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おだやかな年末年始

19.おだやかな年始


 異常なまでの盛り上がりを見せたクリスマスパーティーでストレスを解消したのか、桜子は落ち着いた顔で問題集に立ち向かっていた。由香里の部屋で炬燵を囲みながら黙々と鉛筆を走らせるのは由香里に桜子、それに三船も加わっての勉強会。冬休み早々に開始されたそれは、いつの間にかそこに特別講師として白木と青山も参加していた。正に飴と鞭の二人の講義は桜子でさえもやる気にさせ、その集中力の限界まで…否、限界を遥かに超えた辺りまで桜子の力を引き上げる。とは言え人間の集中力は無限には続かない。二時間程続けた辺りで白木は休憩にした。すると

「お待たせー!」

 元気な声で朱戸がドアを開け、同時にトレイを持った玄田と綾が部屋へ入ってくる。

「皆さんお疲れ様です。少々休憩なさって下さい」

そう言いながら綾はティーカップを並べ、ポットから暖かい紅茶を注いだ。立ち上る香りが、勉強で疲れた頭をゆるやかにほぐしていく。

「んで、これが私の自信作。皆食べてみて」

そう言って玄田が置いたトレーの上には、色とりどりのカップケーキが並んでいた。その出来栄えに玄田の言葉を聞き流していた桜子は

「…えっ?…ええっ?」

すっとんきょうな言葉を上げながら玄田を二度見した。

「こんな綺麗なの…お店で売ってるみたいなのを、玄田さんが…ですか?」

「なーに、疑ってるの?これでも私はパティシエになるかもしれないのよ?」

「え、マジですか?」

そう言いながらケーキを口に運ぶ桜子。途端にその顔には堪えきれない笑みが浮かぶ。

「コレ、物凄く美味しいです!これなら本当にお店開けるんじゃないですか?」

そんな桜子に同意する様に、由香里や白木達も満足そうな笑みを浮かべる。

「あ、でもいつの間にお菓子作りに転向したんですか?柔道は辞めちゃうんですか?」

早速二つ目に手を伸ばしながら桜子が聞く。

「ん…まあ、正直悩んでるんだけどね。柔道は続けたいし、お菓子作りも上手くなりたいし。まぁ今の所は柔道がメインでお菓子は趣味って所ね、第一バイト先で筋が良いって言われてその気になっただけだし」

「それでこんなに美味しいんだから、やっぱり本当に筋が良いって事ですよね。受験が終わったらワタシにも教えて貰えません?」

「ん?いいよ」

「やった!」

「まぁ、それまでに私が飽きてなければね」

「あぅ…そですか」

がっかりした顔で桜子は更に手を伸ばすが

「コラ、いくら美味しくても五個は食べ過ぎよ。人の分まで食べるんじゃないの。それにあんまり食べちゃ眠くなるでしょう?」

そう言いながら白木に手を叩かれた。しかし桜子は一歩も引かない。

「いいじゃないですか、折角玄田さんが一生懸命作ってくれたんですし。それに勉強をすると糖分を消費するんです。消費した糖分は補給しないと、脳が働かなくて折角のお勉強の効率が落ちてしまいます」

余りにも理にかなった桜子の言葉に白木は一瞬目を丸くするが

「なるほど、確かに一理あるわね」

白木は頷きながら微笑む。しかし

「ですよね!じゃあもう一個」

その言葉と共に手を伸ばす桜子の耳に

「…でも、明らかにカロリーの過剰摂取…」

青山の囁き声が聞こえた。同時に桜子の動きが止まり

「えっと…そろそろ再開しましょうか」

そう言いながら桜子の手は、ケーキから鉛筆へと向きを変えた。その様子を見ていた一同は顔を見合わせると、一斉にクスクスと笑い出す。


「では、糖分が必要になった頃にまたお持ちしますね」

そんな綾の言葉と共に、朱戸と玄田も部屋を後にした。


 そんな数日が過ぎ、早くも年明けを迎えようとしていた大晦日。その日は三船も先輩一同も自宅に戻っていたのだが、桜子だけは由香里の勧めもあって共に勉強に励んでいた。一心不乱にノートに鉛筆を走らせる桜子。ときたま行き詰った様に鉛筆で頭を掻いたり、腕組みをして考え込んだりする姿を、由香里はまるで母親の様な微笑みで見守っていた。

