第86話 魔界突入
撤退していく魔物に追撃を仕掛けるミムニア軍。そして、知らず知らずの間に濃い瘴気が渦巻く魔界へと足を踏み入れてしまっていた。
追撃するミムニア軍は魔物を追いかける事に必死で、追撃隊は誰一人としてその事に気が付いていない。唯一気が付いたのは追走隊を率いるミムニア軍の将軍サイキスだった。
「いかんな……」
辺りの空気が変わった事に気が付いたのか、飛行魔法を使って追走する魔術隊を率いるサイキスは顔をしかめていた。
「どうなされたのですか、サイキス様」
魔術隊の一人がサイキスに問い掛ける。
「辺りの空気が変わった。どうやら魔界に入ってしまったようだな。それにしても、かなりの速度で追いかけているというのに、まったく我が軍に追いつく気配がない。一体どういう事なのだ?」
質問に答えながら、疑問を口にするサイキス。
実のところ、サイキス率いる魔術隊は馬並みのスピードで追撃隊を追いかけている。だというのに、撤退していく魔物があげる土埃は遥か前方。それに加えて追撃隊にすら追いつけない。追撃隊は歩兵であるにもかかわらずだ。明らかにおかしい現象がここに起きていた。
「むぅ、我が軍との距離が縮まらん上に、魔物との距離はさらに広がっていっておる」
こう言いながら、サイキスは周りを見る。そして、何かに気が付いたようだ。
「この霧……、まさか!?」
よく見ると周囲には紫がかった霧が渦巻いていた。サイキスはこの霧に気が付くと、自分の勘を確かめるべく、突然上下に動き始めた。
「やはりそうか」
分かってしまえば判断が早い。
「魔術隊! どうやら上空は何者かによる魔力干渉を受けている。地面近くまで高度を落として追走するぞ!」
「はっ、承知致しました! 総員、低空飛行に切り替えよ!」
この声で、魔術隊は一気に高度を地面近くまで下げていく。すると、先程までとは打って違い、前方の兵士たちとの距離が詰まり始めた。どうやら紫の霧によって速度を錯覚させられていたようだった。サイキスの勘は正しかったのだ。
(早く追いつかねばな。我が軍の兵、一兵卒たりとも失うわけにはいかぬぞ)
魔族との本格的な戦いの前に無駄な消耗を避けたいサイキスは、魔術隊と共に速度を上げて追撃隊を追いかけた。
遠くから情勢を見守る影。
「ほほぉ、魔力干渉に気が付いたか。魔界に突入してというのに、よくそこまで冷静でいられなるな」
サイキスの判断を称賛する影。だが、この余裕はこの影が更なる手を持っているからこそ生まれるものである。
この影、ミムニアが魔界に侵攻してくる事を事前に知って、様々な罠を仕掛けておいたのだ。
そして今、この魔物たちの撤退を起点とした一手を発動させる。
「行け! 我が下僕どもよ!」
懐から出した魔眼石を掲げる。
「いくら藻掻こうが、お前たちは既に我が術中。じっくりと料理してくれようぞ!」
魔眼石が怪しく光り輝くと、撤退する魔物たちを半円形に取り囲むように何かがうごめき始める。どうやら、影が仕込んでおいた新手の魔物のようだ。見る限り、その数はかなり多いようである。ミムニア軍を完全に叩き潰すためなのだろう。
「さあ、お前たち、餌の時間だ。思う存分に暴れろ!」
魔界の空に影の声が響き渡った。
「グルァアァァッ!!」
前方に突如としてバカでかい魔物が現れる。サイキスの読んだ通り、魔物たちの撤退はミムニア軍をおびき出すための陽動部隊だったようだ。ミムニアの中でも若輩兵で構成された歩兵隊は、ものの見事にその作戦に引っかかってしまったのだ。
歩兵隊がその確認して動きが止まってしまうのだが、それと同時にバカでかい魔物がその手に持っている棍棒を勢いよく振り下ろしてきた。
バカでかい魔物の一撃は歩兵隊はおろか撤退する魔物たちにも命中しなかったものの、その一撃はすさまじかった。なにせ当たった地面が砕け散って、撤退する魔物たちは当然の事ながら、追撃する歩兵隊たちにも容赦なくその破片が襲い掛かってきたのだから。地面の破片の大きさは人間の数倍ほどの大きさがあるために、鍛えられた兵士たちとはいえひとたまりもないものだった。
魔物はおろか、最前線に居た兵士たちはその破片に容赦なく潰されてしまう。潰されなくともその衝撃で吹き飛ばされてしまい、その様子を見ていた無事な兵士たちは恐怖のあまり混乱して逃げ惑ってしまう。
ところが、兵士たちに襲い掛かった脅威はこれだけではなかった。挟み込むように魔物が追加で現れたのだ。
右手から現れたのは、鱗に覆われた体を持つ鶏の魔物『スケイルクック』。コカトリスの魔物の下位種だが状態異常を引き起こすブレスを持つ魔物である。
そして、左手から現れたのは鋭い牙と爪を持ち、素早い動きで獲物を切り刻む『キラーパンサー』。どちらも相当な数が現れたのである。
「むぅ……。どうやらこの布陣を敷いた奴は、本気でワシらを潰すつもりのようだな」
ようやく追撃隊に追いついたサイキスは、そこでも撃激した前方の戦況に思わず顔をしかめてしまう。そこに広がっていたのは、あまりにも絶望的な光景だったのだから。




