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よもぎもみじ

作者: 藤泉都理

【急雨】




 ほとんどの中学生が家路について人気がない中学校の敷地内の道路を、一人の女子中学生は大急ぎで走っていた。

 大雨と雷の中を傘をささず。

 目に雨が入らないように頭を少し下げて。

 それがいけなかった。

 前方から同じく大慌てで走って来る男子中学生に気づかず、そして男子中学生も女子中学生に気づかず、お互いに体当たりしてしまったのだ。

 ごめんなさい。

 幸いどちらにも怪我はなく、お互いに顔も見ずに謝ってからそのまま走り去っていった。











「おい。制服に恋心がついてんぞ」

「え?」


 中学校から家まで駆け走って、五分。

 鞄の内ポケットから取った鍵で開けて玄関に入ったところで、タオルを持って来てくれた使い魔である黒ふくろうがスカートの後ろにと付け加えた。

 女子中学生はスカートを回して後ろの部分を前にすると、確かに。桜の花びらの形をした、手と同じ大きさのぬいぐるみがくっついていたのだ。


「おまえ。半人前なんだから、人間と接触する時は気をつけろって言っただろうが」

「しょーがないじゃん。だって。急に大雨が降り始めたし。雷鳴ってたし。怖かったんだよ」

「折り畳み傘を持って行かないおまえが悪い」

「重いからやだ」

「じごーじとく。とにかく着替えて来いよ。部屋は暖めてるし。その恋心の対処はそれからだ」

「うん」


 身体が震えてきた女子中学生は持って来てくれタオルで頭を軽くふいてから、水浸しになった靴下を脱いでタオルで足をふいて、脱衣所へと向かった。


 恋心の桜のぬいぐるみはポケットに入れておいた。











(2022.5.21)




【羊雲】





 魔法使いの女子中学生が桜のぬいぐるみを持って帰って来た翌日。

 見渡す限り、羊雲でいっぱいの薄空の下、女子中学生はせかせかと歩いて学校の建物へと入って行った。

 ぬいぐるみをスカートのポケットに入れて。

 しかし、桜ではなく、紅、橙、黄に染まったよもぎの葉のぬいぐるみを。

 女子中学生が起きた時には、もう変化していたのだ。どうしてか。


(さてと。誰の恋心なのかな)


 女子中学生はよもぎのぬいぐるみを持ったまま、まず自分と同じ学年の一年生のクラスを一組から順々にのぞいて行った。

 使い魔である黒ふくろうの指導の下、ぬいぐるみを持ち主目がけて飛んで行くように魔法をかけておいたのだ。


(一組、二組、三組、四組、変化なし、か)


 まだ登校していない生徒もいた上に二年と三年のクラスも調べなければいけないのだ。十分間の休憩時間か、昼休みだけじゃ足りないかもなと思いながら、朝読書の時間が迫っていたため、女子中学生が自分のクラスである五組の教室に入って机と机の間を歩く中、たまたま一人の生徒と目が合った時。

 よもぎのぬいぐるみが手の中で暴れ始めた。

 向かっていくはずなのにどうしてか逃げようとしているようだ。

 女子中学生はごめんと謝っては、グッとぬいぐるみを握りしめてその生徒の元へと急いで向かい、静かに席に座り窓の外を眺める男子中学生の真正面に立つや、よもぎのぬいぐるみを目の前に見せつけた。

 男子中学生はなんだこのぬいぐるみはと言った。

 ビンゴだ。

 持ち主以外にはぬいぐるみは見えないのだから。

 女子中学生はにこりと笑って昼休みに話があると言えば、男子中学生もまた、俺も話があると言ったのであった。


 

 







(2022.6.7)




【人気】





 九十分間の昼休みの内、三十分ほどで給食を食べ終えた女子中学生と男子中学生は、校舎一階の文化部用にと用意された九つの少し間取りが小さな教室の内、教室札に魔法部と書かれた教室へと入って行った。


