親と子
「それでは、今から旦那様と奥様がいらっしゃいますので」
午後二時──
別邸から、結月の両親がこちらに向かっていることを確認したレオは、メイドの相原 恵美とコックの冨樫 愛理に、このあとの段取りについて指示を出していた。
外は、朝から変わらず雨だった。
多少、雷は落ち着いてきたが、バケツをひっくり返したような雨は、容赦なく降り続いていて、いつもは明るいこの屋敷の中を、どんよりと暗いものに変えていた。
まぁ、屋敷の中が暗いのは、雨だけのせいではないだろうが……
「ぅぅ……緊張する~」
すると、レオの指示を受け、恵美が顔を青くしながら、自身の胃のあたりを押さえた。
この屋敷には、あまり来客は訪れないからか、まだ経験の浅い恵美にとっては、結月の両親の前で粗相しないか心配なようだった。
「大丈夫ですか、相原さん」
「大丈夫じゃないですよ~、五十嵐さん、なんでそんな落ち着いてるんですか!?」
「私は、別邸で何度も旦那様達に、お会いしていますので」
恵美の問いかけに、レオが苦笑いで答える。だが、レオとて、この屋敷であの二人を迎えるのは初めてのこと。
別邸のメイドに何度か確認して、両親の好みのデザートやお茶など、招く上で知っておくべき注意事項は色々と確認済みだが、自分たち使用人の失態は、同時に結月の印象を悪くする。
この屋敷に来て、あの両親を怒らせることなく気持ちよく帰ってもらうためには、万全の体制で出迎えるのが筋というものだった。
「ちょっと、恵美、しっかりしなさい!」
すると弱気な恵美を、隣にいた愛理が叱咤し、その背を叩く。
「痛いですよ~、愛理さん!」
「もっとシャキッとして。いつも通り落ち着いてやれば大丈夫だから。それに一番緊張してるのは、お嬢様なのよ。私たちがしっかりサポートしてあげなきゃ!」
「分かってますよ! でも、緊張するものはするんです!」
「…………」
目の前の二人のやり取りを見て、レオは少しばかり頬を緩めた。
みんな結月のために、今日、この日を無事に終えたいと思ってる。
そして彼女達が、結月のことをこんなにも思ってくれるのも、これまで結月が、使用人達に誠実に接してきたからこそだろう。
「大丈夫ですよ、相原さん。なにかトラブルがあった時は、私がフォローしますから」
「うぅ、五十嵐さん~っ」
──コンコンコン
「五十嵐さん」
「……!」
すると、そのタイミングで、今度は矢野が姿を現した。少し神妙な面持ちの矢野を見れば、その先の言葉は、自ずと理解出来た。
「旦那様たちが、いらっしゃいました」
その言葉に、恵美と愛理が同時に息を呑み、レオが目を細める。
(……来たか)
✣
✣
✣
ザ───
その頃、結月は自室のカーテンを少しだけ開けて、外を眺めていた。
強い雨が降る中、屋敷の外を見れば、一台の高級車が屋敷の中に入って来るのが見えた。
両親が来たのだと分かると、結月は先程から、ずっと手にしていた、小さな『箱』を、きゅっと握りしめる。
(大丈夫……)
こんな小さな『空っぽの箱』に、なんの期待を寄せているのかは、自分でも分からない。
でも、それは、お守りでも握りしめるているかのように、結月の心を落ち着かせてくれた。
「……よし、行きましょう」
不安げだった表情を一新して、再び窓の外を見据えた。
この屋敷の『主人』として『来客』をもてなす。
それが今日、自分が、なさなくてはならないことだから──
✣
✣
✣
「お父様、お母様、今日はわざわざ、御足労頂き、ありがとうございました」
屋敷に訪れた両親を出迎え、応接室に通すと、広々としたソファーに腰掛けた両親を見つめ、結月が頭を下げた。
親子でありながら、どこか他人行儀な挨拶に心の中で失笑しつつも、結月は、あくまでも毅然とした態度で接していた。
「全くだわ。結月が、進路がどうとかいいださなきゃ、こんな雨の日に、わざわざ来ることもなかったのに」
「…………」
まるで「来たくなかった」とでも言うかのように、ソファーに深く腰掛けた結月の母──美結は、面倒くさそうに言葉を放つ。
すると、そんな母親の態度に、結月の傍らに立つ執事が、心の中で呟く。
(なら、こなくてもよかったのに……)
何より、始めはこちらが出向くと言っていたのに、来ると言い出したのはあっちだ。
そちらの予定に合わせて動いているのだから、はっきり言って、愚痴を言われる筋合いはない。
「申し訳ありません。私の進路のことで、煩わせてしまって」
だが、レオが憤懣する中、結月は再度、頭を下げ、両親に謝罪した。
こうして、親から不満をぶつけられることに、もう慣れてしまっているのだろう。
その対応に、レオの心には、また両親への怒りがこみ上げてくる。
これのどこが、親と子の姿だろうか?
