6章 帝都にて 4
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スリンガーが屈みこんで自分の目線に合わせてくれているのが夕にはわかった。
「それでは、自分はこれで……ユウ、博士のいうことはきちんと聞くように」
「はいはい」
「あと、レフィルが訪ねてきても言うことは聞かぬことだ。おまえは戦いをするような人間ではない。彼もだ」
スリンガーは心配しているようだった。夕の身だけではなく、レフィルのことも。
「……もし、レフィルと会ったら?」
「説得は難しい。だが、奴は必ずおまえの前に現れる。その時は、逃げろ。奴が自分の身を危険にさらすのは勝手だが、おまえまでそれに付き合う義理はない。おまえは元の世界に帰ることだけ考えていればいい。そのためには、博士に協力しなければならない。わかるな?」
「協力って、何するの?」
「……次元航行機の開発だ」
苦いものが喉元までこみ上げてきた。人殺しの機械。
「ならレフィルたちと同じじゃないの?あれに乗って戦って」
言いかけたそのとき、奥で物音がした。見ると、巨大な煙突の底へ禍禍しい影が降りてくる。とんがり帽子のような頭は鋭く、背中から翼を生やし、全体が突起に覆われている姿を忘れはしない。忌々しいその姿を見て、夕は吐き気がしそうだった。
「……ヤジルシ」
ヤジルシのエンジンが停止して何本もの支持架が機体に接続されると、機体の奥から誰かが出てくる。今すぐむこうに行ってパイロットをぶん殴ってやりたい衝動に駆られたが、それを押さえつけるほどの驚きが夕を支配した。
出てきたのが自分と同世代の少女だからだ。
「……!」
自分が人殺しをするという想像を夕はしたが、現実に殺すのとは天地ほどに差がある。しかし、そこにいる少女は何の動揺も葛藤もなくそれを成し遂げたのだ。夕は自分の視線が恐れよりも非難のこもったものになってゆくのを感じた。
視線に気づいた少女がこちらを向いた。夕が何よりも驚いたのは、彼女が仮面をつけていたことだった。口元だけを残したその仮面はまるで歌舞伎に出てくる能面のようだった。
彼女の動作は素早かった。ヤジルシの喉元から腰、膝からひと飛びに床へ飛び降りると、一瞬で夕の手首をねじ上げた。夕が手を振り払い相手の顎を蹴り上げようとする時にはすでに少女は距離を取っていた。
「やめんか!」
スリンガーが仲裁に入るが、気にならなかった。夕の視線は目の前にいる少女に集中していたからだ。相手は軍服に身を包んでいるが、それだけでは今の身のこなしは説明がつかない。まるで体重のないような動きだ。そして――。
「ぶれている?」彼女の輪郭は夕と同じように、ぶれていた。
「漂流者が自分だけと思いまして?」
「それは……」
そうだった。漂流者と呼ばれる存在が自分だけのはずがない。
「わたしも漂着したばかりの時はそうでしたから、人のことは言えませんけど」
輪郭のぶれた少女は、線の細さを強調するような軍服に身を包んでいた。少女だと分かったのは、自分と同じくらいの身長、そして雰囲気だ。しかし、なぜ彼女は仮面を身に着けているのだろうか。
「何、その仮面。だっさ」
「あなたも早く自分の仮面をお作りなさい、漂流者でありたいのなら。認識によって漂流者の価値は目減りしてしまう」
少女は夕の挑発には乗らなかった。このなんか澄ましたような感じは気に入らない。
「私は夕、あんたは?……名前まで偽名なの?」
「わたしのことはアシュアと呼びなさい。さっきのは挨拶代わりですわ、仲良くしましょうね?」
そう言って少女アシュアはぶれた左手を差し出した。けれど、まだその手を握る気になれない。
「……あんた、あれに乗って?」
「そうですわ、レジスタンスの鎮圧を」何の感情もなくアシュアが答えた。
レジスタンスの鎮圧。夕は言葉の意味を反芻した。列車を破壊し、乗っている人々を槍で皆殺しにした。それが、レジスタンスの鎮圧!
全身の細胞が瞬時にざわめき、沸騰する。夕はアシュアの胸倉を掴む。自分の手は小刻みに震えていた。
「そんな言葉で片付けられるほど簡単なことじゃない! あれにはあんたよりもっとちいちゃな子供も大勢乗ってたんだよ?それをあんたは簡単に……!」
「なんで怒るんですの? 相手は武器を持っていたのに。武器を持つということは、戦う意思があるということですわ」
アシュアの困惑する様子に、涙が出た。アシュアの行動そのものよりも、行動を省みることのない無神経に、悲しくなった。抵抗してくれれば、この手を振り解いてくれれば、どんなにいいことだろう。そうしてくれれば、ちゃんと憎むこともできるのに。でも、この子は悪い事をしたという自覚さえ、ありはしない……!
パン。夕の平手打ちはアシュアの頬を捉え、床に倒れた。
顔が涙に汚れた夕はしゃくりあげていた。涙が静かに床にこぼれる。
「泣かなきゃいけないのは、本当はあんたなんだから!」
「……」
「お墓参りに必ず行きなさい。あと、自分のしたことの意味を自覚しなさい。知らないとかそんなのは、言い訳にしかならないんだから」
倒れたままアシュアは動かなかった。これ以上相手にするのも意味がないし、なによりも衝動に任せて殺してしまうかもしれない。
「じいさん、私の部屋どこ!」
言いながら夕は逃げるようにその場から立ち去った。
「……仕方がないのですわ」
アシュアの呟きは、聞かなかったことにした。
捕虜の身で大それた事をしてしまったと夕は思ったが、後悔はしていなかった。あの時冷静でいられたのなら、きっと心が壊れている証拠だろう。
一夜明けて、アシュアが食事に呼びに来た。なぜわざわざ自分を呼びに来たのか。
「居心地の悪いのって、嫌ですの。でも、わたしはあれに乗りますわ。命令ですもの」
むら、と再び怒りが込み上げてきた。
「命令なら子供だって殺す?」
「危険があることは知っていたはずですわ。嫌なら、下ろせばいいでしょうに」
「それができないから……!」
「それに、あの人たちはまだ幸運なほうですわ」
「死なせておいて運が良かったっていうの?」
「そうですわ」
「……わけわかんない」
「かつての私の国、シックランドは占領されました。そして、市民が皆殺しに会いました。それよりはましだ、ということですわ」
凍てついたような声は、きっと感情が飽和しているのだろう。しかし仮面に隠されたアシュアの表情は見えない。
「……だからって、あの人たちを殺していい理由にはならないわ」
「あなたに何がお解りになって」
「あんたのこともわかんないよ」
「わからずとも結構」
これ以上話しても無駄だった。平行線というにはあまりに深い溝が夕とアシュアの間にはあった。
屋敷には三人のメイドが交代制で勤務していたので、家事をする必要はなかった。夕には別に仕事が用意されていて、スリンガーの言った通りにあのヤジルシの修理だった。
ヤジルシは両手を失っていて、組みつけは機械を使って行った。組みたて以外にも動かしてみて調整が必要で、その地味な上に神経を使う作業は夕を閉口させた。
時々、湖畔にアシュアを連れてお墓参りに行った。最初は彼女も出ていくのを渋ったが、時折口元に寂しげな表情を見せることがあった。