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穏やかでない年末

18.穏やかでない年末


 遂に最後の合同稽古も終わり、事実上は部活も引退となった由香里と桜子。由香里は今まで通り授業中はほんわかした顔で授業に集中。一方の桜子は、ときたまうつらうつらしながらも頭を叩いて自らを鼓舞する。更に放課後は由香里と共に図書室へ赴き、半年前ならば確実に脳が弾け跳んでしまう程の勉強を自らに課していた。その真剣な表情に、傍らの由香里も笑みを浮かべる。

「うーーーーー…あ、そうか。ここはこの公式でこうやって…うん…こうして…んでこう代入して…できたっ!ねえ由香里、これでいいんだよね?」

 桜子の言葉に、由香里はノートに目を通すと、笑みを浮かべながら

「はい、大正解でございます♪この調子で次も頑張りましょう」

そう答えて更なる奮起を促す。すると桜子は驚くべき早さで例題を次々と解いていく。その早さには由香里も少なからず驚いていたのだが…外見からそれを判断できる者は、桜子の他にはこの学校にはいなかった。


「あー…疲れた」

暫く集中していた桜子だったが、流石に二時間以上も勉強をしていると目も疲れるし体もこわばる。更に時間が遅くなっていた事もあり、由香里はそこで勉強を切り上げた。

「それにしても、サクラさんの集中力は凄いですね。私など一時間も続けると他に目がいってしまいますけど、ここ数日のサクラさんは、毎日二時間以上も集中が続いておいでです。この調子ならば受験も問題ないと思いますよ」

片付けをしながら由香里はそう言うが、桜子はため息をつきながら言葉を返す。

「でもさぁ、結局毎日由香里に教えてもらうばかりじゃない?それって全然由香里に追いついてないって事でしょ?だとするとやっぱり同じ大学に行くのは難しい…かと言ってそのせいで由香里が受験する大学のレベルを下げるのは絶対にイヤ!だから頑張っているんだけど…ふぅ」

そう言いながらうつむく桜子。由香里はその手を取ると

「何も心配はありませんよ。サクラさんはお勉強でも武術でも、本気になって取り組まれれば誰よりも早く上達できるだけの力をお持ちです。ですから、今は私の言葉を信じて、一緒にお勉強致しましょう」

溢れんばかりの笑みを湛えながらそう言葉を返した。


「さて、帰ろっか」

 片づけを終えた桜子は、鞄を手にしながら外を眺める。

「すっかり日も暮れちゃったね」

「ええ、もう冬はそこまで来ていますから、お日様も早めにお仕事を終えてしまうのでしょう」

「お仕事ねぇ…私は将来、どんな仕事に就くのかなぁ」

「そうですねぇ…サクラさんでしたら接客業などが…あ、もしくは教師など如何でしょうか?」

「教師?いやいやいや、それは無理だって!人に教えるとか絶対ムリだから!」

「そうでしょうか?」

「そうだってば!」

「私は、凄くお似合いのお仕事だと思いますよ。サクラさんでしたら、既成概念に捕らわれない新しい教育を行えるのではないかと思うのです」

「…そうかなぁ?」

「はい。あくまでも私見ですけども」

「うん…でも由香里の言う事ってあまり的外れでもないのよね。今はまだその気にはなれないけど、一応考えておくね」

「はい、是非前向きにご検討下さい」

「あはははは…」


「それにしても、教師なんて考えた事もなかったわ。流石は由香里、目の付け所が違うわよね」

帰り道で、思い出した様に桜子が呟いた。その視線の先に、見慣れた姿があった。

「あれ…南城?」

「南城さんですか?」

「うん、あそこに…あれ?」

「見当たりませんねぇ」

「うん、どっか行っちゃったみたい。ケータイ片手に何だか険しい顔してた気がするんだけど…まさかまたトラブルに巻き込まれてとか、無いよね?」

苦笑いしながら由香里を振り返る桜子。その目に映った由香里の姿はいつも通りの笑顔だったにもかかわらず、桜子の目には別人の様に凛として見えた。

「由香里…行くの?」

「ええ、サクラさんと同じ考えですよ」

「ああ…やっぱ気になるよね」

「はい。参りましょう」

「はぁ…アンタって意外と決断早いよね」

「はい?」

「いや、いいよ。行こう!」

「はい」


「ああ…本当に命に別状は無いんだな?わかった…いや、お前達は絶対に手を出すな。いいから俺に任せとけ。じゃあな」

 南城は早口で話を切り上げると電話を切って大きく息をついた。そして

「響子…」

そう呟くと同時に全身を震わせる。そして意を決して振り返るとそこには…

「おっす!こんばんは!」

「南城さん、こんばんは」

何故か笑みを浮かべながら立ち塞がる桜子と由香里の姿があった。

「お…お前ら…何でここに?」

「何でって、アンタの姿見かけたからだよ。ねっ、由香里?」

「はい、サクラさんが南城さんのご様子が気になるとおっしゃいますので、私も気になってしまったのです」

「…お前らには関係ねえよ。とっとと帰れ」

南城はそう言って立ち去ろうとするが、桜子はその前に回り込むと食いつく様な顔で南城に迫る。

「ごまかそうったってそうは行かないわよ!さっき響子がどうとか言ってたでしょ?あれは何なのよ?またアンタ何かに巻き込まれてるんじゃないの?それで、友達の響子まで何か…お願い、教えてよ!」

 必死の顔で迫る桜子に南城は何か言いかけたが、大きく息をつくと、急に険しい顔になって背中を向けた。

「…お前らには…関係無い」

「ちょっと!南城?」

桜子は再度南城の前に回り込んで説得しようとするが、由香里は意外な事を口走る。

「サクラさん。南城さんが関係ないとおっしゃるのですから、私達には関係がないのですよ」

「由香里?ちょっとアンタ何を…」

「ですから、私達がどこへ行こうと…例えば南城さんの後に付いていこうとも、それは南城さんには関係の無い事なのです」

「え?…えーっと…ああ!」

思わずニンマリする桜子。そして南城の顔を覗き込むと

「ってワケだから、アンタの後を付いてくから、ヨロシクね!ねっ、由香里?」

「はい、どこまでもお供致します」

そう言いながら笑みを浮かべる二人を前に、南城は大きなため息をついたが、すぐに笑い声を上げる。

「付いて来るって言ってもな、俺はバイクに乗ってくぞ。お前等は走って付いて来るつもりか?」

 そう言いながら立ち去ろうとする南城だったが、そこへ爆音と共に一騎が通りかかる。

「よお、こんな所で何やってんだ?」

そう言いながら一騎はヘルメットを由香里に投げつける。そして

「さて、どこへ行こうか?」

笑顔の一騎とは対照的に、南城は大きく溜息をついた。


 南城の背中にしがみつきながら、桜子は響子の身を案じていた。それと察した訳でも無いのだろうが、南城がバイクを止めたのは…

「あれ…病院?」

「ああ、命に別状はないらしいが、響子の様子は気になるからな」

「え…でもこんな遅くちゃ面会時間過ぎてない?」

「許可は取ってある。問題ない」

「あ、ちょっと待ってよ!」

桜子は慌てて南城の後を追う。由香里と一騎もその後に続いた。


 ひんやりと薄暗い廊下。かすかに消毒液の匂いが漂うその奥のベンチに、一人の婦人の姿があった。南城はその姿を認めるなり小走りに駆け出すと

「すみません!俺のせいで…」

いきなり深々と頭を下げた。顔を上げた婦人は一瞬驚いた顔になったが、南城の顔を見て笑みを浮かべる。

「お久し振りね、辰巳くん」

「はい、ご無沙汰しております。それより響子の容態は…」

「ふふっ…大丈夫よ。あの子が丈夫なのはよく知っているでしょう?ちょっとやそっとで大事になったりしないわよ。それに辰巳くんに謝る理由なんかないわよ。どんな事情か細かくは知らないけど、あの子は大切なお友達の為に少しは役に立てたんじゃないかって考えると、自分の娘ながら褒めてあげたくなるのよ。我ながら親バカよね」

そう言って笑いながらも、婦人の目には涙が溢れていた。言葉を失う南城だったが、すぐに気を取り直した様に婦人が笑顔で言う。

「今は麻酔が効いて眠っているけど、言葉だけでもかけていってあげて。そちらのお友達の方も、是非」


 婦人に促されて病室へ入った四人は、響子の姿を見て息を呑んだ。命に別状は無いと聞いてはいたものの、全身に包帯が巻かれた姿は正視に堪えない。たまらず桜子が目を逸らすが

「…うぅ」

小さな呻きにも似た声を聞き、桜子は弾かれた様に響子に駆け寄った。

「響子!大丈夫?」

桜子は泣きそうな顔で問いかけたが、返事は無い。

「麻酔が効いてるって言われたろ?聞いてなかったのかよ」

吐き捨てる様に言う南城ではあったが、その顔は怒りと悔しさが入り混じり、まるで泣くのを堪えているかのように見えた。桜子は響子の手を握ると、囁く様な声で響子に語りかける。

「響子…痛い?ゴメンね、こんな事になってるなんて知らなくって。それにね、南城の奴はぜんっぜん教えてくれなかったんだよ、酷いと思わない?ほんっとに友達がいの無い奴だよね…でも、由香里と二人で問い詰めたらしぶしぶ白状したんだけどね。それでね…」


 桜子は、それからも暫く響子に向かって一人で喋り続けていた。その様子を見ていた一騎が由香里に囁く。

「なあ、何があったんだ?何で響子ちゃんがこんな事に?」

「私も…存じ上げません」

「そうか」

「ですが…」

「ああ、俺も同じだ。誰がやったか知らねぇけど、絶対に許さねぇよ」

「はい…」


 桜子はひとしきりいい終えると、意を決した様に立ち上がった。そして由香里達を振り返ると…

「あれ…南城は?」

「えっ?」

「南城さん…あらまぁ、いつの間に出て行かれたのでしょう」

病室内を見回す一同だったが、やはり南城の姿は無い。互いに顔を見合わせると

「まさかアイツ!」

「一人で行く気か?」

「あらまぁ」

そう言いながら慌てて部屋を出るが

「まあ、皆さんそんなに急いでどうなさいました?」

部屋を出るなり、驚いた様な顔の響子の母親に出くわし、咄嗟に桜子が反応する。

「いえいえ、あのですね…南城…くんが見当たらないので、どうしたのかなーって」

「え?辰巳君なら…多分ロビーで電話している筈ですよ」

「…は?」

目を丸くする桜子だったが、その言葉通り南城はロビーにいた。だが、そこで電話をしていた訳ではなく、見知らぬ…とは言っても気合十分な状態の響子と同じ様な身なりの少女達と話をしていたのだが。

「南城!何で一人で出てくのよ?心配するじゃない!」

「ちっ…やかましいのが来やがった」

舌打ちをする南城。その言葉にすかさず噛み付こうとする桜子だったが、目の前の少女達が皆一様に不安げに自分を見ている事に気付いて息を呑む。中には敵意を剥き出しにして睨み付けてくる者もいた。

「ねぇ南城、このコ達は…どちら様?」

「は?…見りゃ分かるだろ?響子の仲間達だよ。まあ、ツレだったり後輩だったり色々だけどな」

「そうなんだ。じゃあ何でワタシを睨んだりするのがいるの?」

「知らねえよ。気になるなら自分で聞け」

「えー…怖いからヤダ」

「お前なぁ…まあいい、気にする程の事じゃない。いきなり見ず知らずの奴が現れたら誰だって警戒するだろ。それだけの事だ」

「ああ…確かにそりゃそうだよね。んで、何の話をしてたの?」

「ん…ああ、響子があんな目に遭ったのは自分達のせいだって気にしてんだよ。気にするなって言っても聞かねえから、それなら情報集めに力を貸してくれって頼んどいたんだ。そしたらな、予想以上の力を発揮してくれたんだよ。なあ、彩音?」

「あ、ハイ」

彩音と呼ばれた少女は、若干警戒の色を残しつつも前に出ると、南城の前にスマホを取り出してその画面を何度かタッチする。そして

「ここです。この病院跡地が北村達の潜伏先です。北村本人はまだ見当たりませんけど、響子さんを襲った奴らの内の何人かはいました。奴等の顔は…絶対に…絶対に忘れませんから!」

彩音は不意に言葉を荒げると、両肩をわなわなと震わせる。そして

「私らがしっかりしてれば、響子さんをあんな目には…あん…な…ううっ…畜生」

最後は聞き取れない程に小さな呻き声を漏らした。そのまま崩れそうになる彩音を南城は抱き止め、普段からは想像もできない優しい顔で声をかける。

「安心しろ。響子なら大丈夫だ。それに…借りは万倍にして返す。二度と馬鹿な事をしない様に、その体にきっちりお仕置きしてやるさ。今度こそ完璧にケリをつける」

「…辰巳さん」

「泣いてる場合じゃない。行くぞ!」

「はい!」


 南城は響子の母親に暇を告げると、その足で病院跡地へと向かう。当たり前の様に同行する由香里に桜子、それに一騎だったが、最早南城は何も言わずに桜子を後ろに乗せたままで夜の道を疾走する。そして、街中を通り抜けて一時間ほど走った所で先導する彩音のバイクが止まる。そこは数年前から使用されていない病院だったが、いまだ取り壊されておらず、その不気味な姿を夜の闇の中に浮かび上がらせていた。