目の前に光景に苛立ちつつも、表情を変えず見守っていると、そんな美結を、洋介がたしなめ始めた。
「まぁ、そう言うな、美結。私たちが来るといったんだ。結月も座りなさい。少し話をしよう」
「……はい」
話を──その言葉に微かな不安が宿るも、結月は素直に従い、両親の向かいに腰掛けた。
すると、そのタイミングで紅茶とデザートが運ばれてきて、先程「緊張する」と言っていた恵美が、難なくそれらを差し出すと、一礼したあと応接室から出ていった。
応接室の中には、結月の両親と洋介の秘書である40代くらいの男が一人。
そして、結月とレオの五人だけが残り、場の空気は、どこかひんやりとしていた。
すると、差し出された紅茶を手に取り、洋介が結月に向かって、話しかけ始める。
「結月、お前、いくつになった」
「……18です」
「そうか、学校の方はどうだ?」
「はい。特に変わりはありません」
洋介の質問に、結月は淡々と答えていく。
そして、いくつか質問を繰り返したあと
「今は、斎藤のかわりに、五十嵐が運転手もしているそうだな」
「はい」
「なにも問題はないか?」
「……問題?」
洋介の問いに、結月が首を傾げる。
「いや、私は反対したんだ。執事とはいえ、若い男を結月のそばに置くなんて……せっかく、ここまで育てたのに、また執事に手篭めにされでもしたら、たまらないからな」
「………」
結月の前任の執事である羽田は、結月に恋心を抱いて解雇されている。
そのことを言って「また」と言っているのだろう。レオを流し見ながら、そう言う洋介は、レオに釘をさしているようにも見えた。
(手篭め、ね……)
まるで、手を出すなよと言わんばかりの重圧をひしひしと感じながらも、レオはあくまでもポーカーフェイスを貫く。
だが、その心の中では、憤慨と苛立ちが交差していた。
(育てた……なんて、よく言えたものだな)
ほとんど、ほったらかしだったくせに、都合のいい時だけ、こうして『親』になる。
「あら、でも五十嵐は、なかなか優秀よ」
だが、そこに母親の美結が口を挟んだ。
「それに、仕方ないじゃない。羽田を解雇した後、斎藤に任せたけど、やっぱり、ただの運転手じゃダメね。あんな年寄りに屋敷の総括は任せられなかったわ。その点、五十嵐は覚えも早いし、仕事も丁寧だし、現に斎藤が抜けた穴も難なく埋めてくれてるでしょ?」
「まぁ、そうだな。この屋敷はメイドばかりだから、男性の使用人が一人はいないと何かと大変だろう。五十嵐くんには、感謝してるよ」
洋介が、再びレオに視線を移すと、レオは無言のまま頭を下げた。
「あの、お父様とお母様は、なぜ斎藤が辞めたのか、ご存知ありませんか?」
すると、斎藤の話題が出たからか、結月が不安げにその言葉を口にする。きっと、結月は今でも斎藤のことを気にかけているのだろう。
だが、洋介は──
「なんだ、結月は知らなかったのか」
「え?」
「斎藤はな、ずっと、辞めたがっていたんだよ」




