6.アリスと国家
『報告書を何度読んでも意味が分からないので、件の動物達と王宮へ来るように』
王家からそんな呼び出しを受け登城する当日の朝、ウィルフレッドは胃痛に苛まれていた。むしろ昨夜からずっと痛い。今日も胃痛は絶好調だ。
アリス・ストッパーとしてウィルフレッドも謁見に行く。
どうすればいい。なんと説明すればいい。
昨夜から同じ悩みばかりが頭を回っていた。
「おにーいさーまと〜〜おーうきゅーうへ〜〜ランデブ〜〜〜〜ふっふふふーん」
アリスも絶好調だ。
今朝、王宮へはウィルフレッドと共に行くと伝えた時から狂喜乱舞して歌いながら踊っている。
可愛い姿の筈なのに不安しかない。
「はい、では整列! ミケ」
「んにゃっ」
「ポチ」
「わふっ」
「ロバート」
「はい」
「アマンダ」
「シャー」
「マジェスティックチャームコンテンポラリー」
「うきっ」
「待て。最後のはなんだ」
「猿です」
「猿」
「マジェスティックチャームコンテンポラリー、略してマチコです」
「きっきー」
「この猿はなんだ」
「キンシコウですわ」
「なんだそれは?」
「別名ゴールデンモンキーにございます」
「そうか。いや、そうじゃない」
「いいえ。そうですよ」
「いや、そうではなくてだな。何も種類を聞いたわけではないんだ。この猿の元はなんだ? ミケは魔王、ポチは神、ロバートは精霊王。では、マチコは?」
「世界の滅亡を願う魔女です」
『人間滅びろ!!』
「突然のデスボイス!」
「お止めマチコ! お前が世界を滅ぼす前にわたくしがお前の歯を削るわよっ」
「うききき〜〜」
「逃げちゃだめ! 整列しなきゃ生命抜きよ!」
「もうやだ何このカオス」
最早どこで拾って来たのか聞く気力すらウィルフレッドには残されていなかった。
「よく来たな、アリス!」
ウィルフレッドとアリスが王城へ着くと、王太子エリオットが勇ましく仁王立ちしていた。
「メーデーメーデー! アリスちゃんの精神がピンチです! 応答せよ応答せよ!」
一瞬で激怒したアリスは挨拶も無く耳に手を当てると何やら始め、その様子を見てウィルフレッドは慌てて妹の両手を掴んで止めた。
ウィルフレッドはイシアから聞いていた。
アリスが「メーデーメーデー」言い始めたら、それは森羅万象と交信し始めている合図だと。絶対に直ぐに止めろ、と。
「止めろアリス! 何と交信している!?」
「だってお兄様!! これ、これが! わたくしを呼び捨てに致しましたわ! 不快っ」
「これ言うんじゃない! 王太子殿下だ!」
「先に言うたのあいつや!」
「どこの人だお前は!」
「エリオット、何をしているの!? 今日は絶対に部屋から出て来てはいけないと言った筈でしょう!」
真っ青な顔をした王妃が駆け付け、一気に辺りは騒然とした。
「だ、だって母上……アリスに会いたくて……」
「ほら! また! 呼び捨てにされましたわ!! 応答に感謝。大地よ、これを拒絶してちょっむむぐーー!」
「絶対にダメだからな!? 大地に立てなくなったらどこにも居られないだろうが!」
ウィルフレッドはとっさにアリスの口を塞いで謎の交信を止めた。
だが、何をしようとしたのかは流石に王妃にも王太子にも伝わってしまっている。二人とも真っ青だ。
「王族なら、王太子なら、許可も無く勝手に呼び捨てても良いのですか!? おこですよ。アリスはおこですよ。非常識には非常識を!」
「エリオット! お謝りなさい!」
「う、うう……ごめんなさい、ステラフィールド伯爵令嬢……」
「ごめんで済んだら神も魔王も下僕にしてねぇのですわ。人類如きがこのアリスちゃんに向かって偉そうに。ぺっですわ、ぺっ」
「止めろアリス!」
「お兄様はあああ妹があああこんな辱めを受けても平気だとおおお!?」
「落ち着け、アリス。よーしよしよしよしよしよしよしよし」
「きゃーーー! んふふふふふふ」
髪やら頬やらを兄に撫で回されていたくご機嫌のアリス。
ようやく落ち着いた妹にウィルフレッドは溜め息を吐いた。生きた心地がしない。
「ま、誠に申し訳ございません……、王妃殿下、王太子殿下……」
「今回も原因はエリオットよ。こちらこそ申し訳ないわ……」
「いえ、とんでもございません……」
「なあ、ステラフィールド伯爵令嬢」
どうやらエリオットは諦めないらしい。鋼の精神だ。
王妃とウィルフレッドはもう虫の息だった。頼むから諦めてくれ。
「…………」
「うう……返事もしてもらえない」
「アリス。私の妹アリス」
「はい! お兄様だいすきっ、今日も元気に愉快な妹アリスですわ!」
「王太子殿下を無視してはいけない」
「ちいいぃっ」
こんな時ばかりはアリスも王太子へ視線を向けた。
「すっごい舌打ちされたあ……うっうっ」
「アリス」
「ごめちゃーい」
「……ステラフィールド伯爵令嬢」
「さっさと用件」
「は、はい。……おれと婚約は嫌か?」
「嫌」
「ううう……なんで?」
「嫌だから」
「どこが?」
「顔と声と立ち振舞いと性格とお前が生きてきたこれまでの過程」
「母上ぇ〜〜、全部って遠回しに言われたあああああうわああああん」
「魔王はともかく、神を敵に回すわけにはいかないわ。諦めなさい、エリオット」
大泣きの王太子殿下とそれを慰める王妃。
どこ吹く風でウィルフレッドに抱き着いているアリスと、そんな妹を抱き留めながら遠くの空を眺めるウィルフレッド。
混沌とした場へ新たに現れたのは国王だった。
「……お前達、いつまでも来ないと思えば……揃って何をしている」
どうやら一人待ちぼうけを食らっていたらしい。
「陛下! 申し訳ございません!」
「よい。エリオット、何をしている。部屋にいろと言った筈だ」
「ぼーじわげございまぜん、べーが」
「…………泣き過ぎだ」
王太子の顔は涙と鼻水と涎でべしょべしょだった。王妃が使っているハンカチも最早べしょべしょだ。
国王も何か拭くものをとハンカチを取り出したが、一瞬で使用不可能となってしまった。べしょべしょだ。仕方なく袖を使い始める始末だった。
「ステラフィールド家の兄妹よ、突然の呼び出しと王太子の非礼を詫びる。すまなんだな」
「と、とんでもございません。陛下。妹が数々の問題を巻き起こしまして、こちらとしてもどう詫びれば良いものかと」
「アリス悪くないっちゅー」
「アリス!!」
「いや、いい……。エリオットの愚行は聞いておる。それよりもだな、今日は教会からも立ち会いたいと聖女を始めとする神官などの有識者が集まっておるのだ。重ねて申し訳ないのだが、彼らに会ってはもらえぬか?」
「かしこまりましたわ。一臣下として、陛下の御心に添えるよう努める所存にございます」
「そ、そうか……。無理をさせるな」
「とんでもない事でございます。陛下のお役に立てるのでしたら望外の喜びですわ」
「お、おう……」
途端に淑女然とするアリスに一同はひたすら戸惑う他無かった。