阿須加家の執事
「私とデートしませんか?」
「え?」
デート──その予想だにしなかった言葉に、結月は、ぽかんと口を開けたまま、レオを見上げた。
いつもの優しげな執事の表情。
その姿にすこしだけ安堵するも、その言葉を瞬時に理解できるほど、結月は、まだ冷静ではなかった。
辺りを見回せば、どこかの公園のようだった。
緑豊かなその公園の奥には、大きな池があって、その水面には、陽の光がキラキラと輝いていた。
たしかにデートをするには、うってつけの場所かもしれない。
でも──
「ちょ、ちょっと待って。あなた、彼女がいるくせに何を言ってるの!?」
「あぁ、そうでしたね。まぁ、そう固いこと言わずに」
慌てふためく結月に、尚も緩く笑いかけると、レオは車に鍵をかけ、公園の中へと歩き出した。
強引に手をひかれ、為す術もなく車から離されると、結月の身体は、あっという間に公園の中へ。
だが、いくら、いつもの執事に戻ったとはいえ、結月の不安が、それで解消されるはずはなく、レオの背後からは、結月の慌てる声が響いていた。
「い、五十嵐、待って! 学校帰りの寄り道は、お父様に禁止されてるの!」
「はい、存じております。学校が終わったら、すぐに連れ帰るよう仰せつかっておりますので」
「だったら、今すぐ屋敷に戻って! お父様のいいつけを破ったら、あなただってただじゃすまないわ!」
雇われている以上、雇い主の命令は絶対だ。
もし、その命令に背けば、いくら五十嵐が優秀な執事とはいえ、クビにされてしまう。
結月はそう思い、必死になって説得する。
「大丈夫ですよ。私が報告さえしなければ」
「し、しなければって……っ」
だが、くるりと振り向き、そう言った執事は、あまりにも平然としていて、結月は一層、困惑する。
「なに、いってるの……それは、お父様に逆らう行為よ。それに、私の行動は、逐一報告するように言われているはずよ」
「はい。確かに私は、お嬢様のことはどんな些細なことでも報告するよう、奥様に仰せつかっております。ですが、先日お嬢様が、有栖川様から、お借りした文庫本のことも、私は一切、報告しませんでしたよね?」
「ッ──!!?」
ニッコリと笑って放たれた言葉に、結月は顔を真っ赤にする。
有栖川から借りた文庫本──とは、あの過激すぎる官能小説のことだ!
「あ、あれは……!」
「あの時、私が報告していたら、お嬢様、今頃どうなっていたと思いますか? きっと、旦那様に根掘り葉掘り聞かれたあげく、本を貸して下さった有栖川様との交友関係も絶たれていたことでしょう。まぁ、読んでいた本が本ですから、きっと、今よりも厳重に監視されることになっていたのでは?」
「っ……」
もはや、二の句が告げないとは、この事だ。
反論しようにも、その予測が的確すぎて、結月は今にも泣きたくなるくらいだった。
「そ……それは、確かに五十嵐のおかげよ。でも、さすがに寄り道は……それに、彼女がいる人とデートなんて……っ」
その後、結月は、身を竦め困り果てた。
デートは、付き合っている男女がするものだ。
主人と使用人がするものではない。
だが、その反応に、レオは
「なにも、そんなに難しく考えないでください。デートと言っても、気分転換に公園を散歩するだけですよ」
「散歩?」
「はい。それに、旦那様たちが屋敷にくると聞いた日から、ため息ばかりついてらっしゃいます。お顔の色も優れないようですし、お嬢様、本当は──旦那様たちに会うのが怖いのでは?」
「……っ」
すると、思わぬ形で図星をつかれ、結月はバツが悪そうに視線をそらした。
確かに──怖い。
だって、何を言われるのか分からないから。
しかし、その不安からか、ため息ばかりついていたのも、確かだった。
だが、結月は、ふるふると頭を振ると
「ち……違うわ! 怖いだなんて、自分の親に向かって、そんな……ただ、明日は進路について話さなくてはならないから……緊張しているだけで……っ」
「…………」
決して目を合わせず、結月はおどおどしく、そういって、その姿に、レオは悲しそうに目を細める。
必死に取り繕う姿は、どこか痛々しかった。
繋がった手からは、微かな震えすら伝わってくるのに、結月はそれを気取られぬように、必死に嘘の言葉を並べてる。
「お嬢様……お辛いこともあるなら、私には全て話してください。絶対に誰にも話しませんから」
