1章 次元越しの侵略 4
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< 五月十三日 〇九三〇時 立川市 上空 >
最初歴はディメンオンが空を飛んでいるように思ったが、それは誤りだった。
実際は大きなジャンプを繰り返し、緩やかな上昇と緩やかな下降を繰り返している。着地のたびにアスファルトの路面が踏み抜く寸前までくぼみ、放射状の亀裂をつくり、また飛翔。一連の行為は一見ジェットコースター染みているが、着地のたびに腹のなかをミキサーでかき回されるような気分を味わうのはいただけない。
「見えた」
舌なめずりをするように、前席のアンティークがつぶやく。見ると、巨大な台座のかたちをした機械はすぐそこまで来ていた。テレビで見た奴だ。
「あれが、次元機」
次元機は黒い鋳造の、薄い円盤のようなボディにひょろ長い四本の脚がついている。空中に浮遊して移動しているだけに見える様子は一見無害そうに見えるが、その考えをすぐに歴は否定した。
次元機は巨大で、目の前に障害物があっても躊躇なく突っ込んで行くからだ。次元機の通り道には破壊された建物が死体のように横たわっている。自動操縦と言うのは本当なのか。
「行くわよ!」
アンティークが緊迫感のこもった声で叫ぶ。
迎え撃つ戦場が民家の少ない山岳地帯というのは歓迎すべきことだった。ここなら周囲の被害を気にすることなく戦うことができる。
しかし、そこに居るのは次元機だけではなかった。
「な! 攻撃?」
歴は驚きの声を上げた。次元機の周囲に火花が散り、煙幕めいたものが焚かれている。それは砲弾の衝突と跳弾によるものだった。
自衛隊が戦っているのか。よく見ると、道路沿いには戦車の隊列が整然と並び、砲火を閃かせている。加えて、上空にもヘリが滞空して様子を伺っている。
「待ってアンティーク、このままじゃ巻き込まれる!」
自衛隊は味方だと思いたいが、こちらが味方と思っても向こうがそう思ってくれるかは別問題だ。今のままでは、間違いなく巻き添えを食う。
「レキ、遅いわ!」
アンティークの返事と共に衝撃が操縦席を襲った。堅牢な装甲同士が弾丸の速さでぶち当たった瞬間、「奴の次元座標は!」と矢継ぎ早にアンティークが聞いてきた。
歴はそれどころではなかった。強烈なGに全身が押し潰されてしまい、息ができない。目の前が墨で塗りつぶされたように真っ暗だ。
「見えない、見えないよ!」
「ブラックアウト? 男のくせに、情けないわね」
急激な血液の移動による視神経の機能不全を、「男のくせに」と切り捨てる彼女はいささか酷だが、いまは戦闘中だった。
歴の回復する時間を待たずに、アンティークは次元機にしかけた。ディメンオンの巨体を巧みに制御して、殴りかかる。
歴の視界が元に戻ったとき、再び轟音と衝撃がコクピットを襲った。ステンドグラスのようなコクピット前面のモニターには、外の様子が映し出されている。
ディメンオンの腕が台座の巨体を殴り飛ばしていた。
敵である台座は、格闘戦に不得手に見える。しかし、ディメンオンの鉄塊のような腕に殴り飛ばされても、決して倒れようとはしない。まるで、見えない力で支えられているかのようだ。
「次元座標というのは奴の“体外時計”! 何時何分をさしているの!」
「体外時計?」
「身体のどこかに時計があるはずよ!それに目の前の調整儀を合わせて!」
そう言われても、像のあいまいな敵の細部を見極めるのは至難の技だ。モニターは白黒、おまけに距離もある。それでも、歴は目を皿のようにして動く巨大な台座の姿を見つめた。
台座の周囲には溝があり、そのなかに目のようなものが見える。さらによく見ると、その目はアナログ時計の形をしていた。でも、あまりに小さくて。
「よく見えないよ!」
