死んだ神絵師が絵描きたちに食われる話
神絵師が死んだ。
モチモチのぬいぐるみや饅頭を見ると「モーチ! モーチ!」とはしゃいでつぶやく明るい性格の人だった。
たまにイラストの仕事も受けていたからか、神絵師には一万人をゆうに超えるフォロワーがいた。
遺族による訃報ツイートに彼らも俺もやるせないひと時を過ごし、追悼代わりに特に好きだった作品についてあれこれと語り合った。
――ここまでが昨日の話。
宇宙の星々を閉じ込めたような、きらきら輝く大きな瞳の美少女アイコン。
二度と更新されることはないと勝手に思い込んでいたアカウントがとんでもないことを呟き出す。
俺はごくりと息を飲んだ。死んだとはいえそんなことやっていいのかと。
【お知らせ】故人の遺志に従って、調理した遺体の一部を食べてくれる方を募集しております。ご希望の方は当アカウントをフォローの上、DMにてご連絡ください。
ツイッターは騒然となった。
この話は瞬く間に無関係のジャンルにまで拡散し、トレンドには「神絵師」「食える」の語句が並んだ。
超高齢化による墓場不足解消のため、近年はこの国でも『食葬』が認められている。代々の家の墓に入りたくない者や、愛する者の血肉となってこの世に残りたい者など、需要はないではないらしい。
だが人間を食べることはまだまだタブー視されているのが現状だ。ひと昔前なら遺体損壊の罪に問われるような案件だし、見ず知らずの人間の肉を頬張るなど考えただけで吐き気がする。
衝撃的なツイートにフォローを外した者もいたようだ。ご希望の方なんているのかと懐疑的な気分で俺は美少女アイコンのつぶやきを見つめていた。
【お知らせ】たくさんのご応募ありがとうございます。これほどの反応をいただき、故人も喜んでいるかと思います。ただあまりにも数が多いため、申し訳ありませんが選考をさせていただくことにしました。
【お知らせ2】故人の遺言では、できるだけ絵の上達を願う人に食べてほしいとのことでした。熟練度は問いません。絵を描く人間を食べれば画力が上がると信じる気持ちのある方で、実際に絵を描いている方、DMではなくこのツイートにご自身の絵とお気持ちをリプライしてください。お待ちしております。
ツイッターは再び騒然となった。
前回の募集はDMだ。誰が送ったか晒されない限り確認はできない。
しかし今度はリプライである。全ツイッター民に自分は神絵師を食べたい人間ですと表明する勇気ある者しか神絵師の肉にはありつけないわけである。
それでも物好きはいるらしい。リプライツリーは伸び続けた。
一万二千人ほどだった神絵師のフォロワーは、翌朝には一万五千人に達していた。
とはいえそのほとんどは事態の成り行きを見守りたいだけの野次馬に過ぎなかったが。
神絵師ほんとに食べたいやつっていたんだな。
最高のシェフが料理してくれても俺は無理。
推し絵師がこれにリプしててショックすぎてフォロー外した……。
昔から日本人はあやかりたい人の爪の垢を煎じて飲みたいとか言ってたんだし、肉食べたいのもその延長では?
