#5 仕組まれた勝負
白のオルカヌーは、今日も完璧に従順だった。
騎手の指示に一切の迷いなく反応し、まるで意志を持たないかのように動く。
……いや、違う。これは、従順というより「支配」と言うべきか。
昨日の違和感が、今日になっても消えなかった。
僕は資料を見直しながら、白の動きだけを何度も確認した。
他のオルカヌーたちは、騎手の声や動きに反応しながら、時に自分の判断で動いている。
けれど白だけは、指示に対して一切の遅れも迷いもなく、まるで命令を“実行”しているだけのようだった。
「……なんか、変だな」
僕は独り言のように呟いた。
そのとき、資料の束の中に、見覚えのない紙が一枚混ざっていることに気づいた。
誰が置いたのかも分からない。
紙は古びていて、端が焦げている。
そこには、複雑な図形と記号が描かれていた。魔法陣のようだが、僕には意味が分からない。
「ムウ……これ、見てくれる?」
弟はすぐに駆けつけて、紙を手に取った。
目を細めて、図形をじっと見つめる。
「……これ、隷属系の術式だよ。魔法生物の行動を制限するための。完全な構成じゃないけど、束縛環の記号があるし、命令系の符号も……」
「隷属魔法……?」
「うん。……オルカヌー。白、じゃない?」
僕は言葉を失った。
魔法ギルドが関与しているのは間違いない。
昨日の魔道券売機の一件も、ただの偶然ではなかった。
彼らはレースの仕組みそのものに干渉しようとしている。
そして今度は、魔法生物にまで手を伸ばしている。
けれど、分かったところでどうすればいい?
隷属魔法は高位魔導士の技術だ。
解除には専門の魔法陣と、強力な魔力が必要になる。
僕には、どちらもない。
「……くそっ」
資料を握りしめた手に力が入る。
ナディアに相談すべきか? でも、彼女にまで負担をかけたくない。
そのときだった。
ムウノスが一枚の紙を取り出した。
「ん?これ。……領地対抗レースの招待状。代表騎手に、ミネス兄とナディアさんが指名されてる。強制参加……!?」
「なんで僕とナディアが……!?」
ムウノスは言いづらそうに口を開いた。
「……送り主、隣領の伯爵。魔法ギルドと繋がってるって噂の人」
その名前に、僕はすぐに思い当たった。
昨日、魔道券売機の周囲にいた集団の中に、彼の家紋をつけた者がいた。
つまり――これは仕組まれた勝負だ。
平民の僕を、病み上がりの状態で引きずり出し、
ナディアを“お飾りの代表”として晒し者にする。
勝てるはずがないと思っているんだ。
「……やるしかないな」
僕は立ち上がった。まだ体は重い。でも、心は決まっていた。
「ナディアには、僕から話す。準備を始めよう。勝つために」
ムウノスは驚いた顔で僕を見た。
「ミネス兄……本当にやるの?」
「やる。僕たちの湖を、好き勝手にされてたまるか」
その言葉を口にした瞬間、窓の外で風が強く吹いた。
湖面がざわめき、空の雲が一瞬、形を変えたように見えた。
けれど、その風は、どこか冷たい。
まるで、何かがこちらを見ているような――そんな感覚が背中を這った。
資料の束の中に紛れていた紙は、まだ机の上にある。
その紋章は、見れば見るほど不気味だった。
まるで、目のようにこちらを見返してくる。
……これは、ただのレースじゃない。
これは、もっと深いところで仕組まれた“何か”だ。
僕たちは、もう引き返せない場所に足を踏み入れてしまったのかもしれない。
そしてその先に、何が待っているのか――誰にも分からない。




