役立たずの村
岸にたどり着き、舟を下りた瞬間ヒメは膝をついた。息は乱れ、大粒の汗が全身から吹き出して地面に落ちる。無理もない、あの大軍をたった一人で相手したのだ。
「だ、大丈夫か!?」
慌てて駆け寄るが、水筒の水を飲ませるくらいしか出来ない。
「しょ、翔太さんこそ無事ですか…。」
「おかげさまで無傷だよ。それに、思ったよりも疲れていな…」
そこではたと気が付いた。疲れてない!? あれだけ舟を漕いだのに?
空を見ると既に太陽が山の上から顔を出していた。慌てて川の水面を覗き込むと、さらに10歳若返り30歳くらいになった己の顔が映った。
道理でそれほど疲れないわけだ。舟も最後の方がスピードが上がっていた気がしたのも気のせいではなかった。
「少し休もうか。俺は見てのとおりだ。休んでも歩く速度が上がるから十分取り戻せるよ。」
それは偽りではなかった。体に力がみなぎってくる。若さは財産とはよく言ったもんだ。全くその通り。体力だけでなく気力も湧き上がってくる。
「いえ、随分川下に流されてしまいました。社から遠ざかっています。急がないと間に合わなくなります。それに、ここには身を隠せる場所がありません。」
どうやら戦闘の混乱と漕ぎ手が一人になったことにより、思った以上に川下に流されてしまったようだ。ヒメの言う通り、低い草しか生えていないこの場所では簡単に見つかってしまうだろう。しかし、彼女の疲労を考えると無理をするのもいただけない。何せ、彼女しか戦えないのだ。
なら、方法は一つしかない。
「乗りな。」
「えっ!? でも…。」
背中を見せた翔太にヒメが戸惑う。
「いいからいいから。時間は惜しい。でも君は疲れている。なら方法はこれしかない。大丈夫。見ての通り、体力と気力が余っているんだ。」
「そ、そうですか…。では…。」
おずおずとおぶわれるヒメ。その頬は少し赤らんでいた。
…軽い。最初に感じたのはそれだった。背中に感じる圧でもなく、首筋にわずかに触れる肌の柔らかさでもなく、ただひたすらに軽かった。
そうだ。ヒメはまだ14~15くらいの少女だった。見た目以上にしっかりした精神と戦闘力でつい忘れていた。そんな存在に今まで守られてきたのだ。何とも情けない話だ。
「この先に、かつての人族の集落があります。そこなら身を隠せるはずです。」
なるほど、そこまで行けば少しは安心して休めるだろう。なら話は早い。ここまでいいとこなしだったからな。少しは大人としてカッコつけないと。
「OK。急ごう。」
ヒメを背負ったまま小走りで走り出す。太陽は既に高く上がっていた。
「そんな…。噓でしょ。」
集落に着いたヒメの最初の一言。それは翔太も同じだった。かつての人族の集落と聞いていたので、なんの警戒もせずに無防備に近づいた。急いでいたせいもある。そして集落の入り口でようやく異変に気が付いた。
「……おや、人か…。」
そこには烏族がいた。烏族が人族に代わって集落に居ついていた。
ヒメの口と腕がワナワナと震え、顔には明らかに憤りの表情が浮かぶ。
翔太もしまったと思ったが時すでに遅しだった。あっという間に集落中の竪穴式住居から烏族が出てきて集まってくる。ここまで来てしまっては逃げる事も出来ない。戦うしかないが、ヒメはまだ回復しきっていないようだ。突き出した手からは小さな炎しか出なかった。
「おおっと待ちなされ。気持ちは分かるが、こちらに敵意はない。その炎をしまってくれんか。」
そこで第二の異変に気が付いた。誰も武装していない。と言うか、よく見ると老人と障がい者と思わしき者達しかいない。
「ヒメ、待って。少し様子が変だ。」
「………そうですね。油断は出来ませんが…。」
良かった。ヒメも状況は理解できているようだ。
どうしてこうなった?
