第十一話「才能がない者同士」
『貴女の体幹、力の抜き方、一つ一つの動作。───どれを取っても、戦いに向いていないですね』
それは、少し前の記憶。
その日は、丁度伊織が急遽いなくなって、蓮花は涼音にマンツーマン指導を受ける事となった。
もし、伊織の訓練を何十本との組手による“勘”の訓練なのだというのなら、涼音の訓練はちゃんとした理論に基づいたものだった。もっとも、どちらもかなりのスパルタなのは変わらないのだが。
そして、蓮花の間合いに踏み込んで投げた涼音は、そうどうしようものない物でも見るかのような視線と共に、蓮花をじっと見つめていた。
『向いていない、ですか………』
『そうです。私としては、さっさと諦める事をお勧めしますよ』
───諦める? これだけ頑張ったのに!
と、そう厳しい言葉を突きつけられた蓮花は、まるで仇敵でも見るかのような鋭い視線で、声の主たる涼音の姿を捉えた。
『でもっ! 私だって頑張って───』
『頑張った? 努力をした? それだけで勝てるほど、“天才”は甘くありません』
『───』
涼音の言葉は、淡々と事実を告げているようで、その奥には怒気のようなものが見え隠れをしていた。おそらくは、これが彼女の怒るポイントなのだろうと、冷静にさせられた頭で思考する蓮花であった。
『───少し、私の昔話をしましょう』
それは、自らの行いを告げる被告人のようであった。
しかしそれは、実際そうなのだろうと、涼音自身はそう思う。
───だって、私はあの日、武術から一度逃げたのだから。
『全国各地から集まった武芸者が己の腕を競い合う、“天下御前試合”というものが年に一度だけあります。そして、ある年の事、私と伊織は同じ舞台に立ちました』
あの日はそう、月が綺麗だったと朧げながら覚えている。
緊張と共に高揚感を覚え、涼音は新しく仕立てた上に慣らした和服を着て、御前試合の舞台へと足を踏み入れた。月光が差し込む舞台は、きっと綺麗だったのだろう。
そして、そこにいる人たちは、名だたる武芸家から山籠もりをした隠れた実力者など、様々な強者がいた。まだ初めて数年程度の涼音では決して勝てない、けれど登りがいのある山々だと彼女は思った。
───そう、あの人が現れるまでは。
『結果は、圧倒的に私の敗北です。しかも彼女、明らかに手を抜いていました』
『それは───』
『いいえ、それは決して悪い事ではありません。相手が明らかな格下の場合、下手に残る傷を残さないように手加減をしたりしますし。それだけ、私と伊織との差があったのでしょう』
そう、あの頃の伊織と涼音の力量の差は、天と地ほどの差があったと思う。
実際、剛弓から放たれた一撃はいとも簡単に払われるし、第一の矢に隠した第二の矢も同様に。その事実から涼音は柔術による近接戦を試みてみるが、あっけないほどに迎え撃たれた伊織に投げられた。
あの時の憎々しいほどに綺麗なたんこぶは、きっと涼音は忘れない。
『そして、その時になって私はようやく思い知りました。この世には、天才と呼ばれる者がいるのだと』
涼音の親であるのと同時に師範である人から褒められて鼻が伸びていた涼音に、伊織はその鼻を手に携えていた真剣で切り裂いたのだろう。勿論、それは比喩ではあるのだが、あの日そう思ってしまったのだ。
そして、そんな自信を切り落とされた涼音に対して伊織は、“天下御前試合”に参加した武芸者の中でも最上位に位置するであろう人たちと剣を交えていた。
確かに、まだ齢一桁な伊織に対して、手加減はしていたのだろう。けれど、手加減されている程度で、時代が違えば名を大いに轟かせる武人たちと戦えているという事実そのものがおかしいのだ。
『でも、諦めなければ勝てると───』
それはきっと、頑張っている涼音に対しての励ましの言葉。けれど、あの衝撃的な出会いの日蓮花がいなかったという事実は、励ましの言葉を文字通りの虚空な言葉へと変えた。