「あうー…も、ゲンカイ」

突然ばったり崩れ落ちる桜子。とは言えそれも仕方の無い事で、由香里達は既に昼食後六時間以上も休憩無しで勉強のし通しだったのだから。由香里はノートを畳むと

「さて、年越しも間近ですから、その前に身を清めましょう」


にこやかに立ち上がる由香里。促されるままにその後に付いていった桜子は、いつの間にか由香里に背中を洗われていた。

「では、流しますね」

その言葉と共に、由香里はざあっとお湯をかけ、半ば強引に湯船へと引き込んだ。

「あれ?いつの間にお風呂に?」

我に帰った桜子だったが、たっぷりとしたお湯の中で漂う内に、身も心もふわふわと浮かぶ様な感覚に包まれる。

「ふわぁ~」

目をつぶったままで大きな息を吐くと、由香里もつられたのか、桜子に負けない位大きな

息を吐いた。

「ふう~、湯船につかると思わず声が出てしまいますねぇ」

「ホントだね。でも気持ちいいもんね」

「そうですねぇ」

のほほんとしたひと時を過ごす二人。しかし不意に桜子が声を上げる。

「こんだけ広けりゃ泳げるじゃん!」

まるで自分の言葉で覚醒したかの様に、突然元気一杯に泳ぎだす桜子。

「あらまぁ」

由香里は暫く桜子の見事な泳ぎを黙って見守っていたが、不意に笑みを浮かべると、突然桜子に飛び掛った。

「えいっ」

「うわあっ?」

ザッブーンと派手な水音。がぼがぼともがきながら顔を上げた桜子は

「ちょ、何よいきなり?」

口からお湯を吐きながら叫ぶが

「えへへ、捕まえました」

無邪気な由香里の笑顔に、何も言えなくなってしまった。更に

「余り体力を消耗してはいけません。これからが大切な時期なのですから」

そうたしなめられてしまっては返す言葉も無い。

「そりゃそうだけど…ワタシがおぼれたらどうするのよ?」

「えっと…あらまあ、考えておりませんでした」

「ちょっと、由香里?」

「大変申し訳ございません」

「こんのー!」

今度は桜子が由香里に飛び掛る。再び派手な水音が響き、同時に顔を出した二人は顔を見合わせて笑う。と、その時


「何の音だっ!」


そんな声と共に一騎が浴場のガラス戸を開けた。

「あ…あれ?」


互いの手を取りながら一騎に視線を向ける二人と、硬直する一騎。


そして


「なにゃああーーっ?」

訳の分からない叫び声を上げて桜子がお湯に飛び込む。同時に由香里も

「お兄様。私だけならともかく、サクラさんもご一緒なのです。申し訳ありませんが私どもが出るまでお待ち頂けませんか」

そんな言葉と共に一騎を一瞥した。


「うあ…すまない」


慌てて浴場に背を向けた一騎はそのまま扉を閉めると

「あーびっくりした。しかしアレだな…二人とも…なかなか…うんうん」

そう言いながら満足そうに頷く。同時に胸ポケットの携帯が着信音を響かせた。

「うぉわっ!」

思わず携帯を取り落とす一騎。幸い対衝撃性能に優れたモデルの為に破損は無かったが、その画面を見て硬直する。そこには


着信  塩谷美鈴


そう表示されていた。慌てて通話ボタンを押すと

「こんばんは!今何をしてますか?」

元気で可愛い美鈴の声が聞こえてくる。

「ぅえっ?えっと…いや…俺には、美鈴ちゃんだけだから」

「えっ?…もう、いきなりなんですか?急にそんな事言われたら照れちゃいますよ」

「えっ?…ああ、そっか。急にごめんね、変な事言って」

「いいえ、嬉しいです!」

「良かった…てっきりバレたのかと…」

「え、何ですか?」

「いやいやなんでも無いっ!それよりどうしたのこんな時間に?」

「あ、そうでした。突然で大変申し訳ないんですけども、もしもご都合が悪くなければご一緒に年越しをお祝いしたいと思いまして」

「年越し?そりゃまた急な話だけど、何かイベントでもあるの?」

「はい、お友達と一緒に集まろうって話になったんですけど、皆知り合いを連れてくるみたいなんです。それで、宜しければ…」

「ああ、そう言う事なら喜んで!」

「本当ですか?嬉しいです!」

「あ、それってさあ、他にも連れてっていいのかな?」

「はい。もともと高屋敷先輩にもお声がけするつもりでしたし」

「それは好都合!丁度ウチに桜子ちゃんも来てるんだ。由香里と一緒に連れてってもいいかな?」

「それはもう!是非皆さんご一緒に!」

「それじゃ、ちょっと待っててくれる?」

「はい」

一騎は保留ボタンを押すと、ガラス戸越しに声をかける。

「由香里に桜子ちゃん、さっきはごめん!んで話は変わるんだけど、美鈴ちゃんが一緒に年越しを祝わないかって言ってくれてるんだよ。俺は行くけど、二人はどうする?勉強の息抜きになると思うし、二人が行けば美鈴ちゃんも喜ぶと思うんだけど」

そんな一騎の言葉に対し、返事は一瞬にして返って来た。

「そりゃあ行きますとも!」

「はい、ご一緒させて頂きます」

「んじゃ、二人とも行くって言っとくぞ」

そう言いながら脱衣所を出た一騎は、再び通話ボタンを押す。

「二人とも行くってさ。それで、どこへ行けばいい?」

「はい、では今から地図をメールで送りますから、分からなければお電話下さい」

「了解。集合時間は?」

「えっと…一時間後で如何でしょう?」

「じゃあ…十一時だね。わかった」

「はい、ではまた後ほど」

「うん、また後で」


 そう言いながら電話を切った美鈴は、振り返ってピースサインを出す。

「首尾は上々です!」


 風呂上りですっかり温まった由香里と桜子だったが、今度は湯冷めしない様に防寒インナーを身につけ、厚手の靴下を履く。その上にセーターを被りスカートを穿くと、可愛らしいファーの付いたコートに身を包んだ。更にお揃いのマフラーを巻いて手袋を装着して準備完了。

「んじゃ、行きましょうか!」

 桜子の元気な声と共に、由香里と一騎も一緒に家を出た。


 待ち合わせ場所は駅前の期間限定オブジェの前。毎年クリスマスの一週間前から、年始の第一日曜日まで飾られているクリスタルの前には、年始を迎えようと待ち構えた人々が大勢集まっていた。それはカップルだったり数人の集まりだったり、あるいは大人数での集まりであったりと様々ではあったが、皆が一様に楽しげにその時を待っている。


「やっほー、お待たせっ!」

美鈴の姿を見つけるなり桜子が声を上げた。

「あ、皆さん!お待ちしてました!」

美鈴は桜子の声にも負けない元気な言葉を返す。その笑顔は相変わらず桜子をふにゃふにゃにする破壊力だったのだが、美鈴はそれ以上の秘密兵器を用意していた。

「突然お呼び立てして申し訳ありません。ですが、何としても受験を控えたお二人を激励したいと皆様が仰いますので」

そう言いながら美鈴は桜子の背後に視線を向ける。

「へ、皆さんって…うわあっ!」

 桜子が振り返るより早く、猫の様なしなやかな影が飛び掛る。そして

「よっ、遊び人!って今は受験生だっけ?」

背後から抱きつきながら耳元にそんな言葉を告げたのは…考えるまでも無く朱戸だった。

「あの…朱戸サン?何ですかいきなり」

「何ですかとはこっちこそ何ですかっ!折角頑張ってる受験生を激励しようと忙しい中皆して集まったのにっ!…って痛い!痛いよ青山ぁ!」

「…全く、仮にも貴女は社会人でしょう?いつまでも学生気分が抜けないんだから…」

朱戸の耳をつまみながら青山が囁く。その傍らから、玄田と白木も姿を現した。

「よっ!受験勉強ははかどってる?」

「それは大丈夫よね?少なくとも私達が見ている限り、春日野さんも合格レベルには何とか達しているし」

「へぇー、やっぱ秀才二人が教えると遊び人でも何とかなるのね…って青山サン、そろそろ離して頂けませんこと?」

「…あら、すっかり忘れていたわ。御免なさいね…」

そう言いながら青山は朱戸を開放する。

「うえーん、青山がいじめるよう」

朱戸は泣きべそをかきながら、今度は由香里に抱きついた。

「あらまあ、お耳が真っ赤ですよ」

由香里はそう言いながら赤くなった朱戸の耳にふーふーと息を吹きかけた。

「おお、気持ちいい♪けど…やっぱなんだか恥ずかしいからヤメテ」

「あらまあ、それは失礼致しました」

 そんなやり取りに、クスクスと笑い出す者がいた。

「皆さん、本当に仲がよろしいんですね」

そう言いながら出てきたのは、今ではすっかり顔なじみとなっていた三船だった。

「あ、三船っちも来たんだね!」

桜子は嬉しそうに声を上げ、その両手を取ってはしゃぐ。

「うん。でもお友達と一緒に新年を迎えるのは初めてだから、ちょっと緊張しちゃう」

恥ずかしげに顔を赤らめる三船。その表情に桜子は

「もう!可愛いんだから!」

そう叫びながら三船に抱きついた。

「ちょっ…春日野さん?」

「なーに?」

「どうしたの?いきなり抱きつかれたらびっくりするわ」

「そう?でも…これがワタシの最高の愛情表現なのよ」

「最高の?…それは…うん…嬉しい…かも」

「ホント?じゃあもっと…」

更にじゃれようとする桜子だったが

「はいそこまでーっ!」

威勢の良い声と共に激しい手刀が桜子の頭を襲った。

「ぁがっ…!」

声にならない声を上げる桜子。同時に朱戸が桜子と三船の手を取る。

「さあさあ、年越しまでもう十分を切ってるよ!そろそろ心の準備をしなくっちゃ!」

「えっ、もうそんな時間ですか?」

桜子は頭の痛みも忘れて叫ぶ。同時に朱戸も威勢よく叫んだ。

「じゃあ皆さん、今年一年を振り返って、それを踏まえた上での来年の抱負を決めなさいっ!」

何故か命令口調の朱戸。しかし誰も文句の一つも言わずに真面目に考え込む。それは由香里や桜子、それに一騎も同様だった。

「今年一年…本当に色々な事がありましたねぇ」

「確かに…そうでしたね」

「ああ、あり過ぎだぜ」

「ホント、特に年末は大変だったわよね!」

「コラコラ遊び人、それは言うなって」

「だよね、流石にあんな騒ぎはもういいや」

「…でも、結果良ければ全て良し…」

「そうね、私達は皆全力を尽くした。その結果、誰も欠ける事無く新年を迎える事が出来る。それでいいじゃない」

そんな白木の言葉に、顔を見合わせた一同は笑みを浮かべながら頷く。唯一乱闘騒ぎを知らない三船は、それを普通の思い出話と思っていたのではあるが。そして、オブジェの背後にあるビルの電光掲示板が今年の残り時間があと十秒である事を示し、いよいよ年越しへのカウントダウンが始まった。

「じゅう!きゅう!はち!なな!ろく!」

集まった人々は声を合わせて数を数える。その視線は電光掲示板へ注がれ、誰もが心を弾ませる。

「ごお!よん!さん!にい!いち!」

そして零時。集まった人々は一斉に喚起の声を上げた。

「あけましておめでとう!」

「ハッピーニューイヤー!」

「新年おめでとう!」

様々な歓声と喜びの声。万歳したり抱き合ったり頓狂な歓声を上げたりと、喜びの表現は様々だったが、それぞれの喜びがその場に集まった人々全てに感染したかの様に伝播し、その場には笑顔が溢れた。由香里も桜子の手を取ると

