第二十九話「古謳う龍の賛歌」
───。
その飛行機の中では、客として使用している人たちは、思い思いに到着までの無為な時間を過ごしていた。まぁ、中には仕事だろうかパソコンを叩いている生産的な音が微かに聞こえているが、しかして殆どは関係のない話だ。
ちなみに、飛行機とは言っても、他国へと移動する事は叶わない。
何せ、“ケモノ”がこの世界には存在している。万が一、レーザー攻撃を受ければ、ほぼ確実に墜落を免れない。レーザー攻撃などに耐性を持つ装甲版なんて、そうそう民間に配られたりはしないのだ。
ただ、もしそれを可能とするのならば、軍事用の航空機にお邪魔するしかない。もっとも、それをお偉いさんたちが許可をする訳がないが。
詰まる話が、───人々は世界を、外の世界を知らないのだ。
故に、この飛行機便もその例外からは免れてはいない。
出発地点は、長崎県から。
到着地点は、この国日本の首都である、京都へ。
「───まだ、たどり着いていないのかの。思ったよりも、京都への道のりは長いのぅ」
「───肯定。到着時間は15;00。今だ、一時間以上を残しています」
此処にいる、その全ての人には心当たりの類なぞ一切ない声が聞こえる。
勿論、そんな独り言に対して反応をしてくれる、自称親切な人なんて存在はしない。
だが、もしこの場に柳田伊織という彼女がいたのだとすれば、きっと声を掛けるだろう。
───そう、彼女達の名は、魔法少女ミコトこと九重美琴と、魔法少女ガラテア。
しかして、そんな彼女等二人の正体に、この便に乗る人たちは誰もたどり着けない。
確かに、魔法少女となった時の彼女等の姿は、平時とあまり変わらない。別に、体を変質させている訳ではないのだ。
だからこそ、こうして変装もせずに人前に魔法少女が出歩ける様子は、異質で───恩恵であった。
「───それにしても、あ奴は思ったよりも成長していたの」
思い出すは、先日の模擬戦で戦った柳田伊織の事だ。
こうして思考する中でしか美琴は言えないが、彼女は今まで一度も伊織に勝った事がない。
何を馬鹿な話だと思うかもしれないが、それは純然たる事実。あの光景の、一体何を見たというのか。
あの激戦を、当の伊織は一切の《マホウ》を使用せず、横やりが入るまで戦い抜いた。
その一方で美琴は、《マホウ》の一種とそれと魔法少女の最淵たる『』を使ってまで戦った。
もしも、あの模擬戦にて伊織が何かしらの《マホウ》を使えたのだったとしたら、それほど恐ろしい話はあるまい。
───いつか見る、光景を見た。
バチン!
「代替わりも、そう未来の事ではないか、の。───ぬ?」
20代後半だというのに、感慨深げに思考する美琴。
───そんな時に、無粋ながらも感じ取った違和感。だが、それが一体何かは、感じ取った当の美琴でさえも分からない。
「───疑問。何があったのですか?」
「………。いや、気のせいかの」
そう、言うしかない。
だが、美琴が感じた違和感は、彼女自身が信じるに値する感覚によるものだ。おいそれと、勘違いだったと、そう結論付けられない。
とはいえ、その違和感を調査するだけの技能を、美琴は所有していないだ。
しかも、ここ最近の情勢が悪いだけに、下手な手は打ちたくもない。
───見逃す他、ないか。
♢♦♢♦♢
………波が不規則に揺れる。
けれど、地面はコンクリート造りで。まるで、実感のある道のりを歩いているような気分になるのだった。
潮の香りが、すっと鼻の奥へと通り抜けていく。
魚でも持っているのかと、この辺りを根城にしている猫共がすり寄ってくる。
「………いやないから。魚なんて、今持っていないから」
そう伊織が言うと、しげしげと猫たちはこの場を去って行った。他の釣り人にでも、釣った魚をねだりに行くのだろうか。
それはそれで、ご愁傷様で。
猫よりも高い位置から俯瞰している伊織の瞳には、この海岸に誰の姿もない。