『確かに、諦めなければ夢は叶う、大儀を成せるという言葉はあります。けれど、それは所詮才能あっての話です。努力だけで叶えられるほど、この世は甘くないですし、人の時間も足りません』
涼音は、勝つために頑張った。
───それが何だというのか。
涼音は、強くなるために努力をした。
───それが何だというのか。
そう、“天才”とは何も、ただ才能がある人を指す言葉ではなかった。
涼音は、勝つために頑張った。
───それ以上に、伊織は才能を磨いた。
涼音は、強くなるために努力をした。
───それ以上に、伊織は才能を研ぎ澄ました。
“天才”。それは磨かなければ意味のない刀身のようなものであり、諦めるがための言い訳のようなものだったのだろう。
しかし、そんな涼音も確かに才能はあったのだろう、努力する才能が。そうでもなければ、秀でた特技もなければ努力をするという過程もない、ただの諦めるための言い訳を並べていく賢くも愚鈍な当たり障りのない人であったのだろう。
───そう。
───涼音はまだ。
「───諦めきれないな」
涼音はあの日、才能という強大な力の前に屈した。実際、それが一番生き物として賢い選択だったのだろう。
けれど、涼音は諦めが悪かった───というよりも、ただ彼女は絶望したのだ。
人はたとえ今まで積み重ねてきたものであっても、それでも決して届かない天賦の才能の持ち主に対して、悔し涙などはしたりしない。どれだけやっても勝てないと、努力をただただしているのが正しいのだと、そう自分に言い聞かせる。
だから、涼音は相手との実力差や伸びしろなどを理解した上でもまだ、絶望することができたのだ。
───まだ“勝つ事ができる”のだと、そう信じているから。
涼音の視界の先。そこにいるのは、今だ無傷なカレンの姿と、ぐったりと倒れ伏した蓮花たちの姿。
流石に、戦場の空気を知らずに戦って勝つのは、当然の如く不可能だったと言う訳だ。
そして、涼音が今現在いるのは、とあるビルの一室。窓ガラスを取っ払って直接此処から狙える、絶好の狙撃ポイント。
狙いは勿論、今大技でも放とうとしている彼女。距離にして数百メートルはある。弓矢の射程を遥かに超える距離。
涼音は矢をつがえ、弦を引き絞る。そうした瞬間、彼女は当たるのだと、そう確認する。
───ならば、問題はない。
「───我らが奉る神よ。この矢を届けたもう」
♢♦♢♦♢
「───ぐっ!?」
今、カレンの悲願が達成されようとした時、不意に感じた重い衝撃。おかげで、その狙いがそれて、蓮花たちに攻撃が当たる事はなかった。
一体何がとカレンが見回してみれば、目の前に落ちている美しいほどに鋭い、一本の矢。
そして、また再び風鳴りがしたかと思えば、幾つもの矢が飛んでくる、そんな光景。
「はぁっ!!」
カレンは、己が《マホウ》を行使する。すると、彼女の周りには、炎の波が荒れ狂いだす。
そして、カレンが行使した《マホウ》によって、彼女目掛けて飛んでくる幾つもの矢を文字通り焼き尽くしていく。それでも制御がまだ荒く残った矢じりは、それが生み出した気流であらぬ方向へと飛んで行ってしまう。
圧倒的な魔法少女としての才能。だからこそ、カレンは見染められたのかもしれない。
「………、そこですか………」
そして、一連の攻撃を捌ききったカレンが向ける視線の先には、ビルの一室にて弓を構える魔法少女の姿。
そんなカレンは、その魔法少女が一体誰なのか知らないでいるのだが。しかし、彼女自身を害するのだというのなら、そんな些細な事は関係がない。
そう考えたカレンの目の前に現れるのは、幾何学模様の魔法陣。
「───消えて………」
そして、放たれた熱戦。それは、他の飛び動議のように距離なんてものを気にせずに、いとも簡単に届いてしまう。
───ガラガラと、轟音を立てて崩れ落ちていく。
