お払い箱
それから数時間が経った、午後のこと──
休憩室の中で、レオは結月の両親が住む別邸に電話をかけると、その屋敷のメイドである戸狩と話をしていた。
『わかりました。では旦那様と奥様に、そのようにお話しておきます』
「はい。宜しくお願いします」
要件を伝え終わり、受話器を元の位置に戻すと、丁度そのタイミングで、矢野が休憩室にやってきた。
「どちらに電話を……」
「別邸の方に。矢野さんは、今から休憩ですか?」
「はい。五十嵐さんは?」
「私も、お嬢様を迎えにいく前に、少しだけ休憩を挟むつもりです。矢野さんも、コーヒーを飲まれますか?」
「そうですね。いただきます」
矢野の返事を聞くと、レオは壁際のテーブルの前まで移動し、そこでコーヒーを淹れ始めた。
だが、そんな中、また矢野が声をかける。
「五十嵐さん、今朝の話ですが、私はまだ認めたわけではありませんから、お嬢様の身の周りのお世話を男性がおこなうなんて!」
「…………」
まるで噛み付くように発された言葉。レオはそれをきいて、無意識にこめかみを引くつかせた。
今朝、使用人達に、その話をした際、最後まで納得しなかったのが、この矢野だった。
きっと、この屋敷で一番厄介なのは、このメイド長だろう。
「……矢野さんは相変わらず厳しいですね。私はそんなに信用できませんか?」
「信用できる出来ないの話ではなく、倫理観の問題です。前にも申しましたが、もし、お嬢様に邪な感情を抱こうものなら、即刻屋敷から追い出しますので、そのつもりで!」
「…………」
真横から、きつい言葉を浴びせられる。
確かに、異性が身の回りの世話をするという案は、些か強引すぎたかもしれない。
前の執事のこともあるから、より神経質になっているのだろう。
まぁ、一人くらい矢野のように厳しい人材がいた方が、仕事をする上では身も引き締まる。だが、レオがこの屋敷を牛耳るには、些か厄介な相手でもあった。
(追い出す、か……)
しかし、さすがに追い出されるわけにはいかない。それに、追い出されるのは……
「そうですね。私達が追い出されるのも、時間の問題かも知れませんね?」
「え?」
コーヒーを淹れ終わると、レオはくるりと向きを変え、ニッコリと笑った。だが、その言葉に、今度は矢野が顔をしかめる。
「なにを、言っているのですか?」
「ご存知ないのですか? 最近、阿須加グループの業績は、あまり芳しくないようですよ。株価もだいぶ下がってますし、経営が苦しいのではないかと」
コーヒーを二つ手にしたレオは、矢野の前に歩み寄り、そのうちの一つを差し出しながら
「ホテル業界は、昔からハードな仕事だと言われていますが、旦那様の経営するホテルは、特に酷いとの噂ですよ。サービス残業なんて当たり前だし、勤務時間も長い。そのせいで離職する社員も増えてますし、おかげでサービスの質は低下して、客足は遠のくばかり……」
「主の会社に向かって、なんてこと言うのですか?」
「これは失礼。でも、昔ほど栄えていないのは確かですよ。それに、所詮、旦那様たちにとって、社員や使用人なんてただの使い捨ての駒。どのみち私達も、お嬢様がご結婚されたら『お払い箱』ですからね?」
「…………」
予期せぬ話に、矢野は更に表情を曇らせた。
ずっと、この屋敷でメイドとして働いてきた矢野だ。本来なら、この先も阿須加家に仕える気でいるだろう。だが──
「この屋敷も、お嬢様がいなくなられたら、建て壊すそうですよ」
「……」
「まぁ、お嬢様がご結婚されるのは、まだ先の話だとは思いますが、先は見越しておいた方が良いかと。仕事がなくなるのは、お互い困りますしね?」
すると、レオはあっさりコーヒーを飲み終わり、再び矢野をみつめた。
「では、私はそろそろお嬢様をお迎えいく準備を始めますので。矢野さんは、どうぞごゆっくり」
「ぁ、はい……お気をつけて」
「あ、それと。お嬢様の進路相談の件で、また戸狩さん(別邸のメイド)から返事を頂くことになっていますので、連絡があったら教えてください」
「進路相談?」
「はい。なかなか返事を下さらないので、少し催促を。来週中に提出しないといけないプリントがあるので、近いうちに、お嬢様と一緒に旦那様と奥様の元に伺う予定です」
「そうですか。わかりました」
矢野が返事をすると、レオは休憩室の入口へと歩き出す。そして
「あ、進路相談といえば、息子の浩史くんは、大学に行きたいそうですね?」
「……え?」
だが、不意に放たれたその言葉に、矢野は目を丸くした。
無理もない。矢野は自分の息子が、本当は大学に行きたいだなんて、全く知らないのだから。
「だ、大学? いえ、あの子は就職すると」
「あれ、そうでしたか? 先日、矢野さんの鍵を預かった時に、大学に行きたいと話していましたよ」
「……」
「どうぞ、浩史くんに、受験勉強を頑張るよう伝えてください。では、私はこれで」
レオは再びにっこりと笑うと、その後、休憩室からでていった。
「だ、大学って……そんなこと、あの子、一言も……っ」
そして、矢野の小さな声が休憩室に響いたのを聞き届け、レオは扉を閉めると、その後、すっと目を細めた。
「……さて」
俺が、追い出されるのが先か?
それとも、矢野さんが出ていくのが先か?
一体、どっちかな?




