第二話「決裂はもう既に」
───血飛沫が上がる。
それは人のものではなく、“ケモノ”と呼ばれる人類に対して敵対行動を取る生命体。その切り裂かれた体から溢れ出したものだ。しかも、その断面には一切の乱れがなく、おそらくは斬られたと感じる間もないままに絶命したことだろう。
「ほんと、ちゃんとした武器があるとこうも楽とは。最初の戦闘の時とは雲泥の差だな」
そう、まるで何気ない独り言でも呟きつつ、伊織は手にした鋼の刀を振るう。そして、斑点模様の紅き半月が、地面の上に浮かび上がった。
本当に、馬鹿馬鹿しく思える。
生半可の威力の技では、魔法使いという特攻対象となっても、何度か木刀で打ち付けないと倒せなかったものだ。それは、刀を振るったつもりだったが、どう考えても刺し傷か打撲による死因だったのだろう。
しかし、伊織の自宅に保管してあった切れ味鋭い今の“日本刀”ならば、折らないように丁寧に受け流すで精一杯だったケモノによる一撃も、返す刀で切り飛ばせるようになったのだ。
「───、ふぅ」
それに、日本刀を手にしたことによって、体を引き締めることができたのも大きい。
遥か昔。武芸極めた侍たちは刀の柄を握ることで、そのスイッチが切り替わるのだ。日常を過ごすための機能から、相手を殺し生き残るための機能へと。
そしてそれは、基本の心構えからの延長線上。
それは覚醒。───極限にまで鍛え上げられた戦闘意思の制御法。
「子ヲ素! 子ヲ素!」
「やりにくいなぁ。見た感じ、あの分厚いのもあるけど、甲殻の材質が分からないからな。ぶった切るのに苦労しそうだな」
最後の一体、巨大な甲殻に覆われたケモノの姿を伊織は見つめる。
まず、その巨体故に先ほどまでのケモノと同じように、一体一撃で決めるのは不可能に近い。もしも、斬撃を伸ばすような《マホウ》があれば話は別だが、生憎と伊織が獲得したものはそれとは別種のものだ。
そして、その強靭な甲殻による装甲は、下手な《マホウ》ですら無傷でやり過ごすことができるだろう。
だが、伊織とこの甲殻に覆われたケモノとの相性は、悪いどころか逆に良い方だ。
「ま。態々甲殻を上を叩っ切る必要はない───」
そう伊織が言う前に、彼女は甲殻に覆われたケモノとの間合いを潰しに掛かる。その速度は、先ほどの取り巻き達を切り伏せたものよりもずっと速い。
しかし、それは所詮人間の速度でしかない。甲殻に覆われたケモノが竜哮を放つくらいの時間はある筈。
「はっ!! もう、遅い!」
「唖ッ、啞啞啞啞ァァァァ!」
だが、それは伊織が与えた嘘の情報。
伊織は甲殻に覆われたケモノが何か行動を起こすよりも先にその懐へと飛び込むと、彼女が振るうは二の太刀!
《柳田我流剣術、嵐》
その伊織が振るった二の太刀が刻まれたのは、甲殻に覆われたケモノのその巨体を支えるがための重厚な足。勿論、普通に刀で切りつけただけでは無理だろうが、彼女の一撃は丁度甲殻のない部分を狙った二撃。これによって、甲殻に覆われたケモノは、地へと伏せることとなった。
「はっ! これで、終わりだ!!」
ずしぃんと地に伏せる甲殻に覆われたケモノから抜け出した伊織は、まるで走り幅跳びでもするかのように着地をすると、軸足で反転。そのままの勢いのまま、彼女は手にした刀を再度構え直すと、再びケモノとの間合いを潰しに掛かる。
「尾ワ利ダ!」
この距離では、碌に竜哮は使えない。そう思った甲殻に覆われたケモノは、竜哮ではなくその自信の巨体を支えるその足で潰そうとする。確かにこれだけの質量、人間の技と力、どれを取っても覆すことは不可能で、それをどうにかするには回避しか取れる選択肢はない。
だが、それを回避した先に何がある。伊織に向けられるのが、ケモノの巨体によるものから、炎の波となって襲う竜哮に変わるだけだ。自体は好転するどころか、逆に悪化する始末。
しかし、───
《柳田我流剣術、砂嵐》
───白銀の刀身が、幾つも宙を舞い踊る。
そう思った時には、既に伊織の姿は彼女自身が生み出した砂煙の中に溶け込んでいた。
そして、踏み下ろしたケモノの足も急には止まれない。そのまま、砂煙ごと伊織を潰そうと、その足を叩き落とすのだった。
───しかし、それが悪手なのだと、ケモノはそう断じる。
何故なら、ケモノ自身が振り下ろした足の上を、伊織はなんてことなさげに駆け上がっているのではないか。
「やはり、ケモノは獣だな。一瞬一瞬に迫る対応、そしてその、人には到達できない身体能力があれば、私なんて簡単に殺せるだろうな」
だがしかし、それならば何故、ケモノの前に彼女はいるのだ?