♢♦♢♦♢
───ガラガラと、轟音を立てて崩れ落ちていく。その崩壊の中を、涼音は避けつつも最速で駆け抜けていた。走れよ走れ、止まれば飲み込まれるぞ。
「───伊織。ちょっと、話していた事と違うんですけど。何ですか、アレ。魔法少女というよりも、巷で言う人間兵器という方が正しいんじゃないですかね」
悪態をつく。
聖シストミア学園での爆破音が轟いてから少しした後の事、突然涼音のスマホに電話がかかってきたのだ。それも、数日前に蓮花に対して話した因縁の相手こと、伊織からのものだったので、これで嫌な予感がしない人はきっと察しの悪い人なのだと、当事者たる涼音はそう思う。
「でも、頼まれたからには、ちゃんと仕事はしなくてはなりませんよね」
瓦礫がガラガラと崩れていく中で、涼音は矢をつがえる。
狙いは先ほどと同じ、彼女に向けたもの。けれど、先ほどとは違い、瓦礫が何時何処で崩れ落ちるのかは誰にも分からず、だからこそ狙いが定まらない。
しかし、涼音はこれまでの鍛錬を信じていて、故にできるのだとそう確信している。
《黒田流弓術、影撃》
♢♦♢♦♢
「───また、ですか」
そう呟くカレンの視線の先には、先ほどと同じ矢。けれど、先ほどと違う点は、幾つもあった筈の矢が今回は一本だけだったというものだ。
その事実に不信に思う当のカレン。しかし、その不安を振り切って、先ほどと同じように炎の波で迎撃をする。たとえ、何本打ち込んでこようとも変わりはない、そんな自信故に。
「ぐっ!?」
一体、何が起きたのだというのか。
カレンは、確かに飛来する矢を迎撃した。しかも、幸か不幸か、彼女の目の前には迎撃に行使した炎の波が存在している。
だからこそ、見えなかった、疑わなかった。
一撃目の影に二撃目を隠す、それは前にも涼音が行った手の一つ。だが、炎の波による妨害で碌に狙いが定まるどころか、届くかすら怪しい。
しかし、こんな絶技可能だろうか。
───、一撃目の矢にて崩した防御に、寸分の狂いなく二撃目を通すなんて。
そして、そんな絶技を何とか弾くカレン。腐っても、魔法少女という名の人間兵器と言ったところか。
「───はっ! その時を待っていた!」
《柳田我流剣術、影沼》
影に潜み、歩行で詰め寄り、そして一撃。
それは一見文字にしてみれば簡単に思えるのだが、実際やってみればそんな事はなくなる。少なくとも、別の流派では奥義に等しい技を、二つは連結させているのだから。
そして、そんな絶技を可能にする人物───魔法少女がいるのだとすれば、それは。
「………、伊織、さん」
「あぁ、私だ。何だ、その如何にも魔法少女といった格好は。もしかして、カレンも魔法少女にでもなったのか?」
「私は、私の願いを叶えるため───」
「あっ、これりゃ聞いてないな」
いや、そもそも可笑しな話だ。
伊織が魔法少女となった時には、意識が継続的に不鮮明になることなんてなかった。いや、もしもあったとして、何故魔法少女にしている存在は、何も介入してこない。
情報不足故少々強引だが、魔法少女にしているあの黒猫に何らかの利益があるか、それとも魔法少女というんものが単なるシステムという事か。
「まぁ、拘束して聞き出せえばいいか。というか、それしか方法がない」
「………」
人は誰しも、己の内に願いを抱えるものだ。でも、高貴低俗などの言葉を贈られ唾を吐きかけられ、みんなのために願う事は正しい事で、誰か一人のために願う事は悪い事だと言われる。
彼女の願いは、他人からすれば悪そのものなのだろう。
けれど、その願いが歪だったとしても、その思いは本物だ。
───故に、己が願いのために命を燃やせ。
「私の誠は、今も此処に!」
「業火の如く、何もかも………」
伊織は、最短で間合いを潰しに掛かる。
対してカレンは、伊織の速攻を迎撃しに掛かる。
───そこはまるで、炎と剣戟が交わる、炎舞の舞台!