リプツリー、それ以上うまくならんでもいいやろって絵がそこそこあり、人間の欲はほんと果てがないなって。
人肉食べたいだけのやつが初心者絵描き装ってんのめちゃめちゃウケる。
捨て垢からリプしても本気とは思われないだろうなー。
そもそも故人の絵柄が好みじゃないから関係ねーわ。
確かにかわいい絵だとは思うけど、オッサンばっか描いてる俺がこの画風に寄っても仕方ないなwww
タイムラインには様々なご意見・ご感想が現れた。
そのうち話題は「神絵師を食べたら神絵師と似たような絵を描くようになるのか」という方向にシフトしていった。
倫理観にやや欠けた学術系アカウントが「検証のためになるべく画風の違う弔問客を選んでほしい」とつぶやいた。
野次馬の多くがそれに賛同した。
俺も底辺絵描きだが、リプする気にはなれなかった。
神絵師の絵は好きだったし、あんな風に描けたらいいなと憧れてもいたけれど、やはり勇気が出なかった。
俺の相互フォロワーは「絵が上手くなりたいならそんなもんにリプする前に一枚でも多く描け」と主張する人間が多く、失望されたくなかったのだ。
人間とは卑しいものだ。最初は他人の肉なんて、と気持ち悪がっていたくせに、神絵師に群がる有象無象を見ていたらだんだん惜しくなっていたのだ。
【お知らせ】食葬にお招きさせていただく方が決定しました。ただいまより送っていただいたリプライに当選のお返事をさせていただきます。もし辞退したくなったという方がおられましたら、その旨をお伝えください。空いた枠はほかの方に回させていただきます。
一万五千、いやもしかしたらそれ以上の人間が固唾を飲んで見守る中、神絵師の美少女アイコンは既にそれなりのレベルに達している絵描きにも、そうでない絵描きにも、次々声をかけていった。
五十人のアカウントに一字一句同じリプライが送られた。「了承のリプライをいただけましたら、詳しい場所と日時をDMにてお伝えします」と。
辞退者は遠方すぎて行けないとか急に怖くなってしまったとか、様々な理由で五人ほど出たけれど、五人しか辞退しないのかというのが正直な感想だった。
追加された五人は誰も断らなかった。
――ここまでが一年前の話。
神絵師を食べるとその神絵師の画風に似てくる。今ではそれはツイッター民の共通認識となっている。
サンプルとなった五十人は全員フォロワーが急増した。そして全員、ただの一人の例外もなく、宇宙の星々を閉じ込めたようなきらきら輝く大きな瞳の美少女を描くようになった。
複雑骨折の右向き美形を量産していた大学生は「二代目」と崇められるまでになり、また誰かが肉を食わせてくれないかなーなどとのたまっている。
背景専門だったアナログ絵描きは液タブを買い、メディア欄をツインテールで埋めていた。
これを成功と言う者もいれば、失敗と言う者もいた。
五十人のうち何人かは絵筆を捨てたと聞いている。こっちは明らかな失敗だろう。
アカウントを消した者がどうしているかはわからない。残っているのは彼らが追悼絵として描いた美少女の祈る絵だけである。
食わなくて良かったと、多くの絵描きが口を揃えた。
画力は欲しいが個性を失いたくはない。俺も同じ思いだった。
けれど最近、またあの学術系アカウントが妙なことを言い出して界隈はざわついている。
見てくれる人が増えたら誰しもいい絵を描こうとするだろう。いい絵というか、彼らが喜ぶような絵だな。今までと同じ絵を描くより、食った相手の画風を取り入れたほうが反応はいいだろうし、意志が弱いと無自覚にそっちに引きずられるんじゃないかな。
食葬の弔問客たちは、肉片を食べさせてくれたお礼に神絵師に手向けの絵を描いた。そのときに彼らが多少なり神絵師のタッチに寄せて描けることが周知されてしまったため、不可思議を求める者たちの餌食になったのではないか、というのが某氏の見解だ。
この発言は何万回とリツイートされ、ツイッター民の認識をアップデートさせつつある。でも俺は、神絵師を食ったらやっぱり脳のどこかを乗っ取られるんじゃないかと感じてしょうがない。
モーチ! モーチ!
今日もあの二代目が、ツインテール工場が、その他の弔問客たちが、肉まんやら信玄餅やらバランスボールやら推しのほっぺやらをアップしてはしゃぐ。
神絵師の口癖とわかっていて使っているのは間違いない。だが癖というものは、絵にしても言葉にしても知らぬうちに深く根を下ろすものだ。
確固たる己さえ持っていれば神絵師を食っても問題は起こらない。むしろ話題になって注目してもらえるのなら食ったほうがお得じゃないか。
そんな風に言う者がこの頃少しずつ増えてきた。
俺の相互フォロワーたちは相変わらず「んなこと言ってる暇があれば一枚でも多く描け」と言っている。
俺も今では心からそう思う。