「サクラさん、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたしますね」

そう言いながらにっこりと微笑み

「うん、おめでとう!こちらこそ今年もヨロシクね!」

桜子も由香里の手を握り返すと、元気良く声を上げる。すると

「おいおいー、私達にはよろしくしてくれないのかい?」

そう言いながら朱戸が由香里と桜子二人を抱き寄せるように肩に手をかけると

「そうそう、これからもよろしく頼むわね」

今度は反対側から玄田が二人の方に手をかけた。白木と青山は顔を見合わせて頷くと

「そうそう、これからもずっとよろしくね」

「…離れてても、心は繋がってるから…」

白木は由香里と朱戸の、青山は桜子と玄田の間に顔を入れると、吐息が触れる距離までその顔を引き寄せる。桜子と朱戸は若干照れくさそうな表情を浮かべるが、すぐに自分から頬を摺り寄せてきゃっきゃと騒ぎ出した。その様子を遠巻きに眺めていた美鈴と三船。

「二人は混ざらないのかい?」

一騎の声に二人は顔を見合わせると、どちらともなくモジモジと譲り合う。

「えっと…三船さん…行かないんですか?」

「えっ、私?私は…その…美鈴さんこそ…」

「いえいえ、先輩を差し置いてそんな…」

「そんな!先輩だなんて大袈裟な…」

そんなやり取りを黙って見守っていた一騎だが、徐々にその拳が強く握り締められ、そしてプルプルと震え始めた。そして

「えーいじれったい!」

一騎は叫び声を上げると、両腕を美鈴と三船の腰に回して担ぎ上げた。

「えっ?」

「きゃあっ!」

突然の事に二人は驚きの声を上げるが、一騎は構わずにダッシュすると

「ご注文の美少女二人、お届けに上がりましたっ!」

その言葉と共に二人を由香里達の前に投げ捨て…るかと思いきや、丁重に抱きかかえながら優しく降ろす。そして

「さあ、二人も混ぜてもらいなよ」

トンと背中を押された二人は、よろける様に一同の輪にぶつかる。そして

「えっと…どうします?」

「どうもこうも…どうしよう?」

この期に及んでモジモジする二人。それを見た一騎が由香里に目配せをすると、由香里は笑顔で頷いた。

「さあ、お二人もご一緒に」

 そう言いながら腕を伸ばす。そして三船と美鈴の手を取ると、そのまま輪の中に引き込んだ。二人は顔を赤らめながらも、抵抗する事無く輪の中に入った…までは良かったのだが、一騎にとって予想外だったのはその後の美鈴と、更には三船の言葉だった。

「一騎さん、何してるんですか?」

「ええ、私たちだけ楽しむ訳にはいきませんから、お兄さんもご一緒に!」

その言葉と同時に伸びた腕が、今度は一騎の両手を掴む。そして

「え、ちょ…俺も?」

完全に不意を突かれた一騎は、成す術無く自らも輪の中に引き込まれた。一瞬驚きの表情を浮かべた先輩一同だったが、いきなり朱戸が訳の分からない事を叫ぶ。

「よーっし、だったら胴上げだっ!」

その言葉と共に朱戸は一騎のベルトを掴む。そして一瞬の内に一騎の体は持ち上げられ、

その場にいた人々は、何故か新年早々大勢の女の子に胴上げされる青年の姿を見たのだった。


「よーっし、勝負だ遊び人!」

「受けて立ちましょう!」

 所は変わって神社のおみくじ売り場。人ごみを掻き分け初詣を済ませた一同は、順番におみくじを引いていた。最初にみくじ筒を振った朱戸は十五番を引いた。その後玄田、青山、白木が振り、次に桜子に筒が渡される。

「今年のワタシは一味違いますっ!」

そう言いながら桜子が振り

「ワタシは十七番ですよっ!」

勢いよくみくじ棒を振りかざした。

「いざ尋常に…勝負!」

みくじ棒と引き換えにおみくじを受け取った二人は、何故か雌雄を決するかの様に対峙すると、互いの面前で畳まれたおみくじを広げて見せた。

「なんだとっ!」

「マジでっ?」

相手のおみくじを見た二人は同時に驚きの声を上げた。それと言うのも

「大…」

「吉…?」

お互いの声に怪訝そうな顔をした二人は、相手に向けたおみくじを自分に向けなおす。そして

「おおっ!」

「大吉!」

自分達の引いたおみくじが互いに大吉であった事に気付いた二人は、今の今まで争っていたことなど忘れたかの様に、抱き合って喜んだ。

「やったじゃんサクラっち!これで合格間違いなしだね!」

「あ、ありがとうございます!これも朱戸さんのおかげです!」

「あら、たまには可愛い事言ってくれるじゃない?でもね、分かってるとは思うけど油断は禁物だよ?」

「はい!もちろんこれからも気を抜かずに頑張ります!」

「うん、その意気で頑張んなさい!」

そう言いながら朱戸はポンポンと桜子の肩を叩く。すると、傍で見ていた青山が呟いた。

「…朱戸も、たまには先輩らしい事言うのね…」

「そうね、本当にたまにだけど」

「うんうん、付き合いの長い私らでも殆ど聞いた事無いもんね」

すかさず同調する白木と玄田。

「ちょ、アンタ達っ!こんな時は黙って見守るのが友情ってモンでしょうが!」

そんなやり取りを見ていた三船は、誰に言うとも無く囁く。

「本当に素敵な先輩方。あまり面識の無かった私にも優しいし…見習わなくっちゃ」

その笑みを見た由香里も

「はい、私もそう思います」

自分に言い聞かせるかの様に囁いた。


 その後、様々な出店を覗いた一行はそろそろ帰ろうとしたのだが、意外な事に青山がそれを引き止めた

「…ごめんなさい、日の出までまだ大分時間があるのだけど、それまで付き合ってもらえないかしら…」

「へっ?青山さんがお願いなんて珍しいですね、朱戸さんならいつもの事ですけドゥ!」

言いかけた所で桜子の鳩尾に朱戸の正拳が突き刺さった。

「ちょっと~、あんまり失礼なこと言うとおしおきしちゃうわよ」

「もう…してるじゃ…ない…ですか」

「あらあら、しっかりして下さい」

由香里に支えられながらも、桜子は青山に視線を向ける。しかし息の出来ない桜子に替わって由香里が口を開いた。

「何か、あるのですか?」

「…ええと、何かと言うか…ただ、折角だから、初日の出を一緒に見たいと思って。可笑しいかしら…?」

 気のせいか青山の顔が赤らんでいるようにも見える。それを見た桜子は、思わず声を漏らす。

「わ…何だか青山さん…カワイイ」

「…もう、からかわないで頂戴…」

そう言いながら顔を逸らす青山を見て、桜子は堪えきれないとでも言いたげに由香里にしがみついた。しかしそれでも堪えきれず、とうとう青山の胸に飛び込む。

「…まぁ、どうしたの…?」

「うーん、これは確かに…蝶湖さんの気持ちが分かるかもしれない」

恍惚とした表情で声を漏らす桜子。すると玄田がその声に答えた。

「だよねー、私は一度だけだったけど、あの時の感触は忘れられないもの」

「…ちょっと、貴女までおかしな事言わないで…」

そう言いながら更に紅潮する青山の顔に、桜子は思わず身悶えする。

「由香里、ワタシもうダメかも」

 再び由香里にしがみついた桜子。その余りの興奮に刺激されたのか、はたまた珍しく由香里のイタズラ心が疼いたのか、誰もが予想しなかった事が起きる。

「では、私も…」

そう言いながら青山の胸に飛び込む由香里。そして

「まぁ…ふわふわでございます」

由香里は満足そうな笑みを浮かべながら、意外な言葉を口走った。

「…まぁ、意外なリアクションね。でも、在学中には二人ともこんな事して来なかったからかしら、なんだか少し嬉しい…」

そう言いながら青山は由香里の頭を撫でる。由香里もまるで母親に甘える子供の様に、暫くの間そのままでいたのだが…

「…あら、寝ちゃったのかしら…?」

予想外の青山の言葉。その言葉に反応した面々が覗き込むと、青山の胸元には…気持ち良さそうな顔で寝息を立てる由香里の姿があった。

「あらあら、なんだかんだ言って疲れてたのかな?なにしろここん所ずっとサクラっちの面倒見ていた訳だしね」

そう言いながら朱戸はニヤけた視線を桜子に送る。

「なんですか?もう。いいから由香里を起こさないで下さいね」

若干ふてくされた様な顔で桜子は言い返すが、そう言いながらも背後から由香里を抱きかかえる。そしてそのまま周りの手も借り、悪戦苦闘しながらもなんとか由香里を起こさずにベンチに寝かせる事が出来た。その頭を自分の膝に乗せた桜子は、慈愛に満ちた顔で由香里の頭を撫でていたのだが…次第にニヤけた顔になる。