伊織の目の前を走る炎の波は、まるで網のようだ。下手に受け流したり、ましてや受けようものなら、カレンが炎の波の中に隠した鋼糸によって絡め捕られるのだろう。
なるほど、実戦経験がないとはいえ、伊織が基礎を教えた蓮花が簡単に負ける訳だ。
だが、それは伊織も同様だ。
分かっていても、避けられなければ意味はない。
つまるところ、単純な物量を苦手としている伊織にとっては、開始早々この状況はかなり不味いと言っても良い。
───しかし、それをいともたやすく超えるのが、柳田伊織という彼女自身だ。
「───、そこ」
《柳田我流剣術、朧》
朧は、まるで揺蕩う夢のようだ。
そこにあるようで、ないようで。触れられるようで、触れられないようで。
そんな、揺蕩う夢を歩行術や剣術によって再現したのが、この《柳田我流剣術、朧》。そう触れられるものではないのだ。
だが、この程度の技で伊織が勝てるのなら、蓮花+αがいた段階で戦力差からいって負ける筈がない。いやもしかしたら、ぶっつけ本番の連携のありありと浮かぶ隙を狙われたのかもしれないが、伊織はカレンがまだ本気にすらなっていないように見える。
その証拠に、先ほどからの伊織の斬撃は、実に見事なものでカレンの操る鋼糸によって防がれている。しかも、炎の波による実害もあって、有効打も成しえない。
───、一時の硬直。
そう思った時点で終わりであった。
「───っ、これは………! やはり、魔法少女ではなく、私と同じ武芸者の一人として捉えるべきだったな」
───瓦礫が、雨のように降ってくる。
伊織が炎の波を抜けてひと段落付くのかと思いきや、彼女の目の前に広がるは、壮健過ぎるほどの瓦礫の山。そして、それらが宙に浮いているのだから、一瞬だけでも立ち止まってしまうというものだ。
カレンの《マホウ》は、恐らく燃焼───何かを燃やす類のものだ。
なればこそ、この瓦礫の山々を動かしたのは、カレン自身の技と言えよう。
《柳田流鉄糸術、廻天流麗》
同じ柳田流の使い手として、伊織も柳田流鉄糸術の技々は一通りは行使できる。勿論、それは実践で十分通用するぐらいには。
だが、十年近くは鉄糸術を習った伊織とて、その分野───柳田流鉄糸術においては、カレンの方が格上だ。少なくとも、今現在のような力点や作用点などをフルで利用した、人外じみた技は、伊織にとっては使えない技だと言えよう。
「───潰れて」
《柳田我流剣術、舞姫》
「───だが、柳田流の一応の先輩として、負ける訳にはいかないな!」
まさかの正面突破。
定石通りなら、この場合は避け続けた上で、その攻撃の合間に生まれる隙を付くのが普通だ。何も、危険に喜々として飛び込むのが戦いではない。ゆっくりと相手の動きを見た上で、攻守を切り替えるのが、持って行き方としては良い。
だが、あんな伊織にでさえ技としては不可能なものを見せられて、先輩としての伊織が黙っていられる筈がない。
───それでつい、伊織は正面突破をしてしまったという訳だ。
だが、それは決して悪手ではなかった。
伊織は落ちて来る瓦礫の山を、ただ切り崩していた訳ではない。確かに、彼女にしてみればできる事の一種でしかないが、それでも非効率的だ。
しかし、落ちて来る瓦礫の山は、一体何で出来ているのだろうか。先の爆発で素材となった聖シストミア学園の建物も含まれているが、それを動かしているのはカレンの操る鋼糸である。
故に、カレンの操る鋼糸を切断できれば、瓦礫の山が落ちて来る事は変わらないであろうが、それでも縦横無尽に迫りくるという対処しづらい展開からは抜け出せられるのだ。
そして、───突破した。
だが、───
《柳田流体術、風車》
それは、罠だった。
カレンは、伊織の腕前を知っていた上で、正面突破できるラインにまでに下げた。もし、正面突破が伊織にとっては不可能だった場合、様子を見た上で仕掛けてきたのだろう。それを見越した上で、カレンは罠を置いたのだ。
だが、その程度の策略で伊織が負ける筈がないのも事実だ。
伊織の、その身体を扱う能力や剣術などとしての技術は、確かに他に比較することもできないほどに高い。
しかし、伊織のその人外じみた身体能力もまた、脅威だ。
柳田伊織という武芸者は、心技体がバグレベルで揃った腕前を持っているから。
「───っ」
「まじ、───かっ!?」