「ここがそうなのか?」

 南城の問いに無言で頷く彩音だったが、その顔には不安そうな色が浮かぶ。

「…彩音?」

「はい…その筈なんですけど、何だかおかしいです」

「何がだ?」

「前に来た時は、見張りが何人もいたんですけど…」

 そう言いながら彩音は前方を見渡す。そこへひょっこりと由香里が顔を出した。

「今はどなたもいらっしゃらないみたいですねぇ」

「ぅわっ!びっくりした!」

思わず大声で叫ぶ彩音。しかし由香里は何事も無かったかの様に言葉を続ける。

「あらまぁ、夜遅くに大きな声を出してはいけませんよ」

「あのね、一体誰のせいで…」

「それはそうと、確かに人の気配がしませんねぇ。ですがここからではよく分かりませんから、中に入ってみましょう」

「えっ?あ、ちょっと!」

彩音は慌てて止めようとするが、由香里に続いて一騎が、そしてちょっと躊躇しながらも桜子がその後に続く。更に

「気にすんな、こんな人種もいるんだよ」

そう言い残して南城もその後に続いた。余りにも警戒感の無い由香里達に呆気に取られる彩音だったが、はっと我に帰ると

「ちょ…ちょっと待って下さいよ!」

そう叫びながら後を追った。


 窓から入り込む月明かり、それだけが病院内を照らしていた。南城と一騎はポケットからマグライトを取り出すと、周りを照らしながら慎重に辺りを伺う。

「ほえー、お兄さんも南城も準備がいいね。由香里は何か明かり持ってないの?」

「明かりですか?…あ、そう言えば」

「お、あるの?流石は由香里!」

「いえ、この間美鈴さんに頂いたキーホルダーにライトが付いていたかと…あ、ありました。確かここを押せば…」

そう言いながら由香里は闇の中でもぞもぞと手を動かし…キーホルダーのLEDライトを点灯させる。

「あ、つきました」

嬉しそうな由香里の声と同時に、高輝度LEDの光が覗き込む桜子の瞳を襲う。

「まぶしっ!」

予期せぬ攻撃にのけぞる桜子。

「ははっ、賑やかだな」

「お前ら、五月蝿い」

対照的なツッコミに桜子は頭を描きながら舌を出すが、その視線の先に何かを見つけた。

「あれは…何?」

桜子はそう言って駆け出すと、受付カウンターの上に置かれた小さな宝箱を手に取った。

「なんじゃこりゃ?」

「宝箱の様ですねぇ。開けてみたい気も致しますが、もしかすると罠かもしれません。なので私が開けてみますね」

言うが早いか由香里は桜子の手から宝箱をするっと抜き取ると、その蓋を開く。同時に箱から飛び出した小さな刃物が由香里を襲うが

「あらまぁ」

予め予想していた由香里は、それを難なくつまんでしまった。桜子は驚きの声を上げる間も無く、間の抜けた顔で由香里の横顔を見つめる。すると

「あら…これはお手紙でしょうか?」

宝箱の底から、由香里が一枚の紙片を取り出した。そしてそれを広げると、桜子が横から覗き込む。そこには

「えっと…ここはハズレ、早くしないと他の連中も殺っちゃうからね♪ってコレは…」

読み上げながら桜子は表情を変える。そして由香里の手からその紙を引ったくり、全身をプルプルと震わせる。そして

「なんなのよコレはっ!」

フロア中に響き渡る声で叫んだ。

「何なのよ、響子をあんな目にあわせておいて遊びのつもりなの?それに今だって由香里が大怪我してたかもしれないのよ?冗談じゃないわ!絶対に許さない!」

激昂する桜子だったが、由香里がなだめるよりも早く、南城がその肩に手をかける。

「こんな場合にこそ冷静になれ。怒ったり焦ったりしたら奴等の思うツボだ。ま、お前に冷静になれっつっても無理な相談だとは思うけどな」

そう言いながらため息をつく南城。その言葉に一瞬ムッとした桜子はまくし立てる様に言葉を放つが、次第にそれは本来の軸を外れていく。

「ちょっと、それってどういう意味よ?ワタシの事バカだって思ってるんでしょ!そりゃあアンタや由香里にはテストで全然勝てないけど、これでも最近もの凄く頑張って、何とか由香里と同じ大学に行けるかもしれないってセンセーも言ってくれてるんだよ?ねえ由香里、ホントだよね…ってアレ?何の話をしてたんだっけ?」

「いや、それでいい。お前はその位で丁度いいんだよ」

思わず苦笑する南城。つられて桜子も笑いながら頭を掻いた。それはさて置き、由香里と一騎はその手紙を裏返すと、そこには脅迫めいた文章がどす黒い赤色で書かれていた。それを見た由香里はほんの少しだけ眉根を寄せた。

「お兄様…」

「ああ、血文字だな。考えたくはないが、これは恐らく響子ちゃんの…っと、これは桜子ちゃん達には言わない方がよさそうだな」

「はい、ですが…」

「ああ…こんな事する奴等は、絶対に、何があっても許さない!」

「はい」

そう言いながら由香里は再び視線をその文字に向けた。そこに書かれていたのは…

 いそがないと

 ひとりずつ

 しんじゃうよ

 ちのくりすます

 ぷれぜんと

 おたのしみに



 じゃあね


 汚く稚拙な文字、それもあえてそう書いたとしか思えない手紙は異質な気持ち悪さを放ち、一騎は顔をしかめながらそれを握り締めたかと思うと、いきなり広げるが早いがバラバラに引き裂いて放り捨てた。

「まあ、見ない方がいい物もあるよな」

苦笑しながら頭を掻く一騎に

「はい、私もそう思います」

由香里は微かな笑顔で答えた。


 それから僅か二日後の昼休み。携帯電話を覗き込んだ南城は、険しい顔で教室を後にした。桜子は由香里特製の卵焼きに全神経を集中していたが、それに気付いた由香里はふと顔を上げると

「あの、少々席を外しますね」

「ん?どしたの?」

「いえ、少々喉がいがらっぽいのでうがいをして参りますね」

「そうなの?風邪じゃないよね?最近寒くなってきたから気を付けないとね」

「ええ、全くですね」

そう言い残して由香里は南城の後を追う。しかし校舎の窓から正門、裏門どちらを見てもそれらしき姿は見えない。

「どうやら、学校から外へお出かけになる訳では無さそうですねぇ。でしたら…」

由香里の視線は廊下の奥、屋上へ続く階段へと向けられた。


 屋上に出た由香里は、低い声で電話をしている南城の姿を認めた。距離があるので会話は聞こえないが、明らかにその様子は普通ではない。暫く激昂した様に肩を震わせながら話をしていたが、電話を切った後の南城の姿は一転して悲しみに全身を震わせている様に見えた。


「あ、由香里、おかえりー!」

「はい、お待たせ致しました」

「大丈夫?うがいにしては長かったけど」

「はい、実は…」

「なーに?」

「あまりに空が澄んでいたので、つい見入ってしまいました」

「…ぷっ!あはははっ!なんていうか、凄く由香里っぽいわね」

「お恥ずかしい限りです」

「ううん!凄くいいんじゃない?でも早く食べちゃおう、お昼休み終わっちゃうよ?」

「はい、頂きましょう」

そう言いながら箸を運ぶ由香里だったが、その視線はともすると南城の席へ運ばれるが…

結局南城はそのまま戻って来なかった。


 放課後、由香里は早々に片付けを済ませると、桜子にもさようならの挨拶を告げただけで教室を後にした。いつもなら桜子の誘いを受けて一緒に帰る、それがこれまでの当たり前だっただけに、そっけなくも見える由香里の行動を桜子は寂しげな顔で見送る。しかし

「…やっぱり、何かヘンだ」

いつもとは違う由香里の表情を、桜子は見逃さなかった。同時に桜子の頭が…それも最近の学習で最高回転速度の上がった桜子の頭脳が高速回転を始める。


「由香里が先に帰るのもヘンだけど…そう言えば結局南城も戻ってこなかったわよね。そもそも由香里がナイショで何かするとも思えないし、って事はつまり…ナイショにしなきゃ私に迷惑がかかると思っての事じゃない?戻って来なかった南城。それに由香里もさっきうがいをしに行っただけにしては随分遅かったし、言い訳も由香里っぽかったけど、何か違う気がしたのよね。って事はつまり…また何かあったの?」

 桜子は顔を上げると同時に鞄を手に取って駆け出すと、素早くロッカーからコートを取り出して素早く袖を通し、疾風の速さで廊下を駆け抜け…ようとした所で塩谷に呼び止められた。

「おやおや、廊下を走っては危険ですよ」

「あ…はい」

「お急ぎの様ですが、急がば回れと言う諺もあります。急いでいる時こそ、周りをよく見て、最良の道を見つけて下さいね」

「あ…はい、ありがとうございます!それでは失礼致します!」

言うが早いか桜子は由香里の後を追うが、今度は歩きながらじっくりと考え始める。

「由香里は多分…南城の後を追ってる。でも南城は多分取り合わないでしょ?でも由香里はニコニコしたまま強引に後を追うだろうから、足が必要よね。って事は…お兄さんに乗せてもらうとして、今はバイクはどうしてたっけ?確か…なんとかの調整でお店に預けてあるって聞いたかも、じゃああそこだよ!」


 桜子が辿り着いたのはかつて響子が働いていたバイクショップだった。それを思い出した桜子は一瞬足を止めたが、意を決した様に拳を握ると同時に店内へ声をかける。

「すみません!」


「はいお待たせ。今日は何の御用で?」

そう言いながら店の主人が薄汚れたタオルで手を拭きながら出て来る。その隣に響子の姿が無い事に桜子は胸を痛めるが、大きく深呼吸をすると大きな声で問いかける。

「すみません、高屋敷一騎さんのバイクはこちらにありませんか?」


「すまねえな由香里。肝心な時にウチに無くってよ」

「いいえ、かえって整備されている方が好都合ですから」

「そうか?ならいいけど…っとオヤッさん!俺のDRは仕上がってる?」

 勢いよく店に飛び込む一騎。同時に店主は

「よう!調子は完璧にしてあるぜ!」

間髪入れずに会心の笑みで答えた。

「さっすがオヤッさん!悪いけど急ぎなんですぐに出して貰える?」

「ああ?そりゃあ構わないけど、さっきから可愛いお嬢さんがお待ちだぜ?」

「は?」

意外な言葉に一騎は目を丸くするが、店主が促す方を見て、今度は目が点になった。

「あ、お兄さん!それに由香里!待ってたわよ!」

その言葉と同時に、店の奥からは何故か桜子が飛び出して来る。その手には恐らく店主に出されたのであろう湯飲みとせんべいが握られていた。

「桜子ちゃん?…何でここに?」

「何でもかんでも、お兄さんの力を借りたいんです!」

「えっと、どういう…」

「いけません」

一騎の言葉を遮る様に由香里が鋭く言葉を放つ。一騎と桜子は一瞬耳を疑ったかの様に互いの顔を見合わせるが、由香里は再び口を開いた。

「今度ばかりは大親友として、私の言葉をお聞き下さい」

「由香里?ちょっと待ってよ!まだ何も言ってないじゃない!」

「はい、ですが私には分かります。サクラさんは私達と共に、南城さんの後を追おうとお考えなのですね」

「えっ?…っと…うん、そのつもりでここで待たせてもらってたんだけど」

「ですが、お兄様のバイクでは私が一緒に乗った時点で既に定員ですよ。一体どうなさるおつもりだったのですか?」

「え?…それは…その」

いつにない冷たさすら感じさせる由香里の言葉に、桜子は言葉を失う。しかし由香里は表情一つ変えずに言葉を続けた。

「今度ばかりはサクラさんにお付き合いする訳には参りません。最早遊び半分では済まないのですよ?」

「そんな事解ってるよ!だからってそんな言い方しなくたっていいじゃない!ワタシはただ、少しでもいいから由香里の力になりたいって…そして響子の…響子の…うえええええーん!」