もしかしたら、他の目的でもあるのだろうか。
「───ま、私には関係ない、か」
そして、伊織は再び歩き出した。
そう、伊織が今現在立っている地は、何も彼女がいつも過ごす梓ヶ丘ではない。確かに、梓ヶ丘にもコンクリート造りの海岸なんてそう珍しくもないが、そことは全然潮の香りが違う。向こうがべたっとした感覚ならば、きっと此処はさらっとした感覚。
───そして私は、きっと洗っても洗っても流れ落ちぬ、べたっとした感触なのだろう。
樹海にて伊織は、一人旅中。
一応伊織は、梓ヶ丘で魔法少女をやっていて、高校にだって通っていたりもする。別に彼女は、勉強に特別優れている訳でもなく、特段優れた技能がある訳でもない。
───ただ、環境が人より恵まれていた。
それだけの話なのだ。
「───さて、富士の樹海。思ったよりも普通だな」
そう伊織は、休日の休みを利用して富士の樹海へと足を運んでいた。
勿論、理由があって伊織はこの場へとやってきた。
梓ヶ丘から直通の飛行機の便なんてなくて、船と飛行機と電車を使って此処まで来た。それで収穫ゼロで旅行にでもなっていたとしたら、損をした気分にでもなっていたのだろう。
歩き続けた。
伊織の訪れた富士の樹海は、自殺スポットや遭難区域として有名だった。今はどうか知らないけど。
だがそれは、富士の樹海の本質ではない。
もっとも、これは人からの受け売り的な話なのだが───。
♢♦♢♦♢
『───なぁ、ノーラ。何か防御に適している魔道具はないのか?』
『ぬ───?』
あの模擬戦を終えた伊織が訪れたのは、馴染みの店な『魔野屋』。
階段を下りた先、いつもの玄関を通り抜けた先。そこにいたのは、椅子にて流れゆく時間を潰しているシェノーラ・ノーレッジが、如何やら此方に気付いたようだ。
そして、伊織が何か真剣そうに質問をする様子に、シェノーラは少し驚いた表情をしていた。
───だが、それも束の間の事で、にやりと表情を歪めるのだった。
『すまぬが。確かに在庫はないがの』
『在庫はない、か。確か前に言ってたよな。此処にある魔道具の類は、昔仕入れた物もあれば、お前が作った物もある、と』
『まぁ、そうぞよな。だが、お主の遠距離攻撃の対応力は、聞いた限りだとそれなりに高い。詰まる話が、お主自身以上の対応を魔道具に肩代わりさせるつもりかの』
『………。話が早くて助かるな』
確かに伊織には、遠距離攻撃手段が碌になくとも、相手からの攻撃を対応する能力だけはそれなりに揃えてある。
射線を切るようにして動く体捌きと規格外な身体能力。また、《暖簾》による攻撃の無効化。
話を聞く限りでは、伊織には十分なほどに遠距離攻撃に対しての対応が、彼女自身に存在している。
しかし、伊織が言うには、“それでは足りない”、と。
前に模擬戦にて、魔法少女ミコトから受けた50にも至る刀の掃射を食らってまで無力化した、そんな伊織が言うのだ。
シェノーラの伊織の力量が分かっているだけに、この『魔野屋』の在庫には彼女のお眼鏡にかなうほどに高性能な魔道具は置いてはいないと、そう答えるのだった。
だが、───。
『………。これはもしもの話だが、材料さえあればその私が言う魔道具は作れるか?』
含みを利かせたシェノーラの言葉に、伊織が反応できない訳ではない。
だが、そう聞いた伊織にも少しだけ不安要素は存在している。
何せ、ここまで態々隠し通した上で含みのある言葉。何かしらの裏があると、思った方が良いのだろう。
『まぁ作れるがの………。生憎と、素材の在庫が足りなくてのぅ』
『素材、か』
勿論、魔術師たるシェノーラ・ノーレッジが言う素材とは、市販で手に入るような高価であろうとも普通な素材ではない。
それを説明するには、少しだけ魔術師に対しての話───寄り道をする事となる。
魔術師とは、魔術を用いて“深淵”を探求する、一種の学徒である。
確かに中には、魔術を学問としてではなく手段として見ている者もいるが、今回は省かせてもらおう。
