泣きっ面に蜂ってやつなんだろうか?
M湖公園一番の目玉である観覧車に誘ったところ、一ノ瀬さんがOKしてくれて、安堵した。俺の計画は、これからが本番だから。
観覧車に二人で乗り込む。密室に二人というこのシチュエーションに鼓動が早まる。景色がいいね、あそこに中学校が見えるとか、そんな他愛のない話をしていたら、頂点に近づいた。
「一ノ瀬さん」
俺は覚悟を決めて、話しかける。一ノ瀬さんは、きょとんとこちらを見る。その仕草がかわいいって、今はそれどころじゃなくて。
「好きです。俺と付き合ってください」
思いっきり頭を下げて、一ノ瀬さんの返事を待つ。返事が来るまでの時間は実際は3秒くらいだったかもしれない。でも、俺には本当に長くて。
「…ありがとうございます。でも、ごめんなさい」
返事は、俺が望む答えではなかった。そおっと顔を上げると、困ったように笑う一ノ瀬さんがいた。
フラれるなんて思ってなくて、いや、考えたくなくて、その可能性を考慮していなかった。沈黙が二人にのしかかる。
「…ありがとう」
俺は、泣きそうな思いをこらえて、精一杯笑って言った。ここで泣いて一ノ瀬さんを困らせたくなかった。俺の想いに応えてくれたことに感謝した。
観覧車を降りて、駅に向かって歩いている途中で、一ノ瀬さんがふいに立ち止まった。
「片桐君、今日はありがとうございました。…気持ち、すごくうれしかったです。でもね、…片桐君が本当に好きな人は別にいると思います。今日、あまり楽しそうに笑ってなかったから…」
そんなことない。俺は、一ノ瀬さんが中学のころからずっと好きだった。そう口に出そうとするが。
「…」
声にならない。
「…ねぇ、思い出してみて…?走ってる片桐君が一番いい顔をしてると思ってました。でも、高校に入ってからの話をする顔の方がもっと輝いてました。…それは、そこが一番好きなことなんだと思います。…あんな表情、今まで見たことありませんでしたから…」
俺が一番好きなことが、走っている時ではない?
反射的に反論していた。
「そんなことない!…そんなこと…」
振り返った俺の顔は、ひどく歪んでいたのかもしれない。一ノ瀬さんの瞳にかすかに戸惑いが見えた。そして、同時に何か決意したようにも。
「今は、走れているのですよね?…それも含めて、今の状況が一番好きなんですよ。…そこに私はいません」
そう言い切った一ノ瀬さんの表情が辛そうで。
「…ごめん」
そういって、俺は一人でその場を走り出していた。
ぐちゃぐちゃになったこの感情を、一ノ瀬さんに当たり散らしてしまいそうで怖かった。だから、がむしゃらに走って、汚いものをそぎ落としてしまいたかったから。
ペースも何もなく、ただひたすら走っていたら、すぐに限界がきて…。息を整えるように歩き出した。
恥も外聞もなく泣き出してしまいそうな俺は、落ち着くために一駅分を歩いた。
そうなるとすっと、一ノ瀬さんの言葉が入ってくる。
一ノ瀬さんがいない高校生活の話が、あんな断片でしか話せなかったのに、それを話している表情が走ることよりも輝いていた。大という存在ではなく、麻衣として通って、友達もできて。それが心地よく感じていたのは本当だ。でも、それが、その状態が一番好きだなんて思わない。思いたくない。
だって、俺はいずれ麻衣ではなく、大に戻るのだから。
偽りの姿なんていつまでも続けられるものではない。いつか、麻衣(本物)だって、外に出て、自分の人生を歩む。俺だって、俺自身の大の人生を歩んでいくことになる。
麻衣として生きることが楽しいだなんて、それが一番好きなことだなんて認められるわけがない。
俺が一番好きな女の子は一ノ瀬さんだから。
一ノ瀬さんに思いを否定されて、ショックだっただけだ。
そう思って、一番好きな一ノ瀬さんの顔を思い出そうとするのだけど。
