#8 領地対抗レース・後編
水面を切り裂くように、後方から迫る一艇――
6枠・緑のオルカヌーが、静かに、しかし確実に加速していた。
「緑の騎手が動いた!? 後方から一気に加速しています!」
実況の声が震える。
観客席がざわめく。敵騎手たちが顔をしかめる。
ミネスは、視界の端にその姿を捉えた。
ハニーブロンドの髪が風に舞い、緑のオルカヌーの背に、静かに座る少女――ナディア。
「えっ……ナディア……!?」
驚きで息を呑む。
彼女は確かに参戦していた。だが、スタート展示でも周回展示でも、目立つ動きはなかった。
まるで、ただ湖を漂っているだけのように。
(いつの間に……こんな位置に……?)
他の騎手が派手に動く中、ナディアは冷静にコースを見極め、最短距離でターンを決めていた。その動きは、まるで湖と一体化しているかのようだった。
「風と一体になったような……まさか……! 波を裂いている!?」
ミネスの目が釘付けになる。
罠の魔力干渉が効かない。水流の乱れも、彼女には届かない。
(罠の外側を……完璧に読んでる……!)
第3ターンマーク。
白が逃げる。黒と赤が競り合う。黄が内を塞ぐ。緑が押し返される。
ナディアは、外から一気に巻いた。
水面を裂くような加速。だが、その動きは荒々しくない。
穏やかで、華麗で、そして――容赦がない。
「ナディアが来た! 赤を抜いた! 黒を抜いた! 黄をかわした! 白に並んだ!」
敵騎手たちが焦る。
魔導ギルドの騎手が、無理な妨害を仕掛ける。
魔力の波をぶつけ、進路を塞ごうとする。
だが――
ナディアは、風で舞いあがるように、それを軽くかわした。
水面を滑るように、妨害の波を抜け、最後の直線へ。
(魔法で妨害? そんなもの……)
ナディアの表情は変わらない。
魔法は貴族の嗜み。彼女にとって、魔力の流れを読むことも、干渉をいなすことも、日常の礼儀作法のようなものだった。
しかし、
「競技中に魔法を使うなんて、品がありませんわね」
その声は聞こえないはずなのに、敵騎手たちはなぜか背筋を凍らせる。
「ナディア、最後の直線! 白と並んだ! いや、抜いた! 抜いたぁぁぁ!!」
ゴールライン。
緑のオルカヌーが、一番に駆け抜ける。
「勝者は緑! ナディアと緑のオルカヌーが、快進撃で王者に輝きましたァァァ!!」
湖畔が歓声に包まれる。
観客がどよめき、実況が叫び、敵騎手たちは言葉を失う。
ミネスも、ただ呆然とその背を見つめていた。
ナディアは、静かに振り返り、微笑んだ。
「競艇とは、こういうものですわ。そうでしょう?」
その声は、風のように穏やかで、波のように揺るぎなかった。
湖畔では勝者を讃える音楽と歓声が響いていた。
屋台の灯りが揺れ、魔導楽団の演奏が空気を震わせる。
だが、その華やかさから少し離れた、静かな木陰の一角――
敗れた騎手たちが、顔をしかめて集まっていた。
「くそっ……あんな走り、聞いてないぞ……!」
「罠は完璧だったはずだ……なんで効かなかった……!」
悔しさを滲ませる彼らの前に、貴族風の男が現れる。
金刺繍のローブを纏い、冷たい目で騎手たちを見下ろす。
「……お前らは、もう用済みだ」
その言葉に、騎手たちは顔を上げる。
「待ってください! もう一度チャンスを……!」
「次は必ず……!」
「次などない。妨害しても勝てないような無能に、何を期待しろというのだ」
言い合いが続く中、背後から、皮肉気な声が響いた。
「騒がしいな。負け犬の遠吠えはよく響く」
騎手たちが振り返ると、そこには一人の青年が立っていた。
外套に身を包み、顔が影になってよく見えない。
「妨害しても勝てないなんて、能無しにも程がある。邪魔だよ、お前ら」
その口調は軽く、だが言葉の端々に冷たい刃が潜んでいた。
騎手たちが言葉を失う中、青年はゆっくりと顔を上げる。
「俺なら、勝てる。」
その瞳が金色に、ギラリと光った。
次回は間話になります。




