執事の部屋
「え……五十嵐、寝込んでるの?」
12月初旬の週末、自室で勉強中だった結月は、恵美の言葉に目を見開いた。
普段なら、休みの日でも顔を出す執事が、今日はなぜか顔を出さない。
心配になり聞いてみれば、どうやら、食事もろくにとらず、寝込んでいるらしい。
「朝食の時間に出てこられなくて、様子を見に行ったら、8度近く熱があって……」
「そんなに!」
「はい。五十嵐さん、やっぱり無理していたんだと思います。それに昨日は、寒い中、噴水の掃除もしてくれて……もしかしたら、風邪をひいたのかも」
「じゃぁ、今すぐ、お医者様を……!」
「あ、それは、いいと言ってました! ご自分で薬はのまれたようで、一日休めば良くなるからと…それに、今日は元々、お休みを頂いてる日だから、業務にも差し支えはないだろうからって……!」
「それは……そう、かもしれないけど」
確かに、今日は学校が休みだし、どこにも出かける用事がない。
まるで示し合わせたように、迷惑がかからないタイミングで寝込んだ執事は、ある意味、さすがとも言える。
だが、普段は、結月が学校にいかない週末の日曜日だけ、休みをとっているのだが、春すぎに斎藤が辞めてから、約8ヶ月。
月に、たった4日程度の休みで、その疲れが癒されるはずはなく。その上、最近は、別館に呼び出される回数も増え、激務に拍車がかかっていた。
(……むしろ、今まで倒れなかったのが、不思議なくらいだわ)
心配しつつも、何もしてあげられなかったことを、結月は申し訳なく思う。
それに、きっと明日になれば、まだいつも通り、笑顔で自分の元に現れるのだろう。
何事もなかったように、完璧な執事となって──…
(あとで、様子を見に行ってみようかしら……?)
✣
✣
✣
それから暫くして、結月は使用人たちの部屋がある別棟に向かっていた。
愛理は今、買い出しに出かけていて、恵美は庭の掃除中。
屋敷内に誰もいなくなったからか、今なら見つかることはないだろうと、結月はコソコソと周りを確認しながら、執事の部屋へと向かう。
(別棟に入ったの、何年ぶりかしら?)
本館と別棟を繋ぐ室内廊下をぬけると、その先の扉を開け、別棟の中に入った。
別棟は、本館と同じ頃に建てられた建物だが、本館の煌びやかさとは対照的に、とても慎ましやかな内装だった。
中には談話室があり、そこを中心に、左右で、男女それぞれ部屋が別れている。
(確か、左が女性用で、右が男性の部屋だったような……)
昔、子供の頃、白木さんに会いたくて、この別棟に忍び込んだことがあった。
白木さんは笑って許してくれたが『お嬢様が、使用人の部屋に来てはいけない』と諭されてからは、迷惑にならないよう、この別棟に入ることはなくなった。
(……変わらないわね、ここは)
きっと、使用人達が大切に使って来たのだろう。
本館同様、老朽化は進んでいるが、しっかり掃除が行き届いていて、中はとても綺麗だった。
(……ここかな?)
