1章 次元越しの侵略 2
2
< 五月十三日 〇八〇〇時 立川市 青海高等学校 裏山 >
「で、返事は?」
「……」
絶体絶命だった。歴が言うことを聞かなければ、彼女、アンティークは即座に手に持つ鶴嘴を歴の胸元に叩きつける用意が出来ていた。
これ以上時間稼ぎはできない。だからといって、決断もできない。ロボットだか何だか知らないけど、そんなの願い下げだ。
歴は現実から目をそらすための最後の手段――きつく目を閉じた。
「……」
これが自殺行為なのは自分でもわかっている。やるならひと思いにやってくれ。そう思ったが、その時はなかなか来ない。
本来なら激痛が走り、物を思うこともかなわぬはずだ。いったい何が起こったのか。歴は恐る恐る目を開いた。
状況は時を停めたように、何も変わっていなかった。胸の上に、とびきりの美少女(だけど凶器付き)が馬乗りになっているだけ。
「……殺さないのか?」
しっ、と彼女は唇の前に人差し指を当てると歴に覆い被さった。体温が伝わり、死を目前にした時よりも更に鼓動が加速する。人ってここまで心拍数が上がるものだなあ、と歴は的外れな感想を抱きつつ抗議の声を上げようとしたが、すぐに口をつぐんだ。
彼女、アンティークは息を殺していた。
さわさわと木々の揺れる音が聞こえた。
それに混じって、針のような気配を感じる。
木の影から湧き出るように数人の人影が姿を現した。黒いコートの体格から察するに男だろう。男たちの姿はアンティークと同じく輪郭がぶれていたが、剣呑な雰囲気だけは確かに感じる。歴はアンティークの顔を見上げた。敵意とおびえの表情が半々。
「逃げないといけないの?」
アンティークからの返事はない。
チャンスだ、この隙に厄介な彼女から逃げろ、と頭の中で警報がけたたましく鳴り響く。黒い男たちは、無言で近付いてくる。アンティークは動かない。いや、動けないのか?
男たちに助けを求めたほうが自分は助かるかもしれない。なぜなら、このアンティークはロボットに乗るというお願いを聞かなければ「確実に」自分を殺そうとしているからだ。もしかして犯罪者かもしれない彼女を引き渡せば一件落着、自分は普通の生活に戻れるかもしれない。
しかし、歴は自分でも信じられない行動を起こした。
「え?」
彼女の手を取り、走り出したのだ。
もともと足は速いほうではない。それでも距離のハンデと土地鑑がある歴は、勘を頼りに逃げ延びるルートを弾き出していた。
この坂を降りれば、道路に出る。車通りの多い所なら物騒なことは出来ないはず。その判断は唯一の生き残る根拠だったが、逃げ疲れた身体は上手く動いてくれない。けれど坂道を転がるように、アンティークの手を引きながら歴はひた走った。
黒服たちは影のようにふたりに追いすがる。あきらかに歩調を合わせているのが判り、歴は焦りを募らせた。このままでは、どの道捕まってしまう。
道路に出た!
「あっ」
つまずいたアンティークが、数歩後ろでうずくまっているのが見えた。追いついた黒服たちの背中に隠れて、小さな姿が見えなくなる。とっさに助けようと黒服のコートに掴みかかったが、その中には――。
実体が、なかった。コートはそれだけで立っていた、いや浮いていたのだ。
驚く間もなく、黒服の腕に跳ね飛ばされた。――透明人間? 疑問符と血の味を口の中に感じながら、それでもアンティークを救おうと、再び黒服たちに組み付こうとしたとき。
刃のような旋風が吹き荒れた。
もう少し位置が高ければ、自分の身体も切り裂かれていただろう。包囲の中心から台風のように吹き荒れるそれは、アンティークが引き起こしたものだった。突然の逆襲に黒服たちの動きが止まるのを彼女は見逃さなかった。
アンティークは鶴嘴の切っ先を間髪入れずに黒服の胸に思いきり叩きつけると、彼らは中身がないのか、風船が割れるように急速にしぼんでいった。
一人、また一人。まるで踊るように、体重を感じさせない動きでアンティークは黒服たちを次々と始末していった。刃先を突き刺したまま男を仲間に放り投げ、相手が体勢を崩した上で更に一撃。結果、ものの数秒でそこにはぼろ雑巾の山が出来上がっていた。
夏も近いというのに、寒気を感じた。もしかして自分はとんでもない人間を助けたのではないか?
