笑顔の裏側
「ようこそ、お越しくださいました。冬弥様」
「…………」
阿須加家にて、冬弥が屋敷の中に入ると、執事がにっこりと笑顔で出迎えた。
黒髪で長身。それでいて、整った顔立ちをした見目の良い男。
その執事を凝視するなり、冬弥は、前にワインをかけられたことを思い出し、おもむろに眉をひそめた。
(この執事、まだクビになってなかったのかよ)
思い出したくない出来事と、見たくもない顔を見たせいか、軽く心が荒む。
だが、ここでまた執事と揉め事を起こせば、結月からの心象が悪くなる。冬弥はそう思うと、すっと爽やかな笑顔を貼り付けた。
「やぁ、先日は手荒なことをして、悪かったね」
そう言って執事に語りかけると、執事もまたにっこりと笑顔をうかべる。
「いえ、こちらこそ、ホテル側のミスとは知らず、冬弥様を犯罪者扱いしてしまいました。どうか、お許しください」
「いやいや、いいさ。俺も大人げなかったしね! 先日のことは、お互いに、キレイさっぱり水に流そう!」
キレイさっぱり、水に流す気なんてサラサラない!!
だが、一応「許してやるよ」的なことを冬弥がほのめかせば、執事も無言のまま笑顔をうかべた。
だが、その笑みが、また冬弥の中に苛立ちを芽生えさせる。
(くっそ……! 結月と結婚したら、この執事、真っ先にクビにしてやる!)
冬弥とて、そこそこイケメンで、さして顔は悪くない。むしろ、どちらかと言えばモテる方だ。
だが、この執事を相手にすると、見た目も身長も、冬弥の方があきらかに劣っていた。
自分よりも身分が低いくせに、自分より女にモテそうなルックスと、その執事特有の余裕そうな笑みが癪に障る。
なにより、そんな男が自分の婚約者の側にいるのが、とてつもなく腹立たしい。
できるなら、すぐにでもクビにしたい!
だが、先日のアレで、クビになっていないということは、この執事は、あの阿須加夫妻のお気に入りでもあるのだろう。
結月に嫌われるのもだが、その親に嫌われてしまったら、それこそ8年前からの計画が全て台無しになる。
冬弥としては、それだけは何としても避けたかった。
もう、父や兄に、役立たず呼ばわりされたくないから──
「……それより、結月さんはどこに?」
自身の本音をグッと腹の底に押し込めると、冬弥はまた執事に語りかけた。てっきり出迎えてくれると思っていた結月が、何故か、いっこうに出てこない。
(普通は、婚約者が尋ねてきたなら、真っ先に出迎えるだろ。何やってんだ、あの女)
そんなことを内心毒づきながらも、冬弥はにこやかに話す。
「もしかして、俺が早く来すぎたのかな?」
「いいえ、お時間ピッタリでございます。ですが、お嬢様は少々、身支度に手まどっておられますので、冬弥様は、先に応接室の方へ」
まさか、結月が出てこない理由が、執事にキスをされたからだなんて、冬弥は夢にも思っていないだろう。
もし、自分の婚約者の"初めて"を、目の前の執事に奪われたのだと知ったら、この男は、どんな反応をするのだろう。
怒るだろうか?
それとも、悔しがるだろうか?
そんなことを思いながら、レオは小さく笑みを浮かべた。
結月が来ないことに、不満げな表情を浮かべる冬弥に、不思議と優越感を覚えた。
それに、昨夜、結月とキスをして、奪われたくないという気持ちが、ますます強くなった。
嫌なら嫌だと言ってくれたら、こちらもやめる気になれたかもしれないのに、結月は、そんな言葉一切発さず、ありのままの自分を受け入れてくれた。
一方的で、ワガママなキスを
執事からの、背徳的な愛の言葉を
一晩中、受け続けてくれた結月に、ずっと抱えていた不安や焦りが、一緒に洗い流されていくように感じた。
名前を呼んで指を絡めれば、握り返してくれた。
愛してると囁けば、頬を染めて見つめ返してくれた。
そんな些細な仕草を、一つ一つ積み重ねていく度に、重く沈んだ心が、ゆっくりとゆっくりと、満たされていくのを感じた。
戸惑いながらも、受け入れてくれた事が嬉しかった。例え、執事のままだったとしても、また、好きなってくれたことが、嬉しかった。
そして、結月に口付ける度に、これまで以上に、強く思った。
──誰にも渡したくない。
結月のこんなに姿を、自分以外の男には、絶対に、見せたくないと。
「俺の顔に、何かついてるか?」
「…………」
それから一呼吸あって、黙り込んだまま冬弥をみつめていたレオに、冬弥が不愉快そうに問いかけた。
睨みつけてはいないはずだが、何かを感じ取ったのかもしれない。レオは、危ない危ないと、内心苦笑しつつ、また笑顔を返す。
「いいえ。冬弥様は、意外とマメな方なんだなと思っただけです。また、お嬢様に花束を用意してくださったのですね」
「え、あぁ……」
執事の言葉に、冬弥が手にしていたバラの花束に目を向けた。
あのパーティーのあとから、定期的に結月に送り付けた、真っ赤なバラ。
「そりゃ、結月さんが喜んでくれるなら、いくらでもプレゼントするよ。花を見る度に、俺のことを思い出してくれるかもしれない」
「(あぁ、見る度にお前のこと思い出して、俺が不快だったよ)それはそれは、冬弥様は、意外とロマンチストなのですね。ですが、本当にお嬢様のことを思うなら、メイドや執事に頼んで、お嬢様の好きな花を、リサーチしてからの方がよかったのでは? お嬢様が、バラの花をお嫌いだったら、どうするおつもりだったのですか?」
「は!? まさか、嫌いなのかバラの花!?」
「いいえ、好きですよ」
「な! 脅かすなよ!?」
「失礼致しました。ただ『冬弥さんは、もう自分の好きな花を忘れてしまったのかもしれない』と、お嬢様が落ち込んでらっしゃったので」
「え?」
「幼い頃に、お話されたそうですが、忘れてしまわれたのですね?」
「…………」
瞬間、冬弥はじわりと汗をかく。
結月の好きな花なんて、知るわけがない。
なぜなら、幼い日に、結月と会ったのは一度きり。きっと、結月が好きな花を話した相手は、もう一人の『モチヅキ』だ。
そう、結月が好きだと言っていた──もう一人の男。
「あ、あぁ……もう、8年も前のことだから、ついな。そうだ、お前執事なら知ってるだろ。結月の好きな花!」
「…………」
教えてくれ!と言わんばかりの目で見つめられ、執事は、また笑みを浮かべた。
「はい、存じておりますよ。お嬢様の、好きな花は──真っ白なユリの花です」