桜子は激昂の末に大泣きをしながら崩れ落ちる。そんな桜子を一瞥した由香里だったが、そのまま顔を逸らすと店主に告げた。

「申し訳ありませんが、急いでおりますので精算をお願い致します」

「お?おお、ちょっと待っててな」

面食らった様に答えた店主だったが、奥から出してきたバイクの調子は正に完璧だった。早速車両を受け取った一騎はスロットルを開けながら喚起の声を上げる。

「うっひょー!こりゃあいいぜ!どうしても自分じゃ消せなかった谷が消えてるよ!これなら天井知らずで回りそうだ!」

「あ?おおそこは任せとけ!何度も試乗して確認済みだ」

「よっしゃ由香里、これならどこまでもかっ飛ばせるぞ!早く乗れ!」

「はい、お兄様」

そう言いながら由香里は一騎のバイクに近付くが…

「サクラさん」

そう言いながら振り返ると、桜子に駆け寄っていきなり抱き締めた。

「えっ?ちょっと…由香里?」

思わぬ展開に顔を赤らめる桜子。しかし由香里は囁く様な声で桜子に耳打ちする。その言葉と共に桜子の表情は和らぎ、そして次第にその目が輝き始めた。

「えっ?…あ、それで…うん、うん…うん…分かった。分かったよ!それならワタシにも出来る!って言うかワタシならではの仕事だよね、任せといて!」

「はい、よろしく御願い致します」

「うん!」

「では、行って参ります」

「うん…気をつけてね」

 由香里は名残惜しそうな顔で桜子の手を離すと、一騎の待つタンデムシートに座って腰に両腕を回す。

「お兄様、お待たせ致しました。参りましょう」

「おお、行くぞっ!」

一騎がスロットルを開けると、図太い排気音と共に二人の姿は夜の街に消える。それを見送った桜子はしばらくそのまま立ち尽くしていたが…

「あ、そうだ。こうしちゃいられない!」

そう言って携帯電話を取り出すと、急いで電話をかけ始めた。

「…んー…もう、早く出てよー。早く早出て下さーい…って、あ、出た!じゃなかった。あの、私です!かっ、春日野桜子です!」


 一方その頃、一騎の乗るDRは由香里の案内で南城の後を追っていた。

「お兄様、このまま一キロ直進、その後右折して最初の信号を左に入って下さい」

「了解!しかし由香里、何でそんなにはっきり分かるんだ?」

「はい、前に南城さんと連絡先を交換して頂いた際に南城さんのGPS情報も登録しておきましたから、この現在位置に間違いはないかと思われます」

「はっ!流石は由香里だな、ここぞという場面では抜かりが無い!」

「お褒めいただき大変喜ばしいのですが、今はただ只管に急いで頂けますか」

「よっしゃ!今日この時ばかりは警察も何も気にせず行くぞ!」

「はい」

まるでその言葉がスイッチだったかの如く、一騎はフロントアップさせながら更にスロットルを全開にした。


 それから十分と経たない内に、一騎の駆るDRは郊外の廃墟…ではなく、街中のクラブ入り口に辿り着いた。

「由香里…マジでここなのか?」

「はい、間違いなく南城さんはこちらにおいでの筈です」

「うーん…ま、入ってみりゃあ分かるか」

「いいえ、入らずとも分かります」

「ん?おお、確かにな」

そう言いながら一騎はヘルメットを脱いだ。その眼前には、あからさまに胡散臭い男が二人、まるで壁の様に立ち塞がる。

「とりあえず聞くけど、何も言わずに通してくれないかな?」

 親しげな笑みを浮かべながら問いかける一騎。しかし壁の様な大男達は無言で拳を振り上げ、全力をもってそれを振り下ろす。

「仕方ねぇな」

一騎はバイクに跨ったままで右脚を振り上げると、軽々とその拳を受け止めた。明らかに体格で劣る相手に軽々と受け止められた大男は一瞬動きを止めるが、正にそれが命取りとなる。

「ケンカの最中にボーっとしちゃダメさ」

その言葉と同時に、一騎のつま先が鳩尾に突き刺さる。そして声も上げずに崩れ落ちた。

「さて、そっちは…あーあ」

由香里に目を向けた一騎は思わずため息をつく。それと言うのも、由香里の相手をした大男は既に意識が無く、哀れにも口からは泡を吹いていたのだから。

「さて、やっちまった事は仕方ない。ここから先は、後悔の無い様に行くぞ?」

「はい、そう致しましょう」

そう言いながら顔を見合わせた二人は、軽く拳を突き合わせる。

「とりあえずは慎重に…」

一騎は金メッキの施された取っ手に手をかけて押してみたが…ビクとも動かない。引いてみても横に動かそうとしてもドアは微動だにしない。どうやら鍵がかかってるらしく、一騎は軽く舌打ちした。そして由香里を振り返ると、無言で笑みを浮かべる。そして

「作戦変更、派手に行くぜっ!」

その言葉と共に放たれた一騎のサイドキックは、言葉以上に派手な勢いでドアを吹き飛ばした。

「ありゃりゃ、見た目の割には意外としょぼい扉だなぁ」

若干呆れた様に、扉の残骸を一瞥しながら一騎は中に進む。その奥ではフロア中に響く様な大音量で音楽が鳴り響いており、幸いにも一騎の派手な入場には誰も気付いていなかった。それどころか、そんな事はどうでもいいとでも言わんばかりの興奮に満ちた叫びが飛び交っている。

「何だか騒がしいな」

「はい、尋常ならざる空気を感じます」

そう言いながら進む二人。すると人垣の向こうに険しい顔をした南城の姿があった。

「あれは…南城君じゃないか?一体何を…」

するすると人垣に入り込む二人。

「どなたか、倒れていらっしゃいますねぇ」

そんな由香里の言葉通り、南城の足元には白目を剥いた男が仰向けに倒れていた。そして南城自信も肩で息をしており、その額には汗が滲んでいる。かと思ったその時、突然けたたましい実況の声が響いた。

「何とっ!とうとうこれで三人抜き!このまま行っちゃうのか五人抜き?それとも次の刺客が寡黙な喧嘩屋南城を止めるのか?さあさあ次行ってみよう!四人目のファイター、ホワイトバッファロー!」

その言葉と共に南城の前に現れたのは、身長二メートル超の筋肉質な白人だった。南城との体格差は正に大人と子供。普通に戦っても南城の不利は明らかだったが、更にその拳に装着された革のグローブからは無数の突起が突き出していた。

「グローブの中に釘?…えげつないな」

思わず呟く一騎だったが、由香里は表情一つ変えずに答える。

「あんな物に頼らなければ戦えない様では、南城さんの相手にはなりません」

「しかし、南城君は相当疲れているみたいだぞ?」

「はい、ですがそんな事関係ありません」

力強く言い放つ由香里。同時にファイトを促す掛け声が響き、ホワイトバッファローは猛然と南城に突進する。そして拳を振るおうとしたその瞬間

「あんま近寄るな、暑苦しい」

小馬鹿にしたような南城の言葉と共に、全く力の入っていない平手打ちが頬を叩く。一瞬呆気に取られた相手だったが、そのあからさまな挑発に、顔を真っ赤にして唸り声を上げる。

「アアアアーーーッ!」

獣の咆哮を思わせる叫び声は正に迫力十分ではあったものの、怒りにまかせた振り回すだけのパンチは全く当たらない。

「あらら、由香里の言葉通りだな」

「はい、南城さんはとても冷静です」

その言葉通り南城は鋭く繰り出されるパンチを悉くかわし、更に隙を見て軽く平手打ちを放つ。その都度相手の怒りは増し、攻撃は更に大振りになっていく。そしてまた平手打ちの繰り返し…そして見る見るうちにホワイトバッファローの顔は真っ赤に腫れ上がる。南城の平手打ちは相手の怒りと同時に徐々に威力を強め、最終的には頬骨を叩き折るかの様な掌打となって相手の顔を捕え…巨体はそのまま崩れ落ちた。

「一方的…ってか相手が可愛そうになってきたよ」

「いいえ、卑怯な戦いをする方には良い薬です」

「俺は、たまに由香里が怖くなるよ」

「何かおっしゃいましたか?」

「いや!なんでもない。それよりさっき五人抜きとか言ってたよな?じゃあ次で最後だから、相当強い奴が出てくるだろ。場合によってはアドバイスがいるだろうし、俺達も傍に行こうぜ」

「はい、それは構わないのですが」

「ん?」

「まさか、お兄様が間近でご覧になりたいだけではございませんよね」

「あ…バレた?」

「うふふ、私も同感でございます」

「そっか、じゃあ行こうぜ!」

「はい」

そう言いながら二人は更にするすると人垣に入り込み、あっという間に最前列の、しかも南城の背後に入り込んだ。

「うん、やっぱり南城君はお疲れ気味みたいだな」

「はい。ですが南城さんならば大丈夫です」

「でもなぁ…次の相手はちょっとヤバいぞ」

「次の相手…ですか?」

「ああ、アレは素人じゃない」

「もしや、顔見知りのお方でしょうか?」

「いや、アイツ自身は見た事無いけど、右肩の刺青には見覚えがあるんだ」

そう言われた由香里は、南城の次の相手と思われる、ウォーミングアップ中の男に視線を送る。すると、しなやかな筋肉の上に、確かに鋭い爪と牙を持った悪魔の姿が彫られていた。

「刺青…ああ、確かに禍々しい悪鬼の様な刺青が彫られておりますねぇ」

「あれはガーゴイルの印だ」

「ガーゴイル…ですか?」

「ああ、俺がアメリカで武者修行中に何度かやりあった事がある。タチの悪い武闘派の…愚連隊みたいなもんだ」

「試合をなさったのですか?」

「試合では一回、それ以外では何回か」

「それ以外ですか?」

「まぁ、そこは曖昧にしといてくれ」

「はい。ですがそのガーゴイルさんとはお知り合いなのですね?」

「知り合いじゃねえけど…とにかくどいつもえげつない戦いをする奴等ばかりだったよ。

どいつもこいつも戦いそのものが楽しくって仕方ないみたいな奴等でな、正直俺もあの刺青はあまり思い出したくはない」

「では、何か助言などは」

「いや、俺はアイツの事知らねえからなぁ」

「そう言えばそうですねぇ」

「ああ、助言は相手の出方を見てからだ」

そんな会話の内にも相手のウォーミングアップは済み、再び実況の絶叫にも似た声が響き渡る。

「な・ん・と!なんと遂に来てしまった、まさかの五人目!しかし最後の相手は今までとは訳が違う!まともな格闘家はまず逃げる!ヤクザも警察も、更にはマフィアの連中もあえて近寄ろうとはしない最悪の戦闘狂集団からの刺客!ガー…ゴイル!」

その言葉と共に絶叫にも似た歓声が沸き起こる。その中から進み出てきた男、ガーゴイルは、場内に流れる曲に合わせて軽やかにステップを踏みながら進み出ると、南城の前で立ち止まり、微かな笑みを浮かべながら右手を差し出した。

「…?」

 当然の様に警戒する南城。しかしガーゴイルは微笑を満面の笑みに変えると、半ば強引に南城の手を取って大きく上下に振り、更に流暢な日本語で喋り出した。

「お前、すっげー強いのな!俺もアジア人とは何度もやった事あるけどさあ、お前みたいな奴は初めて見たぜ!まぁお前には色々と事情があるみたいだけど、俺は強い奴と戦えればそれでいいんだ。それにここだけの話…」

そこでガーゴイルは南城に耳打ちする様に近付く。そして声をひそめると

「お前に勝つと、すっげーギャラが貰えるんだよ。でも負けたらノーギャラなんだ」

そう言って笑みを浮かべた。そして顔を離すと、今度は不敵な笑みを浮かべながら叫ぶ。

「だから…悪いけど全力だ!お前もそのつもりで来い!」

その声と同時にファイティングポーズを取った。南城も弾かれた様に跳び下がると咄嗟に身構える。そして再び実況の声が響いた。

「さあさあ遂に始まった最終戦!無敗の喧嘩番長南城に対するは、こちらも喧嘩負け無しの打撃屋ガーゴイル!そのムエタイスタイルから繰り出される打撃を南城はどうやって凌ぐのか?はたまた型にはまらない南城の変則殺法をガーゴイルは如何に切り崩すのか?さあさあ息の詰まる視線のぶつかりあいから、どちらが先手を取るのか!」

まるでその言葉が開始の合図と取り決めでもあったのか、二人は一瞬にして間合いを詰めた。まずはリーチに勝るガーゴイルが鋭く左ストレートを放つ。南城はヘッドスリップしながら右のクロスカウンターを狙うが、そこをガーゴイルの右膝が迎え撃つ。しかし南城は咄嗟に重心を後ろに移動させて直撃を避けると、突き出された膝に右の鉄槌を振り下ろす。そこでガーゴイルの膝が消えた。

「!」

ほんの一瞬だが、完全にガーゴイルの右脚が南城の視界から消えた。それとほぼ同時に消えた脚が南城の即頭部を襲う。

「南城君!左!」

思わず一騎が叫ぶ。南城が咄嗟に上げた左腕にまるで電撃でも喰らったかの様な衝撃、更に続けざまの前蹴りを喰らって南城の体は派手に吹っ飛んだ。なんとかガードはしたものの、たまらず膝をつく南城の背後から予想外の声が…いや、一瞬前に聞こえた声から南城は予想していた。この声も聞こえてくるであろう事を。

