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4章 次元越しの引っ越し 2


<皇歴一〇五年 五月〇二日 グレーイス 山岳地帯 ミラー家>


 夕の家の周囲は吹雪に覆われていた。

 いきなりの異常気象か、それとも大がかりなドッキリか。しかし居間のTVを点けてみても砂嵐しか映らず、ドッキリの仕掛け人が出てくる気配はいつまでたっても無かった。

 ならば目の前にあるこの景色は何なのだ。答えを見つけられるのはまだ先になりそうだった。

 夕を襲ったのは武装した男たちだった。彼らに敵意はないようだったが、なにかあったらひねり潰してやると言う夕の強気は、すぐに折れた。

「うう、寒いよう」

 ここは自宅から離れた洋館の一室だった。自分の家の裏手に突如として出現したもので、相手に言わせれば「あんたの家がいきなり出てきたのさ」ということだ。

 夕は自宅に留まりたかったが、吹雪のせいで家の中は冷凍室みたいな温度だ。電気も止まっていて、夕はここまでくるしかなかったのだ。

 歯の根が合わなくてがちがち言っている夕の様子を人々は半開きのドア越しに一瞥して、去っていく。

 どういう人たちだろうか。少なくとも、悪い人たちではなさそうだ。夕の要望は聞いてくれたし、人々は訪れるたびに何かしら役に立つ物を残していったので、部屋の入口にはちょっとしたバザーを開くだけの品々が集められていた。

 震える手を見る。

「まだ、ぶれている」

 自分の目が悪くなったわけではない。なぜなら、周囲の景色はくっきりはっきりと見えているからだ。自分だけが、ぶれている。まるで自分が世界にとって異物であるように夕は錯覚した。

「気分はどうだい、嬢ちゃん?」

 ここではじめて会話を交わした少年が入ってきた。陽に焼けた肌は日サロというわけではあるまい。花火の匂いをさせている彼は、もちろん花火師というわけではない。その匂いは、肩に担いだライフルからさせていた。

「……最悪」

 最悪な顔をして言ってやった。あれから少年は、自分を抱えあげて洋館へと「まるで荷物のように」持っていったからだ。夢見がちな乙女としては、優しくエスコートされるかもしくはお姫様だっこで案内してほしいところだったのに、こいつは。

「まぁ、怒るなよ。俺だって漂流者を見るのは初めてなんだから。おまえ、名前は?」

 自分の考えを改める気はさらさらないらしい。それに、名前を聞くなら自分から名乗るのが筋だろう。夕は少年の問いに沈黙で返した。

 しょうがねぇなあ、と少年はぼりぼりと頭をかき、しばらくして手の動きを止めた。

「じゃあ……おまえ、ぶれてるからブレ子だ。決定!」

 輪郭がぶれているという単純な理由で付けられたのだろうが、大いに不服だった。冗談じゃない、あたしは夕だ。身を乗り出した拍子に包んでいた毛布がするりとはだけた。

「……!」

 その下には下着しか身につけていなかった。夕は洋館の屋根を吹き飛ばさんばかりの悲鳴を上げた。


「俺はレフィル・ミラー。よろしくな、ブレ子」

「……夕よ」

 夕は差し出された手を握った。少年レフィルの顔には苦い表情と手形の跡。ぶれているからと言って、手形ははっきりしていた。

「まず聞くわ。漂流者って何?」

 彼は、夕のことを最初に「漂流者」といった。それはどういうことか。

「まあ、口で言うとややこしくなっちまうが……」

 いいながらレフィルは、夕を手招きした。

 その部屋は、何かの研究室だった。学校の科学室を思い出して少し怖くなったが、部屋のなかには夕の嫌いな動物標本や人体骨格図のような物はなかった。

 レフィルはなにやら水槽に水を貯めている。その様子を横目に、窓の外を見てみた。

「やっぱし、ありえない」

 自分の家に季節はずれの雪が降り積もっていた。

 なぜこんな事が起きたのか。もっと科学の授業を勉強しておけばよかった。しかし、科学の裏付けがあっても証明はできないだろうと思う。けっして負け惜しみではない。

 こんな出来事、世界のどこを探してもあるわけがないからだ。

「おーい、こっち」

 準備ができたらしい。夕はレフィルがいる机の向かいに座った。

 目の前には、二つの水槽がある。二つとも同じ水槽で、水槽の目盛は等量の水が入っている事を示している。しかし水はそれぞれ色が異なり、一方は透明、もう一方は赤かった。

「ブレ子、おまえ勉強は得意か?」

「なんでそんな事聞くのよ」

「いまから説明するのは、ローレンツ変換に関することだ。その軽いおつむで理解できるかどうかってこと」

「馬鹿にしないでよ、あたし飛び級で中学に入ったんだからね」

 弱みを見せないためについた嘘だった。

「じゃあ、俺も親父の受け売りだが。異なる二つの次元で、時間の流れは全ての基準座標で同一という前提において、二つの次元、もしくは時間平面……一塊の世界は便宜的にユークリッド空間と呼ぶ。もとは幾何学の場となる平面や空間の一般名称だがな。ユークリッド空間、つまり時間平面上の構成物質の総量は常に一定であるという仮設に基づき、構成物質の次元間の移動を発見者の名を冠して……おいブレ子、聞いてるか?」