「ふふっ…やっぱり由香里、かわいいなぁ」

普段からそう思ってはいたのだが、今目の前に無防備な寝顔を見せられると…無意識の内にその頬をつんつんしてしまったのは全くもって仕方の無い事だった。


たわいのないお喋りや真面目な進路相談、これからの事などをお喋りしている内に、いつしか日の出までの時間はあと僅か。桜子は躊躇しながらも由香里を起こそうと声をかけようとしたのだが、同時に聞き覚えのある声が近付いて来た。

「たーーーっちゃーーーーん!」

 その声は聞こえたかと思うや否やあっと言う間に近付き、次の瞬間には小さな影が青山の胸に飛び込んでいた。言うまでも無く、それは蝶湖だった。

「…あら、ちゃんと起きられたのね…」

青山は優しくその頭を撫でる。

「うん!たっちゃんがくれた目覚ましのおかげ!」

「あらま、前は目覚ましなんかじゃ起きなかったじゃない?貴女も成長したのね」

「白木うるっさい!私は今至福の時を過ごしてるんだから邪魔しないでよ!」

振り返ってあかんべした蝶湖だったが、すぐに青山の胸に顔を戻す。

「うーん、あっちにはボインちゃん沢山いたけど、なんだか違ったのよ。やっぱりたっちゃんが一番!」

「…よくわからないけど、褒め言葉として受け取っておくわ…」

そう言いながら、青山は不意にクスッと笑みを漏らすと

「えいっ!」

急に力を込めて蝶湖を抱きしめた。

「ふにゃっ?」

意外な展開におかしな叫び声が上がる。

「…ふふふっ、たまにはこんなのもいいんじゃないかしら…」

「たっちゃん?…あのね、これだったらたまにじゃなくって、いつもして欲しい!」

嬉しそうにはしゃぐ蝶湖とそれを見守る青山。それが騒がしかったのか、はたまたもう充分に休養を取ったのかはともかく、由香里がひょっこりと目を覚ました。

「まあ、蝶湖さんではありませんか。先日は大変お世話になりました」

蝶湖の姿を認めるや否や由香里は丁寧に頭を下げる。すると意外な事に、蝶湖はすぐさま由香里に駆け寄ってその手を取った。

「ねぇ、もう大丈夫なの?あなた相当ひどい怪我してたじゃない?絶対無理はしちゃ駄目だよ?」

一途な眼差しで由香里をみつめる蝶湖。そのあまりの変わり様に朱戸はあっけに取られた顔になるが、由香里はにっこりと微笑み返して蝶湖の手を取る。そして

「ご心配をおかけしまして申し訳ございません。ですが皆様にお助け頂きましたから、こうして元気で新年を迎える事ができました」

満面の笑みでそう答えた。


 ただでさえ話の尽きない面々に蝶湖まで加わった一同は、いつの間にか日の出を迎えようとしていた。海岸で佇む一同の前で、今ゆっくりと新年初のお日様が顔を見せる。


「おおー、神々しいってのは正にこの事だよね!さあ皆で新年の抱負を叫ぼう!」

真っ先に叫んだのはやはり朱戸だった。そして有限実行、大きく息を吸い込むと

「私は!今年中に空手の段位を三段にする!そして会社では班長資格を取るぞーっ!」

現実的ではあったが、それだけに真実味のある朱戸の誓い。それになんとも言えない感動を覚えた桜子は続いて叫ぼうとしたが、それより先に玄田が朱戸の傍に駆け寄った。そしてすかさず朱戸に続く。

「私もっ!柔道の段位を上げる!そして勉強も頑張って全教科優を取ってみせる!バイトも頑張って早くお店に私の作ったケーキを並べてもらうっ!」

今度こそはと意気込む桜子。しかしそれより先に青山が口を開いた。

「…私は、今年中に芥川賞を取る…」

更に白木が続く。

「青山にそこまで言われちゃ小さな事言ってられないわね。私は…えっと、今年中とは言わないけど、卒業までに司法試験に合格してみせるわ!」

先の二人と比べていきなり難しい事を誓う二人。それを聞いた桜子は口にしかけていた言葉を飲み込んでしまった。すると由香里がその手を取って前に進み出た。

「ちょ、由香里?」

「新年の抱負は人それぞれで当然ですよ。先輩方の抱負は確かに立派なものばかりでしたが、今の私達には決して譲れない決意があるのですから、それを抱負としては如何でしょうか」

「うーん…でもなぁ、絶対合格ってのもそのまんま過ぎだし」

「何事もそのまんまが一番ですよ。変に手を加えてはかえって台無しになる事も世の中には沢山ありますよ。ですから、サクラさんが最初に思った事をそのまんま口に出せば良いのではありませんか?」

 そう言って微笑む由香里の顔を、桜子は何度と無く見てきた…筈だったのだが

「うわぁ…」

朝日を浴びて輝く瞳のせいなのか、神々しくさえ見えるその顔に桜子は何故か涙を流してしまった。

「サクラさん?」

途端に由香里の顔に不安が浮かぶ。

「ああ、全然そんなんじゃ無いの!ただちょっと感動しちゃって…そんだけ!」

そう言いながら桜子は由香里の手を握り返すと、由香里にも負けない輝く様な笑顔を返した。そして

「じゃあ、行くよっ!」

「はい」

二人は手を繋ぎながら新年の抱負を声高に叫んだ。

「私は、絶対に由香里と同じ大学に行ってみせる!そしてずっと最高の友達として、これからも互いに高めあって生きていく!」

「私も、サクラさんと共に切磋琢磨しながら日々を過ごします」

「うんうん」

にこやかに由香里の顔を見る桜子。由香里も笑顔を返すと、

「ですから、帰ったら早速お勉強致しましょうね」

いつもの笑顔で現実的な事を言い、桜子の表情は一瞬にして固まった。


 とは言え、徹夜明けで無理して体調を崩しては元も子も無い。皆と別れて桜子と共に自宅へ戻った由香里は、あくび混じりで着替えを済ますと、桜子と共にベッドの中で楽しい夢の中へと入り込んだ。


 その日はお昼頃まで寝ていた二人。決して充分な睡眠とは言えなかったものの、皆との年越しでテンションの上がっていた桜子は、由香里に起こされるまでもなく自ら跳ね起きた。そして

