遠くない未来の話
ノートを広げ、スラスラと鉛筆を走らせる結月は、一段落してふぅと息をついた。
今日は、朝から受験勉強に励んでいた。先日、五十嵐と恵美と共に問題集を選びに行って数日。自分で選んだ問題集を着々とこなし、3分の1ほどは終わらせた。
「お嬢様」
すると、部屋の扉をノックする音がして、結月が部屋の入口を見やると、どうやらメイドの矢野がお茶を用意してきてくれたらしい。
それを見た結月は、ぱっと顔を明るくして、矢野に声をかける。
「ありがとう。ちょうど休憩をしようと思ってたの」
「お勉強の方はいかがですか? わからない所がありましたら、ご遠慮なく」
「そうね。また、午後にでもお願いしようかしら」
窓際の勉強机の前から、部屋の中央の猫足の丸テーブルまで移動すると、結月は矢野が淹れてくれた、アップルティを手に取った。
側には、冨樫が作ってくれたミルフィーユ。
ちなみに、いつもお茶やデザートを用意してくれる執事の五十嵐は、今日は休みで、朝から外出している。
「お嬢様、おくつろぎ中、申し訳ないのですが……」
「?」
すると、結月がティーカップを受け皿に戻した瞬間、矢野が改まって声をかけてきた。
真面目な顔をした矢野に、結月は首を傾げる。
「どうしたの?」
すると、矢野は
「実は、お嬢様にお伝えしたいことが、ありまして……」
✣
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「いらっしゃい、レオ!」
一方、朝一番に屋敷を出たレオは、ルイの家に訪れていた。
外国人が住んでいるとはとても思えない、純日本風の一軒家。屋根付きの冠木門に、友禅とした日本庭園。
石で囲われた池には錦鯉が泳ぎ、雄大な松の木がたつその庭を横目にながしながら、門前から石畳をすすむと、玄関先でルイが出迎えてくれた。
「久しぶり」
「あぁ」
「あ、そうだ! 実はこの前、どこぞの五十嵐さんから、立派なキャットタワーが送られてきたんだけど?」
「……っ」
来て早々、先日、勝手に送り付けたキャットタワーのことを問い詰められた。
やはり、勝手に送り付けたのは、まずかっただろうか?
「す、すまない。あれは……」
「すまないじゃないよ。まぁ、どうせ、また結月ちゃんが選んでくれたからとかでしょ? 本当、レオって、お嬢様に弱いよねー」
呆れた──と言わんばかりに踵を返すルイ。レオは、そんなルイのあとを追いかけながら、屋敷の廊下を進む。
「仕方ないだろ。あんな顔されたら」
「まぁ、レオらしいけどね。別に怒ってるわけじゃないよ。ルナちゃん喜んでるし、奥の和室なら広いから邪魔にもならないし。それに元々この家は──君の家だしね?」
先を歩くルイが、軽く振り向きながらそう言うと、レオは目を細めた。
「もう、8年も昔の話だ」
「8年か……しかし勿体ないよねー。こんなにいい家なのに、売りに出されてたなんて」
「俺も、まさかルイが買うことになるとは思わなかったよ」
「あ。一応言っとくけど『返して』なんて言っても返さないよ。僕この家、気に入ってるから♪」
廊下を進み、その先の和室に入ると、レオは8年ほど前、毎日のように目にしていた床の間や欄間に目を向けた。
幼い頃、住んでいた家。
あの頃は、もっと広く感じていたが、大人になったせいか、どこかこじんまりとしているように感じた。
もう戻ることのない日々を、憂う。
この家には、色々な感情が詰まってる。
喜びも
悲しみも
怒りも
だが、もう二度と入るこはないと思っていたこの家に、こうして再び足を踏み入れることになるなんて、ルイが日本に行くまでは想像もしていなかった。
「返せなんて言わない。どの道、あの屋敷を出てたあとは、ここじゃない、どこか遠くの町で暮らすつもりだから」
結月を奪ったあとのことを考える。
名家の一人娘を奪う。ある意味、誘拐じみたことを計画しているのだ。この町にも、この家にも、居座る訳にはいかない。
「そっか……じゃぁ、レオとの縁もそこまでだね」
すると、ルイが少し切なげな表情で呟いた。
フランスでルイと出会って8年。
きっと、ルイはわかっているのだろう。
結月を奪ったあと、レオがこの町の繋がりを完全に切って、自分の元から立ち去るのだと言うことを──
「そうだな」
「……まぁ、そうなるよね。この町の住人との接点なんてない方がいい。万が一どこからか足がついたら、大切なお嬢様、連れ戻されちゃうかもしれないし」
万が一なんて、ルイならきっと起こさないのだろうと思った。だが、それでも、ほんの少しの関わりも残さないように……
「すまない」
「謝る必要はないよ。きっと僕がレオでも同じことをする。それに、君が夢を叶えるために努力している姿を、僕はずっと見てきたよ。その夢の邪魔だけはしたくないからね。たとえ、この先、一生会えなかったとしても、この世界のどこかで、幸せに暮らしていてくれたら、それでいい」
「………」
ルイの青く綺麗な瞳は、とても優しい色をしていて、レオは無意識に奥歯を噛み締めた。
守るためには、断ち切らなきゃならない縁もある。
だけど、このルイとの縁を切ることには、少しばかり躊躇いをおぼえてしまう。
「お前との縁がきれたら、もう、お前に振り回されることもなくなるな」
「あれ? 僕そんなに振り回してたかな? 全く覚えてないや」
「覚えとけ」
「あはは」
ルイが笑いながら和室の奥に行くと、縁側で丸くなっていたルナがピクリとも耳をたてた。
「にゃー」
と、ルナが一鳴きすれば、ルイはその前に座り込み、ルナの首元を優しく撫でる。
「ねぇ、レオ……いつか結月ちゃんを連れて、君が僕にサヨナラをいう日がくるのを、楽しみに待ってるよ。まぁ、何年かかるか分からないけど」
少し挑発するように不敵に笑ってみせたルイに、レオも同じように微笑み返す。
「安心しろ。そう、遠くない未来にしてやるよ」
何年も、かけるつもりはない。
屋敷の使用人、みんな追い出したら、早々に、決着をつけてやる。
アイツらへの"復讐"も
なにもかも、全て───




