……っ」


私は固く目をつむって、

そして、ゆっくりと深呼吸をした。


(……おちついて)


パニックになりかけた思考を整え、少しずつ冷静さを取り戻していく。

さっきの状況を細かく思い返した。


私はあの時、地面に倒れ込んでいた。

アスファルトと言ったって、土埃くらいはつく……はず。

むしろ倒れた衝撃で、服が傷む方が自然。


——それなのに、やっぱり汚れひとつない。


「……離れていたはず。きっと大丈夫。……大丈夫」


非現実的な状況にネガティブになっているだけ。

自分の考えすぎだと言い聞かせるように呟いて、深呼吸で心を落ち着かせる。


死んではいなくても、きっと何かしらの衝撃はあったのだろう。

……たぶん。


(とにかく、今は安全な場所に移動しないと)


でも、どこに行けばいいかも分からない。

なんとなく、木々の隙間から見える太陽の方向へ歩き出そうとしたその瞬間——


パキッ。


小枝の折れる音に、心臓が跳ね上がった。

——私じゃない。まだ動いていないのに。


静まり返った森に、不自然な音が響く。

たまたま? 気のせい?

それとも、近くに“何か”が——。


最悪の想像が頭をよぎり、全身が震えだした。

立っているだけで精一杯。足が地面に張りついたように動かない。


(どうか……何もいませんように)


祈るような気持ちで、恐る恐る音のした方へ視線を向けた。

心臓の鼓動が速くなっていく——


(あ……)


そこには、何もいなかった。

見えるのは、ただ木々が生い茂るだけの風景。

僅かに吹く風に、葉がゆらゆらと揺れている。


(よ、よかっ——)


「ねえ」


「っいやぁあっ!!!」


横から突然聞こえた声に、限界まで張りつめていた恐怖が弾けた。

私は叫びながらしゃがみ込み、震える体を抱きしめる。


(っ……! どうしたら、いいの……?)


「……やめて……っ」


喉が震えて、声が掠れる。


(こないで)


声にならない願いに、瞼をぎゅっと閉じた。

怖くて、顔を上げることすらできない。


(怖いっ、助けて……っ

助けて ——!)


「わ、わっ!だ、だいじょーぶ!

ぼく、何もしないよ」


(……えっ?)


聞こえてきたのは、子どもの声。


「だいじょうぶ。 だいじょうぶだよ」


幼い声の響きに、張りつめていた体の力がふっと抜ける。

恐る恐る、俯いていた顔を上げた。


——五歳くらい、だろうか。

私に合わせてしゃがみ込み、心配そうに覗き込む男の子。


丸い瞳は優しい萌木色をしていて、眉はハの字に下がっている。

マフラーのように巻いたタオルを指先で触る仕草が、妙に愛らしい。

癖のあるアイボリーの髪はふわふわで、つい手を伸ばしたくなるほど柔らかそう。


そして、その髪の隙間からは、くるんとした小さな角がちょこんとのぞいていた。


(羊……?)


自分を襲うと思っていた相手が、あまりにも小さな子で拍子抜けしてしまう。

けれどすぐに、ハッと我に返った。


「ご、ごめんね。びっくりしちゃって……」


「ぼくも、びっくりさせて ごめんなさい」


落ち着きを取り戻した私を見て、男の子は安心したように笑った。


「ぼくはねっ、ここの森を管理してるヒツジ族のフィン。フィンってよんでね!


——おねぇちゃんは?」


首を傾げる"フィン"。

私は、少しだけ微笑んで答えた。


「私は——音凪ねなっていうの」

「ネナ?」


「ネナ! よろしくねっ」

そう言って笑うフィンの眉は、やっぱりハの字だった。


「ネナは、異世界からきたの?」


その言葉に、息をのむ。

どうしてこの子が“異世界”のことを——?


私の顔に出たのだろう。

フィンは慌てて手を横に振り、「ちがうの」と続けた。


「あのねっ、ぼくのお家はむかしから、異世界のひとをあんないするの」

「案内?」


話を聞くにつれて、この森が“異世界人が迷い込む場所”だと少しずつ分かってきた。

そしてフィンたちの家系は、そんな人たちを保護し、

この世界で生きていくために必要なことを教えてきたという。


「ここはね、かみさまのとくべつなんだって。

 うーんと……。

だから、連れてきちゃうのかも」


(……どうしよう)


異世界に理解がある人に出会えたのは、不幸中の幸い。

それでも、こんな状況にならなければ——と思わずにはいられなかった。


(でも……もしそうなら、もしかして)


私は小さく息をのんだ。


「あの……こっちの世界の人が、他の世界に行っちゃうこともあるの?」


もしかしたら、この森にいれば帰れるかもしれない。

ほんの僅かな希望が、胸の奥で灯る。


「ううん」

フィンが首を横に振った。

その一言で、淡い希望はすぐに打ち砕かれた。


「もう——もどれないよ」


"戻れない"


その言葉を理解するまで、心の中で何度も繰り返す。


(戻れない……戻れない?)

(戻れないって、

 もう会えないって……こと?)


——音凪!


