戦士のロード
「あんた、『ヴェンデッタ』のリーダーだろう? いいのかい、こんな普通のクエストで」
ギルドの受付係の言葉にロードは頷いた。胃の辺りがキリキリと痛む。
「ああ。実はメンバーが三人になったんだ。流石に今までと同じようにクエストを受けて事故るのは嫌だし、肩慣らしをしておこうかと思ってな」
「カミルは辞めちまったのか。まぁ、あんたらなら三人でもなんとかなるだろうが、慢心はよくないからな」
事前に考えてきた言い訳は、すんなりと通った。それに安堵しながらも、次を考えるとまた胃がしくしくと痛む。
どうしてこんなことになってしまったのかと心の中で嘆いた。
すべての始まりはクェスだった。
少し前にたったひとりでライカンスロープの群れを全滅させたのだ。次いでタルゴがロック鳥と呼ばれる凶暴なモンスターを仕留めた。
そして、つい最近、ロードも毒龍と呼ばれる恐ろしいドラゴンの単独討伐に成功してしまった。
この偉業によって彼ら、『ヴェンデッタ』の名前は一騎当千の猛者が集まるパーティーとして有名になった。
実体とは裏腹に。
ロードはわかっている。毒龍を倒したのは彼ではない。
死んだ毒龍の隣に無傷の彼が倒れていたからそういうことになっているが、絶対に違うと断言できる。
彼は「倍化」という自分のステータスを一定時間二倍にする便利なスキルを持っていた。しかし、毒龍はロードの能力が二倍になったところで倒せるような、生温い相手ではない。
気絶していたので確かなことはわからないが、あの場に別の誰かがいて、そいつが倒したのだ。
そしてそれは、他の二人も同じだと思っている。
何故かふたりとも自分が倒したと信じて疑わないが、絶対不可能だとロードにはわかっていた。彼はリーダーだ。メンバーの実力くらい把握している。
彼らが成したと言われている偉業はどれもこれも実力に見合わないものばかりだ。何故こんなことになっているか彼にはわからなかったが、そのせいで今首を絞められている。
指折りの難敵を倒してしまったがために、彼らは今注目の的だ。その動向は常に監視されている。
本来の実力に見合ったクエストを受けようとすれば何故そんな誰でもできる仕事をしようとするのかと問われる。
そのくせ、失敗したら非難されるのだ。ロードは名声を失うよりもそちらの方が怖かった。
いっそのこと遠く離れた別のギルドへ逃げてしまおうかとも思ったが、ちやほやされる快感を知ってしまったクェスとタルゴが今の生活を手放したがるとは考えられなかった。
二人を置いて彼だけ逃げる度胸もない以上、ここで綱渡りのような生活を続けるしかない。
当面はパーティーに欠員が出たことを理由に無難なクエストをこなし、今の名声を利用して実力のある冒険者を新たなメンバーに迎える。彼が思いつく解決策はそれくらいだった。
「えっー!? こんなショボいクエストやんのー?」
「肩慣らしってやつだ。三人でのクエスト初めてだろ?」
不満を訴える二人を宥めながら出発する。
今回のクエストは人里離れたダンジョンに住み着いたシルバーウルフの討伐だ。モンスター自体はそこそこ強いが、よく戦って来た相手だし、群も小規模だから三人でも余裕である。
その、はずだった。
◇◇◇
「ちくしょう……! 話と違うじゃねぇか……!」
シルバーウルフのいる森の中を必死で走るロードの横で、クェスが悪態を吐きながら「瞬間移動」を繰り返す。
クェスのスキルは連発が可能だが、転移できる距離自体は短いから「倍化」を使って走るロードとそれほど変わらない。
ただ、息は上がっていないので、引き攣れたような息しか口から出ないロードや、大幅に遅れているタルゴよりは余裕がありそうだった。
クエストのために来たシルバーウルフの棲処は、ギルドからの情報とまったく食い違っていた。
モンスターはシルバーウルフで間違いない。ただ群の規模が桁違いだ。十数頭と聞いていたのに、彼らを待っていたのは百は悠に超える巨大なコロニーだった。
シルバーウルフは一頭のボスに統率される、連携が得意なモンスターだが、この数になると厄介どころの話ではない。
数に任せた波状攻撃に手も足も出ず、三人はただただ逃げていた。
なんとか縄張りの外まで出たいのだが、目の前に回り込まれたりしているうちに迷ってしまい、今どこにいるのかすらわからない。もうそろそろ限界だった。
そんな時に、どすり、という鈍い音と共に足に激痛が走る。ロードはもんどりを打って倒れ込んだ。
