バラの花束
あれから、三週間がたった十月中旬。
矢野が退職し、屋敷には、お嬢様と執事と使用人二人の四人だけとなった。
そんな中、学校が休みの今日も、レオは執務室で仕事をしていた。
「五十嵐さん!」
だがそこに、メイドの恵美が両手に抱えるくらいのバラの花束を持ってきて、レオは眉を顰める。
「また、冬弥様から花束が……」
「あー、捨て」
「はい?」
「……ぁ、いえ、お嬢様にお見せしたあと、また廊下の花瓶にでも生けておいてください」
思わず出そうになった本音を笑顔で誤魔化すと、恵美が出ていったあと、レオは深く息をついた。
あれから冬弥は、時折こうして、結月にバラの花束を送ってくる。
正直に言えば、まるで自分の存在を主張するように咲きほこる、あのバラを見る度に不快な気分になる。
あんなことをしておいて、花ごときで詫びれるとでも思っているのか?
できるなら、結月の目に触れぬよう、とっとと葬り去ってしまいたい。
だが、花にはなんの罪もない。
それに自分は今、執事。
私情を挟むわけにはいかない。
✣✣✣
それから、しばらくして、一通りの仕事を終えると、結月の様子を見に行こうと席を立つ。
執務室から出て、お茶を用意して、そのまま結月の部屋に向かう。
「お嬢様」
扉をノックすると、お嬢様の返事を待つ。
だだ、その後、返事がくることはなく
(また、居眠りでもしてるのか?)
今はまだ朝の10時。
この時間には珍しいなと扉を開けて中に入ると、結月は眠ってはおらず、ベッドに腰かけたまま背中をむけていた。
「お嬢様」
「ぁ……五十嵐。ごめんなさい、気づかなくて」
結月は振り返り、申し訳なさそうに笑うと、また執事に背を向け、しゅんとする。
「如何なさいました」
少し思い詰めた様子の結月を見て、レオが声をかければ、結月は手にした手紙を見つめながら答えた。
「ねぇ、ヤマユリの花って、今は咲いてないのかしら?」
「ヤマユリは夏に咲く花ですから、今の時期はないかもしれませんね」
「そう……なら仕方ないわね」
「仕方ない?」
「あ、うんん。冬弥さん、私の好きな花、忘れちゃったのかなって……思っただけ」
「…………」
その話に、レオは手にしたティーセットをテーブルの上に置くと、どこか複雑な表情を浮かべた。
(結月、俺以外にも、好きな花の話してたのか……)
それも、あの餅津木 冬弥に──
「さっき、冬弥さんから花束が届いたでしょう」
すると、また結月が語りかけてきて、レオはレモンティを入れながら、小さく相槌を打つ。
「はい」
「あれにね、お手紙が添えられていて」
「え?」
「『今度また、お会いしたい』って……」
「…………」
まさか、手紙が添えられていたとは。
おもわず手元が止まり、レオは考え込む。
どうやら三週間たち、あちら側も動き出したらしい。
(それで、こんなに元気がないのか)
きっと、返事に迷っているのだろう。
だが、それも無理はない。いくらホテル側のミスだと主張されても、結月はあの日、とても不安思いをしたのだから。
「お会いしほうがいいわよね、婚約者だし」
「……」
「あの、なんてお返事を書くべきかしら…『私も会いたい』と書いたほうがいいのかしら」
「………」
聞けば聞くほど、イライラしてくる。
なんで、結月があんな男のために、ここまで悩まないといけないのか?
しかも、会いたい?