脳裏に、笑顔の幼馴染が浮かぶ。

十九年、ずっと一緒に過ごしてきた。

これからも、歳をとっても一緒だと思っていた。


でも、「戻れない」ということは、それがもう叶わないということ。


ようやく、"戻れない"の言葉を理解すると、

気づけば、再び涙で視界が滲み始めた。


(そっ…かぁ……そう、だよね。

異世界転移して、元の世界に戻れることなんて、

……そうそう、ないよね)


「っ……うぅっ……」


一粒涙が零れた途端、堰を切ったように二粒、三粒と止めどなく溢れ出す。


涙を流す私にフィンはハッと目を開いた。

その顔は"やってしまった…!"と言わんばかりで慌てている。


「ごめんねっ…ごめんなさい…!」


フィンは戸惑いながらも謝る。

やがて、少し躊躇しながら、その小さな腕をそっと私に伸ばす。


ぎゅっ——


小さな体で私を抱きしめ、何度も「ごめんなさい」と繰り返す。


「悪いのはフィンじゃない」

そう言いたいのに、嗚咽しか出てこない。


静かな森に、私の嗚咽とフィンの謝る声だけが、しばらく響いた。


***


「ぼくのお家にあんないするね」


泣き疲れた私の手を、フィンが優しく引いた。

十分ほど歩くと、少し開けた場所に出る。


目の前には小さな畑と、こじんまりした二階建ての可愛らしい小屋が、ぽつりと佇んでいた。


「ここにはね、ぼくとおじいちゃんとお兄ちゃんの三人で暮らしているの」


「ちゃ〜んと、お客さまのおへやもあるよ!」


フィンはニコニコしながらそう言った。


「おじいちゃん、ただいま〜!」


シンプルな木のドアを開け、フィンは奥にあるロッキングチェアへぱたぱたと駆け寄る。

私は少しだけ迷って、握っていた傘をそっと玄関先に立てかけた。

そのまま、家の中へと入っていく。


「おかえり」


ロッキングチェアに腰かけているおじいさんは、孫の帰宅に気づき優しく微笑む。


フィンはおじいさんの足元で膝をつくと、おじいさんの膝に頬を押し当てて甘え始めた。

おじいさんはそんなフィンの頭を、皺だらけの大きな手で一撫で、二撫で——

しばらくして、孫を慈しむ優しげな灰色の瞳は、ゆっくりとこちらに注がれた。


「いらっしゃい」


目尻とほうれい線には、深い皺が刻まれている。

その容姿から、温厚で優しい人なんだろうなと思った。


そんなことを考えながら、おじいさんの言葉に

「お邪魔します」

そう返そうとしたとき、


「ここではもう、心配はいらないよ」


その一言に、体がぴたっと硬直する。


"ここではもう、心配はいらない"____?


(どういう……)


その言葉の意味を考え、ハッとした。

フィンのおじいさんは知っている。

私が異世界から来たということを。


私はおじいさんを静かに見つめた。


目の前の老人は、何でもないことのように——まるで孫の友だちを迎えるかのように、ただ穏やかに微笑んでいる。


おじいさんは再びフィンに顔を向けると、フィンの頭を撫でながら尋ねた。


「フィン、今日はおやつを作ろうか。何がいい?」


その言葉に、フィンは萌木色の丸い大きな瞳をキラキラとさせた。


「わーい!おやつっ!

えっとね、えっとね! ぼく、クッキーがいい!」


「そうか、それじゃあ一緒に焼こうか」


「やったあ〜!」


「クッキークッキー♪」と小躍りするフィン。


「ふふ」


二人のやり取りに、気づけば笑みが溢れた。

胸の奥の緊張が、少しずつ溶け始めていくのを感じる。


おじいさんの視線が、また私に向かった。


「こちらへおいで」

手招くおじいさんに、私はゆっくりと近づく。


「君の名前は?」


落ち着いた低い声に、無意識に姿勢を正した。

穏やかな灰色の瞳はじっと私を見つめている。

その瞳に威圧感はないものの、真剣な眼差しに、再び少しの緊張が走る。


「音凪、といいます…」


「ネナ……」

おじいさんは私の名前を、一人確かめるように呟いた。そして、


「ネナか。 いい響きだ」


笑顔でそう言った。

私はその言葉と表情に、ほっと胸を撫で下ろす。


「ありがとうございます」


私はいくらか緊張が解けて、自然と笑顔を浮かべていた。


「いきなり見知らぬ土地に連れられて怖かったろう。

——安心しなさい。ここは安全だから」


おじいさんは私を安心させるためにそう言うと、


「さて、フィン。さっそくクッキーを焼こうじゃないか」

小躍りしているフィンに声をかける。


そして、傍に立て掛けてあった杖を手に取り、ゆっくりと立ち上がった。


「ネナも一緒にどうだね?」


「ネナ!一緒に作ろう」


台所に向かう二人の様子をぼんやり眺めていると、そう声を掛けられた。

私の返事を、笑顔で待つ二人。


(……不安でいっぱいだけど、

 ここは——危険な場所じゃない)


「うんっ」


私はそう答えて、二人の元に小走りで駆け寄った。


外の日差しが小屋の中を温かく包み込む。

時折聞こえる音は、確かに人が暮らしているのだと、安らぎを与えてくれる。


突然の異世界で出会った、優しい二人。

そんな二人と、異世界でも変わらない人の暮らしに、

私はようやく、心の底から息がつけた気がした。


第一話

目覚めの森-さようならとはじめまして- 完

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