そして、彼等魔術師は様々な魔術を探求していて、四大元素魔術に魔女術、死霊術に錬金術、他にも伝承魔術と多岐に渡る。シェノーラ自身も、錬金術を専攻しているらしい。
───全ては、“世界の深淵を覗くために”。
これがおおよその、魔術師についての概要である。
その中でも、錬金術はかなり俗界にはみ出た───いや、はみ出してしまった魔術である。
皆は、『』という錬金術というものを知っているだろうか。かの有名な、鉛を金に変える魔術であり、それが時の権力者に見つかって俗界に知れ渡る羽目となった出来事である。
だがそれは、錬金術の本質ではない。
ちなみに、シェノーラ・ノーレッジは、何でも“”という魔術協会出身らしい。
だが、シェノーラ自身、全ての魔術師たちが追い求める“深淵”には興味がないらしい。何でも、もう手遅れだそうで。
そして、そんな魔術師街道を外れたシェノーラは、特に錬金術による魔道具の作成を得意としている。それも、現代に存在する物品を使用した近代錬金術の類ではなく、神秘宿る古の素材を活用した中世以前の本当に錬金術である。
『───それで。もう嫌な予感しかしないが、どんな神秘的な素材が必要だ?』
『此方としても、助かるがの』
息を呑む。
対価は、一体何なのか。
『まず、その素材の名前を言う前に、行ってもらう場所を先に言っておくかの』
『………。採取クエストか、一昔前のRPGの武具屋か?』
『そう思って間違いはないぞよな。───それで、お主に行ってもらう場所というのがの、かの有名な富士の樹海じゃ』
思ったよりも、普通だった。
身構えていた伊織としては、てっきり未開の地を探検する羽目になると思っていた。それか、海の底か。
だが、その伊織の嫌な予感というのは正しかったのだろう。
『富士の樹海か。思ったよりも、普通、だな』
『ははっ。お主は富士の樹海をどれくらい知っているかの』
『そりゃ、有名な自殺スポットとか、あとは方位磁石が効かなくなるとか』
十分じゃと、シェノーラは頷く。
だが、今だ伊織の嫌な予感は晴れない。
そして、───。
『それらの噂はの、表向きの話しぞよな。実際は、神秘的な問題が起きたが故に、そう処理をするしかなかった、というところじゃの』
『………。それが、今回の採取クエストと関係しているのか?』
『解答不足により、50点ぞ。もう少し話とすれば、富士の樹海は半ば異界と化していて、そこに生息していた奴等に殺されたり行方不明となったりの』
異界。
それは、現世でも幽世でもなく、何処かある種の世界として定着した場所だ。昔話やファンタジー小説に現れる『妖怪の里』も、その異界の一種である。
伊織の家系としては当たり前の基礎知識であるが、シェノーラの言っている事に一つ可笑しなところが存在している。
異界を形成するためには、その世界を存続させるだけの核と、現世と異界を区切るだけの壁がが必要になる。少なくとも、富士の樹海にある異界に掛かる魔力量は、1000年クラスの幻想種か、それに応じた呪物を必要とする。
───嗚呼、そう言う事、か。
『なるほど。その1000年クラスの呪物をかっぱらってくればいいのか?』
『正解ぞ。まぁ、これで富士の樹海にある異界は消えるがの、そもそも最近不安定になってきて消えそうになっているぞがな』
『………。この際、その異界が消え去る未来は置いておいて。それで、一体私は何を持ってくればいいんだ?』
ようやくその話ができると、シェノーラはこれ見よがしにほくそえんだ。
それに対して伊織は、嫌な予感という曖昧なものがより現実感を増す。直感ではなく、事実めいた予知。
『───そうぞよな。龍の鱗を何枚かかっぱらってくれば良いぞよな』
♢♦♢♦♢
「………。本当にあるのか、1000年以上の龍鱗なんて」
東洋の龍は、西洋の竜とは同じ読み方であれ、その実かなり違う幻想種なのである。
