奪われる。
「ばいばいレインー!」
今はもう廃れかけている東京の駄菓子屋、お菓子を握り締めた子供たちがレインと呼ぶ男に手を振り別れの挨拶を告げていく。
「気を付けて帰るんだぞー」
男は手を振り返し、子供が帰ると大きく息を吐いた。
「はぁー……冷たっ!?」
「レイ兄お疲れ、これおごりだよ」
首筋に冷えたジュースを当てられ飛び退いたレインは、拗ねた表情で目の前の少女からジュースを受け取る。
「愛華……そういうのは止めてくれって言わなかったか……?」
愛華と呼ばれた少女は、陽の光に反射し美しく輝く黒髪を揺らしながらレインの目の前に接近してきた。
「うん、どうした?」
「……ふふ、やっぱりレイ兄日本語上手くなったよね!」
「そりゃあ、お前がランドセル背負ってる頃からここにいるからな」
―――――本名レイン・サンドライト、歳は今年で28、出身は日本はおろか地球ですらない。
レインはカリプスという異世界で生まれ、幼い頃から傭兵として生きていた。
スラムで生まれ、選択肢が限られていたレインは、一日一日を命がけで生き延び続けた。
そして彼が成長しその日の食事に困る事が無くなる頃には、彼は傭兵王と呼ばれるようになっていた。
これがレインという青年の一つ目の転機、そしてもう一つが地球への転移だった。
カリプスには魔術が存在し、魔術は人間の生活に密接に関わっていた。
レインが18の時、魔術王と呼ばれた一人の狂人が世界を滅ぼす程の魔術を生み出した。
これが常人であればその魔術を封印なり秘匿するなりしたのであろうが、魔術王は狂っていた。
迷うことなく魔術を行使しようとした魔術王を災厄の一つとして認定し、大規模な討伐隊が組まれた。
その先頭にはレインが立ち、およそ一週間にも渡る長い戦いが繰り広げられた。
そして決着がつき、倒れ伏した魔術王は最後の足掻きとしてレインを遠く離れた場所へ転移させようとした。
傷つき疲れ果てたレインにそれを避ける余裕はなく、気が付けば人口の光が夜を照らす魔術無き世界、地球に来ていた。
そうしてレインは10年、カリプスへ帰還する事が出来ず日本の駄菓子屋で働いていた。
「ほんと、あの時の事は今でも覚えてるよ。私が小学校から帰ると、ファンタジーの冒険者みたいな恰好した人が倒れてるんだもん」
「お前以外に見つかっていたら警察沙汰だっただろうな……ホント幸運だった」
「言葉もわかんなくて大変だったよー、今じゃ私も喋れるもんね、カリプス語!」
「まさか本当に覚えられるようになるとはな……」
愛華に救われたレインは日本語を覚える最中、愛華に頼まれ彼の言語を教える事になった。愛華はレインを名前もない程小さな村の外国人だと認識しており、カリプスの言語―――――共通語を「どこかの部族のことば」程度に思っていた。
愛華は一度興味を持つと止まらない性格で、世に出ないであろう言語をたった3年で殆ど覚えてしまった。
これにはレインも驚き、彼女の熱意を褒め称えた。
「……ねえ、レイ兄」
夜。レインが店を閉め、愛華の祖母から貸し与えられた自身の部屋に戻ろうとすると愛華が呼び止めた。
「レイ兄は……村に帰りたくならないの?」
「どうしてだ?」
「だって10年も故郷から離れてるんでしょ?……寂しくならないのかなって」
「そりゃあ寂しいが……10年も離れてると慣れるもんだ、それに帰るとラーメンが食えなくなるからな!」
そう言うと愛華は思わず吹き出してしまう、暗い顔があっさりと明るくなっていく。
「ぷっ……何それ?そんなにラーメンにハマっちゃった?」
「ああ、もう月に一度は食わないとおかしくなりそうだ」
「最初の頃は何食べても泣いてたからね、レイ兄」
愛華は楽しそうにレインとの思い出を振り返る。
「ね、レイ兄」
「なんだ?」
「また明日、ラーメン食べに行こ?」
「賛成だ、『唯我独尊』でいいよな?」
「もう、本当ラーメン好きなんだから……それじゃあ、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
そう言ってレインは身支度を済ませると布団に潜る、レインは暖かい空間で過去を思い返す。
「帰りたいか……全く思わなかったな」
カリプスにも思い出はあった、苦しくも充実した冒険、傭兵としての人生、そしてそこで生まれた仲間。
だが、この幸せを手放してまで帰る事は出来なかった。
「明日は『唯我独尊』か……そういえばスタンプ溜まるな……財布に……入れっぱなし……だっけ……」
徐々に意識を手放し、深い眠りについたレイン。
それがレイン・サンドライトの最後の安眠だった。
「……ふあぁ……もう朝か……店開けなきゃ……」
まだ眠い頭を無理矢理起こし、起き上がるレイン。そして部屋を出ると愛華の祖母が青い顔で立っていた。
「あぁ……!レインちゃん!どうしましょう……!?」
「ば、ばあちゃんどうしたんだ?朝からそんなに慌てて―――――」
そうしてレインが彼女の視線を追い愛華の部屋を覗くと。
「レインちゃん……愛華は、何処に行ったの!?」
その日、愛華はいなくなった。