「おあがりになるかね? 毒は入っていない。」
「いえ、持ってきた水筒と糧食がありますので不要です。」
目の前にはお饅頭とお茶。この村の村長だと言う人が出してくれた。しかし、ヒメは警戒して手を出さなかった。返事も普段のヒメの穏やかな声と違って刺々しい。
あの後、なし崩し的に集落に入ったが、本当に良かったのか? 罠なのでは。ヒメもそれを疑って住居内に誘われたが断った。そして視界と射線が確保できる小高い丘の広場を話し合いの場に指定した。
「まあそうなるじゃろうな。逆の立場だったらワシもそうする。」
出したものを断られても、村長は特に気にしていない様子だった。
「ここがかつて人族の集落だった事は知っている。故に、人族最後の巫女たるあんたが憤るのも無理はない。だがな、ワシらはここ以外に生きる場所がないんじゃ。勘弁してほしい。」
ヒメと顔を見合わせる。
「どういうことでしょうか?」
「ここが人族の集落だった頃、この村が何と呼ばれていたかは知らんが、今はこう呼ばれておる。役立たずの村…と。」
役立たずの村? 確かに、村は老人や障がい者が多くいるようだが、それにしても酷い呼び方だ。
丘下に集まってこちらを見ている烏族を見渡すと、何故か皆不安そうにこちらを見上げている。今まで見てきた烏族とは明らかに様子が異なる。
「500羽ほどの人口の中に、健常な若者がいないわけではないんじゃが、片手で数えられるほどしかおらん。殆どは年寄りと障がいを負った者ばかりじゃ。」
「子供の姿もちらほら見えますが?」
「あの子らは先天性の障がいを負って生まれたもの達じゃ。身体もいれば、脳に障がいを持っている者もおる。故に、元の集団から追い出されたんじゃ。ここは、そんな者達が集まって生きている場所なんじゃよ。」
なるほど。ようは姥捨て山か。人も烏も、やる事は対して変わらないな。
「同時に、反体制派の村でもある。」
「反体制? どういう事ですか?」
村長の言葉に困惑する。反体制派だと? 烏にも派閥があるのか。
「そのままの意味じゃよ。人族との戦争に反対して異端の烙印を押された者もここに押し込められておる。かくいうワシもその一人じゃ。」
「…詳しく聞かせ下さい。」
村長の話はとても興味深いものだった。
「人族と烏族が長年に渡り戦ってきたことはもう説明するまでもないじゃろう。結果は見ての通り、ワシら烏族の勝利じゃ。じゃがな。その過程で何羽の仲間を失ってきたと思う? 平均して一人の人族を倒すのにワシらは百の仲間を失ってきた。この上さらに犠牲を出してまで最後の巫女を屠る意味は無い。そう主張したら今の王に激怒されて追い出されたのじゃ。ワシだけではない。この村にいる数少ない健常者は皆親しい者を失い、人族との和平を唱えた者達じゃ。それ故に元の集団にいられなくなったんじゃ。」
そうだったのか…。人族一人に対して烏族百羽の犠牲。これじゃ戦争が嫌になる個体が出てきてもおかしくはない。
ましてや、ヒメはこの旅の中だけでも相当数の烏族を葬っている。明らかに割に合わない。
「それだけの犠牲を出してでも、ヒメを執拗に狙う理由は何なのでしょうか? 我々にとっては嫌な話ですが、時間はそちらの味方です。ヒメが亡くなるのを待てない理由は?」
「ワシが思うに恐怖じゃろうな。いつか復讐されるかもしれない、襲撃されて自分や自分の家族が殺されるかもしれない。それに対する恐怖が烏族全体を突き動かしておる。あるいは…、もう理屈ではなく、そうしなければならないのだと思っているのかもしれん。」
恐怖…か。それは立派な安全保障の理由だ。それこそ、攻撃理由になりえる。
個人ではともかく、地震が来るとわかっているのに行政が何の備えもしない事はありえない。住居の耐震化を進め、いざと言う時のための非常食や水を確保するのと同じように、自分達への危害を防ぐための予防的措置としての先制攻撃。
なるほど、烏族は未来への悔恨を絶つために、どうしてもヒメの命が欲しいのだ。自分や子孫が安心して暮らせる世のために。
この村の言い分は良くわかるが、大半の同族から理解を得られなかった理由もわかった。
これは解決不可能な問題だろう。何せ、思想の違いからくる迫害だ。
「事情はわかりました。そちらに敵意がないならこちらも手出しするつもりはありません。ヒメも、それで構わないよな。」
「………はい。」
ヒメの返答は少し時間がかかった。
休めないのは残念だが、ヒメが時間が惜しいと言うので早々に村を立ち去ろうとしたその時。遠くの空に、隊長率いる烏族の軍勢が見えてきたのにヒメが気が付いた。その数、およそ百羽。
思わずヒメと顔を見合わせる。これまでの話は嘘で、罠で足止めを食らったのかと思ったが、村長や村人達の様子がどうもおかしい。
「一旦、ワシの家に隠れるんじゃ!」
「無駄です。既に見つかっています。」
ヒメは厳しい表情で村長の提案を却下した。
そうこうしているうちにあっという間に軍勢は村に到達。そのままこちらに向かってくると思ったら、信じられない事に兵士達は村人を襲い始めた。
「何だ!? 何が起こっているんだ?? なんで烏族が烏族を襲うんだ??」
ヒメも思わぬ事態に驚愕して動かない。そんな翔太達の目の前に隊長が降り立った。
「流石に、この村が役立たずから裏切り者に進化していたとは思いませんでしたよ。村長殿。」
こちらに見向きもせずに村長と話す隊長。裏切り者だって?