「南城さん、大事ありませんか?」

その声に南城は若干のイラ立ちと、不思議な安心感を覚え、背後を振り返りもせずに言葉を返す。

「すぐに終わるさ。まぁ暇なら見ていけよ」

「はい、そう致します」

「んじゃ、お片付けをしてくるか」

「はい」

 由香里の言葉に南城は口の端を上げる。そしてゆっくりと立ち上がると、ふーっと息を吐いた。それがアイドリングの完了。そして南城は一気にスロットルを全開にした。

「いくぜ」

そう呟くと同時に、南城は素早く踏み込んでサイドキックを放つ。不意の攻撃にガーゴイルは咄嗟に跳び下がるが、南城の蹴りは予想以上に伸び、浅くはあったが見事にヒットした。予想外の攻撃にガーゴイルは一瞬目を丸くしたが、その顔には驚き以上に明らかに喜びの色が見えた。と、見えたと同時に今度はガーゴイルが同じサイドキックを放つ。それは南城のよりも早く、そして深く入り、南城の胸元に深く突き刺さる。

「がはっ!」

たまらず跳び下がる南城。するとガーゴイルは楽しげに

「いいキックだ!でももっと他にも色々出来るんだろ?それも見せてくれよ!」

そんな事を口走った。しかもそれは相手をからかう様な言い方ではない。恐らく本心からそんな事を言っているのだろうと思わせるのは、その屈託の無い笑顔のおかげだろうか?南城は不利な状況であるにも関わらず、そんな事を考えて冷静に相手を見つめた。だったら必ず付け入る隙がある。そう考えた南城は背筋を伸ばして、両腕をダラリと下げた。一瞬怪訝そうに首を傾げるガーゴイル。しかしすぐに鋭いパンチで南城に襲い掛かった。南城はノーガードのままでひらひらとそれをかわしながらも反撃をしない。バカにされているとしか思えないその動きにガーゴイルは軽く舌打ちをすると、僅かにバックステップして距離を取り

「シッ!」

鋭い呼吸と共に全体重を乗せたミドルキックを放ってきた。瞬時に南城の体は脱力から緊張状態に変化し、まるで鉈の様な肘をその膝に叩き落す。

「いってええーーっ!」

顔をしかめながらガーゴイルが叫ぶ。そして片足でぴょんぴょんと跳ねながら撃たれた膝をさすった。しかしその顔に焦りは見られない所か、むしろ嬉しそうにさえ見えた。

「あー、今のはなかなかの一撃だったぜ。でも、正直俺向きじゃあないな。男だったら迷わず攻めて攻めて攻めまくる!それこそが戦いの真骨頂だ!今から俺がそれを見せてやるぜっ!」

その言葉と同時に、ガーゴイルは両手を肩の高さに上げ、バリバリのムエタイスタイルを取った。そして小刻みに脚を運びながら南城との距離を測り…

「フッ!」

いきなりノーモーションの前蹴りを放つ。咄嗟に反応した南城はそれを叩き落すが、同時に右ストレートが迫る。南城がヘッドスリップでかわすと同時に、左のローキックが南城の脚を捕えた。

「ぐっ!」

まるで刃物で刺されたかのような痛みを感じながらも、南城は返しの突きを放つ。しかし全く踏み込めない状態では威力がある筈も無く、ガーゴイルは軽々とかわして更にもう一発ローキックを叩き込んだ。堪えきれずに南城の腰が落ち、すかさずガーゴイルが左のミドルを、それを南城がガードしたとほぼ同時に、右のハイが南城の首を捕えた。危険な角度まで首の曲がった南城は、そのままうつ伏せに倒れる。

「南城君っ!」

 たまらず駆け寄ろうとする一騎。しかし由香里がその手を掴んで離さない。

「由香里?」

「いけません。南城さんはまだ戦うおつもりです」

「バカな!由香里だって見りゃ分かるだろ?彼のキックは普通じゃない!このままじゃ危険…」

そこまで言った一騎の目の前で、南城はフラつきながらも立ち上がった。

「南城君、立つな!これ以上は危険だ!」

叫びながら前に出ようとする一騎を、周りの男達が取り押さえた。一騎は鋭い視線と共に振り払おうとしたが

「黙って見ててくれ」

南城のその言葉に、一瞬一騎の両腕から力が抜ける。そして

「離せっての!」

乱暴に男達を振り払うと、そのままどっかと腰を降ろした。その間も由香里は一言も発せずに南城を見守り、南城は拳を握り締めてガーゴイルの前に進み出る。

「いいじゃん!お前いいよ!俺もなんだか楽しくなってきた!俺はお前の息の根を止めるつもりで行くから、お前もそのつもりで来いよな!」

ガーゴイルはそう言って拳を突き出す。

「当然だ」

南城も拳を合わせながら静かに答えるが、その目には何があろうと一歩も引かない。そんな決意が見て取れた。そして、壮絶な打ち合いが始まる。

 ガーゴイルは一定の距離を保ちながらローキックを叩き込む。南城は必死に堪えながら前に出てがむしゃらに突きを放ち続ける。そのまま一進一退の攻防が続いていたが、ガーゴイルは一瞬の隙を突いて前蹴りを放つ。一旦距離が空くと同時に、円を描く様に南城の周りを回り始めた。そしてひたすら南城の脚にダメージを与え続ける。数分の内に南城は立っている事すら困難になるが、それでも何とか踏み込んで突きを放つ。しかしまともに力の入らない突きが当たるはずもなく、大振りの突きをかわされた南城はそのまま前のめりに倒れ込んだ。

「由香里、本当に止めなくて良かったのか?地力に差があり過ぎる。このままじゃ本当にまずいぞ」

「ええ、ですが南城さんが諦めてないのですから、私どもが横から手を出す訳には参りません」

「気持ちは分かるけど…由香里?」

由香里の手はぎゅっと握り締められ、よく見ると小刻みに震えていた。

「分かったよ、少なくともタイマン勝負やってる内は絶対に手を出さねえ。約束する」

「はい、ありがとうございます」

そんな二人の気持ちとは裏腹に、南城は明らかに戦える状態では無かった。何とか立ち上がりはしたものの、全身で息をしており、両脚も引きずっている。顔や首、腕など何箇所も赤く腫れ上がり、鼻や口からも血が滲んでいた。しかし、腫れ上がった瞼の下で、その目だけがギラギラと不気味に輝いている。その様子にガーゴイルは溜息をつくと、頭を掻きながら問いかけた。

「なあ、なんでそこまで粘るんだ?まさか俺より金に困ってる訳じゃないんだろ?もういい加減ギブアップしろよ」

「金…だと?ふざけるな…俺が何の為に戦ってるか…お前には…関係…無い」

鋭い視線を返しながら答える南城に、ガーゴイルは若干イラついた様な顔になった。

「まあ、そりゃあ関係ないけどさ。だったら何なんだよ?このまま続けたらお前死んじゃうぞ?それでもいいのか?」

「構わねえさ。やんなきゃならねえ事をやらずに生き延びる位なら死んじまった方がマシだ」

「…フン、いかにも甘えん坊の言葉だな」

「何だと?」

「本気で自分が死ぬなんて、考えちゃいないんだろう?お前は…兄弟や友達に金が無いばかりに生きて行けなくなった、そんな奴なんかいないんだろう?死んじまった方がマシなんて言ってるけどよお、まだまだ生きていたかったのに命を絶たれた奴なんかいないんだろう!ふざけるんじゃねえ!」

急に語気を荒げたガーゴイルは、拳を振り上げると

「お前みたいな甘ったれた奴は、俺がブチ殺す!」

その言葉と同時に鋭いパンチが南城を襲う。しかし、手も足も出ない南城は、意を決して顎を引くと、そのまま額でパンチを受け止めた。みちっという音が響き、ガーゴイルは顔をしかめる。南城はその手首を掴むと、鬼の様な形相でガーゴイルを睨み付けた。

「生きていたかったのに命を絶たれた奴…だと?それなら俺にもいるぞ」

「なんだと?」

「お前の雇い主…どうせ北村だろうが。そいつのクソみたいな嫉妬で、俺の兄貴は殺されたんだよ」

「お前の…兄さん?」

「ああ、だからお前に恨みは無い…が、ここはおとなしく引いてもらう!」

南城は思い切りガーゴイルの腕を引くと、その鼻面めがけて全身全霊を込めた頭突きを叩き込んだ。

「がはあっ!」

「まだまだこれからだっ!」

 南城は渾身の力を込めてガーゴイルの頭を両側から押さえつけ、自らの頭も砕けんばかりの勢いで再度頭突きを叩き込んだ。更に数回頭突きを叩き込む南城。両者の顔はあっという間に血みどろになり、近場で見ていたギャラリーにも血飛沫が飛び散る。一方的になるかと思われたその時、今度はガーゴイルが南城の頭を掴み

「調子に乗るんじゃねえ!」

そう叫びながら自らも頭突きを返す。ゴツゴツとした音だけが響き、ギャラリーも声を失って数分が過ぎた頃

「こいつは…どえらい試合になっちまった。しかしどっちもハンパねえぜ!」

 思い出したように響き渡る実況の言葉。その言葉に弾かれたかの様にフロアは一瞬で歓声に満たされた。由香里達が入場した時は明らかに南城を敵視していた観客達だったが、今では二人の戦いに熱狂して敵も味方も無く応援している。その雰囲気に後押しされたのか、とうとう由香里が言葉を発した。

「南城さん、もう一息です!」

その言葉に南城の動きが止まる。ガーゴイルもそれに反応して動きを止め、お互いの頭を掴みながら血みどろの顔に笑みを浮かべる。

そして、大歓声の中でゴツっという鈍い音が響いた。


 二人は額を合わせた状態で動きを止め、場内の歓声はザワつきに変わる。

「これで終わり…なのか?」

 呟くような実況の声。程なくしてガーゴイルの体が滑る様に崩れ落ちた。

「あ…っと、これは…なんと!なんととうとう五人抜き!ありえないと思われていた五人抜きを、遂に達成してしまった喧嘩屋南城!一体誰がこんな結末を予想していただろうかっ?とにかくっ…勝者は、寡黙な喧嘩屋、いや、正に喧嘩番長、南城だーーーっ!」

実況は叫びながらも南城に駆け寄り、その右手を高々と上げた。同時に大歓声が湧き上がるが、南城は大きくよろめく。

「南城さん」

「南城君、大丈夫か!」

駆け寄った由香里と一騎が両側から南城の肩を支える。

「余計な真似を…と、言いたい所だが…正直立ってるのがやっとだ。すまない」

「いいえ、とにかく終わったのです。帰りましょう」

「そうだな、ここは余り良い雰囲気とは言えない。早々に立ち去った方がよさそうだ」

そう言いながら歩き出そうとする二人を南城が止める。

「ちょっと待ってくれ。俺には…会わなきゃいけない奴がいるんだ」

その言葉に二人は顔を見合わせる。しかし

「その方は、ここにはいらっしゃいません」

由香里が意外な事を口走った。

「は?何を言っている?お前に何が…」

「以前対峙した北村何某でしたら既にこちらには…いいえ、はじめからここではない場所で南城さんの戦いを見ていた筈です」

「なん…だと?」

「彼の者、北村何某は…卑怯者です」

その言葉を発した時も由香里の顔には笑みが浮かんでいたが、それは普段のそれとは微妙に違い…一騎だけでなく南城も背筋に寒いものを感じた。


「サクラさんに動いていただき、外の情報は全て把握済みです。北村何某ははじめからここにはおらず、隠れ家で南城さんが敗れ去る姿を楽しもうと目論んでいたのです。しかし結果はご覧の通り。見事南城さんが勝利を収め、刺客は全て敗北致しました。そしてそうなるとは思ってはいなくとも、彼の卑怯者は万一の事を考えて手を打っております。そう言った訳で、恐らくは数分もせずに私どもを検挙する為に警官隊がなだれ込んで来る事でしょう」

冷静に分析する由香里の言葉に、一騎と南城は顔を見合わせる。

「警官隊が?だからって俺達は別に…」

そこまで言ってから一騎は状況を理解した。

「こんなバイオレンスな状況じゃ、言い訳は不可能だな」

「はい、その通りです」

「んじゃ、とっとと逃げるとするか」

「ええ、そう致しましょう」

「南城君もいいね?どうせここにいても得るものは無い。それに君の行き先は俺達二人にかかっているしな」

「…好きにしてくれ」

「よっしゃ、行くぞ由香里!」

「心得ました」

その言葉と共に、由香里と一騎は南城を抱えあげて一気に外まで駆け抜け、そのまま夜の雑踏に消えた。それから五分と経たない内に警官隊が例のクラブになだれ込んだのだが、その時には既に乱闘の後は消されていわゆる「健全な営業」が行われていたのだが、それはもう由香里達には関係が無かった。