アンティークは戦いながら笑っていたのだ。
「ああ、うっとうしい奴らだった」
鶴嘴をお手玉しながらアンティークが言う。
「林の中ではこいつがちゃんと発動しないのよ」
尖った鶴嘴の刃先を歴に見せながら説明する。誰も説明は求めていないのだが。
「そういやアンティーク、さっきの連中はなんだったの?」
「見た感じ、あいつら次元跳躍に失敗したみたいね。コートの中、見たでしょ?」
確かに、コートの中はがらんどうだった。それが次元跳躍の失敗。
「漂流者はチューニングの悪いラジオみたいなものなの。私はディメンオンのおかげで姿形を保ったままこの世界に来れたけど、あいつらは次元機に乗ってたみたいだったから。きっと何も知らされずに命令だけ聞かされたんでしょうね」
「ディメンオンって、キミが言ってるロボットのこと?」
「うん。わたしのあなたへのお願いは、それに乗ってあいつらの次元機と戦うこと」
そういえば、自分はロボットに乗って戦えと言われていたのを思い出した。そして、本来自分が取るべき行動を思い出した。
なぜ今逃げないのか。
「あ……そうだ!」
歴は腰を上げかけたが、袖を掴まれるほうが早かった。急速にアンティークの気配が本来のかたちに戻ってゆく。
「助けただろ、見逃してくれよ!」
「見逃すもんですか。協力してくれって言ったでしょ!」
助けたことでアンティークにとっての自分の必要性がさらに増してしまったということに思い当たると、歴は大きく肩を落とした。
「あいつらはやっつけたんだ、もう戦わなくたっていいだろ!」
「そんなのわからないわ。全員殺したかもわからないのに」
「大丈夫だって! 大丈夫! キミは強いし!」
「強くなんてないわ。さっきは助かったし」不意にアンティークの口調が柔らかくなった。
「う、うん」
「わたしには逃げるって選択肢がなかったから。あなたがあそこで一緒に逃げてくれなければ、わたしどうなっていたか分からないもの」
アンティークの顔を見る。そこには純粋な感謝だけがあった。
それを見て、歴はついに観念した。
「仕方ない。ここまで乗りかかったんだ、付き合うよ」
「え?」
アンティークは思いもよらないことのように、きょとんとした表情だった。
歴にだって一応の算段はある。黒コートたちは倒したのだ、あいつらの乗る次元機とやらが動かないという可能性は十分に残されている。そして、なによりもアンティークがこのまま自分を無条件に解放するとは思えなかった。
「……協力してくれるの?」
「ああ。だからロボットって奴、見せて」
「うん、待ってて! 鶴嘴片付けるから!」アンティークの顔がパッと明るくなる。ずっと見ていたくなるような眩しい笑顔に、こちらも思わず表情が緩くなる。
「で、なんで僕なの? ほかに適した人はいそうだけど」
ロボットの操縦なんて自分はできることならしたくなかったが、中には物好きな人がいるかもしれない。アンティークが望むなら、そういった人を学校で探してあげてもいい。命を賭けないなら、協力はやぶさかではなかった。
アンティークが振り返ると、眼鏡の奥には理知的な光が宿っていた。
「漂流者の認識は誰にでも出来るようなものじゃないわ。特になりたての漂流者は限りなく透明に近い存在だから」
「ふうん」よく分からないけど、分かったふりをする。
「平行存在かよほど世界から逸脱した存在……平行存在は姿かたちが一緒らしいから、あなたの場合は後者ね。でない限り、認識は困難ね」
「僕は世界から逸脱した存在なのか……」
「たまにいるのよ、世界に溶け込めない人が。そういえば名前を聞いてなかったわ。あなた、なんて名前?」
ぐぐっと顔を近付けてアンティークが聞いてきたので、慌ててしまう。息のかかる距離で女の子と向き合うなんて、そうそう起きる出来事ではない。それも、とびきりの美少女だ。
「……汀、歴」
「レキね。よろしく」
差し出されたその手を握ると雪のようにつめたい。だが、紅潮した歴の顔はひんやりした手の感触が気持ちよかった。