まず、西洋の竜とは、邪悪な蛇としての一面が強い。宗教上、昔から蛇が邪悪な存在として扱われたためであり、人間の敵対者としての一面もまたあるためだ。
そして、東洋の龍は、超常的な神の一種としての一面が強い。東洋は西洋よりもそういった幻想種に対しての認識が、畏怖よりも敬意が強かったためだ。
詰まる話が、今回伊織が採取しに行く物というのが、───“人類初期である数千年クラスの神の一部を取ってこい”という話である。
「おかげで、もう夜になっちまっているし。あぁ、まだ夏にすらなっていないとはいえ、思ったよりも寒いな」
伊織自身の身の危険とは裏腹に、こうして人が関係していない異界内故に火の類が使えるのは幸いだ。もしも、普段の富士の樹海にて普通の焚火なんてしようものなら、何時火事になってもおかしくはない。
───ぱちぱちぱち。
劇的な酸化現象、それによる乾いた木がはでる音が静かな森の中を通り過ぎていく。
今夜の伊織の食事は、保存食を適当に齧る程度ばかり。流石に彼女としても、異界産な食材を食べる気には今はなれない。もしなれたとしてもそれは、保存食などの食料品がなくなった危機的状況にて、だけだ。
「………。硬っ!?」
ぶちぶちと切れる筋繊維の音が、伊織の耳に届く。
味は可寄りな不可もなく。肉の純粋な味がしているが、どうも香辛料が効きすぎている気がする。思ったよりも伊織の味覚は、妹のフレイメリアの作ってくれる料理寄りになっているのかもしれない。
あとは、簡単調理な主食たるお米。
まぁ、普通。これ以上、語る必要もないほどに、普通のお米だった。精々、保存用に加工されているためか、少し不味いところはご愛敬と言う事で。
夜が更けてきた。
梓ヶ丘は、普段から電燈に照らされていて、星なんて見えやしない。精々が、一等星が視えたらいいなという希望的観測な話だ。
だが、異界に入り込んだとはとはいえ富士の樹海から見る夜空は、満天の星空だった。何せ、明かりの類が少し前に伊織が焚いた焚火ぐらいしかなく、星辰の導きだろうか星々の関係性は普段と変わりない。
「思ったよりも久しぶりに見るだろうな、星空。こんなに綺麗だったら、メリアと一緒に見たかったな」
その時は、ロマンチックにしっとりとした時間を用意したというのに。けれど、伊織にそれができる自信なんてなく。
───嗚呼、ままならないものだ。
と、断寒用の布を頭から被っている、何とも締まらない姿な伊織の姿がそこにはあった。
けど実際、今だ五月辺りだとはいえ、夜はそれなりに冷えるものだ。
海上都市な梓ヶ丘だとはいえ、海風の類はそれなりに遮ってくれる。それに加えて、そもそもの気候やアスファルトの地面故に、そう寒くなったりはしないものだ。
その一方で富士の樹海は、確かに風通しはあまりないのだけど、こう隙間風の類が吹いてくる。それに加えて、案外土な地面というものは、こう冷たさが直に伝わってくるというものだ。
「………あ。温かい」
こんな風に感傷に浸っていると、ふと前世の事を思い出してしまう。
柳田伊織の前世は、それなりには裕福であったのだろ思う。
何をするにも障害なんてなくて、悪く言えばそれは平凡な日々であったと記憶している。叶えたい願いもなくて、目指す将来もなくて。
ごく平凡な人生、───だった。
けれど、あの日を境に桜吹雪な日常へと早変わりをした。
一日一日を全力に生きて、後悔なんて思い出させないほどに前のめりに時を過ごした。けれど、こうして今になって思い出してみると、写真帳のようにあの時の事を思い出せる。
初めて手を繋いだ感覚は、今もこの手に───。
触れたら溶けてしまいそうで、白絹のような感触。そして、見失ってしまいそうな花々の向こうに、君がいた。
過ぎ去っていく日々。
それは何時しか古典となり。
───飽泡の夢、となった。
「───ん。朝、か………。」
いつの間にか伊織は寝ていて、そして朝になっていたらしい。