「あー…流石にお腹空いたわね」

今にも泣き出しそうなお腹をさすりながら呟いた。すると

「まぁ、もうお目覚めですか?」

桜子の気配に気付いたのか、傍らで寝息を立てていた由香里も起き上がった。そして両手で口を覆うと

「ふわぁあぁあぁあぁあぁあぁあーー」

やけにリズム感が良い、長々としたあくびをした。すると桜子もつられて長々としたあくびを返す。

「まぁ、新年早々お見苦しい姿をお見せして申し訳ございません」

「いやいや、それ言ったらワタシも見苦しいって事になっちゃうじゃない?」

「まぁ…そう言えば、そう言う事になってしまいますねぇ」

「由香里…絶対ワザとでしょ?寝ぼけてないんでしょ?」

「さぁ、何の事でございましょう?」


 年が明けても相変わらずのやりとりを繰り返す二人。そんな状況が嬉しかったのか可笑しかったのか、二人は互いに顔を見合わせると、声を上げて笑った。そして

「今年もよろしくお願いいたします」

「こちらこそ!今年と言わず、ずっとずっとヨロシクね!」

そう言いながら二人は互いに手を取り、しっかりと握り合った。


 互いに笑みとあくびを入り混ぜながら二人は階下へと進む。洗顔を済ませた二人はそのまま食堂へ向かおうとしたのだが、まだ新年の挨拶を交わしていなかった事を思い出し、由香里は厨房へと足を進めた。


 厨房では、綾が忙しそうに周りを取り仕切りながら、更には自分でも盛り付けを行っていた。広間で行われている新年会には剛二の主催で新年会が行われており、百人以上の来客をもてなす為に綾は大忙しだったのだが、由香里や桜子の姿を認めると、一瞬手を止めて手にしていた膳を置いた。そして

「あら、桜子さんにゆかちゃん、あけましておめでとうございます」

丁寧に頭を下げながら、穏やかな笑顔で新年の言葉をかける。

「あけましておめでとうございます」

「あ、あけましておも…んんっ!…おめでとうございます!」

笑顔で挨拶をする由香里とは対照的に、寝起きのせいかしどろもどろになる桜子。綾は小さくクスっと笑うと

「二人ともお腹空いたでしょう?お雑煮とお節があるからお食べなさい」

そう言いながらお雑煮と黒豆に栗きんとん、鮭の昆布巻に紅白蒲鉾、鮒の甘露煮に伊達巻等、お正月らしい料理を盆に乗せて由香里に手渡した。


 由香里の部屋へ戻った二人は、よほど空腹だったのか盆に乗った彩鮮やかな料理をあっという間に平らげてしまった。そして片付けを終えた二人はゆっくりとお茶を飲んで心を落ち着けると、浮かれた正月気分をすっかり切り替えてお勉強モードに入った。


 桜子の集中力は、最早邪魔さえ入らなければ限界を超えるまで続く様になっていた。とは言え受験目前の時期に限界を超えて倒れてしまっては元も子も無い。以前は由香里がそれを察して休憩を取っていたのだが、年末の勉強会辺りからは桜子自身が誰よりも体調に気を使うようになっていた。二時間は勉強に集中。そして十五分しっかり休憩してからまた二時間集中。そして二回目の休憩を取る頃にはすっかり日も暮れていた。

「そろそろ晩御飯に致しましょう」


 ぐぅ~


 由香里の言葉に、鳴りを潜めていた桜子の腹の虫が反応した。

「えへへへへ…体は正直だね」

舌を出しながら顔を赤くする桜子。

「はい、健康な証拠です。無事に受験が終わるまでは、今の体調を維持しましょうね」

「うん、そだね!」

互いに笑いながら食事をしに居間へ戻った二人の耳に、剛二と綾の楽しそうな声が聞こえてきた。その声に交じり、もう一人どこかで聞いた様な声がする。

「あら、まだお客様がいらっしゃるのでしょうか」

「まさか…この声って!」

桜子はハッとした様な顔で息を飲むと、駆け出して居間を覗き込み…

「なんでいるの?」

呆気に取られた顔でそう呟いた。


「あら桜子、お勉強頑張ってる?」

 陽気な声で答えたのは、桜子の母、麗華だった。あっけらかんとしたその声に、桜子は鼻息荒く言葉を返す。

「そりゃあ言われるまでもないけど、なんで由香里の家にいるのよ?」

「なんでってそりゃあアンタ、娘の面倒を見て頂いてるお宅に新年のご挨拶に来るのは当たり前じゃないの!もうこの子はそんな常識も無いのかしら?全く困った子ねえ」

そう言いながら麗華は大きな溜息をつくと、不意に表情を変えて桜子を見つめた。

「え…何よキモチワルイ」

「何よじゃ無いわよ。あんなに飽きっぽかったアンタが、高校生になってからは、まるで人が変わった様に色んな事に頑張るようになって…嬉しいのよ」

麗華の表情はその言葉と共に和らぎ、その瞳にはうっすらと涙が滲んでいた。

「はぁ?ちょっとナニ人んちで泣いてるの?恥ずかしいからやめてよ」

 突っぱねる様な桜子の言葉。麗華は思わず立ち上がるとすかさず言葉を返す。

「ばっ…泣いてる訳無いでしょう?ちょっと目にゴミが入っただけよ」

「ナニ言ってるのよ?ウチならともかく、

由香里んちはスッゴク綺麗にしてるのよ?ゴミなんか目に入る訳無いじゃない?失礼な事言わないでよね」

「ちょっと、ウチならともかくってどう言う事よ?私がお掃除してないみたいじゃない」

「そうは言わないけどさ、少なくとも由香里んちはウチよりは綺麗だって言ったのよ!」

「そりゃあそうでしょうけど、何も皆さんの前で言わなくたって…って、アラ?」

そこまで言った所で麗華と桜子動きが止まった。そして

「えっと…よそ様で口喧嘩なんてはしたないわよね」

「ええっと…そうよねお母様。もうよしましょう」

二人はまるで申合せた様に咳払いをすると、同時にソファに腰かけた。その様子を笑顔で見守っていた一同だったが、ふと思い出した様な言葉と共に綾が立ち上がった。

「では、そろそろお夕食に致しましょう。ゆかちゃん、お手伝いお願いね」

「はい」

そう言いながら立ち上がる由香里の傍らで

「あ、ワタシも手伝います!」

桜子も元気に立ち上がった。それを見た綾は

「まぁ、ではお願いしちゃおうかしら」

由香里と瓜二つな笑顔で答えると、そのまま厨房へと向かった。

「ワタシ達も行こっ!」

「はい、参りましょう」


 そんな訳で麗華は剛二と二人で居間に残されてしまった。若干の気まずさを感じた麗華に、剛二が壁際の棚からグラスを二つ取り出した。そして

「まぁ、食事の支度が出来るまで軽く一杯、如何ですか?」

「ええっ?いえいえ流石にそんな厚かましい事は…」

「いいじゃありませんか、お正月なんですから」

剛二はそう言いながら、慣れた手つきで自家製の梅酒をグラスに注ぎ、手早く水割りを作ると麗華の前に差し出した。そして

「では、乾杯」

「は、はい…乾杯」

グラスを合わせたかと思いきや、剛二のグラスは一瞬にして空になってしまった。呆気に取られる麗華をよそに、飲む口実が出来た剛二は立て続けに梅酒を三杯飲み干すと、今度は棚からカミュのXOと書かれたボトルを取り出した。そして

「まぁ、食事の前だからこの辺にしておきましょう」

そんな言葉と共にそれを自分と麗華のグラスに注ぎ

「では、乾杯」

「はい、かんぱーい!」

剛二につられて飲んでしまった麗華は、いつの間にかすっかり出来上がっていた。そんな状態で迎えた夕食はと言うと…


「うんうん、確かにその通り!麗華ちゃんの言葉は真実味があるねぇ」

一通り食事を済ませた剛二は、焼酎の瓶を片手に更に上機嫌になっていた。

「まぁ剛二さんったらお上手なんだから。その口で綾さんをその気にさせちゃったのかしら?」

「いやいや、それはアレだよ!何と言うか、お互いの気持ちが通じたと言うか、心が溶け合ったと言うか…って何を恥ずかしい事言ってるんだろうな?」

「その頃の詳しい話を聞きたいなー」

「そう?そんなに知りたい?」

「はい、すごく気になります」

「ハイ、ワタシも物凄く気になります!」

突然二人の会話に入り込む桜子。そして母子共に真剣な顔で剛二に視線を注ぐ。

「あー…えっとだな」

そう言いながら剛二は綾の顔色を伺うが、綾は笑顔で小さく頷くだけだった。それを見た剛二もかすかな笑みを漏らすと、手にしたグラスを空けて大きな息をつく。そしてゆっくりとした口調で話を始めた。