「で、これからどうすりゃいいんだ?」

愛車の前で一騎はキーを片手に言うが、由香里は答えない。と言うか答えられなかった。そして

「申し訳ありませんが、少々お待ち下さい」

そう言いながら、先日桜子にせがまれてお揃いにしたスマートフォンの上で、ぎこちなく指を滑らせていた。

「えっと…これで…あ、これですね」

由香里はそう言いながらスマホを耳にあてがって暫く待つ。そして

「あ、はい…大変お待たせ致しました。こちらは大丈夫ですよ。南城さんも私たちも無事です。はい…えっと…はい、じーぴーえす、ですか?それで場所が分かるのですね?なるほど…はい、分からなければまたお電話すればよろしいのですね?はい、了解でございます。サクラさんも何卒お気をつけ下さい。はい、ではまた後ほど」

由香里は電話を切ると笑顔で振り返り

「世界一頼りになる私の大親友が、敵のアジトを突き止めて下さいました。南城さん、もう一息です、参りましょう」

そう言ったかと思いきや

「あの…じーぴーえすって…一体何の事でしょうか?」

困った顔でそう問いかけた。


 その後色々と説明を試みたものの、結局は一騎が直に桜子に電話をして目的地を確認した。そんな事もあり、今では一騎とその後ろに乗った由香里、それに満身創痍になりながらも南城がその後を追って目的地へバイクを飛ばす。そんな中で一騎は

「あれ?そう言えば由香里、さっきまでは自分でGPSがどうとか言ってたよな?それが何でまたこんな感じに?…って事を由香里に聞いても、多分とんちんかんな答えしか返ってこないんだろうなぁ」

一騎はそう考えて苦笑すると

「さて由香里、覚悟はいいな?」

「はい、全速力で向かって下さい」

「おおよ!」

その言葉と共にスロットルを開ける。南城も愛車に跨ると同時に精気を取り戻したのか、一騎に遅れる事無くその後に続く。それを見た一騎がスロットルを全開にすると同時に南城も加速する。


 法廷速度とは一体何なのか?そんな速度で夜の街を駆け抜け、一時間後には目的地…埠頭にある巨大な倉庫前に辿り着いた。


「ここで間違いなさそうだな」

 そう言いながら一騎がヘルメットを脱ぐと同時に、桜子が駆け寄ってきた。

「お兄さん!待ってましたよ!」

「おお、桜子ちゃん!無事で何より」

「それに由香里!あ、南城も無事で良かった…って、南城はあんまり無事じゃなさそうだね。だいじょぶ?」

恐る恐る南城の顔に手を伸ばす桜子だったが、

「触るな」

あっさりと南城に一喝されてしまい、その手を引っ込めた。そして今度は真面目な顔で由香里に向き直る。

「一応手筈は整っているけど、あっちの人数は物凄いわよ。百人以上はいるみたい。どうしよう、もうちょっと様子を見ようか?」

そう言った桜子の顔はかなり不安げではあったが、由香里は事も無く答える。

「人事を尽くさなければ、いかほど待った所で天命は下りません。彼の者を逃がさぬ為にも、感付かれる前に行動を起こさねばならないのです」

「え…もしかして、ワタシ達だけで乗り込むつもりじゃ…ないよね?」

「はい、勿論そのつもりですよ」

その言葉と共ににっこり微笑む由香里とがっかりする桜子。しかし桜子のそんな心境を知ってか知らずか由香里は意外な事を口走る。

「サクラさんは、外の様子を見張って頂けませんか?それに連絡できる方がいないと少々困りますので」

「へ?…それってワタシは乗り込まないって事?」

「はい、こちらで待機をお願い致します」

「えっと…でもそれじゃあ南城もこんな状態だし、実質由香里とお兄さんだけで戦う事になるんじゃないの?」

「おい、俺が戦力外って言いたいのか?」

何気ない桜子の言葉に食って掛かる南城だったが、一騎がその肩に手をかけると、まっすぐに目を見つめながら言う。

「気持ちは分かるが、今の君はとても百人を相手に出来る状態じゃない」

「だからって!」

叫びながらその手を振り払おうとする南城。しかし一騎はその手と、更にその目に力を込め、言い聞かせるように言葉をかけた。

「だから、残りの体力は全てただ一人の相手に取っておけ。それ以外は俺と由香里に任せろ」

自分達二人なら百人でも相手が出来る。そんな途方もない言葉すら信頼させてしまう程、今の一騎の目には力がこもっていた。そして傍らに佇む由香里の姿が、その言葉を後押ししている。

「すまない…宜しく頼む」

南城が素直に頭を下げると、一騎と由香里は笑顔で言葉を返す。

「俺達は好きでやってるだけだ。頭を下げる必要はない」

「はい、その通りです。ですが、南城さんには今後一切私怨などに煩わされず人生を過ごして頂きたい、心よりそう思っております。ですから必ず今夜、この場所で決着を着けてしまいましょう」

そう言って微笑む由香里の顔には、まさかこれから戦いに赴く者が浮かべる事などありえない程の、柔らかな微笑みが浮かんでいた。

「んじゃ、由香里のクラスメイトの為、そして俺の修行の為、悪者退治といきますか」

「はい、とても良い修行になりそうですね」

何となく危機感のない言葉を口にしながらも二人はすたすたと倉庫の扉へ進み、そしてまるで自宅の玄関を開けるかの様な何気なさでその扉を開いた。


 倉庫の中は暗く、空気が淀んでいた。そして海辺に近い場所にもかかわらずカビ臭い臭いがする。恐らくは数ヶ月以上使われていなかったのではないだろうか。そんな事を考えながら二人が中へ進むと、突然背後で扉の閉まる音がした。同時に倉庫内の照明が点灯する。突然の出来事に由香里と一騎は光を遮ろうと手をかざす。するとそこへ、良い声なのにも関わらず、何故か不快な思いを抱かずにはいられない、そんな人をイラつかせる声が響いた。

「ようこそ…と言いたい所だけど、主賓の姿が見えないな。君達は南城君の先触れか何かなのかな?」

予想するまでもなく、その言葉の主はかつて山上の墓地で見た悪党、北村氷矢だった。コンテナの上に乗った北村は、文字通り上から見下ろす様な言葉を放つが、由香里は表情一つ変えずに言葉を返す。

「申し訳ありませんが、南城さんは只今少々疲れておりますのでお休み頂いております。とは言え…まあ天地がひっくり返ってもありえない事とは存じますが、もしも貴方様が誰の手も借りず、一対一で南城さんと戦うと仰るのであれば、南城さんは今すぐにでもこの場所へいらっしゃる事でしょう」

にこやかな微笑みとは対象的な由香里の言葉に北村は眉を吊り上げたが、その顔に浮かぶ得体の知れない力にふと思いを巡らせ、その顔をじっくりと見つめた。そして

「お…お前はあの時の!」

息を呑みながら、やっとの事でそう言葉を放った。その顔には驚愕の色が浮かび、全身がわなわなと震えている。しかし、不意に笑みを浮かべると、それを見下す様な笑みに変えて由香里達に向かって叫ぶ。

「ふん、ちょうど良かった!アイツは殺しても飽き足らない程気に食わない奴だが、あの時邪魔した奴等がお前達だってんならいい機会だ…今日この場で消えて貰おう!」

北村はその言葉と共に立ち上がり、周りの手下達を見回しながら声をかける。

「いいな、お前等はこの俺が認めた兵隊だ。相手がたった二人だろうが、絶対に手を抜くなよ。もしも…情けねえ姿を晒しやがった奴がいたら、そんな奴には金なんか一銭も払わねえし、後で俺が…殺してやるからな」

次第に低くなる言葉に、周りを取り囲んだ手下共は思わず身震いした。しかし中には得難い獲物を見つけたかのように舌なめずりをする者や、不敵な笑みを浮かべて拳を鳴らす者の姿も多数あった。その様子を見た北村は満足そうな笑みを浮かべ、ゆっくりと手を上げる。そして

「そいつらを血祭りに上げろ!それから影に隠れてコソコソしている奴を引きずり出せ!だがまずはそいつらからだ。どっちでもいいから、見事ブチ殺した奴にはギャラに加えて特別ボーナスを更に五百万出そう!」

その言葉にざわめきと歓声が上がる。そして

「分かったなら、今すぐブチ殺せーっ!」

絶叫にも似た号令がかかり、雪崩の様に百人が襲い掛かって来た。そんな情況にも関わらず、由香里と一騎は

「由香里」

「はい」

それだけ言葉をかわすと、既に閉められた扉まで下がって背中合わせになり、由香里は右前方、一騎は左前方に向かって身構えた。

「ボーナスは俺が貰う!」

威勢のいい叫びと共に、最初の一撃が由香里を襲う。由香里は振り降ろされた木刀を紙一重で左にかわす。そして左手を木刀の背に添えると同時に右手で柄を握り、右手を大きく引き上げながら左手を相手目掛けて力強く押し込んだ。びゅん!という風切り音。続いてぐちゃっと何かが潰れる音。

「う…うう…うぁ」

声にならない叫びと共に男は崩れ落ちた。男の股間からは赤黒い染みが広がるが、一瞥した由香里は表情一つ変えずに男の手から木刀をひったくると、更に首筋に一撃を加えた。

「お兄様、お使いになりますか?」

「いや、俺も自分で調達する」

「かしこまりました。では、これは私が使わせて頂きますね」

そう言いながら由香里が素振りをすると、その風を切る音に周りを取り囲む男達の表情が変わった。

「私は一切手加減致しません。こちらの方にはお気の毒でしたが、私が本気だという事はご理解頂けたかと思います。それでも構わないと仰るのでしたら…どうぞご随意に」

 微かな笑みを浮かべる由香里。それはまるで、これから起こる情け容赦無い戦いを心待ちにしているかの様にも見え、男達は戦慄する。その様子に北村は舌打ちをするが、極めて冷静を装い男達に声をかける。

「お前等全員バカなのか?抜け駆けしようと先走った大バカ野郎ががタマ潰されただけだろうが。この人数だぞ、四方から囲んで潰しゃあそれで仕舞だろうが。まずは長い獲物持った奴らで取り囲め。向こうの手の届かない所からジワジワ攻めて、疲れさせたら一気に近付いて止めを刺せばいい、それだけだ。ただし、その二人は強い。さっきも言ったが、絶対に油断するんじゃねえ。分かったか?分かったなら、今度こそ本気でかかれ!」

 再度号令がかかったが、今度は無謀な突撃をしてくるものはいない。角材や棒、鉄パイプなどを手にした男達が由香里と一騎を取り囲み、遠い間合いからひたすらに打ちかかってきた。背後からの攻撃こそ受けない体勢を取ってはいたが、防戦一方では明らかに分が悪い。そう悟った二人は小声で囁きあう。

「由香里、出るぞ」

「はい。では合図をお願い致します」

「よし…いち、にの、さんっ!」

「はいっ!」

 その言葉と同時に飛び出した由香里の突きが容赦無く目の前の男の喉に突き刺さり、更に左の男の脛を打ち、その頭を叩き割る。同時に一騎は正面の男の振り下ろす鉄パイプを自ら前に進み出て捕まえる。そして手刀でそれを叩き落とすと同時にその鼻にも手刀を叩き込むと、周りの攻撃を身を低くしてかわしながら鉄パイプを拾い、鼻を押さえて呻く相手の腹を止めとばかりに突き上げた。

「ふぎゃあああっ!」

悲鳴と共に男は派手に吹っ飛んだ。更に一騎の鉄パイプが襲い掛かる武器を打ち払った所で二人は元の体勢に戻る。

「うーん、まずは2対1で俺の負けか」

「いいえ、お兄様も武器を手にしましたので次はもっといけるかと思いますよ」

「それもそうだな、んじゃ、もう一回」

「はい、いち、にの、さんっ!」

「おおよ!」

その声と共に再びの突撃。そして数人を打ち倒してから同じ体勢に。それを数回繰り返すと、回りに転がる男どもは軽く五十人を超えていた。しかしそれと比例する様に、由香里と一騎の体には無数のあざが記される。

「さて、あとどの位いけるかな」

「そればかりは、やってみなければ分かりませんねぇ」

肩で息をしながらも、由香里と一騎は楽しげにも聞こえる言葉をかわす。しかしその気持ちとは裏腹に、二人とも体力はかなり消耗していた。どれだけ上手く攻撃をかいくぐろうとも、相手は数にして五十倍以上。無傷でどうにかできる情況ではなかった。それでも二人は痛む全身を震わせてその後も突撃を敢行する。そして

「ふう…やっと残り十人ってとこか」

「はい、これならば何とかなりそうです」

 残り十人余りとなったところで二人は息をつくが、そこへ北村の笑い声が響く。

「あっはっはっは!いやいやいやこれは失礼した。二人とも凄い凄い。正直、恐れ入ったよ。俺が集めた喧嘩自慢をこうまでのしちまうとは…でもそろそろ体力も限界に近そうだし、ここまで頑張った二人に敬意を表して、ささやかな贈り物をさせて貰おうかな」