けれど、たとえ睡眠状態に入っていても危機が迫れば自動的に目が覚めるようにはしているので、目が一度も覚めなかったという事は何も起きなかったという事だろう。
「………。さて、朝飯をしてさっさと龍鱗を探すか」
あと、およそ数時間。
それまでに、神話で絵描かれるような物品を探すなんて、まったく無茶苦茶な話だ。
どうせなら、月曜日の学校を休むべきだったのだろうか。
そんないやな黒い思いは、その辺にでも捨てておいて。
適当に夕食の残りを朝食に、伊織は気分転換を兼ねて森林浴へと歩き始めた。
───なぁんて。
「───ま。そんな事を出来る余裕なんて、用事を片付けてからじゃないとないけどな」
そう言って伊織がたどり着いた場所は、ごく普通な洞窟であった。
灰色な石壁にできた、くっきりとした空洞。中は光届かぬ暗闇で、夜目が効かねばきっと足を取られる事だろう。
そう、特徴らしい特徴を挙げてみたけれど、どう考えても普通の数ある洞窟の一つであった。
だが、───。
「違うんだよな、これが。私も最初此処を通り過ぎたけど………。でもこれ、どう考えても結界だよな」
つんつんつんと、伊織は虚空を人差し指で突くのだった。
結界と思い浮かべるのが、透明な壁の一種であればそれは間違いだ。
そもそも結界とは、実体を持っていない。伊織が突いているのだって、そこに何か実体のある物がある訳ではないのだ。
結界は、“境界線”のようなもの。
それも、運動場などに引かれている白線のようにそこにあるものではなく、意識によって一線が引かれているのだ。
故に、こう結界が敷かれている場所を無意識に避けてしまう。気を付けていても無意識下の事なので、それに応じた対策をしない限り結界に遮られてしまう。
だが、今までの話を見る限り結界の高性能さが伝わっていると思うが、実際のところそう簡単な話ではない。
そもそも、───“結界とは無意識的な境界”だ。けれどそこには、結界を構成をするための魔力が含まれている。それも、高性能な結界を目指せば目指すほど、その使用する魔力量も上昇してくるのだ。
故に、例えば伊織のような家系や魔術師、もしかしたら魔法少女といった彼女達も感知能力が高ければ気付くかもしれない。
しかし、この結界は境界としての一線が引かれているにも関わらず、とても自然的だ。感知能力が高い伊織でさえ、一度目は見逃してしまうほどの周りへの溶け込みよう。
手段と目的の関係が崩壊している結界において、これは本当の意味での結界なのだろう。
「───という事は、この先に私の目的な物があるかな?」
そう言って伊織は、件の洞窟の中へと入って行った。
けれどそこは、一寸先は暗闇な世界。たとえ伊織であろうとも、夜目が効かない内は瞳を慣らすために少し進んだ先で立ち止まるつもりだった。
だが、───その洞窟の中は伊織の想像とは、まったく違っていた。
「………。明るい?」
そう、明るいのだ。
伊織が洞窟の内部を少し進んだ先、もう少し進めると判断をした彼女が更に内部を進んでいくと、途端に明るい景色に様変わりした。
それに驚くのと同時に不信がって伊織が背後へと振り向くと、先ほどまでは後光が差すように洞窟の入り口が見えていたのだが、明るくなった今となってはこの洞窟に入る前の内部の様子ととても似ていた。
「いやまさか、結界が二重構造になっているなんて、想像できるかよ………」
あまりの手の込みように、伊織はへきへきとする。
もしかしたら、この先もこのような結界の類や他の神秘的な術が掛けられているとしたら、果たしてたどり着けるのだろうか。いやそもそも、伊織は元の外へと戻って来られるのだろうか。
「………。いや、何とかなる筈、多分。」
───その瞬間、差し込む極光。
嗚呼、如何やら此処がゴールらしい。
なんて、軽思いは何処かへすっ飛んで行ってしまう。
「───っ、ぁっ」
───重圧。
内臓を、骨を、筋肉を。
空気を、空間を。