「あれは、高校生になって半年位経った頃だったなぁ…」

 剛二はそう言いながらグラスを満たすと、それに口を運びつつ話を続ける。


「俺は、その頃怖いもの知らずだった。喧嘩では負け知らずだった…とは言え親父と兄貴以外の相手にだけどな。


綾はにこにことしたまま剛二の話に相槌を打ち、時折懐かしげに眼を閉じると小さく頷いたりしていた。

「俺には、幸い出来のいい兄貴がいた。正直出来が良すぎてコンプレックスだった事も否定は出来ないが、将来親父の後を継ぐのは兄貴に決定してた事もあって俺は学生時代を好き放題に過ごしていたんだ。とは言え、あんまり人の道を外れた様な事をすると死ぬより恐ろしいお仕置きが待っていたから…」


 不意に剛二の言葉が止まった。そして、グラスを持つ手が小刻みに震える。かつてのお仕置きを思い出しているのか、その瞳も虚ろに遠くを見つめていた。そのまま暫く沈黙が続いたのだが

「ふあぁっ!」

突然の叫びと共に剛二自身が沈黙を破った。そのまま荒い鼻息を数回吐き出すと、やっと自分を取り戻したのか再び口を開く。

「いや、失礼。つい恐ろしい昔を思い出して絶句してしまった」

その恐ろしい昔がどんななのか、桜子は恐ろしくて想像する事すら出来なかったが、剛二の青ざめた顔からそれがどれ程の物なのかおおよそは見当が付いてしまった。それは麗華も同様だったのか、母子揃ってひきつった笑みを浮かべていた。その様子に剛二は苦笑を浮かべたが、懐かしむ様な綾の微笑みに気付くとそのまま話を続けた。

「まぁ、親父も兄貴も普通の喧嘩なら何も言わなかったんだ。それどころか親父なんか、自分から喧嘩を売るような真似は絶対にしてはいかん!だが売られた喧嘩に背を向ける様な真似はもっといかん!なんて言ってたんだからな。世の中には喧嘩を禁じている流派もあるが、実戦で役に立たない護身術など何の意味も無い、ってのが口癖だったしな」

剛二は豪快にガハハと笑うと、いつの間にか空になったグラスに自ら酒を注ぐ。

「最初の内は、喧嘩ばかりの俺は同じクラスの連中に敬遠されていた。だけどな、それが何の因果か分からんが、いつの間にか困った奴等に救いの手を差し伸べる救世主に変わっていたんだ」

「俺としては、ほんの気まぐれだった。たまたま機嫌が悪くてイライラしてた時に、恐喝の現場に出くわしたんだ。弱い奴に興味は無かったけど、弱い奴を食い物にしてる奴等は反吐が出るほど嫌いだったから…死なない程度に痛めつけてやった。そしたら恐喝されてたのがたまたま同じクラスだった奴で…それから俺は正義の味方扱いされてしまった訳だな」

剛二は再びグラスを口に運び、小さくクックッと笑う。

「今思い出しても笑える!この俺が正義の味方ってか?はっはっはっはっは!あぁ、今思えばどいつもこいつもいい奴らだった。またいつか集まりたいもんだ…おっといかんな、話が逸れてしまった。まぁそんな訳で、その日から俺は皆の助っ人としてあちこちで喧嘩してたんだが…そんなある日、綾に出会ったんだ」

懐かしげに眼を細める剛二。綾も同じ顔になって互いを見つめあい、小さく頷いた。

「俺達が出会ったのは…そうだったな、文化祭の…文化祭の…いつだっけ?」

「初めてお会いしたのは、茶道部の買い出しをしている時でしたわ」

「買い出し…おぉあの時か?大きな買い物袋を両手にフラフラしてる危なっかしいのがいたんでつい声をかけちまったんだよな。そしたら…」

急に沈黙する剛二。その顔は次第に紅潮していったが、どうやらそれは酒のせいだけでは無い様子だった。それに気付いたのか単なる好奇心なのかは定かではないが、しばしの沈黙を破って桜子が問いかける。

「そしたら、どうなったんですか?」

「そしたら…だな」

「そしたら?」

「振り返った顔を見た瞬間、俺の全身に衝撃が走ったんだ…そして直感した。この人が俺の探し求めていた人なんだってな。そして今現在、その直観が間違って無かった事は自分自身が一番解っている」

照れ臭そうに言いながら剛二は更に何度かグラスを空にした。そうなると最早酒に酔っているのか、はたまた自分に酔っているのか定かでは無い。そんな状態で剛二は言葉を続ける。

「その日から、俺は暇さえあれば…いや違うな、無理矢理暇を作っては茶道部に顔を出しに行っていた。とにもかくにも綾の顔が見たくてなぁ…そんな事を繰り返してる内に、それまで大嫌いだった茶道が好きになっていった訳だ。今思えば、親父の点てるお茶はとても美味かった。しかしなぁ、その頃の俺はありあまる体力を持て余していた頃で、正座しながら作法がどうとか、そんな事に気を遣いながらお茶の味を楽しめる余裕なんか全く無かった訳だ。そんな時に、ただくつろげばいいんだと綾に言われて、それで茶道が好きになった」

「その頃からだったな、それまで全く興味の無かった茶器に興味を持ち始めて、それが親父が喜ばせる事になったんだ。そしたら今まで見る事すら許されなかった茶碗などを使わせてくれる様になってな…それを綾に見せたりもしたもんだ」

「そんなある日俺は調子に乗って…幾らだったかな、三百万は下らない茶碗を割っちまった。とは言え、それを割った時には俺は気にもしてなかったんだがな。しかし綾にその器が値打ち物だって聞かされて、そこでやっと自分のしでかした事に気付いた訳だ。とは言え、やってしまった事はもうどうしようもない。半殺しを覚悟で親父に謝ろうとしたんだが、その時に綾がこう言ったんだ。その器が割れてしまったのは私が一目見てみたいと言ったからで、その言葉さえなければ決して壊れる事は無かった筈だ、と。だから謝らなければならないのは私であって、貴方が頭を下げるのは筋違い。だから貴方が素直に謝って尚ひどい目に遭わされるのならば、それは自分が負うべき罰だ、とな。そしてその言葉通り、綾は親父が帰宅すると同時に、俺の静止を振り切って親父の前に進み出たんだ。親父は最初、仁王様みたいな顔で綾を睨み付けていたんだが…誠心誠意心を込めた綾の謝罪の言葉に、その顔が段々と緩んでいった」

「それからだったなぁ…親父がしょっちゅう俺に尋ねるようになったんだ。今日はあのお嬢さんは来ないのか?ってな。今思い出しても信じられないが、常に仁王様みたいだった親父の顔は、綾が来た時だけは…まるで孫に会う時のおじいちゃん。うむ、まさにそんな顔をしていたなぁ」

しみじみと語る剛二。それを綾も楽しそうに見守っていた。

「それからは、俺と綾は家族ぐるみの付き合いで順風満帆に思えたのだが…やはり何事にも試練ってのはあるんだなぁ」

「そうですねぇ」

そう言いながら、剛二と綾は顔を見合わせると声を立てて笑った。

「今となっては恥ずかしい話だが、その頃の俺は色んな奴に恨まれていてな、隙あらば仕返しをしようって奴らが山ほどいた訳だ。そんな状況でおおっぴらに付き合っていた綾が狙われたのは当然と言えば当然だな。まぁそれも今思えばの事で、まだガキだったその頃の俺はそこまで考えが回っていなかったって訳だ。馬鹿な話だよな」

