ずっと、君のそばに
「……お嬢様?」
戸惑いと同時に声をかけると、結月は、ゆっくりと顔をあげて
「あら、五十嵐」
そう言って笑った結月は、至って普通だった。てっきり、泣いていると思っていたのに……
「どうして、このような所に」
「五十嵐こそ、どうしたの? 今日は、お休みでしょ?」
にこやかに、いつもと変わらない柔らかな笑顔を浮かべる結月。レオはそれを見て、戸惑いつつも、結月の傍に歩みよる。
「そのような場所に腰掛けて、お召し物が汚れてしまいますよ」
傍らに立って、ベンチに座る結月に語りかけると、その後、結月は
「大丈夫よ。ちゃんと埃を払ってから、腰掛けたから」
そう言って──また笑う。
だが、どこか浮かない顔をしているようにも見えた。
無理もない。大事な使用人が、大事な家族が、また辞めてしまうのだ。結月が、悲しまないわけがない。
「お嬢様──」
「ひどいでしょ、この温室」
「……え?」
「昔はね、結構キレイな温室だったのよ。花も緑もたくさんあって、なんでかわからないけど、私はこの温室にくるのを、とても楽しみにしていて……だけど、この家かなり広いし、庭の手入れだけでも大変そうで……だからね、もう閉めていいって言っちゃった」
「…………」
たんたんと話す結月を見つめながら、レオは白い手袋をした手をきつく握りしめた。
結月が、なぜこの温室にくるのを楽しみにしていたのか、それをレオは、よく知っていた。
初めてあった日、結月が大事そうに抱えていた、あの『箱』を──結月は、この温室に隠していた。
誰にも見つからないように
誰にも気づかれないように
こっそりと……
だけど、今の結月は、その『箱』のことですら、忘れてしまっているのだろう。
「お嬢様が、お望みなら、この温室、全て元通りに致しますよ」
思わず、喉をついて出た言葉は、本心だった。
結月が望むなら、何だって叶えてやりたい。
だけど──
「無茶言わないで。これ以上、負担を増やしてどうするの? 矢野だって、辞めてしまうのに」
「………」
その決心は、あっさり打ち砕かれた。
斎藤が辞めて、矢野が辞める。そのあとの業務を、全てレオが引き継ぐのだというを、結月はしっかり理解していたから。
「ありがとう、五十嵐。気持ちは嬉しいけど、元に戻したところで無意味よ。私は、いずれこの屋敷からいなくなってしまうから……」
「…………」
「本当はね。まだ先の話だと思っていたの。結婚なんて、まだ先の話だって……だけど、私、この前18歳になって、もう、いつ結婚の話が出てもおかしくない年になっていて……今日ね、矢野に謝られたわ。『できるなら、ずっとお嬢様にお仕えしかった』って……だけど、私が結婚したら自分たちは、お払い箱になってしまうから……息子の夢を叶えるためにも、今転職しておきたいって……っ」
「………」
「私ね、言えなかったの。『お払い箱になんてしないわ』って、言ってあげられなかった……っ。ゴメンね、私、この屋敷の……あなた達の主なのに……私には、あなた達を守ることができない……ッ」
目に涙を滲じませた結月は、その後、嘆き悲しみように、両手で自分の顔を覆い隠した。
働きたいと言ってくれる人を
側にいようとしてくれる人を
安心して、働かせてあげることも出来ず、ただ親の言いなりになって、大切な人たちを守ることすら出来ない自分に
──結月は今、涙している。
そうだ。結月は、こういう人間だ。
自分よりも、他の誰かの悲しみを優先できる人で、そんな所に強く惹かれて、俺は君を好きになった。
心優しい君に惹かれて、ふわりと笑う君に癒されて、いつしか君が、俺の『全て』になった。
だから、誓った。
優しい君は、いつも自分を犠牲にしてしまうから
これ以上、傷つかないように
これ以上、悲しまないように
俺が君の代わりに
君を苦しめる全てのものを
──壊してやるって。
それなのに、どうして俺は今、君を悲しませているのだろう。
「……お嬢、様」
無意識に伸ばした手は震えていた。だけど、それは触れる前に、結月の言葉に遮られた。
「ごめんね、五十嵐。取り乱してしまって。……私なら大丈夫よ。それに、矢野にとっても、みんなにとっても、これが一番いいってことは、ちゃんとわかってるの。だから───だから、五十嵐も、いつでも辞めていいからね」
「……っ」
笑って──いつものように笑って言った、その言葉に、心臓が抉られるようだった。
「自分の人生を、私なんかに縛られないで……私なら、大丈夫。仮に私が結婚する前に、みんないなくなったとしても、一人で、その時を待てるわ」
一人で──その言葉に、きつく唇を噛み締める。
その笑顔の奥で、結月は、どれだけ泣いているのだろう。
辞めていいなんて、本心ではないくせに、使用人たちに罪悪感を抱かせないように、無理に気丈に振舞って、俺たちを安心して送り出そうとしてる。
この広い屋敷の中で一人になっても
好きでもない男と結婚させられても
──自分は大丈夫だから、と。
「……っ」
咄嗟にその手を取れば、レオは、結月の前に膝まづいた。
座る結月を見上げて、きつくきつく、その手を握りしめて
「俺は絶対に、お嬢様を一人には致しません。ずっとずっと、お傍に──」
ずっと、君のそばに──ありったけの思いを込めて、そう訴えかけた。
だけど……
「ありがとう。五十嵐は、執事の鏡ね」
「……っ」
届くことのない思いに、心が砕けそうになる。
違う、違う。『執事』としてじゃない。
俺は、一人の『男』として、君を──
「く……ッ」
自分でも、もう、限界なのが分かった。
思いが溢れて、止まらなかった。
このまま、全て、話してしまいたい。
俺が君を、どれだけ愛しているのかも
俺が君の、なんなのかも
そして──
俺たちが、どんな『夢』を見て
どんな『約束』を交わして
どんな『未来』を誓ったのか
なにもかも───全て。
結月の細くしなやかな手を更に握りしめると、俺は、再び結月を見上げた。
大切な人。愛しい人。
この世界で、誰よりも傍にい続けたい人。
そのかけがえのない人に、この秘めた想いを伝えるため──
「お嬢様、俺は────」