なぜか、かるた部の連中や、王子、鈴木さん、実行委員のみんな、話すようになったクラスメイトの顔が次々と浮かんでは消えた。そこに、一ノ瀬さんの顔が浮かぶことがなくて、俺は絶望に似た何かを感じた気がした。
もう、歩くことすら億劫になって、いつもなら乗らない駅から、電車に乗って、家に帰ることにした。
きっと、混乱しているだけだ。
そう、自分に言い聞かせて。
電車の中は結構人が混んでいた。俺は、乗降口の近くに立ち、ボーっと景色を見つめることしかできない。
確かに、少しずつ関わっていくうちに友情が芽生えてしまったのかもしれない。ずっと一人なんて寂しすぎて、俺には耐えられなかったから。強引な里美に連れられたかるた部は、その図々しさになんだかんだと振り回されて、それでも楽しかった。王子の男と一緒にいるような気やすさに心が弛緩していくのを感じた。鈴木さんの一生懸命さにほだされて、実行委員の勢いに押されて。クラスでのとげとげしさがなくなって、話すようになって。
俺は男が一人しかいない空間に、居場所を見つけてしまった気がする。いずれは失ってしまう場所を、愛着を持ってしまっている。それが、すごく恐ろしくて。
一ノ瀬さんの言葉を否定したくて仕方なかった。
電車の中はいよいよ満員というほどに混んできて、ぎゅうぎゅうに押される。
その時、何やら尻に不快感を伴う感覚が走る。誰かの手が触れているような気がする。
これだけ混んでいれば、どこかに手が当たるのは仕方ない。いちいち痴女が出たなんて騒いでいたら、恥をかくのは俺の方だ。努めて気にしないようにしながら、手が気づいて移動するのを待った。
しかし、いくら待っても手は移動しない。どころか、明確な意思をもってもんでいるような気さえする。
ちらりと後ろを振り向くと、そこにはがっしりとした体形の男がいた。俺は、思わずびくりとなって、慌てて前を向き直る。きっと、気のせいだ。
あの事件以降、がたいのいい男が少し苦手になった。といっても、日常生活に支障はない程度だから、PTSDのようなものではない。
だけれども。執拗に触り続けるその手は、あきらかに男の手で。男に性的対象に見られることに嫌悪と恐怖が入り乱れ、何もすることができない。気分が悪くなっていく。あの時の男の顔が思い出されて、呼吸が浅くなっていくのを感じる。
もう限界だと思った瞬間、尻を触っていた手が唐突に離れていった。
安堵とともに何があったのかと、そろそろと後ろを振り向くと、秀と松下君が俺を触っていたと思われる男と俺の間へと体を滑り込ませていた。
「…もう、大丈夫だから」
秀が耳元でささやく。
心に安心感が生まれていた。そうして、いつの間にか強く握っていた手から力が抜けていくのを感じた。
S市に着き、秀、松下君とともに電車を降りる。
「…ありがとうございます」
男に痴漢された屈辱から助けてくれた二人にお礼を言う。
「たいしたことじゃない。それより、大丈夫か、片桐さん」
「そうそう。困ったときは助け合おうぜ」
どうやら、女装しているわけではないのに、二人には麻衣だと勘違いされているようだ。
訂正しようかとも思ったが、男が男に痴漢されたなど、未来永劫恥としかならないため、二人の勘違いに乗っかることにした。
「本当に、ありがとうございます」
そういって、別れようとするが、そうは問屋が卸さなかった。
二人に、片桐さんはかわいいのだから、電車では乗降口の近くに立つのはやめた方がいい。そこは、痴漢にあいやすいスポットなのだからと、お説教を食らった。
「あんなことがあったばかりだから、気をつけてくれよ」
なにやら、最後は呆れたように二人から今後気をつけるように約束させられた。
こうして、俺はズタズタのデートを終えたのだった。
一ノ瀬さんにフラれるは、痴漢にあうは、変なことを考えるは…。
これぞ、泣きっ面に蜂ってやつなんだろうか?
男だろうと痴漢されるときはされます。(実話)