かなり酒が回ってきたのか、剛二は段々と饒舌になってきた。にも関わらず重ねる杯のペースは全く衰えず、周りに空きボトルが順序良く並んでいく。それでも綾は咎める所か自らお酌をし始めた。どうやら思い出話を楽しんでいるのは剛二だけではなかったらしい。綾がお酌をすると、剛二はお返しに綾の盃を満たす。綾はそれに口を付けながら懐かしげに眼を細めた。そして

「あの時は…そうですねぇ、不思議と怖さは感じませんでした。きっと剛二さんが助けて下さると信じていたからなのでしょう」

「そうだったのか?それは俺も初耳だ」

「はい、私も今初めてそう思ったのです」

「そうか…そうだな。確かにあの時、俺は命を懸けても綾を助けるつもりだった。とは言え死ぬつもりなど毛頭ありはしない。これから先の人生を、ずっと二人一緒に過ごしたいと本気で思っていたんだ」

「私も…あの時からずっと…今でもそう思っております」

完全に二人だけの世界に入ってしまった剛二と綾。見つめあう二人を、好奇心に満ちた顔で麗華と桜子がみつめていた。それを察したのか、はたまた自身も好奇心が首をもたげたのか、由香里がぽそっと口を開いた。

「差支えなければ、その時のお話をお聞かせ願えませんか?」

その言葉に麗華と桜子は、わが意を得たりとばかりにグッと拳を握った。剛二と綾は顔を見合わせると…照れるどころか待ってましたとばかりに笑みを浮かべ、綾の頷きと共に剛二が語り始めた。

「あれは…綾と出会ってから半年程経った頃だったか」

「はい、二年生になる直前の頃だったはずですよ」

「すっかりクラスの連中にも頼られる様になった俺は、はっきり言ってかなり調子に乗っていた。相変わらず勉強は嫌いだったが、それでも綾と一緒に授業の復習をするのが習慣になってからは、気付いたら毎日授業以外にも勉強する様になっていたし、なにより授業も真面目に受ける様になっていた。おかげで成績も上がった俺はすっかり学校が楽しくなってなぁ…それまでにぶちのめした奴らが仕返しを考えてるとかは思いもしなかった。しかもそいつら、集団で俺を襲うのならまだ許してやっても良かったんだが…よりにもよって、綾を拉致しやがったんだ」

意外な言葉に一同は驚きの表情を浮かべるが、剛二も綾も懐かしげに笑みを浮かべている。そしてそのまま思い出し笑いを始めた二人。最初の内はなんとなく微笑ましい光景に周りもつられて微笑んでいたのだが、次第に桜子が、そして麗華がイライラしはじめた。

「それから、どうなったんですかっ?」

思わずハモる二人。その声に顔を見合わせた剛二と綾は、今度は声を上げて笑う。

「え…ちょっと、なんで笑うんですか?凄くヤバい状況だったんじゃ無いんですか?」

思わず叫ぶ桜子だったが、そんな言葉にもお構いなく、と言うよりはその言葉が更に二人の笑いを勢いづかせた。そのままひとしきり笑った二人は、唖然とする一同に向き直ると同時に剛二が真顔で桜子に迫る。

「どうなったと思う?」

「えっ?…それはやっぱり…その」

口をもごもごさせる桜子だったが、剛二はニカっと笑うと

「それがなぁ、なーんにも起きなかったんだよ。笑っちまうよな?」

その言葉通り豪快に笑う剛二。綾も一緒になって笑うが、当の二人以外はポカンとした顔でその様子を見守る。怪訝そうな顔の桜子達を置き去りにして笑っていた剛二だったが、ひとしきり笑うとふぅと大きく息をついて話を続けた。

「それがだなぁ、綾を連れ去った連中までもが、そのほんわかした魅力にやられちまったのさ。俺が駆け付けた時には、そいつらもすっかり綾と打ち解けていて、俺が拳を振るう機会なんぞハナから無かったって訳だ」

「本当に笑うしか無いよなぁ。何しろ俺はもしかしたら命懸けで戦う事になるかもしれないって思っていた訳だ。それがいざ現場に着いてみたら、倒すべきだった輩と、守るはずだった綾が一緒になって和気藹々と和んでいたんだから…」

剛二は苦笑しながらも溜息を漏らし、そのままグラスを空にした。そして

「ふああああぁああぁあ…すまないが話してたら眠くなってしまった。お先に失礼させて頂こう」

唐突にそう言うと、寝室に向かう…かと思いきや、そのまま綾の膝の上に横になった。


 唖然とする春日野母子をよそに、綾は図体の大きな子供…そんな風情の剛二を優しく撫でた。そして

「あらまぁ…膝枕なんて何年振りかしら」

そう言いながら綾はにっこりと微笑み…

「お話の結末、気になりますか?」

まるで少女の様に頬を桜色に染め、笑顔でそんな問いかけをする。間髪入れずに激しく頷く春日野母子。由香里は相変わらずの微笑みでその様子を見守っていた。


 期待に満ちた眼差しの春日野母子。綾は盃を飲み干すと、ふぅっと息を吐き…おっとりとした口調で事の顛末を話し始めた。


「大筋は、剛二さんがお話しされた通りなんです。とは言え、今でも私は拉致などされていないと思うのですよ。なぜなら…」

 綾は人差し指を頬に当てると、思い出を呼び覚ますかの様に視線を遠くに移した。


「あれは…そうでした、お車に乗っていた方に道を尋ねられたのです。ですが上手く説明が出来なかったので、お車に同乗させて頂いてご案内致しましたが、どうにも上手くご案内ができなくて、結局はその方々が自力で目的地に辿り着いた様なものなんですよ。全くお恥ずかしい限りでございます」

恥ずかしげに微笑む綾だったが、桜子と麗華は顔を見合わせ…何とも言い難い表情で声にならない笑い声を上げる。綾がそれに気付いたのかどうかはともかく、先が気になった二人はあえてその話を遮る事もなく話は続けられた。

「そうこうしている内に、車は無事目的地に着きまして、私はお暇しようかと思ったのですけど、道案内をしてくれた人を歩いて帰すわけにはいかない。だからすぐに用事を済ませてまた車で送るから、少しだけ待っていて欲しい。その様な申し出までされては、私もそれを無下に断る事など出来ません。ですから案内された場所で待っていたのですよ」

「あの…それってどんな場所でした?」

思わず桜子が突っ込んでしまうが、綾はうーんと呟きながら過去の記憶を思い出す。

「あれは…えーっと…その…よく覚えていません」

恥ずかしげに顔を赤らめながら答える綾。桜子と麗華は揃って前のめりに倒れた。しかしそれと同時に当時綾を拉致した連中の気持ちも理解した。見た目以上に可愛らしい何とも言えない雰囲気を醸し出すこの人には、親の仇でも無い限り本気で乱暴する事などできない。悪意など欠片も無いこの顔で微笑まれては生半可な悪意など消し飛んでしまう。そう思った二人に向かって、綾は笑顔で言葉を続けた。