北村は芝居がかった口調でそう言うと、両手を挙げて大声で叫ぶ。

「お前ら待たせたな!そろそろ我慢の限界だろう?いいぜ、出て来い!そして思い切り暴れてみせろ!」

その声と同時に、北村の背後にあったいくつものコンテナの扉が開く。そしてその中からは、今まで相手をしていた連中等とは比べ物にならない程の屈強な男、そして凶悪な顔をした女がぞろぞろと出てきた。そしてその数は百人どころではない。これが北村の切り札だったが、それに対抗できるカードなどは最早、由香里と一騎には無かった。

「うっひゃー、これは大変な事になったな」

「その様ですねぇ」

かなり不利、と言うよりは絶体絶命と言っても過言では無いこの情況で、二人は呑気に言葉を交わす。

「こんな時は何だっけ?人事を尽くして天命を待つ、か?」

「いいえ、為す無く、只成るなり、ですよ」

「うむ、つまりはやるしか無いって事か」

「はい」

「そうか、由香里、愛してるぜ!」

「はい、私もお兄様を愛してますよ」

そう言いながら二人は互いの手を握り締め、そし抱き締め合った。しかしそんな事には一切構わず、屈強と凶悪が襲い掛かる。

「んじゃ、カマすぜ!」

「はい」

その言葉と同時に二人は、手を取り合いながら群がる敵を流れる様な動きで薙ぎ倒す。その身へのダメージなどまるで感じないかの様な攻撃は瞬く間に数十人を倒しはしたが、その代償は決して小さくはない。何しろ圧倒的な戦力差。猛烈な攻撃に晒されながらも、二人はそれから三十分近くも攻撃をしのいでいたが…次第に由香里の足取りがおぼつかなくなってきた。一騎とは違い、由香里の体力は普通の女子高校生と比べて僅かに上回っているに過ぎない。仮にこれが一対一の百番勝負ならば、相手の力を利用し、自身の消耗は最低限で済ませられる実力を由香里は持っていた。しかし常に四方を見渡しつつ、しかもそれを捌き続けなければならないこの情況で、流石の由香里にも限界が来ていた。するとそこへ

「今だっ!」

突然の北村の号令。同時に由香里と一騎の間に一団が突っ込む

「由香里っ!」

「お兄様!」

繋がれた二人の手が離れる。と同時に圧倒的な人並みが二人を引き離し、由香里と一騎は完全に分断された。

「クソがっ!」

一騎は激昂した。正面の男の顔を潰し、右の男の頭を割り、左の女の鳩尾を抉り、背後の男の金的を蹴り上げた。しかし多勢に無勢、その後も数人を打ちのめした所で遂に一騎も取り押さえられた。そしてその目に映ったのは、今まさに衣服を引き裂かれんとしている由香里の姿だった。

「ふっ…ざけんなーーーっ!」

その叫びと共に一騎はもがいたが、流石に何人もの男に抑えつけられている状態ではどうにもならない。必死にもがく一騎は自分の指先に渾身の力を込め、右手を押さえる相手の爪を引き剥がした。

「うぎゃああっ!」

悲鳴を上げながら右手の男は仰け反り、背後の連中を巻き込んで倒れる。同時に一騎は左手の指先にも力を込めた。しかし今度は爪を剥がすよりも早く相手が飛び下がり、同じ様に背後の仲間を巻き込んで倒れる。その様子を見た正面の大男、奇しくもそれはかつて山上で戦った巨漢だったのだが…それは一騎の頭を踏み潰そうと大きく右脚を振り上げる。しかしほんの一瞬とは言え、両腕が自由になった一騎はなりふり構わずに目の前の足を掴み、目一杯の力を込めて自らに引き寄せた。

「お、おお、おおおおっ?」

間の抜けた悲鳴を上げながら巨漢が倒れ、その背後にいた連中は将棋倒しに倒れた。そして一騎の前に由香里への道が開ける。その様子を目の当たりにして、一騎を取り押さえていた一同に動揺が走った。同時に一騎は全身に力を込め

「どけやああーーーっ!」

爆発したかの様な大音声で叫んだ。そして自らも爆発したかの様な勢いでのしかかる連中を弾き飛ばすと、そのまま放たれた矢の如く由香里の下へ突っ走る。その鬼気迫る勢いに殆どの連中が恐れを抱いたが、その中にも豪胆な輩はいた。その一撃一撃は一騎に相当なダメージを与えたものの一騎の突進を止めるには至らない。そして一騎は血みどろになりながらも由香里を取り戻した。

「由香里っ!」

肩を抱き寄せながら一騎が叫ぶ。しかし衣服をボロボロにされながらも、由香里はいつも通りの笑顔で応えた。

「あらまぁ、血がでておりますよ」

「いや、俺の事はいいから…」

「私が危機に陥れば、何があろうともお兄様が助けて下さいますから、何も心配などしておりませんでした」

「ああ…そっか」

「はい」

「それはそうと」

「はい」

「あと何秒位いけそうだ?」

「どうでしょうか。こうして立つ事すら、お兄様に支えられてやっとの状態ですので」

「そうか、じゃあ俺が合図したらお前は出口へ走れ」

「それは…多分無意味でございます」

「何でだ?」

「扉は外から閉められたのです。こちらから開けられるとは思いません」

「あぁ…そうか」

「はい。最早私とお兄様は一蓮托生です」

そんな言葉を交わした二人が、人生最後の特攻を仕掛けようとしたまさにその時、不意に背後の扉が大きな音を立てて開かれた。そして聞き覚えのあるハモリ声が聞こえる。

「お待たせっ!」

「お待たせっ!」

その一つはいつも傍で聞いていた声。

そしてもう一つは懐かしさを感じる、かつて聞いていた声。

「サクラさん!朱戸さん!」

顔を見なくとも由香里には分かった。それに答えるかの様に、桜子と朱戸が、更に白木、青山、玄田も由香里の傍に駆け寄って来た。

「全く、相変わらず無茶するわね」

「…でも、もう大丈夫…」

「ああ、お嬢は私達が守るんだから!」

そう言いながら皆が次々に由香里を抱き締めた。更に

「一騎さんっ!」

その声と同時に美鈴が一騎に飛びつく。

「美鈴ちゃん!」

一騎は戸惑った顔でその可愛らしい顔を見つめるが、美鈴は心配そうに両手で一騎の頬を撫で、今度は由香里に視線を送る。そして

「まったく、お二人とも無茶が過ぎますよ。春日野先輩が知らせてくれなかったら今頃どうなっていた事か」

笑顔で二人をたしなめた。しかし次の瞬間、北村に向き直った美鈴の顔は一瞬にして豹変する。そして

「許さない!絶対に!」

その小さな体で、大の男達を怯ませる大きな声を上げた。

「あ…それ私の台詞…」

 何故か悲しそうに朱戸が呟く。玄田はその頭を撫でながら顎をしゃくって北村の方へ視線を促した。

「はいはい、そんなのは後でいくらでも出来るから、今はこの場をなんとかするのが先でしょ?」

「えー、だって一世一代の決めゼリフだったんだよ?それをさぁ…」

まだ駄々をこねる朱戸の傍らで青山が囁く。

「…ふざけたいなら、出て行って…」

 いつもより一層低く響く青山の言葉。流石の朱戸もそれ以上の軽口は叩けなくなり、その代わり滅多に見る事の無い真面目な顔で周りに鋭い視線を送った。


「チッ…邪魔しやがって」

 北村は興を削がれた様に舌打ちするが、すぐに気を取り直して号令をかける。

「ボケッとしてんじゃねえ!まだまだこっちの方が数で圧倒的に上回ってんだ!これ以上邪魔が入らねえ内にさっさと片付けろ!」

その声と同時に再び暴漢達が声を上げて周りを取り囲む。更に倒れていた者もかなりの人数が息を吹き返し、じりじりと迫って来た。一方の助っ人軍団は、由香里と一騎をかばう様に中心に囲み、右手に朱戸と玄田、左手に白木と美鈴、そして黒檀の木刀を手にした青山が先頭に立って身構えた。その正面に立ったのはまたしても例の巨漢だったが、当然ながら青山の知った事ではない。

「…いざ…」

青山は正眼からゆっくりと霞の構えに変える。そして

「やあっ!」

目にも止まらない突きが巨漢の鳩尾を貫く。

「うが…?」

自分が突かれた事に気付く間も無く、巨漢は崩れ落ちる…しかし

「うがぅあああっがああ!」

訳の分からない叫び声と共に巨漢は持ちこたえた。そして左手で木刀を掴むと、青山めがけてその巨大な右の拳を振るう。木刀を握る手に力を込めた青山だったが

「…これは、無理ね…」

圧倒的な腕力の差を感じ、あっさりと木刀を手放して飛び下がった。

「大丈夫?」

心配そうな、と言うよりは呆れた様な声を上げる白木。青山も同様に呆れた様な顔で巨漢を見上げた。

「…確実に、鳩尾に突き刺さった。もの凄い肉体の持ち主…」

「ええ、でも流石に顔面はそうもいかないわよね?」

「…確かに。だとしたら彼の出番ね…」

そんな会話を交わす二人をよそに、再び巨漢が拳を振り上げた。しかしその拳が振り下ろされるよりも早く、風を切る音と共に巨漢の顔に十字が刻まれた。

「んが?…んがあっぁぁ」

無数の硬貨を顔にめり込ませ、音を立てて巨漢が倒れる。そして

「やあ、登場のタイミングは完璧かな?」

朗らかな声と共に武田が姿を現す。更にその傍らには大道や高山兄弟。更に他校のクリスやアガサ、嘉納姉妹に加えて劉と張までもがこの場に来ているのを見た由香里は、ふぅと溜息をついて桜子に微笑みかける。

「これはまた、随分とお声がけなさったのですねぇ」

「いやぁ、これでも気を使ったんだよ?後輩を巻き込む訳にはいかないし、それに日本代表の人にも迷惑かけられないでしょ?だからそれ以外の人で、由香里の為なら人生掛けても構わないって言ってくれそうな人だけに来てもらおうとしたんだけど…正直ワタシが連絡したよりも多くの人がにここに来てくれちゃったのよね。それに、意外な人まで来るみたいなの」

そう言いながら苦笑する桜子。すると、まるでその言葉に反応するかの様に甲高い声が響いた。

「たっちゃーーーん!」

あっという間にその声が近付くと思いきや、青山の胸元に小さな人影が飛び込んだ。

「…貴女まで?いつ帰って来たの…?」

青山は優しい笑みと共にその頭を撫でる。そしてその顔を見た朱戸が叫んだ。

「ああっ!お前何で日本にいるんだよ?」

「朱戸には関係無いでしょ!私は仕事が終わったからたっちゃんに会いに来たんだよ!」

そう言いながら朱戸に向き直って胸を張ったのは、紛れも無く卒業と共に渡米した蝶湖その人だったのだが、その顔にはそこはかとなく自信が漲っているように見えた。それを察した朱戸は眉根を寄せながら問いかける。

「あのさぁ…何となくだけど、雰囲気変わってない?」

「ふっふーん、まあね!何しろ映画一本取り切ったし!今じゃもういっぱしのアクション女優ですから!」

そう言いながら蝶湖は更に胸を張る。するとその言葉に朱戸が噛み付いた。

「ああん、お前が女優?ありえね~…ってかハリウッドも見る目が無いねぇ」

「何よっ!自分が注目されないからって僻まないでよね!」

「誰も僻んでなんか無いっての!それにどうせ日本で公開もされない三流映画なんでしょうが!」

「ムッキーーー!そんな事無いわよっ!今度の春休みには日本でも公開予定なんだから!悔しかったら見てみなさいよっ!」

「ああ見てやるさ!そんでお前の笑える芝居に細かくツッコミ入れてやる!」

「突っ込むのはいいけど、ちゃんと感想も聞かせなさいよね?」

「当然!お前は嫌いだけど、映画は面白かったらちゃんと褒めるわよ!」

「そう?じゃあヨロシク!」

「ああ、でもつまらなかったら思いっきりけなすからな?」

「その心配は無いわよ!」

「そうか、じゃあチケットよこせ」

「それは自分で買いなさいよ」

「んだよ…ケチ」

「ケチって言うなー!」

 あまりにもこの場にそぐわない会話。異常とも思えるその状態に回りは硬直するが…

「えーっと…そろそろいいかな?」

 微笑の中に、何故かそれ以外の気持ちがこもった武田の声。それを聞いた二人は顔を見合わせて頷く。そして

「さて、こちらは準備万端だけど、そちらはどうなのかな?何だか息の上がった人達ばかりみたいだけど…まだやるのかな?」

武田はあえて北村を挑発する様な口を利く。北村は相当頭に血を上らせたが、いまだ人数で圧倒している情況を見て、何とか冷静を装う。

「とにかく分断させろ。数人で一人を取り囲んで何かやられる前に潰しちまえ!それを繰り返すだけだ!動ける奴は全員立って戦え!ボーナスが欲しけりゃ手を抜くんじゃねえ!分かったらさっさと全員叩き潰せ!」

