5章 大陸横断鉄道 6
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寒風が不可視の壁のように全身を叩いてくる。
夕は空中にいた。落下の途上にあり、このままだと眼下に見える水面に叩きつけられてしまうことは明白だった。
しかし自分は溺れてしまうために列車を出たわけではない。みんなを助け、軍隊どもを蹴散らすためだ。そのためにはこの状況をどうにかする必要があった。
バジリスクというトカゲの一種をテレビで見たことがある。足で水面をかき、猛スピードで河を渡る動物の映像が不意に頭の中をよぎった。できるかも?
「いや、できる」
自分に言い聞かせた。この世界でなら、きっとできる。今までの経験が証明している。水面に向かって加速していく中、夕は水面を走るイメージを頭の中で練った。
湖の上は大小さまざまな波紋で埋め尽くされていた。波紋の中心には、木や干し草、そして人。今さっきまで列車を構成していたものが種々雑多に浮かんでいる。それを囲むのは鉄の塊、次元機たちだ。
理論的には、水面が体重を引きうける寸前で次の場所に移る。例えば、水面を飛ぶ石のように。足がかりは、あの木屑だ。
踏んだ瞬間、水面がぐにゃりと歪んだ。
「右!」
すぐ左。右左、右左右左右左右左右左!「うおおお」無我夢中で足を前に出しているうちに、夕は水面の上を猛スピードで走っていた。
「やれるじゃん、あたし!」
停まることは許されない。上半身は必ず前へ倒す。物干し竿でバランスを保ちながら、夕は前だけを見て敵へ突進した。
両脇で激しく飛沫が上がる。いくつもの水柱は、機銃か爆弾か。でもどっちでもいい―。
「だって、あたんなきゃ問題ないもんね!」
台座のかたちをした次元機は、全部で三台。列車の出てきた岩山を包囲するようにして布陣を固めているが、なんとかなると思った。根拠は思いこみだけ。それでもないよりマシだ。
台座は、四つの足が水面についていなかった。下に力場を作って浮いているのか、ホバリングのように飛んでいるのだろうか。でも、そんな理屈に興味はない。夕はポールのような足のうち一本を、物干し竿と自身の加速によって一息に断ち切った。すっ、と一本の線が走り、それを境にしてぐらりと傾いだ台座は傷口からオイルを撒き散らしながら姿勢を元に戻そうとするが、そんな時間は与えなかった。
「沈めぇ!」
レフィルから聞いていた次元機の急所、時計状の計器部分を物干し竿で貫く。勢いがつきすぎたのか、台座は大きな波を巻き上げてひっくり返った。
「まずは一機!」
台座を足場にして、夕は弾丸のように飛んだ。次は二機目―。
「な?」
正確に飛んだはずなのに。夕は前方に立ちはだかる影を見た。
「ヤジルシ!」
列車を強襲したあの機体。人型に限りなく近いそいつが夕を掴もうとしていた。空気を切り裂きながら、巨大な掌が迫る。
そうはさせない。手を握らせる前に物干し竿をヤジルシの掌に突き立てると、その腕は手首から肩まで内から破裂するように吹き飛んだ。破片が飛散し、それらに隠れて夕は距離を取ろうとした。
しかし、そこまでだった。
残った右手が、夕を掴んだのだ。一瞬のことで、手加減なしの全力だ。うまく隙間に挟まり身体は潰れずにすんだが、振りほどこうとする夕に更に追い討ちがかかった。
“健闘は認めますがそこまでです、漂流者殿。こちらには、人質の用意があります”
拡声器から流れ出る声はどこまでも丁寧で、事実だけを告げていた。こちらをなだめようとしているみたいだが、夕にはその手段が充分癇に障った。
「卑怯者!」
“繰り返します、こちらには人質の用意があります”