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お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。  作者: 雪桜
第13章 誰もいない屋敷の中で

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忘れられた恋人

 ※注意※


 若干、アダルトなシーンがあります。

 ご注意ください。



「い、がらし……?」

「…………」


 腕を取られ距離が近づくと、ほんの数十センチの距離で視線が合わさった。


 いつになく真剣な表情をした執事に、こころなしか鼓動が早まる。その瞳はどことなく、怒っているようにも見えたから──


「あ、あの……」


「お嬢様は、餅津木冬弥のことを好きになりたいのですか?」


「え?」


 その質問に、結月は、ふと落ちた文庫本に視線を送る。


 きっと、この本を見て、そう思ったのだと思った。だけど、間違いじゃない。実際に、好きになろうとしてるのだ。


 餅津木 冬弥のことを──



「そ、そうよ……っ」


「……」


「だって、冬弥さんは私の婚約者だし、明日会えば、きっと正式にお付き合いすることになると思うの。だから、その前に少しでも冬弥さんのことを好きに」


「なれるのですか?」


「え?」


「お嬢様は──俺のことが好きなのに?」


「……ッ」


 瞬間、結月は目を見開いた。


 まるで時が止まったかのように、呼吸が止まり、思考が止まり、瞬き一つ出来ず硬直する。


 目が離せなかった。

 声が出せなかった。


 だが、その言葉の意味を理解した瞬間、止まっていた時間が、急激に動き出した。


「ぁ、っ……なんで……っ」


 唇が震えた。鼓動は痛いくらい早くなって、同時に身体は火を噴くように熱くなる。


 ────バレた。

 私が、五十嵐のことを好きだって……っ



「お嬢様」

「……ッ」


 再び声をかけられれば、硬直していた身体がびくりと跳ねた。

 腕を掴まれているせいか、逃げることも出来ず、恐る恐る、その目を見れば、いつもとは違う執事の表情に、恥ずかしさと同時に焦りが込み上げてくる。


「ぁ、私……っ」


 自分でも、顔が真っ赤になっているのが分かった。それはもう、言い逃れなんて出来ないくらいに──


 だけど、もしここで、それを肯定してしまったら


 もう、お嬢様と執事には



 ──戻れない。



「ち、違うわ! 違うの! 私は五十嵐のことなんて──ッん」


 だが、その瞬間、唐突に言葉を奪われた。

 声を発する間もなく遮られた、否定の言葉。


 そして、その唇には、なにか柔らかな感触が伝わってくる。


 唇が、熱い──


 更に、それが何か気づいた瞬間、結月は大きく目を見開いた。


(……え?)


 キスを──されているのだと分かった。


 それも使用人であるはずの



 "執事"に──



「っ……んッ」


 軽く身じろぐと、その後、触れていた唇がゆっくりと離れた。


「ぁ、な……んで……っ」


 何が起こったのか、わからなかった。


 震える指先で唇に触れれば、その感触は、今もしっかりと残っていて、それが夢や幻ではないことを告げてくる。


 ただ、触れただけ。そんな優しいキスだ。

 でも、それは結月にとって、初めてのキスで──


「言っておきますが、()()()ではないですよ」

「え?」


 だが、その言葉に、結月はさらに困惑する。


「なにを……言ってるの?」


「……これでも、まだ、思い出せませんか?」


 目を合わせ、頬に触れ、執事が囁いた。

 とてもとても、悲しそうに──


「お前にとって、俺は……その程度のものだったのか?」


「……っ」


 まるで、置き去りにされた子供のように、悲しげな表情をうかべた執事に、胸の奥がズキリと傷んだ。


「思い出して、俺のこと──」


 どうして? 胸が苦しい。


「もう、これ以上、俺を忘れようとしないで──」


 それは、今までに

 一度も見たことのない表情だった。


 今にも、泣いてしまいそうなほどの、切なく哀しい表情──


 どうして、そんな顔するの?

 五十嵐は、何を言っているの?






 ✣


 ✣


 ✣






 自分は、もっと理性的な人間だと思っていた。


 だけど、結月が冬弥のことを好きになろうとしていることに気づいた瞬間、冷静ではいられなくなった。


『お嬢様は、俺のことが好きなのに?』


 そう言って結月を見つめれば、真っ赤になったその顔に、心が震えた。


 結月が、俺の事を好きになってくれた。

 それが、嬉しくて、幸せで──


 だけど、それと同時に、結月がその気持ちを忘れようとしていることに、酷く虚しさを感じた。


 理屈では、分かっていた。


 俺は執事で、結月は、この家のお嬢様。

 そして、俺の事を覚えていない、今の結月にとって、なによりも優先すべきなのは、婚約者との縁談。

 でも……


『違う、違うの!』

『……ッ』


 俺を好きになってくれた、その気持ちですら、根こそぎ否定しようとする結月に、理性なんて一気に崩れ去った。


 掴んだ腕を引き寄せれば、無理やり唇を塞いで、言葉を奪った。


 子供の頃に、たった一度だけ交わしたキスのように、ただ触れるだけの囁かなキス。


 思い出して──と、願いを込めた優しいキス。


 だけど、キスで呪いが解けるのは、所詮、物語の中だけで、思い出すこともなく、赤くなるわけでもなく、ただ顔を青くし困惑する結月に、心が砕けそうになった。


『お前にとって……俺は、その程度のものだったのか?』


 誰にも見つからないように

 こっそりと会っていた、あの日々も


 離れたくないと言って

 流してくれた、あの涙も


 そして、別れ際に交わした、あのキスですら


 結月にとっては、忘れてもいいような、そんな、どうでもいい記憶だったのか?