それから、男性側の部屋がある廊下を進むと、その一番奥の部屋で、結月は立ち止まった。
4部屋あるうち、手前の部屋は全て空き部屋で 、残る部屋は1つだけ。
きっと、この部屋の中に、五十嵐がいる。
そう思って、結月は緊張しつつも、扉をノックした。
「……?」
だが、ノックはしたが、部屋から返事はなかった。結月は、不安になり、そっとドアノブに手をかけた。
すると──
(あ……開いてる)
ガチャッ──と、小さな音がして、少しだけ扉が開いた。
冬の廊下は、とても寒い。
結月は、廊下の冷気が部屋に入らぬよう、慌てて中に入ると、手早く扉を閉める。
(は……入っちゃった……っ)
心臓が、ドクンと跳ねた。
鼓動は少しずつ早くなって、ドアノブを掴んだまま、結月は硬直する。
部屋の中には、執事の香りが充満していた。
清潔感のある、男の人の香り──
抱きしめられた時に感じる香りだからか、なんだかすごく恥ずかしくなって、結月は、頬を染めつつ、キュッと唇をかみ締めた。
好きな人の匂いがする。
この部屋に───五十嵐がいる。
「……っ」
それから、ゆっくりと振り向くと、結月は部屋の中を見回した。
室内はシンとしていて、あかり一つ、ついていなかった。
だが、外からの光が入るからか、決して暗くはなく、気づけば視線の先に、"目的の人物"がいるのが見えた。
使用人用の簡素な部屋の中、結月が使うベッドよりも、はるかに小さいベッドの中で眠る──執事の姿。
シングルサイズのベッドは、少し窮屈そうにも見えた。
だが、普段の姿からは、想像もつかないその姿に、結月はぐっと息を飲む。
いつものキッチリとした執事服ではなく、今はゆったりとした部屋着姿だった。
緩めの襟元からは、形のいい鎖骨が覗いていて、普段は、シャツの下に隠れて見えないからか、病人だというのに、妙な色気すら感じた。
(なんか……いつもと、全然違う……っ)
寝顔なんて初めて見た。
普段は余裕そうな表情で、意地悪そうに笑みを浮かべているのに、寝顔は、どこか可愛いらしく、あどけない。
見慣れない姿に、見慣れない格好。
だけど、これが『執事』ではない『本当の五十嵐』なのかもしれない。
「ん……っ」
「!」
瞬間、執事が苦しげな声を漏らして、結月はハッと我に返った。
(そ、そうだわ。熱があるって……っ)
先程の恵美の話を思い出し、結月はあわてて傍に駆け寄ると、恐る恐る執事の額に触れた。
(まだ、熱い……)
じわりと伝わる熱は、まだ熱かった。
結月は、なにができることはないかと、必死に考える。
(確か、薬は飲んだと言ってたけど、ご飯は食べてないと言ってたし……こういう時どうすれいいのかしら? 食事?……あ、でも、私お粥なんて作れないし……そうだわ、氷を……)
不意に、氷枕が、あまり意味を為していないことに気づいて、結月は氷を新しくしようと、くるりと踵を返した。だが、その瞬間、そばにあった机にぶつかって、その衝撃で、机上にあった本がバサバサと何冊か落ちる。
「あ……」
床にちらばった数冊の本。
目の前で崩れ落ちたそれを見て、結月は足を止め、そして
(そういえば……氷って、どこにあるのかしら?)
熱を下げるために、氷を持って来ようと思った。
だが、氷がどこにあるか、分からない。
いや多分、あるのは、キッチンの冷凍庫。
だけど、キッチンにいけば、他の使用人に見つかってしまう。
「ッ……」
その後、結月は、呆然と立ち尽くした。
心配になって部屋に来ても、何も出来ない。
何をすればいいのか、分からない。
今まで、何もしてこなかったから……
(好きな人が、寝込んでるのに……看病ひとつ……できないなんて……ッ)
悔しさで、涙が出そうになって、結月はスカートをキュッと握りしめた。
私は、どこまでダメな人間なんだろう。
五十嵐の役に立ちたい。
支えたい。
そう、思っても、結局何も出来ていない。
私は、五十嵐と一緒になれば、きっと、幸せになれる。
でも、五十嵐は?