「それから暫くその方々とお喋りをしている内に剛二さんがおいでになりまして、そのまま一緒に帰宅したのですけども…あぁ!」

綾は両手をパンと合わせながら大きな声を出す。桜子と麗華は思わず身構えた。しかし

「今分かりました。あの方々は、剛二さんを待っていらしたのですねぇ」

綾の無邪気な言葉は、身構えた二人を完膚なきまでに叩きのめす。


 決してふざけている訳ではないのに今一つ緊迫感の感じられない綾の昔話。その余韻に浸りながらたわいのないお喋りに興じていた由香里と桜子に、綾は微笑みながら問う。

「ねぇ、ゆかちゃんに桜子ちゃん。今、いい人はいないの?」

突然の問いに桜子は口に含んだジュースを豪快に吹き出した。

「ちょっと!なにしてんのよアンタ!」

慌てて台拭きを手にした麗華はテーブルを拭き、そのまま桜子の口を拭く。

「ちょっと!それテーブル布巾でしょ?口拭く奴じゃないじゃん!ってかそれ以前に順番おかしくない?普通はワタシの口を拭いて、それからテーブルじゃない?」

慌てて振り払う桜子。麗華は

「あ、ゴメンね」

一応謝罪の言葉を述べつつ、その顔は笑っていた。

「絶対本気で謝って無いでしょ?」

「あら、ばれちゃった?…ってそんな事よりもぉ」

「な…ナニよ?」

「ホントの所はどうなのよ?いい人…いたりするのかしら?」

そう言いながら麗華は桜子にすり寄る。

「はぁ?ナニ言ってんのよ」

桜子はそう言いながら溜息をつくと

「ワタシのいい人は由香里に決まってんじゃん!」

その言葉と共に激しく由香里に抱き付いた。

「ねっ、由香里!」

「はい。私にとっても、サクラさんはとても大事な人ですよ」

由香里も微笑みながら桜子を抱き締める。その様子に綾と麗華は思わず顔を見合わせ、同時にクスクスと笑い出した。すると剛二がむっくりと起き上がり

「んー…そろそろ食後のお茶の時間か?」

大きく伸びをしながらそんな事を口走った。その様子に今度は皆が顔を見合わせて笑い声を上げた。


 結局その晩は麗華も泊まる事になった。何しろまともに立つ事もままならない状態では帰す訳にもいかない。自身が酔っ払いながらもそれを悟った剛二は、酒飲みならではの話術で麗華をそそのかし、綾も全力でそれをサポートした。その結果、麗華は客室で安らかな寝息を立てる事になった。


 そんな事は置いといて、由香里と桜子は再び勉強を再開する。しっかり休んできっちり栄養を補給した桜子は、酔い潰れた麗華の事を心配しつつも集中して取り組む。


 いつの間にかしんしんと降り始めた雪音の中で、静かにカリカリと鉛筆の音が響く。あっという間に二時間が経ち、休憩時間となった。桜子が肩をトントンとしている内にも由香里はいつの間にかお茶の用意を済ませ、桜子の前には香り高い紅茶が置かれる。

「ふぅ…落ち着くなぁ」

ミルクティーを啜りながら、桜子は静かに目を閉じる。そして

「由香里と同じ学校で…本当に良かった」

誰に言うともなく、そんな言葉を呟く。

「今更だけど…ウチのガッコって、ワタシの実力ではちょっと無理めだったんだよね。でも担任に説得されてさ、受験勉強頑張っちゃったの。今の内からやらずに諦める事を覚えてしまうと後で後悔しないかい?ってね。どうせ人生なんていつかは躓くもの。だったら躓くのを覚悟で頑張ってみてもいいんじゃないかい?それに、君だったら仮に躓いてもまた立ち上がれると思うんだよ。なーんて言われてさ、それ聞いてスッゴク気が楽になったと言うか嬉しかったと言うか、とにかくそれで勉強頑張ってなんとか合格して…そしたら今度は由香里と出会えて、気付いたらまた一生懸命勉強して、あの頃じゃ絶対に諦めていた大学に入ろうって頑張ってる自分がいる。類は友を呼ぶ、って諺あったよね?もしもワタシがあの時頑張らなかったら由香里にも会わずに、多分テキトーな人生送っていたのかなって思うと、あの時の担任の言葉が凄く有難く思えて…なんだか泣けてくるよ」

そこまで言うと、桜子は自分の言葉に感極まったのか、大粒の涙を流し始める。しかし由香里は何もせずに微笑みながらその様子を見つめていた。


暫くの間、しんしんと鳴る雪だけが降り積もる。そして桜子は涙を拭うと、由香里に向かって満面の笑顔を返した。


 数日後、遂にセンター試験へと向かった由香里と桜子に三船。その手には前日に美鈴から貰った必勝のお守りが握られていた。その秘められた力のなせる業なのか、はたまた本人達の努力ゆえなのか、あるいはその両方なのかはともかくとして、三人揃って目標ラインは見事にクリアする事が出来た。とは言え本番はこれから。油断無く勉強会を続ける三人に、先輩達は時間の許す限り入れ替わり立ち代わり面倒を見に来ていた。更には美鈴もちょくちょく様子見がてら差し入れを持って来たりと、賑やかながらも受験本番に向けての対策は着々と進められて行った。そして…


「よっしゃ!とりあえず一つ合格っ!」

滑り止めの大学に落ちてしまい相当テンションの下がっていた桜子だったが、その後の奮起もあって見事第二志望の試験をパスする事が出来た。まぁ実際には…人生の最下層にまで落ち込んだと思い込んだ桜子を奮起させるには先輩達や美鈴と言えどもなかなかに苦労を強いられたのだが。それでも、いついかなる時でも変わらない由香里の笑顔が周りの雰囲気を常に明るくさせ、次第に運気をも上げていったのではないか。後になって青山はそんな事を白木に語っていた。

 そして迎えた第一志望の入学試験の日。由香里と桜子は連れ立って試験会場へ向かう。その首には美鈴に貰ったお守りが小さく揺れていた。桜子はそれをぎゅっと握りしめ、由香里に微笑みかける。

「さあ、いよいよ本番だね!悔いの残らない様に頑張ろう!」

「はい、泣いても笑ってもこれで最後です。精一杯頑張りましょう」

受験直前にも関わらず笑顔の二人。若干場違いな雰囲気にも見える二人に、不意に声がかけられた。

「あれ?あー、やっぱりあの時の!」

その声に振り返った二人の目の前には、かつて沖縄で出会った少女、赤羽りなの姿があった。瞬時にその時の光景が再生されたのか、桜子と由香里は当然の様にその手を取り、懐かしげに言葉を返す。

「りな!」

「赤羽さんではありませんか」

そう言いながら手を握り締める二人。りなも嬉しそうにその手を握り返すと

「うっそ!覚えててくれたんだ?スッゴク嬉しい!」

溢れんばかりの笑顔で言葉を返した。


「こっちの大学受けるってのは前にも聞いてたけど、まさか同じ所が第一志望とは驚きだよね」

「うんうん、それは本当に同感。でも良かった!正直物凄く緊張してたの。こっちに知り合いなんていないし…とか思っていたら二人がいるじゃない?ちょっとだけでもお喋りができて緊張がほぐれた気がする」

「まぁ、それは大変結構ですねぇ。私も緊張に負けず、全力を発揮出来る様頑張ります」

「ふーん、貴女でも緊張するんだね?ちょっと意外な気がする」

「そうだよね。付き合いの長いワタシだって由香里が緊張してるかどうか、いまだによく分からないし」

「あらまぁ、いくらなんでも緊張しない人間などはおりませんよ。その証拠に私の鼓動は今、大変高鳴っております」

そう言いながら由香里は桜子の手を取ると、自分の胸に押し当てた。

「由香里?」

柔らかな感触と共に感じる由香里の鼓動。桜子は不意に自分の胸に手を押し当てると、自分の心臓も由香里同様に高鳴っている事を感じた。そして

「ちょっとゴメンね?」

いきなり腕を伸ばした桜子は、今度はりなの胸にその手を押し当てる。

「え、えっと…なにごと?」

突然の事に慌てるりなだったが、その手を振り払う訳でも無く両手で握り締めた。

「あ…ゴメン。なんだかりなの鼓動を感じたくなって」

「鼓動?」

一瞬りなは怪訝な顔になるが、桜子の顔を見て、何かを感じた様に笑みを浮かべる。

「そっか…うん、分かる気がする」

そう言いながらりなも自分の胸に手を当て、そして桜子の胸にも手を当てる。そして

「みんな、ドキドキしてるね」

微笑みながらそう言うと、由香里と桜子も笑顔で頷いた。


もうすぐ卒業…そう考えるとなんだか寂しいなぁ。おかげで先が浮かんでも書けない状況が続いてしまう。

とは言え、次で完結致します。


あ~



なんだか泣きそう(笑)

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