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お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。  作者: 雪桜
第6章 執事の休息

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悪いのは、全部


「お願いします! どうか、早く辞めさせてください!」


 扉をノックしようとした瞬間、中から聞こえてきたのは、斎藤の悲痛な声だった。


 必死に土下座でもしながら頼み込むような、そんな声がきこえて、レオは咄嗟に手を止めると、扉の奥の話に耳を傾ける。

 

「斎藤、お前は、まだそんなこと言ってるのか? 契約では、来年の春までのはずだ。次の運転手が見つからない以上、結月が卒業するまではいてもらわないと困る。大体、何度同じ話をさせる気だ。代わりの運転手が見つかれば、すぐに辞めていいと言っているだろう」


「ですが……っ」


 中から聞こえた不穏な会話。


 どこか切羽詰まるような斎藤に、洋介が、きつい言葉を浴びせていた。それを聞いて、レオは眉を顰める。


(……なんだ?)


「五十嵐さん」


 すると、扉の前で立ち往生しているレオに気づいて、別邸のメイドである戸狩とがりが声をかけてきた。


 戸狩はレオの側まで歩み寄ると、中から聞こえた洋介たちの会話を聞いて、ひとつ息をつく。


「あー、またですか」


「また?」


「えぇ、数ヶ月前から、あーして何度も頭を下げにきているのです。なんでも奥様がご病気で、隣町の大きな病院への転院を進められているそうで、奥様に、仕事を辞めて側にいて欲しいといわれたとか?」


「…………」


 寝耳に水な話に、レオは困惑する。普段、明るく穏やかな斎藤が、そんな事情を抱えていたなんて知らなかった。


 だが、中からは、それを裏付けるように、必死に頼み込む斎藤の悲痛な声が聞こえてくる。


「仕事を辞めてって、余程、重篤じゅうとくなのでは?」


「そうかもしれません。でも、丁度、前任の執事を解雇したあとの話でしたから、斎藤を辞めさせる訳にもいかなかったのです。それに、あなたもまだ新人ですし、教育係は必要でしょう」


「…………」


 確かに、まだ屋敷にきて日が浅いレオは、屋敷の総括を担えるほど業務の全て把握しているわけではなかった。

 だが、斎藤のあの様子をみれば、すぐにでも代わりを見つけるべきだろう。


「斎藤さんの代わりは、いつ見つかるのですか?」


 重い扉の前でそう問いかけると、戸狩は一瞬言葉を噤んだ後


「見つかるはずがありません。運転手の募集なんてかけていませんから」


「え?」


「旦那様は、あのように仰っていますが、元から斎藤を辞めさせるつもりなどないのです。お気の毒ですが、こればかりはタイミングと……相手が悪かったとしか」


「……っ」


 淡々と話す戸狩の言葉に、レオは瞠目する。


 病に倒れた妻を思う斎藤の気持ちなど一切考えもせず、自分たちの都合だけを優先しているあの二人に、レオは憤慨を感じずにはいられなかった。


(代わりが見つかれば……か)



 ✣


 それからレオは、執事の業務に加え、屋敷の手入れやセキュリティ関係の把握、そして車の整備や点検など、斎藤がこれまで行っていた業務を、手伝いと称して積極的に覚えた。


 そして、斎藤から白木のことや、結月が記憶喪失であることを聞いた、あの日──


『今夜、部屋に伺っても良いでしょうか?』


 そう言って部屋に行く約束を取り付けたレオは、その晩、洋介たちの思惑を話し、斎藤の仕事は全て自分が引きつぐと提案をした。


 だが、タダでさえ大変な執事の仕事。それに加え、運転手や、その他の雑用までこなすとなるとレオの負担が更に大きくなる。


 それを懸念して、斎藤は、なかなか首を縦には振らなかった。


 だが、その夜、斎藤の妻の容態が更に悪化し、まだ日も上がらない未明の朝、救急搬送された隣町の病院から、酷く憔悴した声で斎藤から電話がかかってきた。


『すまない。五十嵐くん……っ』


 レオの提案をのんだ斎藤は、電話先で何度も何度も泣きながら謝った。


 出来るなら、こんな形で辞めたくはなかったと、レオの負担を増やし、ほかのメイド達にも迷惑をかけ、そして、なんの挨拶もできずお嬢様のもとを去ってしまうことを、斎藤は酷く悔やんでいた。