それごと押し潰さんと云わんばかりの重圧。それは比喩などの類ではなく、実際としてそこにあって、空間自体がきしきしと軋み続けている。
それをもろに受けた伊織は、片足を付いてしまう。
油断をしていた訳ではない。事実として伊織は、気を張り詰めていたにも関わらず、彼女自身の容量を超える重圧を受けた。
そんな重圧、初めてクソジジィと手合わせをした時の事を思い出す。
『───ほぉっ。迷い人か盗掘人かと思っていたが、思ったよりも芯のしっかりとしている娘だったか』
「………。何が迷った芯のしっかりしている娘だ。どう考えても、こんな重圧の中じゃ失神するか、文字通り潰れるだろうが」
『おっと。久しい客故、つい少し覇気が漏れてしまったか』
何がつい、だと伊織は悪態を付きながら向かい合う。
───そこにいたのは、伝承などに綴られる古龍。
光沢を放つ黒鱗に、全長で一山を巻き取る事ができるほどの大きさ、それと対応して眩いほどに光輝く雪化粧が如くの白髭。
そして、一番は覇気を収めたというのに今だ伊織の神経がちりちり立つほどの、圧倒的な重厚な威圧感が降り注ぐ。
嗚呼、伊織が古龍だとそう判断したのだって、ここまでの年月を積み重ねた神聖故だ。
『それで娘よ。お主は一体此処まで何をしに来たか』
「───ッ。ああ! 私には叶えたい願いがあって、それを叶えるために此処まで来た!」
『娘よ。叶えて貰うという考えを起こさぬのか? 人は古来より、神頼みをしてきたのだろう。それが神と親密な関係にあった、日本人なら尚更に』
「確かに、神に頼むというのは、一つの手だろう。」
───だが、
「私は! もう二度と神に願わないと、自分の足で歩くと決めたんだ!」
『………。しかし、頼みはする、と』
「いいや、頼みなんてしないとも。正々堂々と、正面から奪い取ってやるとも」
強気な言葉で伊織は、自身を振るい立たせる。
そうしなければ、再度発生した重圧によって、心が折れてしまいそうだ。あの日の決意をなかった事にしてしまいそうだ。
だが、伊織はそれでも、たとえ体の芯から震えてしまいそうになりながらも、───ただ前に立つ。
不器用なまでの愚直さ。
けれどその覚悟が、───柳田伊織なのだ。
『はっはっはっ。』
伊織が覚悟を決めたのだというのに、不意に聞こえてくる心の底からの笑い声。まるで、今までの常識が破られて新しい価値観を見せつけられたような、いっそ清々しいまでのカラッとした声であった。
そして、この場には伊織の他にはもう一体しかいなく、その声の持ち主が誰かなんて歴然であろう。
『いや失礼。神の一柱とも謳われた古龍に向かって、堂々と神頼みをしないなんて言う只人───いや違うか。人の子が宣言するなんて思わなかった。───嗚呼、懐かしい匂いのするアイツが聞いたら、お主の事を気に入るかもしれぬな』
「あぁ、そうかい。それで、一体どうする気だ?」
『何。娘よ、お主が此処に来た目的はある程度知っていて。そして、お望みの品はそこにあるから、勝手に持って行くがよい』
そう言って、伊織と古龍が向けた視線の先には、当の古龍からしてみれば砂の山程度の自身の黒鱗の山。
けれどそれは、山を起点に髑髏を巻くほどの大きさの古龍の基準であって。人の子な伊織からすれば、身長を越えるほどの大きな山だ。
それに対して伊織は、些細ながらも驚くがそれも束の間。
すぐさま平常心を取り戻すと、シェノーラから預かったバックの口を開いて古龍の黒鱗を無理矢理にでも押し込んでいく。
というよりか、案外すぽっと入るものなんだなと、伊織は密かに関心していたりもした。
『───なるほど。あり得ざる数値の空間を形成するのと同時に、空間の歪みを意図的に造り出して、それで入り口以上の物を入れるようにしてあるのか。奇抜な発想はともかくとして、中々の腕前だな』
「………。そうか?」
『あぁ、そうだとも。これならば、儂が与えた鱗を埃まみれな倉庫にでも押し込んでおくという不敬な事はしなさそうだ』
