#12 魔王
「エサは、あげすぎちゃダメだよ」
日焼けした研究者――カイさんは、オルカヌーの背を撫でながら言った。
「彼らは自分で獲れる。むしろ、甘やかすと動きが鈍くなる。湖の子もそうだったろ?」
「……確かに。気まぐれで来るし、乗せてくれるし……でも、世話ってそういうことじゃないんですね」
「そう。人間が“やってあげる”んじゃなくて、“見守る”んだ」
ミネスは頷いた。
カイさんの言葉は、どこか湖の風に似ていた。
「体調のチェックは、背びれの動きと尾の反応。魔力の流れが乱れてると、尾が重くなる。あと、目が濁るときは要注意」
「なるほど……」
「やっちゃいけないのは、無理に乗ろうとすること。彼らが乗せる気じゃないときは、絶対に拒む。無理に乗ると、湖でも海でも、振り落とされる」
「それは……経験あります」
「だろうな」
カイさんは笑った。
「スキンシップは、背びれの根元を軽く撫でると喜ぶ。尾の先を触るのは嫌がるから注意な」
「……背びれの根元、ですね。キューって鳴くの、あれ好きなんです」
「それなら、もう仲間だよ」
三日間、ミネスは港町の海辺でオルカヌーの世話を学んだ。
やることは多くない。けれど、知っているのと知らないのでは、距離がまるで違う。
夜は研究者たちと食事を共にした。
海の幸を囲みながら、魔法生物の話、湖の話、レースの話――話題は尽きなかった。
「ミネス、君の話は面白いな」
「いや、カイさんのフィールドワークの話の方が冒険譚みたいですよ」
笑い声が、潮風に溶けていった。
帰る日の朝。
ミネスは海辺に立っていた。
目印の浮きが並び、オルカヌーが水面に揃っている。
正規のレースとは違って色は適当だし、六体より多い八体でインコース四体、アウトコース四体に分かれてミネスを含めた八人の騎手が、それぞれの背に乗る。
「魔法障壁もない、観客席もない。あるのは、海と風と、浮きだけ」
ミネスは大外枠に位置取った。
内側は初心者に譲る。けれど――
「……スタート!」
水面が震えた。
ミネスの青が、完璧なタイミングで加速する。
第一ターン。
外から巻いて、膨らまずに切り込む。
加速。第二ターン。
水を裂くように、青が走る。
「速っ……!」
他の騎手が驚く間に、ミネスはすでに最終直線へ。
そのまま、大逃げでゴール。
「……え?」
誰もが呆然とする中、ミネスは振り返った。
そこには、目を輝かせた騎手たちの顔があった。
(心底、楽しかった。次は……勝つ!)
そんな声が、風に乗って聞こえてくるようだった。
ミネスは思わず、獰猛に笑った。
「いいね。次は……もっと速くなるよ」
その笑顔があまりに鋭く、あまりに楽しそうだったので――
「魔王だ……」
「魔王が海に現れた……」
「笑い方が魔王……!」
港町の人々は、ざわざわと囁き始めた。
「えっ、僕そんなつもりじゃ……」
「魔王、また来てくれよ!」
「魔王、次は負けないからな!」
「……うん、ありがとう?」
斯くして、ミネスは何事もなく湖の町に帰ってきた。
荷物を降ろし、青の背に手を添える。
「ただいま」
湖は静かに揺れていた。
(海、また行きたいな。湖とは違う風だった。広くて、塩っぽくて、でも……気持ちよかった)
ミネスは、空を見上げた。
(次は、湖の仲間を連れて行こう。海で、もう一度――走りたい)
風が、湖面を優しく撫でた。