「悪いな、ロード。囮になってくれよ」
その声は間違いなくタルゴのものだ。そこかしこを打ちつけて痛む身体に鞭打って足を見ると、矢が深々と刺さっていた。
そうしているうちにタルゴとクェスは逃げたようだ。
なんとか身を起こそうとするが、足に激痛が走り、うまくいかない。ロードは三年前のことを思い出した。
かつて、故郷がモンスターの襲撃によって壊滅したあの日、やはり彼はクェスとタルゴと共に逃げていた。
逃げる場所がわからず、闇雲に走るロードたちの前に救いの手が現れる。それはハンナという村娘だった。
ハンナはロードたちと同年代の少女だ。ただ、彼女は早くに両親を亡くしたため、家事や針子の内職に忙しく、普段彼らとはほとんど接点がない。
ロードたちと同じように逃げていた彼女は、街から傭兵部隊が来ていることや、避難場所を教えてくれたのだ。
まだ危険は去っていないが、少しの光明に安堵し、ロードはまた走り出した。その横で同じように走り出したハンナが突然倒れた。
「悪いけど、お前囮になってくれよ」
ピン、と弦を弾く音。それは狩人をしているタルゴの弓の音だ。そこから放たれただろう矢がハンナの太腿に深く刺さっている。
倒れ込んだハンナは驚愕の眼差しで彼らを見ている。けれども近づくモンスターの足音にハッとすると、傷ついた片足を庇って立ちあがろうとした。
彼女に手も貸さずに呆然と成り行きを見ていたロードの目を、強い光が焼く。切り裂くような雷鳴と微かな少女の悲鳴が聞こえた。
「タルゴが囮になれって言ったじゃん。立つなよ」
「おお、ナイスだ。クェス」
まともに働くようになった目に映ったのは、黒く焼け焦げたハンナの足だった。クェスが得意の雷魔法でやったのだ。
「大丈夫。お前確か金持ちの息子と結婚が決まったんだろ? 殺される前に助けに来てくれるさ」
「そうそう。その足だって綺麗に治してくれるって。だから俺たちを恨むなよ。親なしのくせに金持ちの奥様になって大切にして貰えるお前と違って、俺たちは自分の身は自分で守らなきゃなんだからな」
倒れ込んだまま痛みに呻くハンナにそんな言葉を吐き捨てると、二人は逃げ出した。
モンスターは着実に彼らの元へ迫っている。二人はあんなことを言ったが、ここに置き去りにしたらハンナは助からないと簡単に予想できた。
ロードのスキルは「倍化」である。怪我をしたハンナを抱えて、逃げられる。
でも。
ハンナは早くに両親を失って、働き出した。しかし、そうなる前はロードともよく遊んでいたのだ。
くるくると変わる表情豊かな、誰にでも優しい彼女にロードは淡い初恋をした。
ハンナは村の娘たちの中でも特に可愛かったからライバルは多く、なんとか気を引こうと躍起になっていたことをよく覚えている。真っ直ぐ彼を見つめる空色の瞳が大好きだった。
針子の内職を始めてあまり会えなくなっても、気持ちは変わらなかったのに。
ハンナはいつの間にか、ロード以外の知らない男と恋に落ちていた。空色の瞳は最早彼を映してはくれない。
女友達に婚約者について話すハンナは、彼の知らない女の顔をしていた。
その記憶がどっと蘇り、ロードは思わずタルゴたちの後を追っていた。無意識のうちにに暫く走り、ハッとする。
このままでは、初恋の人を見殺しにしてしまう。そう思って振り返り、後悔した。
倒れ込んだハンナの背後にモンスターが迫っている。それに気づいているのか、絶望に染まった空色の瞳が、彼を映していた。
そんな風に、見て欲しくはなかった。
ロードは何も見なかったことにした。
「これが、報いか……」
過去を振り返り、ロードはハンナと同じ状況に陥った己を嘲った。
好きになってくれなかったからと、初恋の人を見捨てて逃げた自分に相応しい最期だと諦める。
シルバーウルフの足音を振動だけでなく、音で感じる。もうすぐ息遣いも聞こえそうだ。
ロードはごろりと転がって仰向けになった。
最期は彼女の瞳と同じ色を見ていたい。それだけだったのだが、黒い影が高い梢に立っていることに気づいた。
「男、か……?」
逆光になってよく見えないが、それは確かに男のようだった。その男は動けないロードをただ見下ろしている。
不思議と助けを求めようとは思わなかった。
獣たちの温かな息遣いを肌で感じる。しかし、恐怖よりも男の存在が気にかかった。どこかで見たことがあるような――。
ロードは最期まで男が何者か、思い出せなかった。ただ、よく見えないはずなのに、何故か男の瞳の色が、ハンナと同じ空色だと知っていた。