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2章 ダルメシアは無気力 3


< 五月十三日 一八一〇時 立川市 山林 >


 秤を逃すことができても、岩城の劣勢は変わらなかった。

 メイドのくせに、手ごわい相手だ。間合いを離せばあのワイヤーみたいな髪に捕らえられるので、直線で向き合うことは自殺行為だ。身体能力も常人の域をはるかに超えている。勝機があるとすれば、奇襲以外に考えられない。それも、体の一部を奪い取る致命的なダメージを与えなくては。

 反対側の斜面を移動するのは秤を少しでも遠くへ逃すためだったが、うまく乗ってくれない。結果的に岩城は、彼女の行く先を塞ぐように対峙するしかなかった。

「あなたは、人間?」

 女の問いかける声がした。相変わらず、ボイスレコーダーに録音したような声だ。

「おまえは、人間か?」

 質問を質問で返すと、彼女は考えるそぶりを見せた。いや、演技かもしれない。

「そういうことにしておいてください。説明は面倒」

 そう言うと、メイドは胴体を軸に両手両足を身体ごと車輪のように回転させて飛びかかってきた。枯葉を巻き上げ木々をなぎ倒しながら岩城に迫る姿は小型の竜巻さながらで、どこまでも追ってくる。覚悟を決めて、岩城は相手の姿を見つめた。

「女性に手を上げるのは好きじゃないがね!」

 岩城は飛びのくと同時に両手両足が武器になっているメイドの唯一の弱点である胴体を蹴り飛ばすと、メイドは突進の軌道を変えた。だがメイドの脚は近くの木を引っ掛けて、ブーメランのように岩城の後ろに回りこむ。反射的に腰の拳銃を取ろうとしたそのとき、


「ダルメシア、おあずけ!」


 凛とした声が響き渡った。

 ダルメシア、と呼ばれたメイドは空中で固まった。ダルメシアは突進時の姿勢と勢いをそのままに地面を転がり、木にぶつかって止まった。見ると彼女はありえない方向に手足を向け、死んだように動かない。

「……おい、大丈夫か?」

 岩城が声をかけると、彼女は体のあちこちから冷気をはらんだ白煙を上げ始めた。「な、なんだ?」

「いけない、オーバーコールドだわ!」

 彼女の事を知っているのか、黒いコートをまとった少女がダルメシアのもとに駆けより服を脱がせ始めた。即座に岩城は回れ、右をした。

「水汲んできて、早く!」

 言われるままに岩城が持っていた水筒を差し出すと、それをひったくるように受け取った少女はメイドに頭から水をかけ始めた。そんな無茶な、と思ったが、しゅうしゅうと上げる煙は少しずつ終息していった。

「ダルメシアを本気にさせるなんて……あなた、何者?」

 このメイドはダルメシアというのか。少女の問いに岩城は、「ただの世話好きさ」と答えた。



 衣服を切り裂かれた秤をそのままにしているわけにもいかない。軍人の岩城が上着を貸すと、秤はしぶしぶ袖を通していた。

「タバコの匂いがする。岩城、禁煙しろ」

「あなたに服を貸すためにですか?」

 彼らはどういう関係なのだろうか、恋人同士には見えない。もっとも、こちらも関係を聞かれて一口で答えられるようなものではないと歴は思った。

 幸いなことに、岩城たちとアンティークたちの二組は協力関係を結ぶことができた。研究を独占したい秤と秘密を保ったままこの世界から脱出したいアンティークは利害関係が一致していたからだ。

 しかし、秘密と言いながら関係者が増えていく一方なのは、なぜだろう。唯一傍観者の立場である歴は奇妙な成り行きを眺めていた。

「私はアンティーク、この子はダルメシア。グレーイスから来ました。この男の子は……」

「汀歴。一般人です」

「私は常世秤、科学者だ。こいつは岩城、見ての通り」

「公務員さ……おおっと、その物騒な物はしまってくれ」

 岩城に言われ、アンティークは不承不承鶴嘴つるはしを懐にしまった。

「少しでも怪しい動きを見せたら殺すから」

 双方ともかなり複雑な経緯を経てきたので、今のところはお互いの名前を明かすに留まった。きっと語り出したら夜明けが来るに違いない。

「ダルメシア、帰ってから隅々まで調べさせてほしいのだが、どうかな?」

 目をらんらんと輝かせる秤の申し出に、

「やですよ、面倒……時間かかるんでしょ?」ダルメシアは心底嫌そうに答えた。

「自分を殺そうとしたのに、どういう神経してるのかしら」と、アンティーク。

「アンティーク、お前のことも調べたい」

「いやよ」

「なんでだ」

「私を最初に調べるのはレキだから」びっくりすることを真顔で言いだす。

「おおっ! じゃあご同伴させてくれ」

「お嬢がそれならそれで構いませんが、あの少年になにか弱みでも握られてんですか」ダルメシアの目つきがレーザーでも出しそうな風になった。

秤とアンティーク、ダルメシアの視線が痛すぎる。歴はその場から逃げ出したくなる衝動に駆られた。

 ともあれその場に長くとどまる理由はない。岩城の先導で、歴とアンティーク、ダルメシア、秤の五人は下山を始めた。

「……本当に、僕たちを逃がしてくれるんですか?」

 歴は歩く岩城の背中に問いかけた。秤を命がけで逃したのだから少なくとも悪人ではないようだが、岩城の味方が自分とアンティークの味方になる、という保証はない。

「俺は常世さんの判断に従うまでだ。あのメイドさんと同じだよ」

 その言葉に他意はないようだ。少なくとも、味方を呼ぶことのないだけ彼には感謝すべきなのだろう。警備の隙間を縫って安全な場所まで連れて行く、という彼の言葉を今は信用するしかなかった。