『思い出して、俺のこと──』


 もう、これ以上


『俺を、忘れようとしないで……っ』



 結月は、悪くない。

 結月を、苦しめるべきじゃない。


 そう、思ってはいるのに


 一向に報われない思いに、次第に心が、真っ黒に染まっていくように感じた。


 無償の愛を、注げたら良かったのかもしれない。


 なんの見返りも求めず、ただ君を愛することが出来たら、良かったのかもしれない。


 でも、俺はそんな出来た人間じゃないから

 君に、無償の愛なんて注げない。


 例えそれが、始めは、無償のものだったとしても、与えるだけで、なにも返って来なければ


 いつか、その愛も朽ち果てる。


 愛するだけじゃ、満たされない。


 俺は、君に愛されるためだけに、これまで、生きてきたから──



「五十嵐……なにを、言ってるの?」


「………」


 一方的な俺の話を聞いた後、それでも思い出す気配のない結月を見て、ふと悪魔のような言葉を思い出した。


『本当に愛し合ってるって言うなら、二人で苦しむべきなんじゃない?』


 ルイが言った、あの言葉──


 結月は、悪くないし、苦しめるべきじゃない。

 ずっと、そう思ってきたけど。


 ──ごめん、結月。

 俺、もう、一人で苦しみたくない。


「……ッ」


 頬に触れていた手を離すと、そのまま肩を押しやり、結月をベッドの上に押し倒した。


 容赦なく覆いかぶさって、触れる時は必ずつけていた手袋を、あっさり脱ぎ捨てる。


「え、……五十…嵐?」


「…………」


 困惑する結月を見下ろし、執事としてではなく、"一人の男"として、直接、その手で頬に触れた。


 お風呂上がりの肌は、しっとりと瑞々しく、まだ半乾きの髪を乾かそうと思っていたはずなのに


 もうそんなの、どうでも良くなってしまった。


「──結月」


「……え?」


 名前を呼んだだけで、驚く君は、なんて愛おしくて、なんて残酷なんだろう。


 あの頃、俺は、何度と君の名を呼んでいたはずなのに、君はそんなことすら、忘れてしまった。


「もう、思い出せないなら……」

「──んッ、」


 組み敷かれ、身動きの取れない結月の両頬を掴むと、再び、その唇に口付けた。


 今度は子供の頃のような触れるだけのものじゃなく、食らいつくような激しいキス。


 深く深く、呼吸の合間に、結月が声をあげようとするのを何度と奪っては、しがみつこうとする手に指を絡め、きつく握りしめた。


 やっと好きになってくれた、その気持ちですら、何もかも、なかったことにしようと言うのなら


 今度こそ、絶対に忘れられないように、その身体に、刻み込んでしまおう。


 何度でも

 何回でも


 そう、忘れたくても、忘れられなくなるくらいに。


 この先、君が、一生俺のことしか、考えられなくなるように──



「……っ、んッ……はぁ」


 誰もいない屋敷には、邪魔する者なんて誰もいなかった。


 触れたい気持ち

 奪いたい気持ち


 そんな欲望にまみれた自分を、先程理性で押し込めたばかりなのに、こうなってしまっては、もう歯止めがきかなかった。


 俺にとっては、二度目。


 でも、今の結月にとっては、初めてのキスの後、もう何度交わしたか分からないくらい口付けた。


 不思議と、結月は抵抗しなかった。それをいいことに少しずつレベルを上げていく。


 口内に舌を潜り込ませると、ビクリと震えた結月をみて、怖がらせないように、そっと舌を絡めた。


 優しく、労わるように──


 だけど、始めは優しかったそれも、煽るように発せられた甘い声のせいか、気がつけば、いつしか激しいものへ変わっていた。


「結月……っ」

「は、ぁ……んんっ」


 何度と口付けては、名前を呼んで、その後、髪を撫でた。


 もう、まともに呼吸が出来なくなった結月は、今、何を思っているのだろう。


 軽蔑しただろうか?

 それとも、嫌いになっただろうか?


 それでも、俺は今までの時間を埋めるように、何度と結月を愛し続けた。


 でも──


「っ……い、……が、らし……っ」


「…………」


 切なく漏れたその声に、目を細め、また微笑む。


 ずっと、名前を呼んで欲しかった。

 五十嵐ではなく『レオ』と──


 でも……もう、いいよ。五十嵐でも。


 君が、俺の名を呼んでくれるなら

 君が、俺を忘れずにいてくれるなら


 もう『執事』のままでもいい。


 だから、これからは、一緒に苦しんで?


 執事を好きになってしまったこと

 執事とキスをしたこと

 執事に愛されたこと


 それを一生、忘れずに、苦しめばいい。


 例え、ここで、君に嫌われたとしても、君の中で、一生、生き続けることができるのなら


 俺は、きっと『幸せ』だから───


「愛していますよ、お嬢様──」


 視線を合わせ、そう囁けば、頬には、静かに涙が伝った。


 結月の目尻に流れ落ちた、それが自分のものだと、気づいたのは、それから、暫くたって


 結月が眠りについた後のことだった。



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