「裏切りじゃと? 誰がいつ裏切った! 戦をやめようと言うのが裏切りなのか! 今すぐ攻撃をやめさせろ!」
「王の決定だ。年貢の納め時だ村長。大人しく切られろ。」
「反対派はどうした? キロ丸様は? あのお方がお許しになるはずがない!」
「先代なら急病でお亡くなりになられたよ。「役立たずとは言え、同族殺しなどもっての外」。はっ、ご立派な事で。おかげで膿が溜まったままになってしまった。だが、幸運は私に味方したようだ。役立たず共と将来の脅威を同時に取り除くことが出来る。この功績は次の王への道に繋がるだろう。感謝するぞ村長!」
「愚かな。誰かを平気で切り捨てる者は、いつか自分が切り捨てられる側になるぞ。それがわからんか!」
村長の言葉を無視して隊長は大鉈を振りかぶった。しかし…、
「させませんよ。」
次の瞬間、隊長の頬に火球が叩き込まれていた。ヒメが放ったのだ。思わぬ奇襲に隊長もよろめくが…。
「早死にしたいのか、人族最後の巫女よ。お前が川に送った千もの部隊を打ち破ったのはここに来る途中でわかった。正直、驚いたよ。仲間の遺体の数に戦慄したもんだ。しかし、お前は今弱っている。こいつを始末したら直ぐに斬ってやるから、そこで大人しくしてろ!!」
そうだ、今までのヒメならここまで接近される前に火球で攻撃を始めていた。隊長に撃ち込まれた火球は大きさも威力も大してない。隊長の言う通り、ヒメは全然回復できていないんだ。
「回復していないのは事実ですが、やりようはあります。」
そう言ってヒメは炎の鞭を出した。
「正気か? お前がこいつらのために戦う理由はないはずだ。」
「この状況を、黙ってみていられるほど大人ではありませんので。」
もしかしたら、ヒメは村のあちこちで虐殺が繰り広げられているこの現状をかつての人族の村と重ねたのかもしれない。その瞳には明らかに怒りの感情が宿っていた。
「なら、貴様から殺してやろう!!」
「すみません、翔太さん! しばらく自分で身を!!」
守って。そう全部言い切る前にヒメは隊長との戦闘に入ってしまった。
自分で自分の身を守れと言われてもどうすりゃいいんだ? 飛んでくる矢を避けるだけで精一杯だぞ! 兵士達は余裕の表情でこちらを見ている。明らかに遊んでいやがる。
「くそったれが!」
30近くの肉体になっていなかったらとっくに蜂の巣だ。村中から悲鳴が聞こえる。ここが地獄か…。
逃げ一手の翔太を気遣ったのか、ヒメが兵士一体を火の鞭で叩き落してくれた。しかし、焼け石に水だ。
「翔太さん!」「よそ見が出来る場合かぁっ!!!」
とうとう逃げ切れなくなる。追い詰められて思わず身を縮めて頭を抱えた。
そこに、目の前にヒメが落とした兵士が持っていた刀が落ちてきた。今更こんな刀一つでどうにかなるもでのはない。ここまでか…。
刀?