そんな手紙一生書かないで欲しい。
「お嬢様、嘘をつくのはいかがなものかと」
「でも、会いたくないと、書くわけにはいかないでしょう」
(会いたくないのか……)
個人的には、ストレートにそれを書いて欲しいところだが、洋介に二人の仲を取りもてと言われた以上、上手くたちまわらなくてはいけないわけで……
「お嬢様。今は『もう少し時間をください』で、よいのではないでしょうか?」
「時間を……」
「はい。それに、もしそれでも冬弥様が、お嬢様にお会いしたいと、しつこい……いえ、ご希望でしたら、この屋敷でお会いしたいとお伝えしてください」
「この屋敷で?」
「はい」
あちらのテリトリーに結月を送り込むよりは、こちらのテリトリーに冬弥を招き入れた方が何かと動きやすい。
それに、こっちの屋敷で会うとなれば、下手な小細工は出来ないだろうし、なにより、冬弥の目的が、結月との間に子供を作ることなら、なおのこと、結月を冬弥と二人きりにするわけにはいかない。
「この屋敷にお招きくだされば、私が丁重におもてなしいたしますよ」
「そうね。確かに、屋敷の中なら、五十嵐がいるものね」
そう言って、結月が安心し表情を緩めると、レオは結月の前に膝まづき、そっと手を握りしめた。
「はい。私はどんな時でも、お嬢様のお傍におります」
「……っ」
穏やかに微笑みかけられ、結月は微かに頬を赤らめる。
ただ、傍にいてくれるだけで、こんなにも胸が熱くなってしまう。
五十嵐には彼女もいるし、ここまでしてくれるのは、自分がお嬢様だからだということもわかってる。
それでも、笑いかけてくれるのが嬉しい。
大切に扱ってくれるのが嬉しい。
(やっぱり、こんな気持ちじゃ、冬弥さんには会えないわ)
執事に恋をしたまま、婚約者には会えない。
まずは、この気持ちを、忘れてしまわないと───
「そうだ、お嬢様。デートしましょうか?」
「え?」
瞬間、想像もしなかった言葉が聞こえてきて、結月は目を丸くする。
「な、なに言って……っ」
「最近、お嬢様が、ため息ばかりついてらっしゃると、みんな心配しております」
「え?」
「ですから、気分転換に私とデートをしましょう。前に二人だけで行った公園、覚えていらっしゃいますよね?」
「ぇ、ええ、あの、人面魚がいるとかいってた……!」
「いえ、人面魚はおりません」
執事が言っているのは、前に学校帰りにつれていかれた、池のある大きな公園のこと。
二人きりで公園を回って、メロンパンを食べて、ただただ穏やかに話をした。
それを五十嵐は、デートなどと言っていた。
「あの時、また連れていくと約束しましたよね」
「そうだけど……っ」
「今日は、天気もいいですし、あの公園の紅葉はとても綺麗なんですよ」
「そうなの?」
「はい……」
執事の言葉に、心を揺さぶられる。
見てみたい気がした。
この屋敷以外の、秋の姿を……
「それとも、デートというのは、抵抗がありますか?」
「……っ」
そう言って、握りしめられた手を、思わず握り返した。
忘れなきゃいけない。
忘れて、別な人を好きにならなきゃいけない。
それなのに───
「デートって……どんなことするの?」
「え?」
「普通の恋人同士は……みんな、どんなデートをしているの?」
それは、ただの興味本位だった。
自分は、一般的な『デート』というものを、あまりよく分かっていないから。
「そうですね。普通の恋人同士なら、手を繋いだり、食事をしたり、夢や将来についてかたりあったり、あとは──キスをしたりでしょうか?」
「キス……?」
──その言葉に、結月は小さく反応する。
もし、五十嵐と恋人同士になれたら、どんなに幸せだっただろう。
この優しさも、微笑みも
声も、言葉も、温もりも
何もかも全部、一人占めにできたら、どんなに幸せだっただろう。
でも──
「そう。じゃぁ……やっぱり『お散歩』って言わなきゃダメね」
結月は小さく笑い、執事にそう返した。
これ以上は、望んじゃいけない。
夢を語るのも
将来を語るのも
キスをする相手も
五十嵐には、もう相応しい人がいるから──
だから、今は、ただ、貴方と出かけられるなら、それだけでいい。
そばにいてくれるなら、ただそれだけで
私は、きっと『幸せ』だから───




