第八話「走り出すのは唐突に」
今現在、昼の放課中。
いつもなら、別段取り上げる必要もないのだが、今日に限っては違う。何せ、普段は中庭でだらけている筈の伊織が何やらやる気を上げているのだから。
そんな光景を慣れ親しんでいる他生徒からすれば、驚愕に値するものになるであろう。
「さて、これから蓮華と相性の合う人を探したいと思う」
「い、伊織さん!? 相性なんて、学園で言う事じゃ………」
「? 別に語弊がある訳じゃないだろう。ただ単に、此方に事情を知らない一般学生が勝手に勘違いをするだけだ」
「それを語弊と言うんです、伊織さん!」
そんなこんなで、何故伊織がやる気になっているのかというと、何と此処に来て初めての各攻略対象を主人公が堕とす、あの学園生活シーンがあるのだ。これが落ち着いていられるか!
しかし、そんな伊織、もしも数日前に攻略シーンを伊織のすぐ傍で起こされていたら、きっと曇天模様となっていたことだろう。
「ふっ、ふっ、ふっ───」
「………」
だがしかし、今の伊織には涼音というこの学園の一つ上の生徒にして女性、しかも変な性癖などはなく、これ以上ない友軍がいるのだ。これなら大丈夫だと、伊織自身の勘もそう唸り声?を上げている。
「さぁ、攻略しに行こうではないきゃ!」
「………」
「すまない、噛んでしまった………」
今頃になって言うが、この『花散る頃、恋歌時』では、前に会ったことのある黒髪の男子生徒こと楓雅徹の他にあと二人存在している。
まず最初に、黒髪男子生徒な楓雅徹。
徹の家はかなりの名家だ。その力はカレンの実家とほぼ同格、一代で財を成した柳田家では到底かなわないほど。少なくとも、世界で両手の指には入る事だろう。
しかも、運動神経抜群、成績優秀と隙がない。運動神経は高いが、それでも柳田家の看板を担がされそうな伊織には敵わない。成績も、前世というアドバンテージを持つ伊織とそんな伊織が教育を多少施したカレンが負ける筈がない。………、あれ? これって、余計な事をしたか。
そんな優しい徹に女性プレイヤーが堕とされるのは、絡まれている主人公を助けるべく現れた勇敢な彼のシーンだ。いや別に古典的なシーンだと思わなくもないが、おそらくはそれまでの日常と追憶、それらを経て彼が登場するのだから、破壊力が半端ない。
そして次に、燃えるような赤色の髪をした男子学生な、城ケ崎健人。
健人の家はそれほど裕福ではないが、何とかこの学園に入ってきた生徒の内の一人らしい。そんな彼と蓮華の相性はこれ以上ってないくらいに良かった気がする。同族意識なのだろうか。
運動神経は、徹を上回るほどある。流石に伊織には到底かなわないが、幼い頃から運動してきたカレンでさえ彼には勝てないのだろう。
ちなみに、運動は出来ても、学力面がかなり残念だったりする。
そして、女性プレイヤーが堕とされるシーンは、雨が降り続いている放課後の事だった。最初の頃は伊織も肉体言語で語り合うといった脳筋なルートとばかり思っていたが、まさか雨がざぁざぁと降る放課後にしっとりとした告白シーンには、流石の伊織も唸ったほどだ。
さぁ、長くなってしまったが最後に、紺色の髪をした男子生徒こと、瓜生啓介。
啓介の家はそれなりの家で、攻略対象同士で比べるのだとすれば、健人以上徹以下といったところか。別にそれなりというのは、おそらくは謙遜なのだろう。この聖シストミア学園に在籍している生徒達からすれば、フェニーミア家や楓雅家以下なのは当然の話だ。
学力は、徹よりも上、大体前世の知識ブーストしている伊織やカレンと同等といった具合。これには流石の伊織もケアミスがある上、百点以上を取ることができないのだ。
ちなみに、学力ができても、運動面はもやしっ子同然だ。
故に、啓介と健人はかなり一緒につるんでいたりする。これには、女性プレイヤーの間で健人×啓介というカップリングが密かに成立しているが、元男性な伊織からすれば『?』しか浮かばない話であった。
そして、女性プレイヤーが堕とされるシーンが、啓介が蓮華に対して泣きながら怒る一シーンだ。何を言っているのかさっぱり分からないと思うが、元々彼は大して才能がある訳ではなく、その血の滲む努力によって今の学年主席を勝ち得た。
そんな啓介が蓮華に対して恋愛感情を持って行くが、その頃には既に彼女は彼のすぐ下にいたのだ。
蓮華のために努力をした啓介に対して、啓介のために才能を伸ばしていった蓮華。
果たして、最初に爆発したのが、啓介だったという話なだけだ。
ちなみに、ハーレムルートなんてものも存在していたりするが、かなり厳しい。何せ、徹は他の攻略対象の二人からあまり快く思われていないからだ。