「だけど、数秒後の未来は予測していなかっただろう」
そう、ここまでの伊織の動きは、甲殻に覆われていて碌に刃が断たないケモノの装甲において、唯一一撃にて倒せる首元へたどり着くためだ。
「───まじかよ………」
先ほど、伊織が二閃叩きこむ前に竜哮のチャージをしていたのではないか。それを密かに溜めつつも、ケモノ自身の足ごと彼女に向かって炎の波は放たれた。
一瞬にして消える伊織の姿。砂煙の時とは違うのは、それが彼女自身が放ったものではない上に、それは人を簡単に殺せる破滅への片道切符であった。
「尾尾尾尾ォォォォ!」
叫ぶ、勝利の唸り声。
あの瞬間、確かに伊織はこれから起きることを予期してはいた。しかし、それは身体能力が付いてきて初めて意味をする。
伊織の身体能力は、他の成熟した魔法少女と比べてもなお凄まじい。だが、不安定な足場の上では、碌に踏ん張れずに持ち前の身体能力を活かせない。
そう思っていた───。
「………。やはり、そう来るよな。だが、その未来は既に予測済みだ!」
そう言って、伊織の姿は予知でもしていなければ不可能な位置、甲殻に覆われたケモノの竜哮が当たらない空中へと飛び去って行った。
伊織の瞳が映し出した映像は、彼女自身が捨て身の竜哮を食らって塵となるもの。少なくとも、彼女が見た未来は自身が死ぬ未来だった。
しかし、そんな結末は伊織が見た事で結果が変わった。
───そう、伊織の右目は未来を映し出していた。
ありていに言えば、五感その他の情報にて未来を映し出す。そんな、とんでもない能力だと思われがちだろうが、実際のところは違う。
伊織に見えても精々が五秒にすら碌に満たない不確定な未来のもので、現実との齟齬により碌に動けなくなるだろう。視界面も、思考面も。しかも、使い過ぎれば、その後の未来はきっと───。
だが、今はそんなたらればの未来を見ている訳にはいかない。今、伊織が見るべきは、目の前に迫る好機。それを逃す訳には。
いや、不可能だ。あの細い刀で甲殻に覆われたケモノの首を落とすなんて。最悪の場合、逆に伊織の刀が折られかねない。
実際、それを甲殻に覆われたケモノ自身も知っているかのように、脅威だとは思っていないようで。
「啞啞啞啞ァァァァ!」
しかし、ふと疑問に思う。
先ほどまでの伊織の行動は、甲殻に覆われたケモノの予想を遥かに超えたもので。そんな彼女が、果たして意味のない行動を起こすのだろうか。
だが、今見える伊織の行動がブラフの可能性、なし。
───不味い!
そう甲殻に覆われたケモノが行動を起こそうとするよりも先に、伊織の体はケモノの首元へと着地した。
振り上げるのは、一刀。
だがしかし、たとえ伊織ほどの腕を持ったとしても、甲殻を裂断する事は硬度故に不可能に近く、同時に首を切断するには刃渡りが確実に足りない。
ならば、───。
「───重ねて見せよう!」
《柳田我流剣術、二重》
───斬、斬!