一応、製作者のところには、“シェノーラ・ノーレッジ”。
なるほど。数千年クラスの古龍自身のお墨付きとあれば、成功できるかについてはあまり心配する必要はないか。
そして伊織は、黒鱗を全て仕舞い終えると、その当の古龍に対して謝礼。
明日は学校という事でそのまま立ち去ろうとしていたところ、そんな伊織を呼び止める声が聞こえた。
『───なぁ、娘よ。お主がそこまでしても叶えたい願い、聞いてみたいのだがどうだ?』
数千年生きた古龍が言う、単純なまでの質問。
それに対して高々前世を合わせても数十年の人生を歩んだ伊織は、至極当然にこう答えた。
「───何を言うか。神に興味を持ってもらえるほど人間味に溢れたものでもないし、それに私が歩く道を前もって教える阿保が何処にいるって話だ」
♢♦♢♦♢
目を覚ました。
頭が重い。
隈ができている事を確信する。
「………。」
無理矢理にでも平常に戻すために鈴野蓮花は、冷たい水で顔を洗う。
………とても、酷い顔だ。
密かに自慢に思っていた栗毛な髪は、燻ぶったようにぐしゃぐしゃ。
目の周りの隈なんて、これでもかと云わんばかりに黒く染まっている。
そして、それなりに手入れをしていた肌なんて、荒野の如く荒れ放題だ。
「───っ!」
───本当に、鈴野蓮花の顔は酷かった。
当の本人な彼女でさえも、気持ち悪くて吐きそうになる。
どうにか視線を逸らしても同じ事だ。蓮花には彼女自身の顔が脳裏に焼き付いていて、鈴野蓮花という彼女自身を思い出してしまう。
そして、その黒い感情ごと洗い流そうと、蓮花は冷蔵庫に仕舞ってあったミネラルウォーターを口に含み、飲み続けた。
………苦い。
「………。」
後悔が募るばかりだ。
あの瞬間、蓮花に何かができた訳ではない。
けれど、もしもあの瞬間に蓮花が戻ったら、きっと悲惨な未来を変えるために一歩を………踏み出せたのだろうか。
………嫌だった。
嫌だった。嫌だった。
嫌だった。嫌だった。嫌だった。
嫌だった。嫌だった。嫌だった。嫌だった。嫌だった。嫌だった。嫌だった。嫌だった。嫌だった。嫌だった。嫌だった。嫌だった。嫌だった。嫌だった。嫌だった。嫌だった。嫌だった。嫌だった。嫌だった。嫌だった。嫌だった。嫌だった。嫌だった。嫌だった。嫌だった。
蓮花は蓮花自身が嫌だった。
人を守りたいだなんて、絵空事を描く蓮花自身が嫌いだった。
人を守りたいだなんて、無力でありながら頑張る蓮花自身が嫌いだった。
人を守りたいだなんて、短期的な努力で一定の満足をしている蓮花自身が嫌いだった。
人を守りたいだなんて、守るべき人を決めずに全てを守ろうとした傲慢な蓮花自身が嫌いだった。
───何も出来ないのに、皆の役に立てると思った己の肥大に吐き気がする。
何も出来ない。
何も出来ないのだ、蓮花は。
それを彼女自身一番よく分かっていて、理解はしていなかった。
蓮花は、自分自身が何か出来ると期待していた。誰かを助けて誰かに尊敬される、何者かになれると思ってしまっていた。
だが蓮花自身、何者でもない。
たとえ、特別な生まれであっても、それは一つの要素でしかない。最初から特別な人間なんて、いないのだから。
そう、過ごしてきた人生が、その人を何者かにする。
「───けど、それが………何ですかっ!」
蓮花の人生、高々十五年程度の薄っぺらいもので、何者かなんて時期尚早な話だ。
だけれども、この機会、この時に証明できなければ意味はない。
努力が報われなくても、それまでの時間には意味があるとは言うのだけれど。今となっては、それを否定したい気持ちだ。
───努力は、叶えられなければ意味はない。
何時だって、準備が足りなかった。
努力してきたとしても、それが報われるとは限らない。
力が、足りるなんて己惚れたつもりなんて、一度もなかった。
───でも、何でこんな時に限って、………報われないんだろうなぁ。