こういう話かつ他人事なら、頭くるくるぱーで良かったんじゃないかと失礼に思う伊織であった。それならもっと、簡単な話だっただろうに。
「伊織さん。何で、徹さんや健人さん、啓介さんの三人なんですか? 他の魔法少女の方が、より強くなれる気がしますが」
「まぁ、大丈夫だ。きっとうまくいく」
そう伊織が適当に答えているような気がしなくもないが、それなりの自信を彼女は既に持っている。
まずは、魔法少女という異物があれど、この『花恋』の世界を基盤としているからだ。確かに『花恋』の世界に魔法少女や魔術師といったイレギュラーが紛れ込んでいて中々に混沌としているが、それでも基盤となっているのは『花恋』。それは、前世の記憶を所持したまま十年と数年を生きてきた伊織だから知っている事だ。
故に、蓮華の攻略対象な三人に、何かしらの《マホウ》的な繋がりがあったって不思議じゃない。
次に、蓮華自身の好感度について。
前に言ったように、何度か伊織と涼香で蓮華の強化を付与してもらったことがあるのだ。結果は、関わりの少ない涼音よりか、遺憾だが関わりがそこそこある伊織の方に軍配は上がった。
故に、最終的には恋人となる攻略対象な三人は、上限がかなり高いとみてもいい。もう少し、実験個体がいれば断言できるだろうが、少ない今はおそらくといった辺りだ。
「………、伊織さんは付いてきてくれないですか?」
「まぁ、私が付いて行っても別にいいんだが、相手が徹だと友人感覚で話そうでな。お前たち、それなりに恋路が進んでいるのだろう?」
「そ、そんなんじゃないです!?」
そう蓮華は否定の意を表すが、彼女の顔が高揚している以上、その言葉の効力は半減がいいところだろうな。
♢♦♢♦♢
最近、カレンの様子がおかしいと思う。
以前は、関係が冷え切りながらもそれなりの関係を続けてきた筈だ。政略結婚故、そこら辺はお互いに了承した筈なのだ。
しかし最近になって、カレンと徹の関係は極寒の冬国に近いほどに冷え切っていている。流石にこれには徹は何が原因かも分からずにとにかく謝罪を繰り返すが、カレンの口調だけはいつものように優し気だ。
「………俺としても、婚約破棄なんて結果にはなりたくはないけど、カレンさんはカレンさんで表面上はいつものように振る舞っているし。───本当に、どうしたものか」
最近、蓮花さんの事が気になっている。
きっかけとしてはとても些細なもので、それ自体はよくある話の一つに過ぎないのだろう。実際、池の中に石を投げ入れて、それで何かに当たるぐらいの確率だ。
ただいつも間にか───いつの間にか徹は、蓮花の事を目で追うようになった。その事実が自分でも分かる程度には夢中だった、と思っている。
「お、おはようございます、徹さん………」
「おっ、おはようございます、蓮花さん。き、今日も良い天気ですね」
などと色々と考えていると、まさか話題に挙がった蓮花に話し掛けられるとは、徹も思わなかった。現実は小説より奇なりと言うが、こういう心臓に悪い事は止めて欲しいと、それと同時に思うのだ。
「あのっ、この前は助けてくれてありがとうございました」
「いや、困っている人を見過ごせませんでしたし。それに、───」
「───なぁ、少しいいか?」
そんな絶好の時だった。
先ほど蓮花と別れて何処かへと歩いて行った、伊織の姿がそこにはあった。しかも、何やら面白そうな事を思い付いたかのような表情をしていて、先ほど蓮花を徹の元へと押し付けていった時を思い出させるものだ。
それに加えて、伊織の後ろには蓮花が後から話し掛けようとした、健人と啓介の姿があるのではないか。
これで嫌な予感をしないというのは、間違いなく危機感辺りが足りないのだろう。
───そして、蓮花の嫌な予感は、予想する物語の伏線並に当たるのだった。
「───中距離走、しようぜっ!!」
「何故俺は、こうも走る事になったんだ?」
「………、知るか。俺に聞くなよ」
「まぁ、二人共落ち着いて下さい」
「ふぅっ───」
今現在、徹と健人、それに啓介は聖シストミア学園の運動場にいた。勿論、その場には伊織も含まれている。そんな彼女はというと、軽く手首や足首を回していた。
そんな、彼等と伊織がやることになったのは中距離走。その中でも、800メートルを走るものだ。ちなみに、聖シストミア学園の運動場のトラックは、およそ400メートル。二周走ればゴールだ。
そして、何故彼等が800メートル走という、いまいち盛り上がりが欠ける競技をしだしたのかというと、徹とその他という大きく二つに分かれる。