その時、伊織の腕の凄さを見た。
甲殻同士の隙間に刃を差し込むことくらい、難易度は高いかもしれないが不可能ではない。しかし、更に骨の間に刃を滑り込ませそれを寸分の狂いなく振るうなんて。
少なくとも、誇るに相応しい腕前。
「唖ッ───」
そして、ずしぃんと鈍い轟音を立てて、甲殻に覆われたケモノは地へと伏せるのだった。
辺りに広がる、ケモノが流した血の海。
そんな血河の道を、只一人孤高に立つ者───伊織が刃を鞘に納めて歩むのだ。
「………、今からでもなんとか始まるまでには間に合うか」
そんな彼女からすればどうでもいい事を呟きつつ、伊織はこの場を去っていくのだった。
そう、彼女を置いて。
♢♦♢♦♢
政府に存在する、魔法少女を管理する通称“乙女課”は、今騒ぎに見舞われていた。
まず起きたのは、現界したケモノの対応だ。
別に数は大したことはなかったのだが、問題はその脅威度。ケモノの脅威度は基本的に人類への脅威の度合いから、丙種から両種と決められていているが、今回の件で現れたケモノは一番高いもので“乙1種”。しかも、その他にも取り巻きがいることから、下手な戦力は寄越せなかったのだ。
そして、それを全て単騎にて倒してしまった魔法少女がいる。登録表には彼女のデータがない事から、恐らくは野良の魔法少女。今回の件について、礼を告げたいのと同時に、どうにか管理できないかという思惑が存在する。
「例の少女“羽織の彼女”については、皆何か意見があるか?」
割れている意見。それによってもたらされる存在を最小限に納めるべく、こうして会議を斬り広げているのだが、本当に意味があるのだろうか。
「では私から。“羽織の彼女”については、我々政府で管理するべきだと思います」
「ほぅ、それは何故か」
「まずは我々政府への利益のためです。あれほどの人材、野良にしておくより此方で管理した方が良いかと。それに、彼女をバックアップする組織などはなく、彼女の身の安全を確保するためにも行うべきです。これは、我々政府と“羽織の彼女”、両者共に利益のある話です」
第一派、政府の管理下で活躍させようとする動き。
これが影の隠れている並以下の野良の魔法少女ならば、こんな話はなかったのだろう。だが、これまでの戦歴を見る限り、野良としておくのは勿体ない。
“羽織の彼女”が願いを叶えるためにも、我々政府の旗印となって貰うためにも、彼女には政府の側に着いてもらうべきだとか。
「では次の俺の方から。“羽織の彼女”はまぁ、野良のままでいいんじゃないですかね」
「はぁっ!?」
「静粛に。それで、それは一体何故か」
「俺たち“乙女課”が保有している魔法少女たちは、あまり辺境の地とかセキュリティーが厳しい地とかにはあまりいないんですよね。そのためにたまには野良の魔法少女を利用したりしていますが、どうも腕は低いようで。ですから、腕のある野良の魔法少女とは貴重なもので、あまり手を出して欲しくないんですよね」
第二派。野良のまま活躍させる動き。
野良の魔法少女というものは、政府───いや“乙女課”の人たちからすれば、とても便利な駒だ。勝手にケモノを始末してくれる便利な存在。ただ、総じてその力量が低いのが玉に瑕だが、“羽織の彼女”の力量は、現存する魔法少女の中でも既に上位には食い込んでいることだろう。
「………話は変わるが、“羽織の彼女”の《マホウ》とは、一体なんだろうな。あの堅牢な甲殻に覆われたケモノを切り裂いた日本刀がそうなのかと思ったが、武器自体が《マホウ》なんて聞いたことがないからな」
「そうですね。“羽織の彼女”の最初の戦闘は、あの日本刀はまだ使っていなかったですし。本当に何なのでしょうね」
黒辺涼音は、梓ヶ丘にて活動をする魔法少女の一人だ。臨海都市梓ヶ丘という、ある意味陸の孤島に近い立地故、比較的魔法少女の数が少ない此処では古参なのは間違いない。
そんな梓ヶ丘では古参な涼音ではあるが、彼女の持つ《マホウ》はそれほど強力な物ではないのだ。強いて言えば、極々普通なもの───その亜種に近い。
そう、その戦闘スタイルは、伊織のものとそれに近いのだ。
「………」
そんな涼音の戦闘スタイルと今回のケモノとは、相性最悪。
確かに、的がすごく大きい上に動きが鈍いとても狩りやすいとも思える今回のケモノではあるのだが、あの甲殻を貫く技を涼音の手札の中には殆ど所有していない。
故に、涼音としてはその甲殻の僅かな隙間を狙う必要があるのだが、そう簡単に上手くいく道理ではなく、今回のように彼女は苦戦をしていた訳だ。
「───それにしても、あの時の人は一体………」
そんなところに突如として現れた、未登録な魔法少女。
今現在の季節とは似合わない鼠色の羽織を纏い、靴は頑丈さと動きやすさを両立してか慣らした漆黒のもの。そんな一般的な可愛らしい衣装とは違う、和洋折衷な《心象礼装》。
そんな、とても目立つ格好をしていれば涼音も覚えている筈で、彼女が覚えていないともなれば、恐らくは野良の魔法少女の一人だろう。