「……っ」
その手を引き寄せれば、より近くなった距離で、そう囁いた。だが、その言葉に、結月はぐっと唇を噛み締めると
「……嘘よ。だって、あなたたち執事は、私の監視役でしょ?」
「…………」
身を切るような言葉が、鼓膜を伝ってレオの身体中に響く。
唇をかみ、じっとレオをみつける結月の瞳は、とても辛そうで、レオは思わず言葉をうしなった。
「ちゃんと、わかってるわ。私が、お父様たちに逆らわないように見張るのが、あなたの仕事だってことくらい」
その瞬間、公園に吹く風が、結月の悲痛な声を攫って、吹き抜けた。
阿須加家の執事になって、わかったことがある。
それは、結月の執事とは名ばかりで、全ての命令権は結月の父・阿須加 洋介にあるということ。
雇い主なのだから当然ではあるが、今のレオは、結月の執事でありながら、監視役として常に結月の同行を見張り報告する役目も担っていて、そしてそれは、ほかの使用人たちとて同じだった。
結月の傍に、これだけの使用人が配属されているのも、結月を見張り、あの屋敷に縛りつけるため。
そして、結月がわがままを言おうものなら、その代わりに使用人たちが切り捨てられる。
さながら使用人たちは、結月の監視役であると同時に、人質のような存在だった。
そして、そんな執事や使用人に、結月が親への不満や愚痴をこぼせるはずはなく。
きっと、自分と別れてからの数年間、どんな悩みも不安も、結月は全て自分の心の中に、押し込めてきたのだろう。
それを思うと、触れた手には、自然と力がこもった。
どうすれば、その心を開くことができるだろう。
どうすれば、今の関係を覆せるだろう。
どうすれば、また、あの頃のように、なんでも話してくれるようになるのだろう。
「どうしても、信じられませんか?」
「っ……だって、あなたは阿須加家の執事よ。お父様に逆らったら、辞めさせられてしまうわ」
「…………」
「うちの使用人たちはね、みんな優しい人ばかりで、ちゃんと私のことを考えて接してくれてるわ。だけど、みんなそれぞれ大切なものがあって、そのために、あの屋敷で働いてるの」
「…………」
「五十嵐、あなたが、私を心配して連れ出してくれたのは嬉しいわ。でも、うちのお父様にとって使用人や執事なんて、ただの使い捨てよ。代わりなんていくらでもいるし、あなたがどんなに優秀な執事でも、お父様に忠誠を誓わない人は、容赦なく切り捨てられるわ。だから、あなたも……私ではなく、お父様の命令に従ってください」
そう言い放った結月の表情は固く、自分にとって大切な人達を、必死に守ろうとしているのが伺えた。
変わらない。あの頃と──
あの頃も、結月は、自分より他人のことばかりで……
「──嫌です」
「え?」
だが、その後、喉をついてでた言葉は否定の言葉で、結月は更に困惑する。
「ぃ……嫌?」
「はい。私は阿須加家の執事ではありません。ですから、旦那様の命令には従いません」
そう言って、結月を見つめるレオの瞳は、あまりにも真剣だった。
「っ……なにを、言ってるの?」
「わかりませんか? 私が忠誠を誓うのは、阿須加家ではなく、お嬢様だけだと言ってるんです。それに、前にも申し上げましたよね。私は、お嬢様のために、こうして執事になって戻ってきたのだと」
「そ、それは……」
「だから、どうか信じてください。例え、旦那様を敵に回そうと、私は、あなたが悲しむようなことは、絶対に致しません」
「……っ」
ハッキリと告げられたその言葉に、不意に目の奥が熱くなるのを感じた。
それは、本当に嘘偽りのない言葉に聞こえたから。
「本気で……言ってるの?」
「はい。これが冗談に聞こえますか?」
「でも、お父様に逆らったら……っ」
「そうですね。でも、それでも、私がお慕いするのは──お嬢様だけです」
結月の手を握りしめ、レオは優しく微笑んだ。
今までの執事は、皆、父の言いなりだった。
どんなに打ち解けても、どんなに仲良くなっても、絶対的な父の存在に逆らおうとする人なんて、いるはずもなく……
「っ────」
すると、不意に熱い何かが頬を伝って流れ出した。
そして、それが涙だと気づいた時には、レオが目尻に溜まった涙を、そっと拭ったあとだった。
まるで慰めるように触れる指先が、なんだか、とても優しくて、結月はその後しばく、涙を止めることが出来なかった。