前者は、単純に蓮花の魅力と言葉にて、力尽くで参加させた。徹が蓮花の事を意識していたのを知っていて彼女に任せたのだが、案外すんなりと事が進んだ。これには、押し付けた伊織としても驚きだ。ちなみに、蓮花に事の真相を聞いてみたところ、恰好付けようと誘導させたらしい、なんという悪女。
後者は、煽り言葉に買い言葉と。伊織が適当に煽って、それを食らった健人は何故かその場に丁度居合わせた啓介を無理やり連れて参加することになったのだ。
とはいえ、此処にいる彼等の誰もが、この勝負に負けるつもりはない。
「───」
「───」
「───」
「───」
スタート直前、声は音をひそめた。
鋭く研ぎ澄まされた開戦の狼煙は、ピストルの音と共に立ち昇るのだった。
───パァンという破裂音を合図に、伊織たちは走り出した。
まず、先頭に躍り出たのは、やはりと言うべきか伊織だった。このメンバーの中で一番身体能力が優れていてその事実を知っているからこそ、最初から逃げに突入するのだ。
そして、それに付随して徹たちの三人は、何とか付いて行く。別に伊織に対抗心を燃やしてこの最初の場面で勝負を挑んでこない辺り、彼等も冷静に勝負に勝ちに行くつもりなのだろう。
「───」
「───」
「───」
「───」
しかし、中盤になってもその順位が変わることはない。確かに、徹たち二位以下の順位については偶に変わったりもしているが、一位はスタート時と同じ伊織のままだ。
───勝てる筈がない。そんな弱気な思考が、徹たちの頭の中をめぐる。
別に、この勝負に勝つ必要なんて徹たちにはなく、負けた時のペナルティーすら存在していない。勝っても負けても、対して変わりないという事だ。
例えば、自尊心というものもあるが、そんなチンケなものは伊織の速さという差に簡単に潰れてしまっている。これが伊織から遊びとして誘われたものだとしたら、もう既に諦めがついていたのかもしれない。
いやそれは、今現在も大して変わらない、か。
「───」
「───」
「───」
「───」
残り、100メートルを切った。
相変わらず、先頭を走るのは伊織で、レースは進んでいく。
「───、ふぅ」
そんな時、伊織はスパートに入った。彼女の身体能力からすれば、もう少し前から掛けても問題はないが。それは慈悲か、それとも余裕か。だが、この伊織の選択によって、もうほぼ勝負が決まった事には変わりない。
そして、勝負がほぼ決まった事。それは、徹たちも既に理解していることだ。
───だが、
「ぁ、ああああぁぁぁぁ!!」
───伊織との圧倒的な差があっても、まだ諦めていない者がいた。
力量の差は明白で、間隔もかなり開いている。
まだ、その要因が片方だけなら、低いながらも掛ける事ができるだろう。たとえ、勝つ確率がほんの数パーセント程度だとしても、何時の時代の勝つ者というのは、その数パーセントを確実に引きに行くのだ。
だが、その要因が二つとなれば、勝つ事は不可能だろう。根性も然り、レース展開も然り。もしもあるとすれば、圧倒的に前を走る伊織が突然転ぶ展開なのだが、彼女であればその程度大した障害にすらなりえないのだろう。
「───!」
だからこそ、伊織もその事実に驚愕を隠しきれていない。
確かに、この勝負は勝ち負け以前に明確な目的があるのだが、先ほどまでの展開を見るに、正直言って期待薄だった。
「ぁ、ああああぁぁぁぁ!」
「くそっ、───負けていられるか!?」
「………、はぁはぁっ」
だが、今現在の光景はどうだ。
元々体力というか運動面が苦手な啓介は、この際除外するとして。一番最初に仕掛けてきた徹と健人は、先ほどまであった間隔を徐々にではあるが、消し去りに掛かっている。そしてこれは、単なる予測でしかないが、おそらくはゴール目の前で先頭を走る伊織を抜ききる事だろう。
そんな彼らの表情は、負けたくないという保守的なものではなく、勝ちたいというリスクを背負ってまでして得たい、勝利という名の美酒を味わうためのもの。
伊織の後ろから勝つために迫ってくる徹と健人。
───その光景に、伊織は何処か昔を思い出すのだった。
「───そうだな。負けてもいい勝負なんて、ある筈がないものだな」
───ダン! と。
そう言葉を残して伊織は、更にその速度を速める。先ほどまでも学生としては速い部類に分類される程度には速かったのだが、今は違う。少なくとも、学生の枠内には収まらないほどに、単純に速かった。
そんな、今までのは手加減だったのかと驚愕の事実が発覚する中で、徹たちはそれでも懸命に伊織に勝とうと必死に食らいつく。もう、足の筋力は低下し、もう殆どが気力だけで走っている状態だ。
けれど、それでも走り続けているのは何のためか。
───この勝負に、伊織に勝つためだ!