野良の魔法少女と言えば、あまり世間体がよろしくはない。
魔法少女で戦う訓練を受けておらず、魔法少女としてのルールの類を知らない。中には、魔法少女としての訓練を受けずとも一騎当千な魔法少女などもいるにはいるのだが、それはごく少数の話だ。その野良の魔法少女の殆どは、《マホウ》を扱える素人程度でしかない。
それならば、何故野良の魔法少女が生まれるのかというと、それは生み出す側と育てる側が分かれているという、管轄の問題だ。
しかし、これ以上の話は長くなるので、この辺りでまたいつかの話で。
「あの人の剣筋と似ているようだけど、しかし容姿が違うから………」
♢♦♢♦♢
魔法少女になってから、既に数か月が過ぎた。
相変わらず、伊織の学園生活は何事もなく過ぎ去っていく。別に蓮華が乙女ゲーのバットエンドに落ちようが、伊織には関係ない事。
しかし、一方で学園外の生活───魔法少女としての活動は、日々が目まぐるしく変わりゆいていく。最初は面倒くさく思っていたのだが、その戦歴を重ねていくごとに自身の腕が上がっていくのを感じる。
「───!」
「………」
「───!」
特にやるべく事なく伊織が中庭でだらけていると、何処からか争い合う声が聞こえる。とは言っても、別に殴り蹴りといった暴力的なものではなく、罵詈雑言といった口争いといったところでしかない。
本来ならば、不干渉を貫きたい伊織であったが、口争いを繰り広げるその声色に心当たりがある。
「………。早く徹と別れなさい!」
「えっ、でも………」
「貴女と彼とでは、立場が合いません、それに釣り合いもしません!!」
声を荒げていたのはカレンの方であり、一歩的に言われ続けているのが蓮華の方だ。
一見して、カレンが蓮華に対して難癖をつけているのだろう。実際、これが徹に知られたことで、カレンから彼は離れていくこととなる。
カレンの自業自得。そう判断をする事もできようが、何十回と会ったことのある伊織からすれば、少しだけ検討違いと判断できよう。
上の人の気質が高い。何度か会って、カレンに対して伊織が抱いたイメージだ。
例えばそうだ、“愛”とはどういう意味だろうか。それを道行く人々に聞いたとして、その大半が送り渡されの意味だと言うのだろう。
しかし、カレンの愛とは貰うものではなく、親しい人に与えるものだ。決して、その見返りを求めるものではない。
などと伊織がそんな事を思っていると、如何やら決着がついたようだ。もっとも、どちらかの勝利なぞではなく、徹が現れた事による引き分けらしいが。
「けどそれは、決して徹の好みの考え方ではないだろうに。ほんと、カレンは昔から融通が効かないな」
「あら、何か言ったかしら、伊織さん」
「………。別に、なんともないさ。ただもう少しだけハードルを下げてくれれば、徹の見る目だって変わるのに」
いつの間にかすぐそばまで現れたカレンに対して、伊織は改善策を告げる。
おそらくは、カレンが声を荒げている時にでも、徹が現れたとかそんな感じなのだろう。それで、徹が蓮華から激怒するカレンを遠ざけた、と。
でもまぁ。
「それは無理なご相談ですわね。私は私の信念に従って行動しているにすぎませんわ。もしも、それを手折る時があるとすれば、───それは私が私でなくなる時です」
「………、そうか。意地悪な事を言ったな」
「えぇ、構いませんわ。伊織のそれは、私を思っての言葉でしょう。ですから───」
───私を裏切らないでくださいね。
その言葉は脅迫に見えて、しかし実際は願うかのような声色。
カレンは、愛を与える存在なのは間違いないが、一方で裏切られることを極端に怖がっているのだ。
魑魅魍魎が蠢く社会の中で、信頼できる者は限りなく少ない。
だからこそ、徹に裏切られそうになっているカレンは、蓮華の邪魔をして何処か別のところへと行かせようとしている。決して、カレンが意地悪な存在ではないことを、長年の付き合いを持つ伊織は知っている。
そんな事を、この場から寂しげに去っていくカレンの姿を見て、伊織はそう思うのだった。
「よっ。こんなところで逢引きか。熱いな」
「い、伊織さん。そんな訳じゃないです。ただ、徹さんに助けられて………」
「そ、そうですよ。俺は偶然通り掛けて………」
偶然会ったかのようにからかう伊織。
その反応はというと、どう考えても蓮華と徹は互いに意識し合っている。今はまだ恋心には変化していない様子だが、それも時間の問題だろう。
という事は、カレンは徹に見限られたというべきか。
それは伊織も、とても残念に思う。
「ほんと、ままならないものだな………」
「何か言いましたか?」
「いや別に?」
───拾うもの、捨てるもの。それを行うのは、この両手なのだから。
「そうそう。逢引きをするなら、夢野宮辺りが適しているぞ。あの辺りは梓ヶ丘なのに、人通りが少ないからな」
「「本当に違うから!?」」