「ハーレクイン」の恋愛小説と「小説家になろう」の異世界恋愛人気作の骨格の差と、ハーレクイン考察
昨日(2023/03/03)、「プリティ・ウーマン」が放送されていた。
多分誰かがどこかでいってるだろうけど、あれは「マイ・フェア・レディ(ピグマリオンではなく、映画の)」の派生形なのかなあと思った(※調べたところ、ウィキペディアによれば、そうらしい)。そう考えると、ヒギンズにはできないことをエドワードがして、ヴィヴィアンは満足したということなのでは。
しっかり見たのは多分はじめてだが、ハーレクインにもありそうな筋書きではある。ディザイアとかロマンス辺りに。
ハンサムで仕事ができてなにもかも完璧なのに、家庭に問題があった所為で人付き合いの方法がわからず、本質的な意味で愛を理解していない大富豪。
美人で無邪気で天真爛漫で、才能もあるのに、恵まれていない環境にある為に開花できない女性。
ひょんなことでふたりが出会い、お互いの知らない世界を教えてくれて、楽しく過ごすのだけれど、今までの環境が違いすぎたことやヒーローの過去のトラウマの所為ですれ違いが起こってしまう。
釈明しゆるしを請うヒーローと、それをゆるし愛を与えるヒロイン。
大体こんな感じだろうか。骨格といったらいいのかな。
ハーレクインはこれに濃密なラブシーンや、ヒロインかそれ以外かを選択するシーンが添加され、なろうではファンタジー要素と勧善懲悪が付け加えられている。
勿論、ハーレクインにもファンタジーものは存在する。守護天使がヒロインだったり、ギリシャ神話の世界を描いたものがあったり、不思議なアイテムや伝説を軸に描かれるものがあったり。
しかしファンタジー要素があっても骨格はかわらない。基本的には「すべてを投げ出してゆるしを請うヒーローと、ゆるすヒロイン」だ。なろうだと「悪を成敗するヒーロー・ヒロイン」だと思う。
ハーレクインによくあるのは
「ヒロインか、それ以外か」
だ。
ヒーローはなにもかもを持っている恵まれた人間だけれど、お金や名誉や地位ではヒロインがなびかない。「ほしいのはあなたの愛」といわれてもヒーローはどうしたらいいかわからず、一度ヒロインからはなれてしまう。ヒーローは自分に自信がない、もしくは自分の立場に伴う責任や体面を重視しすぎる人間であることが多い。
しかしヒロインを忘れることはできず、仕事や財産や親戚とのつながりなどを捨て、跪いてゆるしを請う。ヒロインはヒーローが自分を愛していることに気付いて、彼をゆるす。お金やものはなくなったけど愛があるからハッピーエンド。
「ものは要らない」といっても「ものの価値がわからない」のではない。
価値をわかっているからこそ、すべてを(もしくは多くのものを)捨てて自分を選んだヒーローをヒロインはゆるし、愛すると決めるのだ。
お金持ちのヒーローが「会社は別のひとに任せることにしたよ」「これからは君(家庭)を優先する」「僕は物質的なものばかりを追い求めてきたけどこれからは別のものを大切にしたい」というだけではない。
そもそも
「親の借金とかなんとかで家計が逼迫された結果、金目当てで、めちゃくちゃ財産持ってるヒロインに近付いたヒーロー」
でさえ、最終的には
「金なんかどうでもいい!」
と強烈なてのひらがえしをして、どちらもほぼ無一文でエンディングを迎えるなんて、ハーレクインにはありうる話である。
もっとわかりやすいのはシークもので、ハーレクインでシークものを読むとよく
「ハーレムをつくっていいことになってるけど、僕はやらない。君一筋!」
なヒーローが出てくる。
これはある意味で「わかりやすさ重視」の究極の表現だと思う。ハーレクイン・ヒストリカルによくある
「放蕩者が素晴らしいヒロインと知り合って、二度と浮気しないと誓って結婚する」
みたいなのは、まだ「でも結婚後はわからないよね」と疑う余地がある。
シークものでは、
「法的にハーレムを解散」「国の決まりに基づいてハーレムを持たないと誓う(破ったら死刑)」
などをヒーローにさせてしまえば、
「ヒロインだけを愛していく」
というヒーローの決意がわかりやすい。
それにしても何故そこまで強烈に
「ヒロインか、それ以外か」
の選択を迫られるヒーローが多いのか。
作者の勝手な考察だが、現実では「キャリアか結婚か」を迫られがちな女性の不満が具現化しているのではないかと思う。
「仕事か、妊娠か」「キャリアか、結婚か」
少女漫画でも、恋愛成就してほかの目標も達成するものはめずらしい気がする。少年漫画では、なにかしらに打ち込んで頑張っている主人公を影ながら応援しているヒロインが居てくれるけれど。
乙女ゲームでさえ、「全部をとる」ことができるものは稀だ。開祖であるアンジェリークが、「恋をとるなら女王にはなれない(結婚と仕事は両立できない)」し、アルバレアの乙女でも「恋をするか聖乙女になるか」の二択である。
どちらの作品も、恋愛の成功=目標達成の失敗を意味する。しかもその段階で迫られるのは、「女性として、そのゲーム世界内では最高の地位に座るか、ひとりの相手を選ぶか」なのだ。少々大袈裟ではあるけれど、現実を反映しているといえなくもないのでは。
ハーレクインは基本的に、女性に向けた恋愛小説のレーベルだと思う。女性の願望や、理想が描かれていると考えていいのではないか。
現実世界では自分が迫られた「結婚(恋愛)かそれ以外か」を、小説のなかでは男性に肩代わりしてもらっているのでは。
それを考えるとシークものは、それまでどおりに「ヒロインかそれ以外か」をさせつつも、地位や名誉や財産は担保できるうまい方策なのかもしれない。
「ヒロインかほかの女性か」という、シークもの以外だと些末になりがちな部分を「ハーレム」にすることによって大きなものにし、「ハーレムの権利を捨てた」ヒーローは、多くの財産を捨てるヒーロー並みにおおいなる決断をしたように見える。
自分だけを選んでほしいけど、生活の心配もしたくないというのが本音なのではないだろうか。