「俺の名前は神字屋龍かみじやたつ。吸血鬼だ」


 三台横に並べて置いてある一人用の机を挟んで向かい合って座ったら、男子中学生は強い眼差しを向けながら名乗った。

 同じクラスだし知っているとは、女子中学生は言わなかった。

 多分覚えられていないのだと思ったのだろうが、そもそもこの学校で知らない者はいないはずだ。

 吸血鬼、寡黙、一匹狼、大人びた雰囲気、怖い目つき、少し細い体格、ポニーテールの彼は秘かに、けれど多大な人気があったから。

 女子にも男子にも。


「私の名前は笹田流竜ささだるりゅう。魔法使い。一人前には程遠いけど」

「頼みがある」

「え?うん」


 今もどうしてか逃げたがっているぬいぐるみのことを先に言おうとしたが、切羽詰まった彼の表情を見て、流竜はどうぞと言ってしまった。

 ごくり。龍は唾を飲み込んで言った。


 俺を一人前の吸血鬼にしてくれ。と。










(2022.6.8)




【運命】




 龍曰く。

 吸血鬼は嗅ぎ取るらしい。

 たった一人だけしか存在しない、運命の相手の血のかぐわしき甘い匂いを。


 だと言うのに。


「クラス全員とは言わないが、半分くらいはいると思う。運命の相手。なんなら、全校生徒の半分くらいはいると思う。甘い匂いが充満しすぎてわからない」


 悲壮感たっぷりの顔を向けられた流竜は、あららと思いながら、よもぎのぬいぐるみを見れば、気のせいか、紅葉がさらに濃く鮮やかに彩られているように見えた。


「一人前になればこんな、こんなふしだらな身体にならなくて済むはずなんだ。たった一人。たった一人の運命の相手の匂いだけ。だから。頼む。笹田。魔法使いなんだろ。どうにか俺を一人前にしてくれないか?」

「同じ吸血鬼に相談した方がよくない?」

「こんな恥ずかしいこと言えるかよ。他の吸血鬼は一人だけしか。運命の相手だけしか匂いは嗅げなかったって言ってたしよ」

「へえ」


 本当かな、脚色してない。

 疑わしいが、純情な同級生の夢を守るためにその点については黙っておいた。


「うーん。魔法はあるとは思うけど」

「本当か?」

「うん。けど。多分、身体も精神もまだ未熟で色々戸惑っている状態だろうから、匂いがうまく嗅ぎ取れてないとも考えられるし。時間が解決すると思って、状況を見た方がいいと思うけど。もしくは、恥を忍んで吸血鬼に訊く」

「え?」

「………そんなに辛いの?」

「まあ」

「私が吸血鬼に訊いてこようか?」

「いや。訊くなら自分で訊く」

「そう」

「とりあえず、今日一日考えてみる。ありがとな」

「うん」

「で、その葉っぱのぬいぐるみはなんだ?」

「神字屋の恋心」

「は?」

「だから、神字屋の恋心。この前の雨の時にぶつかって私にくっついてきちゃったんだよ。どうしてか逃げようとするから。ごめん。強く握ってるけど」


 ガタタ。

 いきなり立ち上がったせいで席が倒れてしまったが、龍はそれどころではないようだ。唇を震わせて、目も手も右往左往させていた。


「おまえにくっついたって………つまり、俺の、運命の相手は」

「いや、違うと思うよ」


 流竜はバッサリ切った。

 龍は顔を真っ赤にさせた。

 流竜がいなければ床を転げ回りたいくらいに恥ずかしい想いを抱きながら、小刻みに震える身体をなんとか動かして席を元に戻して座った。


「ぬいぐるみが恋心だって認識したら戻ると思ったけど、まだ逃げようとしているから。うーん。ちょっと待って。放課後にもう一回話そう。助っ人を交えて」

「助っ人?」

「そう」


 流竜はスカートのポケットからガラケーを出して家に電話をかけようとしたが、その前に教室の扉が開いて、助っ人を頼もうとしていた相手が入って来た。

 途端、よもぎのぬいぐるみが小さく分裂して、流竜の手をすり抜けて逃げて行ってしまった。










(2022.6.8)




