2.アリスとポチ
ウィルフレッドはハリーに命じて急ぎ馬車を用意させた。アリスを再び王城へ向かわせる為だ。
それから早馬を出して、母の乗っている馬車に「アリスを連れて行くから先に王城へ向かっていてくれ」と伝言を託した。
勿論ウィルフレッドもアリスと同じ馬車に乗った。確実に王城へ送り届けるまでは安心できない。
いや、送り届けて連れ帰るまでは気が抜けない。
胃痛は尚ここに鎮座している。
「アリス……、いくら私が呼んだからと言って、王妃様が主催されるお茶会をすっぽかそうとしてはいけない」
「すっぽかすつもりはありませんよ?」
「今でさえギリギリだ。混雑具合によっては遅れてしまうかも知れない。そうなっては、父上の仕事や母上の活動にも支障が出るし、私への視線も冷たくなるだろう」
アリスは兄至上主義だ。
こうして自らをネタにすると驚くほど態度が変わる事を、誰よりもウィルフレッド本人が一番よく知っていた。だからこそこう言った物言いをしたのだが、アリスは首を傾げるばかりだ。
頼むから兄からの呼び出しより王家を優先してほしい。胃が痛い。
「お兄様のご用事が済みましたら王城へは瞬間移動で向かうつもりでしたわ」
「そうか。それなら安し…………なんて?」
「瞬間移動です。転移とも言いますね」
「え、なんて?」
「ほんの一瞬で王城へ参れますから問題無いと思いましたの」
「待ってアリス。待って、アリス。本当に待って」
「はい。わたくしはずっとここにおりますわ、お兄様」
「違う。そうじゃない」
そうじゃない。
「なに、てんいって……王城にてんいって、なに……」
「そのままの意味です」
「王城は王宮魔術師が強固な結界を張っていて、許可された魔法以外は発動できない筈だろう」
「魔法ではありません。魔力は使いません。神力です」
「なんて?」
「神力、です」
「新緑?」
「発音が異なりますね。神の力です」
「神!?」
「はい」
「なんで!?」
本当に何なんだこれは夢か?
「あれは五年前の事です。お部屋でお昼寝をしていたわたくしの元へ神が来ました」
「あ、駄目だ。もう普通じゃない。いきなりもう既に普通がどこかへ行ってしまった。……五年前? お前まだ二歳じゃないか」
「はい。眠っている幼女の覗き見など言語道断。只の幼女趣味の変態神としか思えなかったので叩きのめしました」
「待て待て待て待て待て」
「わたくしはどこへも行っておりませんわ、お兄様」
「何故に神と分かっていて叩きのめした。何か神託があったのやも知れぬではないか」
もしここで勇者神託がなされる筈であったのなら大事件どころではない。最早、天変地異レベルである。
「後に聞いた話ですと、わたくしは類稀なる力を持った珍しい色をした魂らしく、気になったので地上へ様子見に来たとの事です。世界への影響がどれほど出そうか実際に見て確かめたかったと」
アリスの話を聞いてウィルフレッドは思わず天を仰いだ。
「まとも。理由、凄いまとも。いつも見守っていて下さってありがとうございます神様。最初に聞こう。相手が神だと分かっていたのなら最初に聞こうか」
「様子を見に来るタイミングが最悪でしたから致し方ないかと。お昼寝をしている幼女の覗き見とか最低最悪極悪変態の極み」
「間違いではないが相手は神だから」
「神自身としても己なら許されると自惚れていたのでしょうね。まさか覗き込んだ途端に目を覚まして迷わず全力で攻撃されるとは思ってもみなかったと言っていました」
「それはそうだ。何をしているんだお前は」
「残念ながら二歳のわたくしでは捕らえられず、せっかく瀕死にしたのに逃してしまいましたの」
「神を殺しかけただと!?」
何も残念じゃない。逃げられて良かった、逃げてくれてありがとう神様。
神様いなくなったら凄い困る本当にご無事で何よりです。
「ええ、反省しております。その悔しさをバネに苦節二年、修行の甲斐あって遂にわたくしは神を捕らえました」
「止めてくれっ!! 何度も言うが反省するところがおかしい!」
全くご無事じゃなかった。何これヤバい。
「大丈夫。生け捕りです」
「何一つとして大丈夫な要素が無い」
「ちょっと興味があって軽率に覗き見して大変申し訳無かったと地に頭をめり込ませて謝罪するので、便利な力と引き換えに許しましたの。そうして入手したのが瞬間移動の神力ですわ」
「ごめんなさい神様っ!」
「今頃はお昼寝中ですから大丈夫ですよ」
「え……お昼寝……だと?」
「ハスキーのポチですわ」
犬だった。
三年前にアリスが飼うと断言し、許可する前に庭に犬小屋を建ててしまった。そしてどこからともなく連れて来た少し阿呆面のハスキー。それがポチだった。
毎朝の散歩はウィルフレッドがしている。動物好きだからというのもあるが癒やしが欲しかったのだ。アニマルセラピーとかいうやつである。
でも違った。アニマルじゃなかった。ゴッドだった。
「いつも阿呆面のポチって呼んでてごめんなさいいいっ」
胃がキリキリと痛んだ。