第三十七話
蓮花は、ふと思い出すのだった───。
そう言えば、伊織がなくしただとか言っていた書類の事を思い出した。
前後関係の一切ないものだったのだが、今現在蓮花は少しだけ暇をしている。それも、数分だけの僅かなものではなく、何時間とも渡る膨大なまでの暇な時間だ。デジタル時計の数字配列が、それを指し示していた。
「───よし、私も忘れない内に書くとしましょうか!」
であれば、その膨大なまでの暇な時間を有効活用しようと、当の蓮花が思うのは何ら不思議ではないのだ。
“真子島攻略作戦”が終わり、その祝勝会が終わった翌日、彼女等は家へと帰る事を許される事となった。
勿論蓮花とカレンは、そのまま自宅へと直行。戦略級の活躍した二人の攻略作戦の際の疲労は、彼女に対してあまりにも重い負担となっていたのだ。
対して涼音やその他の現役の魔法少女等は、そのまま“乙女課”へと足を運ぶそうだ。涼音からの話を聞く限り、ただ寄り道のようなものらしいのだが、それでも大規模戦の初戦をどうにか潜り抜けた蓮花とカレンからすれば、寄り道をするだけでも驚愕に値する。
『───ん。私か? 私は一度家に寄った後、実家へと足を運ぶ事になりそうだ。まったく、私の折角の休みがぱぁだこれ!? ていうか、明後日の学園に間に合う、か?』
だが、その中でも伊織だけが大きく違うらしい。
あまり実家の話をしたがらない伊織から聞けたのは、精々が彼女自身の実家へと足を運ぶ程度のもの。それなりには、蓮花は伊織と仲良くなった気がするのだが、如何やらまだ好感度が足りないようだ。
しかしただ、その陰りのある伊織の表情が、とても印象に残っていた───。
「───えっと、親御さんへのところは、………後回しにして。」
そんな感じに、蓮花は“魔法少女正式登録書”と書かれた書類への記入を進めていく。
基本的には、名前などの個人情報など。多少、特別な記述部分もあったりするが、特に問題はなく進んでいく。
しかし、こうして見ると、この書類を普通の防犯も碌もない家庭で書いてもいいのだろうか。
ふと、そんな他愛のない疑問が浮かび上がった。
確かに、個人情報を書く欄はあるものの、それ自体はどうって事ないもの過ぎない。けれど問題はきっと、その書類を記入している事実そのものである。
「………。」
その考えに蓮花がたどり着いた瞬間、今まで書類を記入していたそのペンの動きが止まる。
何も、どう記入したらいいか分からないところが出てきたという訳ではない。それならばもう少し、当の本人たる蓮花は悩んだりもする筈である。
そう、蓮花は書類を記入するという行為を、躊躇したのだ───。
「(私は本当に、このまま書いていってもいいのでしょうか………)」
大規模な“ケモノ”の討伐作戦を潜り抜けた蓮花に対して、何を今更と思うかもしれない。
だがきっと、これは最後のチャンスであるのだ。
もう戦う必要のないという、そんな美辞麗句じみた、けれどその選択肢を取る事ができる単純明快な事実。
───嗚呼、戦いに疲れた彼女たちからすれば、納得のできる理由が付いた離脱行為であろう。
人が死んだ。
意味もなく死んだ。
意義もなく死んだ。
何も成せずに、死んだのだ───。
死体なんて上等なものは一切残らなくて、精々が共同墓地に名前が刻まれる程度のもの。その上その墓石ですら、物質上はただの石に過ぎないのだ。
蓮花だって、それなりには鍛えた筈。
あの襲撃事件以来、立ち直ってから色々と伊織や涼音に教えて貰ったのだ。
近接戦闘戦や《マホウ》の使い方。魔法少女としての戦い方は、それなりにこなせるようになったと………そう思っていた。
「(………───っ!? ………───っ!? ………───っ!? ………───っ!?)」
だが、所詮付け焼刃の戦闘技術と《マホウ》なんて、さして意味はなかった。
確かに、伊織や涼音に戦い方を習った故に、蓮花は“真子島攻略作戦”を生き残ったと言っても過言ではないだろう。実際それだけの恩恵を、蓮花を受けたのだから。
しかし、誰かを守れるほどの実力ではなかった───。
実力不足は実力不足だと、最初から蓮花は割り切っていたつもりだった。
自分のやれる事以上のパフォーマンスをやろうなんて、考えなしの馬鹿のやる事だ。
───そう、馬鹿になれるほど、蓮花は強くはなかった。
蓮花には、態々魔法少女になる理由は存在しない。
何かを犠牲にしても叶えたい願いなんてなくて、ましてや誰かを助けたいだなんて普通の一般人でも可能な事だ。
そう、蓮花という彼女は、他の魔法少女とは根本的に違う。
だがそれを、個性だなんてそのただの二言で済ませられる筈がない。少なくともそこは命のやり取りが不連続性に発生する戦場なのだから、それはあまりにも命を賭けるには安すぎるのだ。
「───だけど、私がやらないと」
しかし、蓮花はそう口にした。
何度も、他の誰かが死ぬ光景を見せられて、その命の価値を知ってもなお、蓮花は軽々しくその自信のかけがえのないその命を投げ打っているのだ。
ある意味、強迫観念に突き動かされた、正義のミカタ症候群───。
平穏に生きる意味を失って。
仲良くするだけの友達を作る理由もなくて。
将来に、何の希望もなくて。
最終的に彼女は、何も残らなかった───。
でも、“ケモノ”を倒す意味はあって。
脅迫概念じみた戦う理由はあって。
将来なんて先の話より、今現在をどう生きるかを注視していて。
ただ、彼女は戦うために今此処にいるのだから───。
彼女の名は、───野原に咲く、幾つもの花を思わせる、“鈴野蓮花”。
魔法少女としての名は、輝かしいほどの希望を映す“ミライ”。
けれど、その彼女の瞳に、今を生きる人々ならば必ずあると言っても良いほどの、生気も希望もなかったのだ───。