【天敵】




 よもぎのぬいぐるみは逃げたが、即刻回収された。

 今しがた教室に入って来た、全身黒づくめで痩せ型の男性によって。

 流竜はありがとうと言って立ち上がり彼の元に行こうとしたが、その前に風のような俊敏さで辿り着いた者がいた。

 龍だ。

 龍は目を真っ赤にさせて、彼の細腕に嚙みついていたのだ。

 流竜は慌てて龍を彼から離そうと背中ポケットから杖を取り出して構えたが、彼が片手でそれを制した。

 口を一文字に結んで杖を下ろし、状況を黙視する姿勢を取った流竜を確認した彼は、不敵に笑って龍を見下ろした。


「すたこらさっさと逃げずに天敵の俺に向かってきた気概は認めるがな。小僧。まだまだ役者不足だ」


 鋭さを増した視線を真っ向から受けた身体に重さが圧し掛かって来たかと思えば、彼の細腕から口を自然と放していた龍は呆然と彼を見つめていたが、乱暴に頭を掻き回される感触に、はっと顔を赤らめたかと思えば、瞬時に蒼褪めた。


「ご、ごめんなさい。大丈夫ですか。俺保健室に行って薬を取って来ます待っていてください!」

「お。ったく。すばしっこいやつだな」

世司せいじ、大丈夫?」

「ああ、服に少し穴が開いただけだ。血どころか噛み跡もないな」


 ほらと、いつもの少し青白い細腕を見せられた流竜は胸をなでおろして、龍が駆け走って行った廊下を見たあとに、世司を見上げた。


「吸血鬼の天敵のふくろうだって直感的にわかって襲ってきたのかな?」

「だろうな。やられる前にやれって本能が叫んだんだろうが。律せられないあたりまだまだだな」

「そりゃあ、中学生ですから」

「で。このぬいぐるみはあいつのか?」


 世司が麻縄袋に回収しておいたよもぎのぬいぐるみは敵わないと察したのだろうか。妙におとなしくしていた。


「うん。恋心だって言ったから帰ると思ったんだけど。どうしたらいい?」

「だれに恋しているか訊いたか?」

「全校生徒の半分」

「思春期真っ盛りだな」

「うん。でもだれかれ構わずに恋しているみたいでいやなんだって。だから一人前の吸血鬼にしてくれって頼まれちゃった」

「時間の問題だろ」

「言った。だから今日一日考えるって」

「ならこいつらは今日も預かるか。逃げだしたら厄介だしな」

「うん。世司が持っててよ。おとなしくなった。て言うか、あれ。一つに戻ってる」

「お待たせしました!」


 龍は飛びつく勢いで世司に腕を見せてくださいと迫った。

 世司はなんともないと言って、服をまくったままの傷ひとつない腕を見せると、龍が急に涙を流し始めた。

 ぎょっと、流竜と世司は目を丸くした。

 ごめんなさい。龍は乱暴に袖で涙を拭うと、深く頭を下げた。


「ごめんなさい。俺、頭、わけわかんなくなって」


 頭が混乱しているのだろう。

 涙が止まらないばかりか、しゃっくりまで出始めた龍の後頭部に手を添えた世司は、ぐいっと腹の辺りに引き寄せた。


「いろいろあって頭も疲れているんだろう」

「う、うえい」

「目をつむれ」

「う、ぶえい」

「そのまま眠れ」


 世司は言通りそのまま眠りに就いた龍をお米さま抱っこした。

 流竜は杖を背中のポケットに収めて、龍が掴んだままの薬箱の取っ手から指を外しては持って世司を見上げた。


「先生に言っとく。神字屋は具合が悪くなったから保健室に行ったって。よろしくね。魔法部の顧問の先生」

「世話が焼ける」









(2022.6.8)




【切望】





(天敵、先生、か)