結局個別に狙うのか全員叩き潰すのか分からない指示を出す。握り締めた両拳がブルブル震えている所から見ても、やはり逆上しているのは間違いない。それを見抜いた武田は

「僕が先陣を切ろう。後は…君達なら大丈夫だよね?」

そう言いながらさっさと前に出た。


 あまりにも無防備で小柄な男。武田を見た者は誰もがそう思う。しかもそれが自分達の輪の中に入って来たのだから回りの連中は面食らった様に互いに顔を見合わせる。それを見た武田は

「ふむ…烏合の衆…いや、そう言っても誰も分からないか。ならば…」

そう言いながら正面の男に近寄り

「ばーか」

事もあろうに、そんな言葉と同時にでこピンを放った。

「いってぇ!」

思わず額を押さえて飛び下がった男は、顔をしかめながらも拳を振り上げ

「この豆粒野郎が!」

そんな叫びと共に殴りかかり…次の瞬間には地面に叩きつけられていた。

「かっかっか!こんなボンクラばかりじゃ百人相手にした所でどうって事ないわ!ほれほれ、ボケッとしとらんでかかってこい!」

 何故か時代劇の主人公みたいな口を利く武田。しかしそれが周りに火を点けたのか、周りを取り囲む連中は、叫び声を上げながら一斉に襲い掛かって来た。

「それでよい!さあさあ全員まとめてかかって来い!」

大勢の叫び声以上に周りに響く武田の咆哮。しかし武田の力はその咆哮すら生温く思える程に容赦なく相手を叩きのめす。武田が歩を進める度に誰かが倒れ、武田が指を弾くと誰かが悲鳴を上げる。周りで見る者には圧倒的な力で敵をねじ伏せる鬼神の如き強さに見えたのだが、実の所はそうでもなかった。何しろ虚弱体質の武田。数人相手なら訳は無い。しかし百人を超える数が相手ではそうもいかなく、喘息の発作まで起こしかけた武田は、早くも両手を挙げた。それを見た白木は

「合図だ、行こう!」

そう言いながら自ら駆け出す。青山、朱戸、玄田も後に続き、武田が発作を起こすと同時にその周りを囲んだ。そして

「さあ、悪者退治といきましょう」

「…じゃあ私達は、正義の味方…?」

「いいねえ正義の味方!私にぴったり!」

「私達、でしょ?」

「すまないね。援護はするから後は宜しく」

いまいち頼りがいの無い言葉と共に武田はへたり込んだ。四人は顔を見合わせて苦笑するが、同時に意を決して敵陣へ飛び込み、その後へ美鈴や高山兄弟も続いた。


 先陣を切るのは青山。再び手にした木刀で群がる敵に容赦なく突きを放つ。その隙を狙い青山に手を伸ばす者は、白木と玄田が次々に投げ飛ばす。更に高山兄弟がその外側で周りを牽制しつつ白木と玄田の護衛を努め、その高山兄弟の傍らでクリスとアガサが当たるを幸いに周りの連中を蹴りまくった。その中で美鈴は常に周りに目を光らせ、隙を突いて来ようとする者を容赦無く駆逐する。その楔の様な一団は、瞬く間に敵陣を切り裂いた。

 それでも中には隙を突いて青山達に手を伸ばす輩がいたが、それと同時に武田の弾くコインがその顔を襲う。しかし数人弾いた所でまたもや発作を起こす。咳き込む武田、それと同時に複数の相手が一気に青山に襲いかかり、青山は瞬時に三人を突き倒す。それでも倒しきれなかった一人が飛びかかろうとしたその瞬間、予期しなかった方向からコインが弾かれ、同時に呻き声を上げて男が倒れる。

「おやおや、相当練習した様だね」

満足げな笑みで武田が視線を送る先からは

「えっへっへ!ちょっとは上手くなったでしょう?」

照れ笑いと共に桜子が姿を現す。その手には重量感たっぷりのデニム巾着が握られ、どうやらその中には無数のコインが入っているらしかった。

「武田さん、こんな事もあろうかとゲーセンでメダル稼いでおきました!これだけあれば戦力になりますよね?」

「ああ、充分過ぎるよ」

「じゃあ、皆の手助けが出来ますね!」

「ああ、全力でいこう!」

「はい!」


一方大道は、由香里と一騎の傍らで満身創痍の二人を護衛していた。

「しっかし、この人数を二人で相手しようとしてたとは…恐れ入るぜ」

呆れた様に呟く大道だったが、既に半分以上がノックアウトされた光景に溜息をつく。

「これじゃあ、今後何があってもお前には喧嘩売れないな」

「それは当然です。大道さんはラガーマンなのですから、喧嘩などもっての他ですよ」

ボロボロになりながらも由香里はいつも通りの笑顔で言葉を返す。

「ああ…でもなあ、結局花園には行けなかった訳だしなぁ」

「それはあくまでも結果です。それに大道さんのお力は、大学でも実業団でも即戦力だと新聞で拝見致しましたよ」

「見たのかよ?」

「はい。大道さんはわが校期待の星です」

「はははっ!無敵のお嬢様にそう言われると悪い気はしないな」

そうやって笑う大道の背後から、隙を突いて数人が襲いかかる。しかし…

「甘いんだよっ!」

振り向くと同時に、大道は大砲の様なタックルを決める。数人がまとめて吹っ飛ばされ、そのまま動かなくなった。

「あ…やり過ぎたか?」

そう言いながら頭を掻く大道の姿に、嘉納姉が笑みを漏らす。そして

「ふむ、君がいるならこれ以上護衛はいらないんじゃないか?」

そんな言葉を残し、嘉納姉は指をポキポキ鳴らしながらずんずんと前へ進む。

「お、お姉ちゃん?ちょっと待って!」

慌てて後を追う嘉納妹。更に劉と張も互いの顔を見合わせると、何故か同様に笑みを浮かべて後に続いた。

「お…おい、まさかアンタ達まで行かないよな?」

不安げな大道の言葉などまるで聞こえていないかの様に劉と張は嘉納姉妹に続いた。更に

「うーーーーっ、もう我慢できないっ!たっちゃんは私が守るんだーーーっ!」

「何をっ?お前が行くなら私だって!」

そんな言葉を残して蝶湖と朱戸も後を追い、そしてあっという間に先頭に踊り出た。

「朱戸!どっちがたっちゃんの役に立つか勝負だよっ!」

「ふん!って事はつまり、敵を多く倒したモン勝ちって事だな?」

「うん!だから勝負っ!」

「おお、受けてやるっ!」

「あっちょおおおーーーーっ!」

「お前にゃ負けねぇーーーっ!」

雄叫びと共に繰り出された跳び蹴りが数人をまとめてぶっ倒す。しかし数人倒してもまだまだ相手は多数。蝶湖と朱戸は互いの顔を見合わせると、申し合わせた様に挑発的な笑みを浮かべる。

「勝つのは私っ!」

「ふっざけんな、チビ助!」

ゲーム開始の合図。そして互いに全力で、マシンガンの様な蹴りで蹴って蹴って蹴りまくる。するとそれに感化されたのか、青山を先頭にした一団も更なる活気に満ち溢れる。その様子を見た大道は

「…ふう、こうなりゃ俺達も行くか」

溜息交じりで由香里に向かって呟いた。

「はい、皆様にお任せしてばかりでは申し訳ありません」

「そうだな、おかげで十分回復できたしな」

 再び戦意を取り戻した由香里と一騎。それにつられる様に大道も拳を振り上げ

「よっしゃ、じゃあ俺も暴れるぞっ!」

その叫び声と共に、由香里達の猛烈な反撃が始まる。


 更に鋭さを増す青山の突き。玄田の投げは数人を巻き込んで倒し、白木に極められた者は肩や肘を押さえてのたうち回る。高山兄弟は近付く敵の頭を容赦無く打ち下ろし、クリスとアガサは執拗に群がる敵を次々と吹っ飛ばす。それに加えて

「ちぇいさーーーーっ!」

突然矢の様に飛び出す蝶湖の跳び蹴りが伏兵を叩きのめし

「りゃああーーっ!」

猛禽の様に狙いを定めた朱戸の蹴りが、近付く者の鳩尾に容赦無く突き刺さる。更に嘉納姉は嬉々とした表情を浮かべながら触れる相手全てを苦痛のどん底に叩き落とす。妹はそこまではしないものの、それでも襲い掛かる敵は容赦無く潰していく。そんな二人の様子を見ていた劉は

「彼女達に負ける訳にはいかない!」

その言葉と共に、目の前の敵を必殺の掌打で戦闘不能にした。更に地響きの様な震脚と共に放たれる肘打ちや体当たりで何人もの相手が戦闘不能に陥る。一方の張も、変幻自在な動きで撹乱しつつ何人もの相手を倒しはしていたが、劉がやり過ぎないように常にその目を光らせていた。そして

「…殺さないでよね」

溜息混じりにそんな言葉を呟く。


 数では圧倒されていたものの、士気においては助っ人達が圧倒的に上回っていた。しかも戦線に復帰した由香里と一騎、それにパワー全開で突き進む大道は最早止める手立てが無い。それを実感した北村配下は徐々に逃げ腰になり、一斉に逃げを打とうとしたその瞬間…倉庫内に銃声が響いた。


 一斉にその場の視線が北村に集中し、北村は舌打ちをする。

「チッ、使いたくはなかったんだがな」

そう言いながら、北村は勝利を確信した様な笑みを浮かべ、西部劇よろしく銃口にふっと息を吹きかける。そして

「その辺にしておけ。コイツの前じゃどんな技も役立たずだ」

見下す様な笑みと共にそんな言葉を放つ。そして、そのままゆっくりと由香里に銃口を向けた。

「さあ、これでどうだ?」

北村の冷徹な言葉。しかし由香里は全く動じる事なく、いつも通りの笑みを浮かべながら言葉を返した。

「私よりも、ご自分のお背中に用心した方が宜しいかと思われますが」

「はぁ?」

由香里の警告など無視しようとした北村だったが、不意に恐ろしいまでの殺気を感じて振り返ろうとした。が

「これで…どうだっ!」

振り返るより早く、南城の鉄拳が北村の顔面に直撃する。

「ぶふあっ!」

 呻き声と共に北村が派手にぶっ倒れる。それでも北村は拳銃を放さなかったが、南城は素早く駆け寄って銃を握った右腕を踏みつけた。

「ブザマだな」

全身傷だらけの体で、南城は全体重を北村の右腕に乗せる。

「あがっ!…おい…やめろ」

「ふざけるな。この程度で許しを請うなよ」

「いや、本当に折れ…やめ…」

「腕が折られるだけで命乞いか?冗談も程々にしろよ」

「いや…頼む…」

 余りにも情けない顔で情けない言葉を口走る北村に、南城は怒りよりも憐み…と言うよりも、こんな相手を敵とみなしていた自分に思わず苦笑を漏らす。そして、北村の手から銃を抜き取ると

「こんな物に頼るんじゃねえよっ!」

そう叫びながら北村の顔めがけて拳銃を投げつける。それは北村の顔を掠め、頬からは血が滲む。そして拳銃はそのまま音を立てて転がり落ちていった。


「さあ…立てよ。お前との腐れ縁も今日で終わりにしてやる」

ボロボロの体で挑発する南城。北村は先程の一撃が効いてしまったのか、はたまた思いがけない窮地に心が折れたのか、圧倒的に余力で勝っている筈なのに明らかに怖気づいていた。

「あまり情けねえ姿を見せるな。せめて兄貴に張り合ってた頃の顔を見せてみろよ」

南城の言葉に北村が反応する。

「俺が…情けないだと?」

瞬時に北村の顔がこわばるが、南城は冷徹なまでに淡々と言葉を続ける。

「ああそうさ。兄貴に勝てないと知って、嫉妬に狂ったお前は卑劣な手を使って兄貴を殺した。そしてその弟である俺の報復を恐れ、今度はその俺まで殺そうとして失敗した。それで大人しくしてればいいものを、今度は脱獄までして俺を陥れようとした。まぁ、これだけの人数集めたんだ。どうせ親の金に物を言わせたんだろうが、それも無駄だったな。所詮お前の力は金だけ、しかもそれだって親からの借り物だ」

「なっ…」

「昔のお前は…兄貴に本気で挑んでいた頃のお前はそうじゃなかった。だが、どこかで何かが狂った。勝つ為に努力する事を諦め、勝つ為なら手段を選ばない。そんな外道に成り下がった奴とその手下などに、俺の…」