共に竹刀を握って汗を流した仲間たちとも久しく連絡を取っていない。
…あ。そうだ。なんで俺…忘れて………………。
目の前の刀を取った。
「遊びは終わりだ! 死ねぇーーーー!」
兵士の一人が翔太に突っ込んでくる。勝利を確信して大降りになり、隙だらけの胴体を衝撃が襲った。
「ぐえっ!?」
「うん? …なんだ?」
吹き飛んだ仲間の姿に隊長も異変を感じたのか動きが止まる。
その目に、ゆらりと立ち上がる翔太の姿が映った。
「あんま良い刀じゃないな。でも、かえって好都合だ。思いっきり打ち込める。」
使い古されたものなのか、それとも単に作刀技術が低いのか。はたまた使っている鉄が悪いのか。翔太が手にした刀はお世辞にも状態が良いとは言えなかったが、それがむしろ幸いした。
「殺生なんて、なるべくしたくないからな。」
「何をごちゃごちゃと!」
再び兵士の一人が襲い掛かるが…、
「めーん!!」
「ぐわぁっ!」
脳天に思いっきり食らってひっくり返り、そのまま気絶した。
「どうした? もう来ないのか。」
「な、何だこいつ? 明らかにさっきと雰囲気が…。」
翔太の突然の豹変に兵士達に動揺が走る。
ヒメも目を丸くしている。
「う、うろたえるんじゃない! 距離を取って矢でこうげ…「遅い。」…ぎゃっ!」
一気に踏み込んでもう一羽打ち倒す。パニックを起こして慌てて飛ぼうとする兵士一羽をさらに追撃で叩き落す。
空中に上がった兵士が矢を射かけるが、その全てが避けられるか斬り捨てられて一本も翔太には当たらない。
「しょ、翔太さん???」
ヒメの目の前に立った翔太は、それまでと打って変わって精悍で自信に満ちた顔をしていた。
「今まで守ってくれてありがとな。今度は俺が守る番だ。任せろ、今なら負ける気がしない。」
振り向いて、隊長を挑発する。
「こいよ隊長。小中高大、全国大会常連。インターハイで準優勝までいった腕、見せてやるよ。」
「……こいつ…。」
負ける気がしないのは嘘ではない。今の俺はもう30を過ぎて20代後半から中盤に来ている。肉体的なアドバンテージはもちろん、まだ腕が訛っていない時期だ。
「調子に乗るな!!」
隊長が突進してくる。今まで見てきてわかったが、烏族の戦闘に技らしきものはない。まだ剣道のような体系立てられた道のようなものはないのだろう。その様はめいめいが好き勝手に武器を振り回しているだけだ。そんなものを俺が見切れないわけがない。
「このっ! このっ! ちょこまかと!」
大鉈をただ力任せに振り回しているだけの隊長の刀は虚しく空を舞う。
隊長が息切れしてきた頃を見計らって胴に一撃、続いて喉にも一撃、さらに踏み込んで面を食らわせた。
「がっ!? ぐがっ! ぎゃばっ!」
変な声を出して、隊長が倒れる。
「隊長!? そんな!??」
その様子は兵士達には衝撃的だったのだろう。一目散に逃げて行った。
「仲間を置いていくなんて、随分と薄情な奴らだな。」
だからこそ、同族殺しも平気で出来たんだろう。
「しょ、翔太さん。凄い…。」
ヒメがキラキラした目で見てくる。ようやく、大人として良いところを見せられたかな。そう思いながらヒメに近づいたのだが、次の瞬間ヒメはその場で倒れこんだ。
「ヒメっ!?」
慌てて駆け寄って抱き起す。揺すってみるが、反応がない。
「慌てなさんな。気を失っているだけじゃ。」
「村長? 気を失っているとは? と言うか、無事でよかった。」
「おかげさんでな。言うた通りよ。疲労がピークに達したんじゃろう。ここまで連戦続きだったんと違うかの?」
村長の言う通りだ。ヒメは川での死闘で殆ど力を使い果たしていた。そのまま碌に回復していない状況で隊長と戦ったのだ。疲労が限界を超えたのだろう。
「家で休んでいきなさい。あんたらは恩人じゃ。悪いようにはせん。」
他に選択肢はない。お言葉に甘えて休ませてもらうことにした。