 背中が少し硬いなと感じる下布団に反して、すごく柔らかい上布団の感触に保健室かと思いながら意識が浮上した先に、なぜか噛みついてしまった男性がいた。

 瞬発的に起き上がろうとしたのに、眠気にひたっていた身体も思考も追いつかなかったらしい。

 まどろみの中、横たわってまま、なんとか目を開けたままにしようとしたが、男性がまた眠れなんて優しい声で言うので抗う気になれず、瞼を閉じた。

 次に龍が起きた時には、とっくに授業もHRも終わって部活生くらいしか残っていない時刻だった。

 なにかあったらいつでも来ていいからと言ってくれた保健室の先生に、あいまいに頷いて保健室から出ようとする前に、男性と流竜が迎えに来てくれた。

 龍は知らず、制服をぎゅっと掴んでいた。

 ちょうど胸の辺りだった。


 男性の名前は世司。

 黒ふくろうで、流竜の使い魔で、魔法部の顧問で外部の先生だった。






 恋心は預かると流竜に言われた龍は今、のろのろと制服から部屋着に着替えて自室のベッドに横たわっていた。

 食欲はないので眠ると言っておいた。

 考えたかったのだ。


 衝動的に世司に噛みついた理由を。

 天敵だから。

 本当に?


 頭を撫でられてから、ずっと身体がふわふわと浮き立っているのはどうして?

 世司の少し低く静かな声を思い出すたびに、ぴりぴりと電気でくすぐられているように感じるのはどうして?

 世司の顔を思い出すだけで、顔が、特に頬が火照るのはどうして?

 叫びたくなるのは?

 泣きたくなるのは?

 転げ回りたくなるのは?

 走り出したくなるのは?


 惚れてしまったのか?

 また?

 今までと違って匂いはしないのに?


(天敵で、先生で、大人で。うんっと大人で)


 かんちがいだと思った。

 また。

 すぐに冷めるだろう。

 匂いがする時だけ。

 目に入った時だけ。

 この学校にいる時だけ。

 そう言い聞かせないと。

 はれんちだ。不誠実だ。おかしい。

 だってずっと運命の相手を恋焦がれていたのに。

 ずっとずっと待っていたのに。

 待って。

 待って?


 恋って待つものだっけ?











(2022.6.13)




【変化】

   



 魔法部に入りたい。

 

 龍が世司に噛みついてから翌日。

 今日も羊雲が空を占める中。

 龍の恋心であるよもぎのぬいぐるみがいつの間にか消えていたことを知らせるために急いで学校へと向かった流竜に、龍は言った。

 昇降口で、部活の入部届けを見せながら、やけにすっきりした顔で。

 流竜は上履きに履き替えて靴を靴箱に仕舞ってから、入部届けを受け取った。


「じゃあ、放課後に魔法部に来て」

「ああ」

「それで、消えたんだけど。ぬいぐるみ」

「ああ。迷惑をかけたな」

「解決した?」


 流竜が驚かない龍にやっぱりと思いながら並んで教室へと向かう中、龍は前を向いたまま苦笑した。


「どう、だろうな。まだわかんねえ。新しい問題ができて考えることが増えたけど、匂いは薄まったから、少しは解決したのかもな」

「見つかったんだ」

「たぶん、な」

「そっか」

「ああ」

「魔法部、まだ私一人だから」

「ああ」

「世司、超スパルタだから」

「望むところだ」

「じゃあ、また放課後」

「笹田」


 教室の入り口でそれぞれの席に着くために別れようとしたが、流竜は呼び止められたので振り返り龍を見た。


「なに?」

「いや、あの。これからよろしくな」


 はにかむ笑顔を向けて来る龍の両頬を思いっ切り伸ばしてやりたいと思ったが、止めた流竜はよろしくと言った。

 末永く。

 心中でそう付け加えて。






(まあ、ちょっといいなって思っただけだしなあ)


 朝の読書時間中。

 紅葉したよもぎのぬいぐるみを思い出していた。

 龍の恋心、ではなく、自分のだ。

 自室の本棚の上で、白黒の箱に入れておいた恋心のぬいぐるみが、桜からよもぎに変わっていた。

 理由はわかっていた。

 龍の世司へ向けるまなざしを見て、自分の気持ちにも変化が生じたのだと。

 それに。


(世司もまんざらじゃなかったようだし。自分に突進してくる生物、大好きだもんなあ)


 恐らく両想いになるだろうから。

 気楽に見させてもらいましょうか。


 なんて。幼かった自分に声を大にして忠告してやりたい。

 関わるな。逃げろって。

 いつまでたっても秘めたままにしてイライラするから。


(あーもう。お互いに好きだって言いたい!)


 言ったところで素直に聞き入れないだろうけど!もう!

 








(2022.6.14)


(完)











 

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