 だが……


『斎藤さんは、悪くありませんよ』


 謝る必要なんてないと思った。

 斎藤は、自分の大切なモノを優先させただけだ。


 それでも、他の使用人や結月に迷惑をかけないよう、代わりが見つかるまではと、妻の看病をしながら屋敷の仕事を続けてくれた。


 それなのに、そんな斎藤の気持ちを踏みにじったのは、他でもないアイツらだ。


 そう、悪いのは全部、人の心を持たない──あの二人。


『大丈夫ですよ。屋敷のことも、お嬢様のことも、全て俺に任せてください。だから、今はどうか奥様の側に──』


 そう言って電話を切ってから、二ヶ月。

 あれから、斎藤の妻がどうなったのか気になっていた。


 すると斎藤は、少しだけ悲しそうな笑みを浮かべると


「それが、もう手の施しようがないないみたいでね。余命半年だといわれたよ」


「………」


 その返答に、レオは言葉を詰まらせる。


 余命半年──その話を知った時、そう長くはないのかもしれないと予感はしていた。


 隣町の大きな病院への転院を進められ、仕事を辞めて欲しいと妻が言うくらいだ。


 だが、実際に助からないのだと分かると、斎藤から仲睦まじい妻との話を聞いていただけに、酷く胸が傷んだ。


「そんな顔しないでくれ、五十嵐くん」


 視線を落とし、悲しげな表情で立ち竦むレオに、斎藤は、またいつもの穏やかな表情を浮かべた。


「妻と話したんだ、この先どうするか……そしたら、延命はせず痛みだけとってくれたらいいと言われた。残り少ない時間、暗い病院の中で無理に生きながらえるよりも、やりたいことをやって、行きたいところに行って、私や子供たちと過ごしたあの家で、最期を迎えたいとね」


「……」


「恥ずかしい話だが、私はあまりいい亭主とは言えなくてね。家の事も子供の事も、妻に甘えてばかりで、そのうえ、妻が行きたいと言っていたところにも、まともに連れて行った試しがないんだ。……でも、君のおかげで、私は妻の最期によりそうことも、妻の望みを叶えてあげることもできる。ありがとう、五十嵐くん。本当に……」


 ―――ありがとう。


 ぎゅっと手を握りしめられたかと思えば、斎藤は、ただひたすら感謝の言葉を伝えてきた。


 握られた手からは、斎藤の思いが流れ込んでくるようだった。


 仕事を辞められた安堵感と、妻の望みを叶えてあげられる喜びと、そして、最愛の人を死期がせまっている、悲しみと───


「……お嬢様に、このことは」


「心配しなくても、話してないさ。お嬢様には、妻は無事に退院したとだけ伝えてある。もし、私の妻が余命間近だと知ったら……私が辞めたいのに、辞めさせてもらえなかったなんて知ったら、きっとお嬢様は、ご自分を責めてしまうだろうからね」


 病に苦しむ妻に寄り添いたい。そう、訴えていた斎藤を、ずっと縛り付けていた結月の両親。


 もし、自分の親がそんな非情ことをしていたなんてしったら、結月は間違いなく、自分を責めるのだろう。


 だからこそ、みんなそれを知りながら、結月にその真相を話そうとはしなかった。


 たとえ、そこに執事の命令が加わっていたとしても、自分たちが仕えるお嬢様が、とても優しい人だということを、この屋敷の使用人達はみんな知っていたから。


「五十嵐くん、お嬢様のことを頼んだよ」


 すると、レオの手を再度きつく握りしめ、斎藤はそう告げた。


「お嬢様は、とても可哀想な子なんだ。血のつながった実の娘なのに、旦那様たちは、お嬢様の事を跡取りを産む、ただの道具としか思ってない。きっとこの先、もっとお辛い思いをする日が来る。もし、そうなったら、お嬢様のことを頼む。君になら任せられる。ありがとう、五十嵐くん。君がこの屋敷に来てくれて──本当に良かった」


 その後、最後の別れを告げると、斎藤は全てをレオに託して、また妻のまつ自宅に戻っていった。


「…………」


 そして、日が沈む屋敷の園庭で、レオは斎藤に握られた手を見つめ、目を細めた。


 斎藤の手はやせ細り、妻の介護をしているからか酷く荒れていた。


 老人特有のシワのある手──


 だけど、その手はとても温かくて、そして、あの手で、斎藤は、ずっと結月を守り続けてきたのだろう。


 本当の娘のように──



「ありがとう……か」


 握られていた手に、ぎゅっと力を込めた。


 どの道、追い出そうと思っていた。

 もう、結月には、必要のない人だと思った。


 だから──


「感謝されるようなことは、何もしてない」


 これは全て、"自分のため"にした事だから──




 ザ───…


 サワサワと夕方の風が吹き抜けると、園庭にある木々を揺らし、同時にレオが手にしたヤマユリの花を揺らした。


(もし、俺が結月の大切な人達を追い出してるなんて知ったら……今の結月は、どう思うのだろう)


 大きく蕾をつけたヤマユリの花に顔を近づけると、清潔感のある甘い香りが鼻腔をかすめた。


(早く、思い出せ、結月──)


 俺が、この屋敷を「空っぽ」にする前に


 俺が、君の大切な人たちを




 君から全て「奪う」前に──…



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