「───!」
「ぁ、ああああぁぁぁぁ!」
「伊織にも、徹にも、負けて堪るかよ!」
残り、50メートルに差し掛かる。
10秒程度で結末が決まる、そんな距離。
相変わらず先頭を走るのは、伊織。先ほどまでと比べて他者どころか自分自身でも、走る速度が速くなっていると実感を持っているが、それでもその表情に余裕なぞはない。
何故なら、先ほどまではある程度の走る間隔があいていた筈なのに、すぐそばにまで徹と健人が迫ってきている。そして、その事実を伊織が肌で実感しているのだから、余裕謎は生まれやしない。
そして、───。
「───抜いた? 徹さんが伊織さんを、抜いた?」
───ゴールと誰かが告げていないにも関わらずに、決着がついた。
蓮花は、この結果に驚愕をする。
今回の件───もとい、蓮花が身体強化の《マホウ》を掛けた事による、身体能力の向上度合いを確認するためのものだ。勿論、今回は徹と健人、それと啓介の記録を取るために、伊織には身体強化の《マホウ》は掛けていない。
だからこそ、驚いた。
伊織の身体能力がどれほど高いか、それは近接戦闘訓練で直に食らっているから分かる。これは蓮花の未熟な実感でしかないが、おそらくは素の身体能力でも近接戦を得意とする魔法少女クラスの身体能力を保有していることだろう。
だが、伊織は今回の件で、一応の手加減をしていた。これは圧倒的な差によって徹等が諦める事を防ぐためなのだが、彼らはあろうことが彼女に勝ったのだ。
「勝った。勝ったのか? 勝ったーっ!!」
♢♦♢♦♢
今回、何故800メートル走なんていう、流行りもしなければ熱狂もしづらい競技をしようと伊織が思ったのには、ちゃんとした理由がある。
目的として、蓮花の魔法少女としての《マホウ》がどれくらい効力があるのか、それを探るため運動関係の競技から判断しようとした。遊びの延長線という本気が出しずらいものではなく、勝ちたいという闘争本能を奮い立たせる、そういう風に誘導させたのだ。
もっとも、その闘争本能を奮い立たせる役を主に伊織がやった上に感化されて、危うく本気で勝ちに行きそうになったのは、蓮花には秘密だ。
そして、ここで何故800メートル走にしたのかというと、単純明快。それが一番分かりやすかったからだ。
例えば、サッカーなどのそれについての技術を必要とする場合、身体能力という要素を上手く測れない。それはバスケやバレーといった競技も同じだ。
しかし、走るだけの競技の場合、奔る技術といったものも関わってくるが、単純な身体能力差がとても明白で。それ故、この競技に決まった。
ちなみに、何故800メートル走なんていう中途半端な距離なのかというと、短距離であれば身体能力の差はあれどスタートが特に重要で、長距離は走り続けるための技術が必要になってくる。つまりは、この辺りが丁度いいのだ。
勿論、伊織にとって、その距離が楽だというのがあるが。
「いやまさか、───手加減したとはいえ、負けるのは悔しいんだな」
───負けた。
それは、予め予定されていたことだ。正直、負けた事実が、何かしらの不利益を働いたという訳でもない。
だけれども、負けたことで悔しい気持ちになったのは本当だ。
───負けた。
今までの経験の中でも、伊織が負けた事は何度かあった。しかしそれは、成長をするための敗北だ。
だが、一回きりの成長のくそもない勝負ともなれば、話は別。
「………、そうだな。───勝負は勝たなければ意味はないんだったな」
自然と微かに開いた淡い色の口から漏れだした言の葉。
そして、伊織は、更にその一歩を踏み出す。