2章 ダルメシアは無気力 4
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< 五月十三日 二〇三〇時 立川市 国道 >
検問を抜けてしばらく行ったところで、車は止まった。トンネルの前だ。
「ここで降りてくれ」
「え?」
「最後までこいつで行くと、足跡を辿られかねない。きついだろうが、我慢してくれ」
車の外に出て標識を見ると、「千成峠 あと2k」と書かれている。
「千成峠って、霊感スポットじゃないですか! 人魂を見たとか、手首だけ道路の真ん中を這ってたりとか、」
「原隊復帰が軍隊の基本でね。大佐に絞られてくるよ」
歴の抗議を受け流すように、岩城はそそくさと来た道を帰っていった。これじゃ、底無し沼から引き上げてもらって火山の火口に放り込まれたみたいだ。
「……とりあえず、歩くしかないか」
あきらめて足を動かすことにした。
トンネルの中はオレンジ色の光がぼんやりと道を照らしていた。舗装されているだけ山道より少しはましだったが、そろそろ休みたい。足の裏が引きつり、皮が剥けそうな気配がある。
「おいミギワ君、こっちだ」
秤がガードレールの向こうを指差した。トンネルの脇に点検用のドアがあり、その中には更にトンネルが広がっていた。
「私の家は、この向こう」
歴はうんざりした。
らせん状の階段を延々と下りた先には、暗く巨大な道があった。
体育館くらいの天井を持つ巨大なトンネルで、大小さまざまな色とかたちのパイプが壁面を走り、備え付けの計器の針はどれもがメーターをゼロにした状態で固定されている。
先頭の秤が進むごとに足元の照明が点いては消え、この設備がまだ生きていることを示していた。
「……どういうとこなんだろう」
「粒子加速器の中だ」
「粒子加速器?」
「素粒子実験の際に使われる道具だ。分かりやすく言えば、物質をミキサーにかけて分離、その構造を明らかにする」
よくは分からないが、ここは既に秤の屋敷の敷地内なのだろうか。
「秤、こんなところにあなたの家があるの?」
「こんなところとは失礼な。山の中に置いてけぼりにしたあげく三年後に白骨死体で発見されてもいいのだぞ?」
「なんで三年後なのよ。白骨死体ってのも限定されてるし」
「実際にあったからだ。スマキにして谷底に放りこめばそうなる確率は高い」
「ダルメシア、おやり」
一瞬だけ空気が固まったが、「……めんどくさいです」と、無気力かつ常識的な答えが返ってきた。
それにしても、行けども行けども出口は見えない。凄まじくゆるやかな左カーブが永遠に続いているかのようだ。
「何も知らなければ、永遠にさまようことも不可能ではない。粒子加速器は完全な円の軌道でなければならんからな」
「道に終わりがないってこと?」
「そうだ。私だけが出口を知っている」
にたりと笑う秤の横顔は、うまく獲物を罠にはめた猟師のようだった。
突然、歴の心臓が跳ねあがった。アンティークが自分の腕を掴んできたからだ。
「……アンティーク、歩きづらいから離れてよ」
「しょうがないじゃない、怖いんだから。それにいざというときの人質」
可愛げがあるのかないのか分からないことをいうアンティークは、掴んだ腕を放そうとしない。
「僕は人質にならないかもよ?」
「黙りなさい」
息を押し殺しながら歩いていると、「お熱いところ悪いが、出口だぞ」と秤が言った。指差すのは、“非常口”。緑の照明の中を走る白抜きの人が、自分たちを笑っているように見えた。
トンネルを出ても、まだ夜は続いていた。
巨大なテーブルのような岩の上に建物が見えた。あれが秤の家なのだろうか。近付いてゆくうちに、その全貌が明らかになってゆく。
建物の表面には植物が生い茂り、壁は風化し、所々ひびが入っている。窓ガラスも割れ、無事なところを数えたほうが早い。屋根が無事なのがむしろ不思議で、歴は今まで来た道を引き返そうかと悩んだ。
屋敷、と言うにはみすぼらしく、家というには大きすぎる。そこは打ち捨てられた廃墟だった。
「ここに人が住めるの?」
「ちゃんと確定申告はしているぞ」
歴は税務署の人を気の毒に思った。
建物の表札には、「常世研究所」とあった。正門のさびついた南京錠をガチャガチャ開けると、
「帰ったぞー」
と言いながら、秤は自分で照明を点けた。どうやら電気は引かれているらしい。
広いホールには予想に反して塵ひとつなく、お手伝いさんが掃除をしているのかと思ったが、それらしき人はどこにもいない。
何か、雰囲気が違う。
時間がそのまま止まってしまったような印象だった。塵も埃も、風が運ぶなり人が起こすなりして生じるものだ。ここにはそれがない。まるでCGだ。
戸惑う歴に秤は、
「ここは、私ひとりだ。浴室は向こう、食堂はあっち。適当にやってくれ」
と言い残し、浴室の方向へ姿を消した。そんな無責任な……と言いかけたが、
「……仕事したくないなあ」
いつもの無表情でダルメシアが言った。