「目撃者を全員殺せばいいじゃない」

 アンティークの物騒な意見を岩城は聞いていなかった。歴も聞く価値がない、と思う。

「路上は徒歩だと検問に引っかかる。何とかして包囲を突破しなくちゃな……ミギワ君、と言ったか?」

「はい」

「彼女たちを連れて、逃げきれる自信はあるのか? 見たところ、学生さんじゃないか」

「僕にも、あては……」

 言いよどむと、

「私の家に来ればいい」

と、秤が口を挟んだ。用意されたようなセリフは、最初からそれが狙いだったのだろうか。

「隠れて!」

 圧倒的な光量が突然斜面を染め、あまりのまぶしさに目が幻惑される。歴は即座にアンティークたちと茂みに身を隠した。見つかった?

 岩城の舌打ちが聞こえた。

「ここはまだじゃなかったのか?」



 秤を連れた岩城が坂を降りると、一帯は喧騒に支配されていた。

 輝度の高いライトが闇を塗りつぶすように照らされている。どうやら調査本部を移動したらしく、気の毒な部下たちがテントの張り替えに忙しく動いていた。駐機状態の車両の熱気がうっとうしい。

「ふむ」

 指揮官である「大佐」が、ぶしつけな視線をふたりによこしていた。

 岩城の直属の上司だが、面識はあまりない。名前は忘れた。栄養をたっぷり蓄えた体躯は事務屋、と言った雰囲気があるが、その事務屋が何の用だろうか。敵がいなさそうだからたまには指揮官らしいこともしてみたい、と言うことだろうか。

 大佐は開口一番、やはりぶしつけなことを言った。

「常世博士、岩城はあなたの私兵ではないのですが」

「じゃあ、お返ししましょうか。 仕事もしませんが」

「……何か見つかりましたかな? あの巨人を生け捕りにするのと見合うくらいの発見が」

「生け捕りなんて、とんでもない。傷一つつけることのできなかった目標なのは、あなた方がよく知っているはずではないですか。それより空薬莢の回収は終えたのですか?」

 大佐は気分を害したようだった。これ以上の言い合いは無意味だと気付いたのか、「その奇妙な服装を着替えてください。兵員輸送車を使っていただいて結構です」と吐き捨てるように言うと、岩城たちに背を向けて歩き出した。

 秤が声を潜めて言う。

「私を変な目で見ていた。あいつはきっと変態だ」

「そんな格好をしているのは誰です」

「うるさい、今はあのド変態の話をしているのだ」

 そのとき、銃声が聞こえた。まさか発砲したのか? 岩城が音のした方向を向くと、


 メイドの飛び蹴りが大佐の顎をクリーンヒットしていた。


 ハイヒールが地面を踏むのと大佐の頭が腐葉土に沈みこむのはほぼ同時だった。その勢いで次々と取り巻きたちを打ち倒すと、ダルメシアは忍者のように闇にまぎれた。

 一瞬の沈黙の跡、サイレンの音がけたたましく鳴り出した。

「岩城、いくぞ!」

 秤が意外なほどの駿足で兵員輸送車に向かう。岩城は彼女をあっという間に追い越し、運転席に飛びこんだ。よかった、キーはついている。エンジンは温まっていたのですぐに発進させることができた。

「ミギワ君、来い!」

 岩城の車が斜面から駆け下りてくる歴とアンティークを拾う一方、警備たちは別方向からの「敵襲」に慌てている。ダルメシアは破格の機動性と攻撃力を持つにもかかわらず、的そのものはえらく小さい。岩城は同僚たちを気の毒に思った。

「彼女……大丈夫かな?」

「ダルメシアが人間に負けるわけないじゃない。そこそこで切り上げろって言っておいたわ」

「やっぱり、人間じゃないのか」

「オートマータ。私には、あなたが互角に彼女と渡り合うことができたことのほうが驚きだった」

「そりゃ、どうも。しかし……」 

 バックミラーを見ると、宿営地は炎上していた。そこそこってどんだけなんだよ。

「たったひとりのメイドに、一個中隊が全滅か」

 バックミラーに人影が写る。追っ手かと思ったが、このスピードで走る車に追いすがる人間などこの世界には存在しない。ダルメシアは時速80キロで走る兵員輸送車に追いつき、後部ハッチから乗り込んできた。所々煤にまみれているが、外傷らしきものはない。

「お嬢様、攪乱終わりましたよー」

「お疲れ様」

 少し早くベッドメイクが終わったのを褒めるような口調でアンティークがほほ笑んだ。

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