しかし、今現在というかなり限定的な展開の中ではあるが、この瞬間カレンの技は伊織を抜いた。
そう、伊織が返す刀で振り下ろそうとした瞬間。カレンはその瞬間のほんの僅かな隙を付いて組み付き、伊織の振るう刀を投げ落とすことに成功したのだ。
無手と鋼糸。
どちらが有利かなんて、明白たる事実だ。
だが、少なくとも互いの格闘術の間合いなれば、今だ勝負の行方は分からない。
《柳田我流体術、五刺・派生技》
《柳田流体術、鎧砕き》
───互いの技が交差する。
追撃を仕掛けるカレンが、体勢が若干崩れた伊織の胴体へボディブローを叩き込もうと、その拳を振るう。
対する伊織は、崩れた体勢を元に戻すための反発力を上乗せして、より鋭くその開いた手のひらをカレンへと突き出す。
───果たして、どちらが制するのか。
「───、ぐっ!?」
「───、がっ!?」
その瞬間、確かにカレンの一撃は伊織の胴体に命中した。
技名通り、本来は鎧すらも打ち砕くもの。
故に、伊織が技を打ち出す瞬間に打ち込まれ、多少の威力の減衰はあったものの、それでも伊織が苦悶の表情を漏らす程度には込められていた。
それに対して伊織の反撃は、心の緩みが瞬間的にではあるが、そんなカレンの首に指先で絡め手のひらで包む。
そして、伊織の魔手によってカレンの体幹は意図的に崩され、宙を舞い───、地面へと叩きつけられた。鈍い音がする。
両者の勝敗は、五分五分。
片や、苦悶の表情は表さなくはなったが、それでも今だ蓄積されたダメージは残る。
片や、背中から地面へと叩きつけられたおかげで、呼吸器官のの調子が怪しい。
「いやまったく、流石はカレン・フェニーミアといったところだな。手加減をしているとはいえ、ここまで好き勝手にされるとは………」
「───」
そう言いつつ伊織は、カレンから視線を逸らさずに刀の回収に走る。
間合いが離れた以上、そこはカレンの領域。伊織がまた調子に乗らなければであるが、それでも油断ができるほどに力量差がある訳ではない。
そう、これが伊織の知るカレン・フェニーミア。
柳田伊織との鍛錬に付いてきてくれた、初めての彼女。一時、それも当の伊織からしてみればほんの僅かな時間でしかなかった。
だが、家の都合という一時という短い時間だけど、それでも伊織との鍛錬に付いてくる事がどれだけ厳しいのか。下心から純粋に憧れて、それで一緒に鍛錬をした事は数多あれど、その殆どは途中で脱落している。
そうだ。柳田伊織にとってカレン・フェニーミアは、友人と悪徳令嬢という物語上の関係なぞではない。
互いが競い合える、ライバルと言える、そんな関係。
───だから、伊織は少し嬉しい。
こんな、決して良い舞台とは到底言えないのだけど、それでもかつての強さを向上させた上で、こうして向かい合っているのだから。
「───っ!」
《柳田流鉄糸術、投網漁法・派生技》
目の前に広がるのは、まるで網のようで檻だ。
本来は、鋼糸によって生成された網によって相手を捕まえ、そこからズタズタに切り裂くか、それとも拘束へと持ち込むのか、かなり応用が利く技と言えよう。
だが、伊織の目の前にあるは、ただの網なぞではない。
カレンが手にした《マホウ》は、おそらくは延焼系か何か。
故に、目の前に広がる炎を纏った《投網漁法》は、柳田流の技とは別物と言えよう。
「───全力で私を殺しに来るつもりか。信頼故か否か。そんな事はもう関係ないな」
「───」
「だが、お前がそうまでして掛かってくると言うのなら、私も全力で掛からなければ、な」
ただまぁ、そう宣言した伊織は、かっこ悪い事に魔法少女としての《マホウ》は一切扱えないのだけど。それはまた別の話だ。
《柳田我流剣術、竜骨一刀》
元々、鋼糸はそれほど強固ではない。伊織の卓越した腕前さえあれば、何本か纏めてですら余裕であろう。
だが、───まるで突如として晴れた青空でも見ている気分。
鋼糸と炎によって遮られていた曇天は、伊織の一振りで晴れ渡る青空へと変わったのだ。
「───、勝負!」
駆ける、駆ける。前へと駆ける。
まるで、そよ風にでも乗ったかのような足取りで、伊織は前へと前へと一歩一歩を踏みしめていく。
カレンによる妨害もあったのだろう。けれど、それすらも気にならないほどに、伊織の踏み込みは、無形のような形というものがなかった。
「───っ!」