ちっ、と舌打ちで答えながらアンティークはディメンオンの機体を台座に組み付かせた。ぎりぎりと鉄が悲鳴を上げる音が不愉快で、思わず耳を塞いでしまう。
「そんなに持たないんだから、よく見て!」
自分で見てくれ、と言いそうになったが、そういえば彼女は眼鏡だった。輪郭のはっきりしない台座の「時刻」を確認するために、目を糸よりも細くした。
「九時……三五分?」
ディメンオンの巨体が大きくかしいだ。何事か、と眼を剥くと組み合っていたはずの腕はなぜか次元機をすり抜けてしまった。
掴む物をなくしてしまったディメンオンは、勢いを殺すことができずにそのまま地面に倒れてしまう。歴の身体が激しく揺さぶられる。まるでシェイカーの中だ。
「くっ……!」
起きあがろうとアンティークが機体を動かしているが、うまくいかないようだった。見上げるとそこに青空はなく、巨大な台座が覆い被さっていた。
また、さっきの不協和音が聞こえてきた。それも、かなりひどい。見ると、台座の不恰好な四脚はディメンオンの背中を掴み、引き裂こうとしている。コクピットの中に耳障りな警告音が鳴り響き、アンティークは倒れた機体の制御に必死になっている。
機体が破壊されようとしているその中で、自分のできることはなにか。歴は周囲を見渡した。自分の正面には計器やいくつもの操縦桿が主の命令を待ち、その中心には時計があった。
「これが、調整儀?」
次元座標を合わせて攻撃すれば、相手に致命打を与えることができる。いまは、微妙にあっていない状態で、だからさっき腕がすり抜けた。いまは、こちらが攻撃を受けている。なら?
歴は、時計のねじをひねった。台座の三分後、九時三八分へと。するとディメンオンの「ぶれ」は激しくなり、次元機の四脚が宙を切った。
「よし!」
身体の自由を取り戻したディメンオンが再び立ち上がる。アンティークが「次元座標を合わせて!」と、突進しながら叫ぶ。歴は揺れる機内で、再び時計の針を動かした。時刻を相手に合わせるんだ。なぜなら、今度はこっちの番だから。
「九時……三五分!」
ディメンオンと台座の「ぶれ」はちょうど同じになり、ついに相手を捕まえることができた。ディメンオンは台座の装甲に指をめり込ませながら自分の倍ほどもある巨体を地面から引き剥がし、
「どおりゃああっ!」
自分の倍ほどもある台座の巨体を宇宙に届けとばかりにぶっ飛ばした。
青空に浮かぶ巨大な円は一瞬だけ太陽に重なり、食のリングを作り上げる。台座はその大きさとはアンバランスにそびえ立つ山の頂上に突き刺さり、その体重を受けとめた地肌は盛大な地滑りを引き起こした。
止めを刺すため、ディメンオンは落下地点に向かう。まだ土煙に覆われているそこに辿り着いた時、歴は言葉を失った。
巨大な台座がひっくり返って虫のように激しくもがいている姿があった。それはいいが、「ぶれ」がひどくなっている。ひたすら迷走するように「ぶれ」は激しくなり、収まったかと思えばそのそばで残像をちらつかせている。よく見ると、台座の眼にあたる時計の表示も異常をきたして、針を不規則かつ猛スピードで前後させていた。
異常はそれだけに留まらなかった。「ぶれ」は周囲の地形を侵食し、気が付くとその一帯は全てのものが蜃気楼のように「ぶれ」ていた。
「どうしたんだろう」
歴が聞くとアンティークは、形の良い顎に手を当てて考え込んでいた。
「次元機関が、暴走している」
「暴走って、どうなるんだ?」
「次元機関が臨界を起こせば、次元に穴があく。世界はバランスを失って、何が起きるかわからないわ」
それを聞いて、言葉のつぎは顔色を失った。何が起きるかわからない? きっと、絶対にいいことはないだろう。急に、目の前の台座が時限爆弾に見えた。
「どうするんだ? 逃げ……」
目の前の、文字通り手に余る事態をアンティークは切り捨てるように、「うん、もういいわ」とだけ呟いた。