何かを言おうとした南城。しかし急に顔を赤らめて言葉を濁す。桜子は敏感にその様子に気付き、大きな声で問いかけた。

「ねえ南城!ワタシ達って、アンタのなんなのかなぁ?」

「んなっ?」

「ワタシはアンタの事、友達だと思ってる!アンタはどう?」

「えっ?…それは…それはだな」

どんな窮地でも殆ど表情を変えなかった南城が、今は桜子の問いにうろたえていた。すると

「南城さん、心のままにお答え下さい」

由香里も桜子の問いに乗っかってきた。更に

「いい機会だ!正直に言っちまえよ!因みに俺はお前が嫌いだ。だけど何があっても見捨てたりはしない!友達だからな!」

大道までもがその言葉に便乗した。

「お前ら…」

 思わず目を潤ませる南城。更に朱戸が何か言おうとしたが、その口を白木と青山が押さえた。

「もがっ…ふぁにふるのよ」

「貴女を信用してない訳じゃないのよ?でもね、ここは口を挟む場面じゃないわ」

「…ええ、ここは黙って見守りましょう…」

「あっはっは、流石だねぇ。朱戸がやらかす空気を敏感に察知してるよ」

「ふゃらかしゅって…ふぁにをよ?」

 そんな四人組のやりとりはさて置き、南城の顔は次第に紅潮していく。そこへすかさず桜子が追撃する。

「なーんーじょーおー!言っちゃいなさいよー!ホラホラ、恥ずかしがらないでぇ~ん♪ワタシは何でも受け止めるわよ~ん!」

 何故か体をくねらせながら、桜子が言葉を続ける。それを見た南城は

「…阿呆が」

一瞬にして真顔に戻ると、まるで潰したゴキブリでも見るかの様な視線で桜子を見下ろした。更に何かを言おうとした南城。するとその背後から、隠し持ったナイフを手にした北村が襲い掛かる。

「南城!後ろっ!」

思わず叫ぶ桜子。しかし南城はそれよりも先に北村の動きに気付いていた。

「ぶっ殺してやる!」

雄叫びと共に突っ込んで来る北村。しかし南城は冷静に動きを見切ると

「いい加減にしやがれっ!」

振り返りざまにナイフをかわすと、同時に北村の顔に裏拳を叩き込んだ。

「が…っは…」

北村は呻き声を上げて崩れ落ちる。南城は止めを刺そうと正面で拳を構えるが

「ふうっ…ふぐうっ…ふああぁぁぁっ」

不意に泣き出した姿を見て、握り締めた拳を緩めた。南城の目の前で、敵と思っていた男は子供の様に泣きじゃくり…その姿を見た南城は

「馬鹿野郎が」

それだけ言い残して北村の前から立ち去る。その様子を見た北村配下は、こそこそ逃げ出す者や、憎まれ口を叩きながら立ち去る者など様々ではあったが、程度の差こそあるものの誰もがかなりの傷を負っていた。圧倒的人数差にも関わらず痛めつけられ、更に大金を支払うと約束していた者までが打ちのめされて泣き出した。これでは最早ここにいても仕方が無い。そう思って逃げ出したのは当然と言えば当然だが、世の中はそんなに甘くは無かった。倉庫の周囲は正に蟻の入る隙間も無い程に警官隊が埋め尽くしており、しかもその全てが銃を手に待ち構えていた。


 ざわめく周囲をよそに、南城は由香里の傍へ歩み寄る。そして

「いつも世話をかけるな。だが今度こそ本当に終わりだ。しかし…」

「なんでしょうか?」

「この大騒ぎだ。後始末はどうするかな」

「後始末は大人の方にお任せしましょう。私達は何も悪い事などしてないのですから、正面から堂々と出て行けば良いのです」

「いや、いくら何でもそれは…」

「まあまあ、そう深く考えずに」

そう言いながら由香里は南城の手を取ると

「さあ、帰りましょう」

そんな言葉と共に歩き出した。そして

「…これは?」

周りを見回しながら南城が呟く。何しろ警官隊は手当たり次第に出てくる者を捕縛しているのに、由香里や一騎、それにその友人達には目もくれなかったのだから。更に数を増した警官隊の一部が倉庫内にも突入し、三十分と経たない内に大部分が逮捕された。遠巻きにその様子を見ていた由香里達。するとその前にゆっくりと年配の警官が歩み寄る。思わず身構える南城だったが、由香里はその手を抑えるとにこやかに微笑みかける。すると年配の警官が先に声をかけてきた。

「おやおや、由香里ちゃんは相変わらず無茶するねえ。あんまり剛次さんを心配させちゃいけないよ」

「はい、気をつけます」

「はっはっは!そりゃあそうだねぇ。でも人の為に無茶しちゃうのが由香里ちゃんのいい所だからねぇ。まあ後始末は私らで着けておくから、今日はもう帰って休みなさい」

「はい、お手数をおかけして申し訳ありません」

「いやいや、いつもこっちがお世話になっているんだ。こんな時くらいは恩返しさせてもらうとするよ」

「いえいえ、こちらの方こそいつもお世話になっております」

「あっはっは!そうかそうか。じゃあお互いにお世話になってるって事だなぁ。じゃあこれからも宜しくと、剛次さんに伝えておいておくれ」

「はい。確かにお伝え致しますね」

「うんうん、じゃあ今日はもうお帰り。由香里ちゃんもお友達も皆お疲れの様子だからねぇ」

「はい。では、後の事はお任せ致します」

 由香里はそう言って頭を下げると、一同と共に倉庫から立ち去った。それを見送った後で、年配の警官は急に声を荒げる。

「お前達!一人残らずとっ捕まえろ!誰一人逃がすんじゃねえぞ!特に首謀者と思われる北村氷也。そいつは少年院からの脱走犯だ、絶対に逃がすな!」

その指示に従い警官隊は淀みなく動き、それから二時間後には全てが解決したのだが、由香里達にそれが知らされたのはそれから数日後の事だった。


「はい、お手数をおかけ致しました」

 丁寧に頭を下げながら綾が電話を切った。警察署からの電話だったのだが、その内容はと言うと…今夜の事はあらかた片付いた。とはいえ詳細が不明なので、後日当事者だけでいいので警察署に出頭して欲しい。そんな内容だった。


そんな事もあり、翌日由香里と一騎、そして南城に加え、強引に付いていった桜子は警察署内へ出頭した。受付で用件を告げると、程なくして眼鏡をかけた若い女性警官が現れた。その警官は軽く頭を下げ

「お待ちしておりました。私、如月がご案内致します。こちらへどうぞ」

微笑みを浮かべながらそう言い、先に立って歩き出した。そして…

「え、署長室?」

思わず声を上げる桜子。その言葉通り、案内された部屋の扉には「署長室」のプレートが埋め込まれている。如月は軽くノックすると

「失礼します。お客様をお連れ致しました」

よく通る声で扉の中へ告げた。すると

「ああ、入りたまえ」

陽気な声が返ってきた。それに答えて如月が扉を開け

「さあ、署長がお待ちです。どうぞお入り下さい」

 案内されるままに由香里達は室内へ入る。すると

「やあ、よく来たね」

嬉しそうな声で出迎えたのは、先日出会った年配の警官だった。

「え、署長さんだったの?」

相手を見るなり桜子が叫んだ。

「そうなんだ、私は実は署長さんだったみたいなんだよ」

にこやかに対応する署長と、クスクスと笑う如月。同時に桜子の顔が紅潮する。

「あ…あははははは」

頭を掻きながら照れ笑いをする桜子に、由香里や一騎も小さな笑い声を漏らすが、南城は大きな溜息をついた。


 一通り挨拶も済んだ後で、署長の大きな机の前に由香里達は並んで座らされた。とは言えそれは取り調べと言うよりはお茶会とでも言えそうな雰囲気で、実際机の上にはケーキと紅茶が人数分置かれていた。もしも壁際に調書を取る如月の姿が無ければ、誰もが取調べを受けに来た事を忘れてしまいそうな程に魅惑的な香りが室内に立ち込めている。


「あ、もう一杯頂けるかな?はい、有難う。では、そろそろお話を伺いましょうかね」

 紅茶のお代わりをすすりつつ、署長こと夏目が口を開いた。

「北村…氷也だったね、今回の首謀者は。正直彼には同情すべき点も多々あるのだけど、今回の事件はちょっとばかり度が過ぎる。しかも少年院を脱走してまで何故あそこまでやろうとしたのか、その辺がどうにも分からなくてね。当の本人は何も話そうとしないし、こうなったら仕方ないので現場にいた君達に話を聞かせて頂こうかと、ここへ来て貰った訳だよ。あ、それはそうと…捕まえた奴等に聞いたんだけど、流石は剛次さんの息子さんと姪御さんだね!なんでもたった二人で百人以上を叩きのめしたって言うじゃない?ちょっと信じ難い話だけど、剛次さんの血縁者ってんなら話は別だ。全く大したもんだよ!」

興奮気味に身を乗り出す夏目。如月の咳払いと共に再び席に着くと、自分も軽く咳払いをして言葉を続ける。

「んんっ…まあ武勇伝は後でゆっくり聞かせて貰うとして、まずは事情を聞かせて貰いましょう。そんな訳で単刀直入に聞くけど、何で北村はあんな事をしたのかな?何か、心当たりとかあるのかな?」

楽しんでいるのか真面目に聞いているのか、若干分かりにくい顔で夏目は尋ねるが、由香里達は真面目に考え込んだ。そして

「まぁ…嫉妬でしょうね」

ボソッとした言葉で一騎が答えた。

「嫉妬?」

意外とでも言いたげな顔の夏目だったが、一騎は更に言葉を続けた。

「ええ、彼は南城君のお兄さんに嫉妬していた。それが全ての始まりでしょう」

「ふむ…もうちょっと詳しく聞かせて貰えるかな?あ、もう一杯頂戴ね」

「南城君、いいかい?」

一騎の問いに南城は頷きかけるが、突然顔を上げると

「いや…俺に話をさせてくれ」

そう言って迷いの無い視線を一騎に向けた。

そして今までの経緯を語り始める。


 南城の話は二時間余りに及んだ。以前由香里達に話した時と違い、事ある毎に夏目が詳細を聞きたがったり、傍らの如月に記録との食い違いが無いか確認を求めたりしたからだったのだが、南城は途中何度かお茶を口にしただけで一気に話し終えた。

「俺の知っている事はこれで全部だ。後は警察で調べた通りでしょう」

 南城はそう言ってから、ふーっと大きく息をついた。

「ふーむ…ふむ…なるほど…」

全てを聞き終えた夏目は腕組みをしながら天井を見上げると、目を閉じて呟き始めた。

「成程なぁ…思えば可愛そうな子だ…しかし犯した罪は償わねばなぁ…」

噛み締める様に漏れた言葉。由香里がその意味を問いかけようとするが、それを夏目の言葉が遮った。

「いやいや、話はよーく分かりました。とてもためになる話しを聞かせて頂いて大変有り難いです。これで事情聴取も滞りなく進む事でしょう。それでは、私はこれで失礼させて頂きますね。如月君、あとは宜しく頼むよ」

飄々とした言葉にも関わらず、有無を言わせない力を感じる夏目の言葉。誰もが呆けた顔で見守る間に、夏目は部屋を出て行った。

「紅茶のお代わりはいかがですか?」

そんな如月の言葉に甘えて一同は香り高い紅茶をお代わりして…若干飲み込めない事情を抱えつつも警察署を後にした。


「あ、そう言えば来週はクリスマスだね♪」

 唐突に桜子が声を上げる。すると弾かれた様に一同が顔を上げた。その目に映るきらびやかなイルミネーションの数々は、暗くなりかけていた由香里たちの気持ちを元気付けてくれる。

「そうですねぇ。受験勉強もしなければいけませんが、高校生活最後のクリスマスですから、また皆さんと楽しみたいですね」

「おっ、今年もパーティーやるの?だったら呼んでよね!」

「はい、勿論ですよ」

「先輩達は無理かなぁ?来てくれたら嬉しいんだけど」

そう言いながらそわそわし始める桜子に、南城は表情一つ変えずに容赦無く突っ込む。

「クリスマスを楽しみたいなら、さっさと帰って勉強しろ。高屋敷と違ってお前はギリギリのラインだろうが」

「うっ…それは」

「あっはっは!流石は南城君、常に冷静だ。じゃあちょっとでも多く勉強できるように走って帰ろうか!」

「はい、そう致しましょう」

「げー…」

「俺は遠慮しておく」

「そうだな、君はまだ安静にしておかないと危険だからな」

「いや、アンタも相当な怪我をしてたと思うけど…」

「俺は平気だよ、受験生じゃないし」

「はぁ?」

「んじゃ、気が向いたら南城君もクリスマスに来てくれ。じゃあね!」

南城が聞き返す間も無く一騎は走り出し、由香里と桜子もその後に続いた。

「全く、超人なのかただのバカなのか…おかしな兄妹だ」

溜息まじりに呟く南城。しかしその顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。


なんだか色々と大変な年末になってしまいました(笑)

とは言え、これで争いは決着。後はきっと平穏な人生が待っている…かなぁ?

もうちょっとだけ続くと思われるので、気が向いた方はお付き合い願います。

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