「───っ」
手にした刀を振り絞り、伊織とカレンの間合いは剣のもの。
───タン! と、踏み切った伊織の手にした日本刀は、今か今かと淡く鋭く照らされる事を望んでいるようだ。
はて、どうしたものか。
このまま振るおうものなら、伊織はカレンの体を両断する羽目になることだろう。それは喜々として殺し合いをしている当の伊織としても、避けたい話だ。
しかし、下手に手加減をした一撃にしようものなら、逆に伊織がカレンからの手痛い反撃を食らう羽目になることだろう。それだけの実力が、カレンにはある。
仕方なしに、その場面その場面にて、対処する他ない。
「───生命の灯火」
───だが、そんな伊織の一瞬の躊躇が、この先の明暗を分けてしまった。
「あ、ああああぁぁぁぁああああぁぁぁぁ!」
咄嗟に、バックジャンプで距離を取る伊織。
自滅覚悟の発火なのかと思ったのだが、如何やら違うようで雲行きが怪しい。
───それは《マホウ》の暴走のようなものであった。
これは《マホウ》が使えない上にそのような情報を保有していない伊織には分からない事だが、《マホウ》にはある程度のリミッターが存在している。それは、各個人が持つ感情と同じようなものだ。
だが、当然の如く、感情をため込んで置ける量というものは存在する。
故に、一定の感情のラインを越えると、《マホウ》が暴走するといった不具合があるのだ。
「!? 熱っ!! こんな熱量、人が耐えられるものなのか?」
───生命の燈火。
自身の寿命や感情を燃料にして燃やし尽くす、他の魔法少女からすらも危険視されるほどの強力な《マホウ》。
それは、地表に出現した、まるで太陽のようなものだった。離れた今でさえ、肌がチリチリと痛む。
「………。伊織、さん」
「ん? 何だ、蓮花か。今は少し立て込んでいてな、もう少しだけ待っていてくれ」
さて、どうしたものかと伊織が頭を抱えていると、不意に背後から聞こえてくる掠れた彼女の名を呼ぶ声。
一体誰かと伊織が声をする方へと振り向くと、そこにいるのは背中を砕けた壁へと預ける蓮花の姿がそこにはあった。
「あの、すみません」
「一体何が。そもそも、カレンに蓮花が勝てるなんて思っていなかったからな」
「えっ、い何時から知っていたんですか?」
「ほんの少し前の事だけどな。何年か暮らしていると、それなりに協力者ができるってものだからな」
そう他愛のない事を言って、伊織は再度カレンに対して視線を向ける。
今だカレンの《マホウ》は暴走したままで、此処にまで熱気が伝わってくる。中心の温度がどれほどのものか、それを考えたくないほどに。
「………、カレンさんを、どうか助けて下さい。あの人は決して、悪い人ではありません」
「………ほぉっ」
この事態をどうにかしようとカレンへと向き直る伊織に対して、蓮花が掛けた言葉。それに対して伊織は、少しだけ驚いてしまう。
確かに、『花散る頃、恋歌時』という原作では、蓮花は今現在と同じく誰に対しても優しい人物であった。困っている人を見れば手助けをするし、転んだ子供がいれば手を貸すほどに。
だが、悪徳令嬢たるカレンに対しては、そのような事は起きなかった。
だからこそ、伊織は祖kの言葉を聞くと同時に少し驚き、───そして少しだけ微笑んだ。
「あぁ、任せておけ。───後輩を先輩が助けるのは当たり前だからな」
構えは上段。
引き絞り。
正眼に捉え。
───そして、振り下ろす。
《柳田我流剣術、第三秘剣天翔五勢ノ剣》
───太陽が、割れた。
そう、表現する他なかった。
本来、魔法少女というのは、絶対性を保有している。何しろ、《マホウ》や魔法少女が扱う武器といったものなどしか、彼女達には怪我すらも与えられない。たとえ、アスファルトの地面で盛大に転んだとしても、擦り傷すら残さないというのだから便利なものだ。
───女性型の人間兵器と、そう呼ばれても可笑しなものではないのだろう。
それに加えて、事象系というか実体のない《マホウ》というものは、基本的に介入できない。例えば、素人に海を文字通り剣で割れなんて話は到底無理で、伊織のような凄腕の剣士であっても《マホウ》の炎なんて未知なものは正直無理な話だ。
だが、伊織は初めて目にする未知のものを切った。
───そうこの日、伊織は魔法少女としてではなく、剣士として魔法少女を越えたのだ。