ディメンオンが手を額にある時計にかざすと時計の長針と短針は、六時ちょうどを刻む。六時の針を握り締めるとそれは長い剣の形になった。
長大な時計の針のかたちをした剣、六時の剣を両手で構えたディメンオンは、激しく震える次元機に踏み込んだ。
アンティークが叫ぶ。
「切り裂け、世界。分かたれよ、虚空。我はすべてを断ち切るものなり!」
すっ、と静かに。なんの手応えも感じなかったが、風景に微妙な変化があった。
ずれている。モニター表示がずれているのではない。空間そのものが、ずれているのだ。空も雲も山も川も地面もそして次元機も、全てのものがある一線、ディメンオンの剣の斬撃に沿ってずれていた。
その中心にあるのは、次元機の巨体だった。
まるで次元機を中心にそこの風景だけが切り取られてしまったかのような様子に、しばらくして変化は劇的に訪れた。
風景が割れる。その隙間は確かにあるはずなのだが「眼に見えない」。次元の隙間というべきそこは、人には見えないのだろうか。そしてその中に音もなく、切り取られた風景と両断された次元機は吸い込まれていった。
あとには不自然に切り取られた山だけが残り、その場からかき消すようにディメンオンはいなくなった。
どうしてディメンオンはいなくなってしまったのか。
「分かりやすく言うなら、眼に見えないくらいに「ぶれ」させるということかな」
次元航行機であるディメンオンは、次元の隙間に身を隠すことができる。アンティークは得意げに説明してくれたが、歴にとってはそんな理屈よりも今後のことが心配でならなかった。
「……ねえ、それよりどうして僕の家がなくなったのかな」
恨みがましい目で答えを求めても、きっとアンティークはトンデモ超科学的説明で自分を丸め込むだろう。大事なのは、帰る家を失ったという事実だけだ。もう登校拒否もできない……。
「ああ、あそこがあなたの家だったの? ローレンツ変換がちゃんと行われていればグレーイスに漂着してるはずだけど……どうしよっか」
自分にも責任があると思ったのか、アンティークは気まずさをごまかすように笑った。それでも奈落の底まで落ちた歴の機嫌は直らない。いや、そもそも不機嫌というだけで済ませていいのだろうか。
「とっとと元の世界に帰ってくれない?」
「そりゃ、私がグレーイスに帰ればあなたの家も帰ってくる可能性があるけど……実はディメンオン、故障しちゃってるのよ」
「故障?」
「グレーイスの次元座標を算出できなくなっちゃって……だから、お願い!」
顔の前で両手を合わせるアンティークは可愛くもあったが、誤魔化されない。誤魔化されるものか。
「僕も誰かのお世話にならないといけないのに、何言ってるんだい」
自分の世話もままならないのに、女の子とロボットの世話なんてできるわけがない。しかし、彼女の堪忍袋は思いのほか小さかったらしい。たぶん、小物の類は入れられないだろう。
「そ、分かったわ。手始めは、この辺からね」
「な、なにをするんだ?」
「ディメンオンで適当にこの辺りを壊すの。住人は出ていって、そこを仮の住まいにするわ……あの屋敷なんかいいわね」
「すぐに追い出されるに決まってるよ!」
「その時は、もう一度ディ……」
「それはなし!」
歴は頭を抱えた。これではあの台座と同じ、いや、更にひどい。台座は一過性のものだったが、アンティークはここに居座る気なのだから。帰る日は、限りなく未定。がくりと肩を落として、歴は観念した。
「分かったよ。住まいは何とかするからそんな物騒な考えは心の奥底にしまってよ……ガチガチに鍵かけて」
「うん、分かった。やっぱりレキはいい人ね!」
一本調子な棒セリフ。この笑顔もどこまで信用していいか疑わしい。けれど、歴は力ない笑みを浮かべた。笑う以外に、いったい何ができるというんだ。
家はなくなるし、この娘までいる。自分はいったいどうすればいいのか。まだくらくらする頭を抱えたまま、歴は山の中で途方に暮れてしまった。