熱をだしても、看病すら出来ない。
そんな、私と、一緒になっても──…
「ッ……ごめんね」
再び、執事の方に向き直ると、結月は床に膝をつき、レオの手を握りしめた。
前に触れた時よりも、ほんのり熱い手。
その手を握りしめながら、結月は涙目で囁く。
「ごめんね、五十嵐……っ」
何も出来なくて、ごめんなさい。
あなたにばかり、負担をかけて、ごめんなさい。
私は、五十嵐が好き。
でも、好きだからこそ、私は、あなたを選んでは、いけないのかもしれない……っ
「っ……ん」
「……!」
だが、その瞬間、レオが苦しそうな声を発しながら、結月の手を握り返してきた。
まるで『そんなことない』とでも言うように。
でも、結月は──
(戻ろう。私がここにいても……)
なんの意味もない。
それどころか、私がここにいるのが見つかれば、五十嵐に、迷惑がかかる。
「早く、良くなってね……」
結月は、そう小さく呟くと、名残惜しく思いながらも、レオの手を離した。
だが、その後、先程落とした本が目に付いて、結月は、再びしゃがみ込んだ。
(そうだわ。本を片付けきゃ……)
分厚い白い本と、黒革の手帳。
他にも、英語やフランス語で書かれた本があった。
結月は、まず、黒革の手帳を拾い上げると
「……あれ?」
その後、落ちた拍子に開いのだろう。真っ白な本の中に「結月」と名前が書いてあるのが見えて、結月は首を傾げた。
本だとおもったが、どうやら違うらしい。
それは、5cmばかり厚みのある真っ白な装丁の本。
そして、その本の中には、ノートのように線が引かれていて、お手本のように整った字が、日付の下にならんでいた。
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4月19日
今日、執事として阿須加の屋敷に行く。
やっと、結月に会える。
早く会いたい。早く会って、結月を抱きしめてあげたい。
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「……っ」
その文面を目にした瞬間、結月はパタン!と勢いよく本を閉じた。
そこには、自分への思いが、書き連ねてあった。
好きで好きで、たまらないとでも言うような、執事の思いが──
(こ、これ……もしかして、日記!?)
日記だ!
五十嵐の日記!
しかも、かなり恥ずかしい類の!!
(い、五十嵐……日記なんて付けてたの? それに、なんか、私の事ばっかり──)
顔が火を噴くように熱くなれば、心拍がバクバクと上昇する。
好きな人の日記。
それには、自分のことばかり書いてある。
好きだ……と。
愛している……と。
誰にも渡したくない……と。
(ッ……この屋敷にきた時から、こんなこと考えてたの?)
すると、その瞬間
『お嬢様のために、こうして執事となって戻ってきたんですから──』
そういった、五十嵐の言葉を思い出した。
(本当に、私のために……?)
私のために、執事になって、この屋敷にきてくれた。
あれは、本当だったの?
でも、そんな五十嵐に、私はあの日、なんと言っただろう。
五十嵐が、この屋敷に来た日、私は──
『初めまして』
そう、言った。
(私、なんて酷いことを……っ)
忘れている自分が、憎らしくてたまらない。覚えてさえいたら、五十嵐を、こんなに苦しめることもなかったかもしれないのに……
(この日記……)
すると結月は、手にした日記を再び見つめた。
(これを読めば、何か思い出せないかしら……?)
五十嵐の日記だ。
もしかしたら、昔のことも書いてあるかもしれない。
五十嵐が、この屋敷に来る前のことも──
(でも、人様の日記を勝手に読むなんて……っ)
だが、結月は踏みとどまる。
いくら親しい仲でも、そんなこと、絶対にしてはいけない。
それに、読むにしても、かなりの覚悟が必要だ!
なぜなら、内容が、かなり恥ずかしいから!!
(ど、どうしよう……っ)
読んじゃいけない。
でも、知りたい。
心の中では、善と悪がせめぎ合っていた。
だが、その時──
「……結、月?」
「!?」
瞬間、ビクリと肩が跳ねた。見れば、目を覚ました執事と目が合って
「ぁ……」
「ッ……!」
直後、黒革の手帳と、白い日記帳を手にした結月をみて、レオが、酷く困惑した表情をうかべた。
(なんで、結月が……?)
一瞬、夢かと思った。結月が、俺の部屋にいる。
だが、それよりも──…
「っ……それ」
「あ、ダメ! 起きあがらないで!」
あわててベッドから出ようとしたレオを結月が静止する。
だが、レオは、それどころではなく
「それッ……読んだのか……っ」
「っ……」