 瞬時に頭の中で化学反応を起こして、弾けてしまいそうだった。頭の上からもくもく煙を出しながら、無理はするもんじゃないと激しく後悔した。 


「じゃあ。おバカなおまえにも分かりやすく説明してやる」

 敗北感に打ちのめされながら、夕は椅子の上で正座していた。別に言われてした事ではない、気分の問題だ。

「その葬式みたいな顔、何とかしろよ。こっちまで気が滅入っちまう」

「だって、理科とか嫌いなんだもん」

 はぁ、と溜息をつきながらレフィルは説明をはじめた。

「分かるかどうか知らんが、説明始めるぞ? こっち見ろブレ子。水槽のほうだ」

 二つの水槽には、かわらず透明と赤、二つの液体がある。

「このふたつの水槽は世界だ。透明は俺たちの世界、グレーイス。赤はブレ子の世界。逆でもいいけどな。そして、ローレンツ変換。原理は簡単、こうするのさ」

 そう言うと、レフィルは両手に小さなコップを持ち、ふたつの水槽の中に入れて水をそれぞれ取り出した。そして、すくわれた等量の水はそれぞれ違う水槽に注ぎ込まれる。注ぎ込まれた異なる色の水は水槽の中でたゆたい、そして時間を置いた後に水槽の中に定着する。

 結果、二つの水槽の色はわずかに変化した。

「いま俺が取り出した水はおまえの家と、次元航行機。二つは異なる世界の間で交換されたということだ」

 そういうことは、自分の家がここに来たのはその「次元航行機」のせいということなのか。

「まあ、そういうこと。次元座標とか質量とか、いろいろな面で合致したんだろうな」

「で、漂流者っていうのは?」

「赤い水があるだろ。透明ななかでの存在は言葉通りに異色だ。それが漂流者の由来」

 夕のこめかみに冷汗が走った。

「異色って、水槽の中では……」

「ああ、消える。漂流者は世界の中ではイレギュラーな存在だ。時期が来れば、存在自体がなくなるさ」

「存在自体がなくなる。消えるってこと?」

「だからそう言ってるじゃねえか」

 レフィルが言っていることは、異なる世界に放り込まれた漂流者は時間をおいて消えてしまうということだった。そうなると、自分の運命は分かりすぎるほどに決まっていた。

「他人事みたいに言って、何とかしてよ! あんたそこまで分かっといて、元に戻す方法知らないわけじゃないでしょうね!」

 逆上ぎみに立ち上がろうとしたが、足がしびれて椅子から転げ落ちてしまった。

「おい、だいじょうぶか?」

 レフィルが抱き起こすが、思いもよらずに距離が近くなってしまって夕は顔が赤くなるのを自覚した。まっすぐな視線を直視できずに、顔を背けてしまう。

「……しびれが取れれば大丈夫だし」

 こんなことをしている場合ではなかった。もとの世界に帰る方法は?

「次元航行機、ディメンオンが帰ってくればブレ子はローレンツ変換の影響で自動的に元に戻れるはずだが……それも、ちゃんと状態を維持できていればの話だ。水槽に例えると、いまはお互いの水槽に穴があいたような状態だ。そうなると、どうなる?」

「お互いの水が混じっちゃって、どっちともピンク色の水になる」

「いいとこ突いているが、少し足りないな。水槽のあいだには受け皿が存在しない。その間、次元の隙間からは次元構成物質がだだ流しになる。そうなると、どうなる?」

「水槽は、空っぽになっちゃう……?」

 言葉のもつ意味を自覚してぞっとした。よほど怖がっているのが分かったのか、レフィルは夕の肩に優しく触れた。

「そうさせないために、俺たちは来たんだ。次元航行機の封印と、次元侵攻を進めるエルベン皇国の打倒のために。心配するな、ブレ子が消える前に俺がきっちり元の世界に返してやるから」

 そう言うレフィルの手のひらはごつごつしていたがとても温かく、安心を与えてくれた。それでも、夕は先の見えない状況に自分の両肩を抱きしめていた。

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